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12.なんてことない一日

 学院に入学する前は、連休の一日くらい中学時代のメンバーと遊べないかなぁと思っていた。

 蓋を開けてみれば電話する余裕すらなく、ついついメールに頼ってしまっている。新入生歓迎会のコンサートの件を知らせると、絵里ちゃんは留守番電話に弾んだ声でメッセージを残してくれた。


 『――もしもし、絵里です。……なんか恥ずかしいね、真白にわざわざ名乗るのって。コンサートの練習で忙しいだろうから、返事はいらないよ。頑張ってね。応援してるね、って言いたかっただけです。夏休みには会えるといいなぁ。沢山話したいことあるよ。忘れないようにメモ』


 一生懸命考えながら吹き込んでくれたとすぐに分かるそのメッセージは、途中で切れていた。時間をオーバーしちゃったんだろう。かけ直したい。でも繋がったら、きっといつまでも喋ってしまう。

 『ありがとう。私も絵里ちゃんと皆に会いたいです』

 返信したあと、無性に寂しくなった。ぎゅっと携帯を握り締め、練習の合間に絵里ちゃんの優しい声を何度も聞き返す。

 懐かしいその声を耳にするたび、彼女と過ごしてきた過去の出来事がひとつひとつ鮮やかに蘇った。幼稚園、小学校。そして中学と、絵里ちゃんが隣にいるのが当たり前だった。前世の記憶を取り戻し、言動が明らかにおかしくなった時期でさえ、彼女は私を遠ざけたりしなかった。

 ほんとはね。会いたいよ、絵里ちゃん。会って一日中お喋りして遊んでいたい。


 勉強、課題、そして練習とやらなきゃいけないことは山積みで、その実すごく不器用な私は、全てに全力で当たらないと消化できない。この世界でそれを知ってるのは、紺ちゃんだけだ。ヒロイン補正力のせいなのか、周りは私を資質に恵まれた人間だと思っている。そのこと自体を疎んだことはないけれど、時々、こんな風に足が止まりそうになった。


 「がんばれ! がんばれ!」


 ピアノの前で私は一人気合を入れ直し、どうしても滑らかに繋げられないフレーズの克服にとりかかった。

 


 午前中は、連休課題として与えられてるバッハの平均律とショパンの練習曲をさらった。それから音楽史のレポートを書くための資料本をいくつか読んで、五教科の予習をざっくり済ませる。ちょうど机の上を片付け終わったタイミングで、部屋の扉がノックされた。返事をすると、扉の隙間からひょいと高野さんが顔を覗かせた。


 「そろそろお昼いかない?」

 「あ、行く! ちょっと待ってて」


 ハンカチと部屋の鍵を取り上げ、外に出る。きちんと戸締りを済ませてから、鍵はジーンズのポッケに突っ込んだ。


 「誘ってくれてありがとう」

 「いちいちお礼とかいいよー。律儀だね、島尾さんって」

 「……えっと、真白でいいよ?」


 バンジージャンプに挑むくらいの勇気が必要だったけど、思い切って言ってみた。さらりとスマートに切り出せるよう、部屋で何度も練習したくらい格好つけな私です。断られた場合の応対もシミュレーション済みだ。


 「おっけー。じゃあ、真白ちゃんって呼ぶね。私もりょうでいいから」


 ほっ。良かった、大丈夫だった。

 内心大喜びの私をよそに「涼って男の子みたいな名前で嫌なんだけどね」と彼女は苦笑した。涼やかな語感がさっぱりした彼女にぴったりの、素敵な名前なのに。

 素直に思ったことを口にすると、高野さんは恥ずかしそうに頬を上気させた。


 「わー、直球! 真白ちゃんってたらしの才能あるんじゃない?」

 「ないよ~」


 あるんなら欲しいよ、そんな才能。どこぞの紅様がうらやましい。

 きゃらきゃらと笑い合いながら、外廊に出る。

 ぐるりと寮を取り囲んでいるシマトネリコの茂みを爽やかな風が揺らす。眩しい太陽の日差しに目を細めながら、私は凝り固まった首や背筋を伸ばした。


 「今日のお昼は何だろうね。涼ちゃん、一緒に食べない?」

 「うーん。そうしたいけど……でもなぁ」


 蒼にかなりの苦手意識を植えつけられた涼ちゃんは、及び腰だ。

 あの後、電話で厳重に注意しときましたよ、ええ。

 蒼は「そんなつもりなかったんだけどな」と最初はしらばっくれていたけれど、しつこく追求したら罪を認めた。私は蒼が一番好きだし、蒼をないがしろにもしないから、蒼も私の友達作りを応援して欲しい。くどいくらいに名前を連発しつつ、彼を説得した。その効果を今日披露してもらおうじゃないか。


