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10.二度目の分岐点

 自室に戻り、携帯を開いてみると蒼からのメールが入っていた。土曜日のこの時間に必ずくれるねぎらいメール。


 『レッスンお疲れ。新歓の曲は決まった? 真白の演奏楽しみにしてる』


 いつもだったら、折り返し電話をかけてお喋りしたり、時間に余裕がある時は共同棟の談話室で一緒にコーヒーを飲んだりする。

 実は密かに楽しみにしてる癒しの時間なんだけど、今日はお預けだ。


 「もしもし。――うん、ありがとう。あのね、美登里ちゃんがアンサンブル実習のことで聞きたいことがあるんだって。中庭で待ってるから、行ってあげてくれる?」


 蒼は平板な声で「そっか。分かった」と答えた。

 ツキン、と胸の端っこが痛む。オレンジ色の髪の子にはあんなに冷たかったのに、やっぱり美登里ちゃんは特別らしい。予定外の急な呼び出しなんて一番嫌がりそうなことなのに、蒼は躊躇いもせず了承した。


 「……私も一緒に行こうかな」


 気づけばそんな言葉が口から溢れ出ていた。

 自分でも驚いて、ぎょっとしてしまう。そんなことしたら、計画が台無しだ。


 「いいよ。どうせ大したことない話だろうし、すぐ終わるから。真白が時間あるなら、後でゆっくり会いたいな」

 「そうだね。うん、じゃあまた後で」


 えへへ、と意味なく笑って通話を切る。

 予想してなかった胸の痛みに戸惑い、私はすっかりしょげてしまった。

 蒼も美登里ちゃんも大好きなのに、なんなんだろう、この気持ち。つまらない嫉妬で、大好きな二人を傷つけた前世での手痛い失敗を思い出す。懲りない自分への失望が、苦く黒い染みを心に落とした。



 「もう金輪際、やきもちやかないで。いい? 大体、欲張りすぎなんだよ。ほんといい加減にして」


 口の中で真っ黒真白を罵りながら、打ち合わせの場所へと急ぐ。

 ちょっとした迷路みたいになっている薔薇の生垣を抜けた先が、中庭の中央だ。円形の噴水、瀟洒な鉄製のベンチ、洒落たデザインの外灯。毎年夏休み明けに行われる寮祭では、この大広場にメインステージが建てられるんだって。

 広場の東側のベンチに、美登里ちゃんは座っていた。

 えーと、ベンチ裏の茂みまで行けばいいんだよね。ちょっと離れてるけど、よほどの小声じゃなければ十分聞きとれる距離だ。男子寮からくるはずの蒼を警戒し、腰をかがめて移動する。

 幾度かもぞもぞと場所を替え、ここならいいかなと思い定めたところへ座った。


 『いる?』

 

 携帯が震え、美登里ちゃんからのショートメールを知らせた。おお、ナイスタイミング。


 『いるよ。蒼もすぐ来るって』


 素早く返信すると、美登里ちゃんは立ち上がりキョロキョロと辺りを見回している。どうやら見つけられないみたい。子供の頃よく絵里ちゃん達とやったかくれんぼを思い出し、なんだか楽しくなった。