 「大丈夫、ちゃんと蒼にも話したから。すごく素敵な子が隣の部屋でラッキーだったって。友達になりたいから、協力してねって」

 「なにそれ、もう友達じゃん。それより、ハードルあげないでよ。ゴミからいきなり素敵なレディなんて、城山くんだっけ? すんなり納得するわけないでしょ」

 「いや、レディとは言ってない」

 「引っかかるのそこ!?」

 「へへ」


 もう友達じゃん、だって! うわあ、嬉しい。どうしよう、にやけてしまう。

 「城山って楽器メーカーのシロヤマだよね。御曹司なんだね」としきりに感心してる涼ちゃんも、お家は会社を経営してるらしい。「しがない建築業でいわゆる成金だよ」と涼ちゃんは謙遜したけど、持ってる楽器で大体のことは分かる。

 涼ちゃんのヴァイオリンはすごく状態の良いオールドモデルだった。2000万くらいするんじゃないかな? ストラディバリとグァルネリくらいしか知らない私には、本当のところ見当もつかない。同じクラスのヴァイオリン専攻の子が羨ましがってたんだよね。入学祝いで奮発してもらったと涼ちゃんは言っていたけど、私の知ってる入学祝いと桁が違う。


 食堂に行くと、珍しく蒼はまだ来ていなかった。

 涼ちゃんと先に場所を確保し、それからトレイを持ってカウンターに並びに行く。今日はパルミジャーノチーズのリゾットか茄子とトマトのラザニアから一品選ぶみたい。少しだけ悩んで、リゾットの方にした。涼ちゃんは暗黙の了解でラザニアを注文している。お互い一枚ずつ取り皿を取って、目を見合わせニッと笑った。半分こすれば両方食べられるもんね。


 席に戻って5分もしないうちに蒼がやってきた。


 「ごめん、遅くなって」


 隣の涼ちゃんにちら、と視線を移し、にっこり微笑む。

 出ました、蒼のよそ行きスマイル。威力の凄まじさは過去の私で実証済みだ。


 「こんにちは、高野さん」

 「あ、こ、こんにちは」


 へへ、と意味のない愛想笑いをとっさに浮かべた涼ちゃんに、深い共感を覚えた。苦手だ、嫌だっていくら思ってても、普段クールな王子様に笑顔を見せられちゃうとコロっと絆されるよね。

 分かる。分かりすぎるほど分かるぞ、その気持ち。


 「俺も一緒にいい?」

 「もちろんですよ。むしろ私が超邪魔っていうか、空気読めっていうか」

 「そんなことないよ」


 あ、今のは本当に笑った顔だ。

 涼ちゃんは喉の奥で唸り、テーブルの下で小さく足踏みした。蒼が料理を取りに行くとすぐ、興奮しきった彼女にバシバシ背中を叩かれる。リゾットが鼻から出そうになった。


 「なに、あれ。なにあれ! すんごいカッコイイんですけど!」

 「うん、蒼はかっこいいよね」

 「あれで彼女に一途とか、どこの少女漫画から出てきたの?」

 

 『ボクメロ』という乙女ゲームからです、とは言えないので、曖昧に笑って流した。

 私の前では饒舌だった涼ちゃんは緊張したのか、蒼が戻ってきてからは最後まで相槌マシーンと化していた。自分からは何も話を振らない。ラザニアをつつきながら、ニコニコと私たちの会話を聞いている。

 蒼が最後にぼそりと「この子ならいいか」と呟いたのが怖かったです。どういう意味!?


 

 昼食の後すぐ、蒼のお家に伺うことになっていた。

 蒼が遅れたのは、送迎の車の手配をしていたからみたい。麗美さんは留守だと聞いて、正直ホッとしてしまった。正門前で落ち合おうと約束して、一旦部屋に戻る。涼ちゃんはこれから談話室に寄るんだと上機嫌だった。


 「紅様の相方もすご~く素敵だったよ、って皆に報告しなきゃ」

 「ぶっ」


 使命感に燃えている涼ちゃんの口から飛び出した紅の名前に、私は噴きそうになった。しかも、紅さま!? ……もしかして涼ちゃんって。


 「紅様ファンクラブ? うん、入ってるよ。弦楽器科の女子は殆ど入ってるんじゃないかな」

 「そうなの!?」

 「うん。会長は宮路さんって子。内部生のお嬢様だけど、すっごく親切で優しいよ。ファンクラブに入ると、会報が貰えるし、紅様に差し入れを渡せる権利もついてくるし、誕生日には直接お祝いを言ってもらえるんだ! あの素敵な低音で! テンションあがるでしょ~」

 「そう、なんだ。はは、ははは」

 「真白ちゃんは入れないよ、言っとくけど。彼氏持ちの子はダメって紅様が言ってるし、城山くんが知ったらド修羅場になりそうだもん」

 「ですよねー」


 思っていたよりおおごとになってる紅のファンサービスに心の中で合掌しつつ、私は弾む足取りで二階へと上がっていく涼ちゃんを見送った。


 

 蒼の自宅の一階にあるその部屋に案内されるのは、初めてだった。

 幅広く長い廊下の突き当たりにあるその部屋は、小ホールくらいの大きさを誇っていた。もちろん完全防音で、中央にデンと鎮座しているのはシロヤマの最新型コンサートピアノだ。


 「父がまだ日本にいた頃は、ここが商談室だったんだ」


 物珍しげに、立派な応接セットや沢山のパンフレットが綺麗に収まった書架を眺めていた私に、蒼が説明してくれる。


 「ああ~、なるほどね。そんな感じ」

 「今では殆ど使ってないけどな。麗美さんが、いつでも使えるようにって定期的に入れ替えてるんだよ」

 「……そっか」


 蒼パパがいつ帰ってきてもいいように、かな。

 なんだか切なくなった。


 「留守だけど、一応は聞いたから」

 「え?」

 「ピアノを真白に使わせたいけど、いい? って」

 「――麗美さんは、なんて?」

 「好きにしなさい、だってさ。もう興味なくしたんじゃない? 基本俺のことはどうでもいいから、あの人」


 サイズの合わない服。薄着で立ちすくんでいた歩道橋の上。ちらつく白い雪。

 一瞬にしてあの日の蒼の面影が脳裏いっぱいに広がった。


 「蒼」


 今でも本当は寒さで震えていそうな気がして、隣に立つ背の高い男の人を両腕で抱きしめた。ぎゅうっと力を込めて抱きついても、大きくなってしまった蒼をすっぽり包むことはできない。

 蝉みたいにしがみつく私を、蒼はゆっくり抱き返した。


 「ん? なに、可哀想になっちゃった?」

 「そういう言い方しないでよ」

 「同情でも何でもいいよ。真白が優しくしてくれるなら、俺は何でも嬉しい」

 

 うまくかみ合ってない、とこんな時いつも思う。

 私の好きは、蒼には届いていないと思い知らされる。同情じゃないよ。ただ、蒼が大事だから、大好きだから、寂しくなって欲しくないだけなんだよ。


 「真白、ちゃんと食べてる? なんか小さくなった」

 「食べてるよ。体が資本だもん。蒼が大きくなっただけだよ」

 「そっか」


 嬉しそうに笑って、蒼は私の肩口にぐりぐりと額をこすりつけた。

 甘えんぼうな猫みたいな仕草が可愛くて、私も釣られて笑ってしまう。


 「ずっとこのままでいたいけど、真白は練習しなきゃだよな」


 名残惜しげに体を離し、蒼はじっと私を見つめた。


 「あー、くそ。行きたくない」

 「ん? どこに?」

 「だって俺がいたら邪魔だろ。二時間くらい、暇潰してくる」


 暇をつぶす、ということは特に予定はないってことだろうか。

 それならここにいても大丈夫なのに。


 「蒼もチェロを練習するなら話は別だけど、そうじゃないなら、ここで何かするのではダメ?」


 私の提案に、彼は目を丸くした。


 「いや、俺は全然いいけど……本当にいいの?」

 「え、むしろなんでダメ? 蒼はひとりで大騒ぎしながら暇をつぶすタイプじゃないよね」

 「じゃあ、ちょっと待ってて!」


 さっきまでの憂い顔から一転、ぱぁっと満面の笑みを閃かせ、蒼は慌てて部屋を飛び出していった。

 そんなに慌てなくてもいいのに。

 ピアノの前に座り、楽譜をチェックしていると、ほんとにすぐに彼は戻ってきた。手には文庫本を握っている。


 「これ読んで待ってる。休憩したくなったら言って。真白が飲みたいもの、持ってくるから」


 得意げに本の表紙を見せてくる無邪気な様子に、思わずふふっと息が漏れた。


 「いいね、それ面白そう」

 「って前に真白が図書室で言ってたから、買ったんだ」


 そ、そうか。


 「読み終わったら、私にも貸して」

 「いいよ」

 「登場人物の名前に丸つけたりしないでね。犯人の」

 「ははっ。んなことしないって」


 機嫌よく蒼は答え、ソファーの方へと足を向ける。三人掛けの大きなソファーに深く腰掛け、本を読む体勢になった蒼に、今更ながら不安になった。


 「……耳障りだったら、いつでも出て行っていいからね」


 完成品を披露するわけではない。

 私が今からするのは、地道な組立作業だ。技術的にこなれない部分は何度も反復練習し、曲想が固まっていない部分は幾通りもの弾き方を試す。


 「真白の音、ずっとずっと聞きたかったんだよ、俺。スケール練習でも一日中聴いてられる自信ある」

 「うわあ」


 ――それかなりヤバイやつじゃ。

 

 本音は笑顔の下にぐっと押し込める。私は曖昧に頷いて、鍵盤に向き直った。

 『かなり歪んじゃってる自覚ある』

 本人だって言っていた。

 そして私は、そんな歪んでる蒼が好きなんだから仕方ない。需要と供給はぴったり一致している。


 指を軽くマッサージした後、私は軽く息を吸った。おきまりの、でも大事な儀式。

 直後鳴り響く、ピアノの深い音。

 意識は、簡単にパチリと切り替わった。

 



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