 『グッジョブよ、マシロ。どこにいるのか分からないもの。そのまま隠れててね』

 『はーい』


 衣擦れの音を立てないよう、携帯は手に持ったままで待機することにした。

 それからどれだけも経たないうちに、蒼らしき男子生徒がやってきた。


 「――なに、話って?」

 「今日初めて会ったのに、挨拶もなしなの?」

 「はぁ……こんにちは、美登里」

 「こんにちは、ソウ。ごきげんいかが?」

 「くだらないやり取りで、これ以上俺の時間を潰すなよ。アンサンブル実習の話なんて嘘だろ? 今度はなに」


 つっけんどんな蒼の態度に、私は目を疑った。

 美登里ちゃんに対してずけずけ言うのはいつものことだけど、私と一緒にいる時とはまるで表情が違う。心底面倒くさそうな、冷ややかな目付きにゾクリとした。


 「寮でもまだ親しい子が出来ないんだってね。ねえ、いつまで彼女を縛り付けるつもり? あなた、ドイツで私に言ったじゃない。マシロが笑って暮らせるのが一番だって」

 「お前には関係ない」

 「あるわ! マシロは私の友達でもあるのよ」


 キッと蒼を睨み返し、一歩も引かない様子の美登里ちゃんをしばらく無言で眺めた後、蒼は観念したみたいに溜息をついた。


 「座っていい?」

 「どうぞ。途中で私の首を絞めたりしないのならね」


 ベンチの端に腰を下ろした蒼は、隣の彼女を見ないまま「……もしかして、真白が何か言ってた?」と尋ねた。

 その声色がさっきまでとは違っていることに、たぶん美登里ちゃんも気づいてる。剥き出しの感情が痛々しいほどだった。こわい、って蒼は怯えてる。


 「なんにも。彼女は気づいてないもの、自分が閉じ込められてることに」

 「俺が真白の行動を制限してるって? してないだろ」

 「本当に? 私にはとてもそう思えない。彼女はまっすぐ愛されて育ってきた人よ。色んな人と感情を分かち合って、支えあって生きていくのが当たり前だと信じてる。でもあなたは、彼女の世界に他人を立ち入らせたくないのよね。私とコウ、そしてコンは仕方ないと諦めてるみたいだけど、これ以上は増やしたくないって思ってる。彼女が自分だけを必要とすればいいと思ってる。自分がマシロに依存してるみたいに、マシロもあなたに依存すればいいって」


 美登里ちゃんの容赦ない糾弾に、心音が早まった。

 まさか。――そんなこと、思ってないよね? 

 だって、私には選べない。家族も友達もみんな大切だし、一緒にいたい。蒼のことは好きだけど、蒼だけでいいなんて言い切れない。――言い切れないよ。

 

 「だったら、なに?」


 蒼の抑揚のない声が、ぶつり、と思考を断ち切る。


 「ソウ!」

 「……ずっと飢えてたなんて気づかなかった。誰かに期待する方が馬鹿だ。周りがどうなろうが、自分がどうなろうが興味なかったし、それが普通だと思ってた。真白に会うまでは」


 ベンチに阻まれ、私がいる場所からは、二人の表情までは見えない。

 でも彼の言葉に篭った哀しみと諦めの感情は、嫌というほど伝わってきた。


 「お節介でお人好しで、何にでも一生懸命で。表面では善人ぶってるくせに腹の底で別のこと考えてる、なんてこともない。ノーガードなんだよ、真白って」

 「……知ってるわ」

 「おこぼれを貰えるだけでも、俺は幸せだった。だけど、真白は俺を選んでくれたんだ。俺の言葉に照れたり、考え込んだり、めちゃくちゃ幸せそうに笑ってくれたりするんだ。もっと欲しがることの、何が悪い」


 蒼は歯を食いしばるようにして、最後の言葉を吐き出した。


 そんな風に思ってたのか。

 唇は震え、視界が涙で滲んでくる。

 蒼は、本当にずっと、ずっと長いこと寂しかったんだね。

 お母さんもお父さんも、どうして愛してあげなかったの? どうして? 未熟で傷つきやすい小さな世界で一人、必死に両手を差し伸べて、抱きしめて貰えるのを蒼は待ってたはずなのに。

 

 「――分かってる。いつまでもこのままでいられるとは思ってないよ。真白は、俺をほうっておけないだけだ。初めて会った時からそうだった。苦しんでるやつのSOSを拾うのが上手くて、一度拾ってしまったら、見捨てたり出来ないんだって」


 ぽたぽたと落ちる涙を止められない。

 しゃくりあげたりしたら、ここにいると気づかれる。

 そう思うのに、どうしても全身が震えてしまう。


 蒼はそこまで言うと、黙り込んだ美登里ちゃんを置いて一人立ち上がった。

 そして、そのままサクサクと芝生を踏みしめ、こちらに向かってくる。手に持っていた携帯を両手できつく握り締めながら私は息をとめ、精一杯身を縮こまらせた。


 「……真白」


 そんな努力も虚しく、頭上から蒼の優しい声が降ってくる。


 「ごべんなさい」


 口を動かすと、みっともない掠れ声が飛び出た。

 泣いてるせいで、発音も定かじゃない。


 「頭に、はっぱついてる」


 くす、と笑って蒼はそっと私の髪を撫で、綺麗に整えてくれた。

 昔から変わらないのは、蒼の方だよ。いつも私のことばかり考えて、優しくしてくれた。一途に私を求め続けてくれた。そのことに、どれだけ私が救われたか。

 

 「私は蒼が好きだよ。本当だよ?」


 しゃがみこんだまま蒼を見上げて、訴える。

 肝心な時に限ってそんなありきたりの言葉しか出てこないことに、内心腹が立った。もっとないかな。私が蒼を大事に思ってるって伝えられる言葉、他にないかな。


 「それも、分かってるよ」


 蒼も同じようにしゃがみこみ、ゆっくりと手を伸ばして私の頬に伝う涙を拭った。


 「泣かせてごめん。かなり歪んじゃってる自覚あるけど、もうちょっとなんとかするから、俺のこと見捨てないでくれる?」

 「あだりまえじゃないー!」


 私が蒼を見捨てるなんて、ありえないよ。

 こんなに大好きなのに。こんなに幸せを願ってるのに。

 

 この時、私は決意した。

 誰がなんと言おうと、蒼の願いを叶えられるように頑張ろうって。たとえそれが私たちの世界を狭めることになろうとも、きっとそれは一時的なものだ。

 蒼が満足すれば、もう二度と離れたりしないって心の底から納得すれば、必然物足りなくなるだろう。その時を、一緒に待ってあげてもいいじゃないかって。


 ぐずぐず泣いている私を立たせ、蒼は美登里ちゃんを振り返った。

 彼女は、何ともいえない微妙な顔で、私たち二人を見ていた。


 「最初から気づいてたってわけ?」

 「いや。真白がいるって知ってたら、あそこまで言わなかった」

 「……でしょうね」


 美登里ちゃんはゆるく首を振り、手がつけられないと身振りで示す。


 「これで分かったでしょう? マシロが思ってるような良い子じゃない。人を人とも思ってない残酷な無関心さが、ソウの本性。……それでも彼の手を取るの?」

 「うん」


 迷わず、しっかりと頷いてみせる。

 隣に立った蒼が、安堵したように肩の力を抜くのが分かった。


 「同情が悪いとは言わないわ。私もソウのこと言えないし。これでも、本気で応援してるのよ」

 「分かってるよ」


 蒼は何かも了承済みと言わんばかりだけど、私は美登里ちゃんの表情に浮かんだ後ろめたさが気になった。


 「蒼のこと言えないって、どういう意味?」

 「私が本気で嫌だといえば、蒼との婚約話は消えるの」

 「え?」

 「麗美おばさまじゃなくて、お祖父様と直談判すればね。だけど、そしたら私が婿を取って跡を継ぐって話が出るだろうから、今は下手に動けないの。ごめんね、真白」

 「えっと……色々事情があるんだなってことしか分からない。ごめん」

 

 頭がこんがらがって、うまく纏まらない。

 美登里ちゃんも蒼も嫌がってるのに、大人の都合で婚約話はなくならないんだと思ってたけど、違うのかな。いつでも潰せるけど、美登里ちゃんがわざとそのままにしてるってこと? 跡を継ぐなら、ノボル先生がいるのに。あ、本人はその気がないんだったっけ。うーん。だめだ、知らないことが多すぎる。


 「いいよ、それで。分からないまま、土足で踏み込んでこないところも好き。幸せになって欲しいって、ついつい応援したくなる。ずるいね、マシロは」


 なんと答えていいのか分からず、あーとかうーとかまごまごしている私を見て、美登里ちゃんは噴き出した。


 「だろ? 人にそそのかされて盗み聞きするような悪い子なのにな。可愛くてしょうがない。ほんとズルいんだ、真白は」


 蒼まで笑いながらそんなことを言うもんだから「本当にすみませんでした」って頭をさげるしかなかった。

 そのうち何だか本気でおかしくなっちゃって、私まで笑い出してしまう。

 

 たくさん喋ったから、喉が渇いた。お茶が飲みたいと言い出した美登里ちゃんを連れて寮に戻り、外来の受付を済ませ、それから談話室に向かった。今日は3人でコーヒータイムだねって私がはしゃぐと、蒼が「お邪魔虫が一匹紛れてるけどな」ってすかさず揶揄する。そんな蒼を美登里ちゃんがぶつまでがお約束の流れだ。

 亜由美先生に貰った楽譜を自室からとってきて、どの曲を新歓で披露しようか、なんて二人に相談してるうちに日が暮れていった。

 とても楽しい時間だった。


 

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