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1.ホワイトデー

 今日は3月14日。

 あと5日も経てば、いよいよ卒業式だ。ここまで長かった気もするし、あっという間だった気もする。公立高校の試験は一昨日終わったばかり。

 合格発表は卒業式の後だということもあって、校内は解放感に満ちていた。


 「ましろ! 今日の帰り、みんなでどっか寄って帰ろうってことになったんだけど、どう?」


 咲和ちゃんと麻子ちゃんに、帰り際呼び止められた。

 美里ちゃんと玲ちゃんも一緒にいる。ホワイトデー、なにそれ美味しいの?な彼氏いない組でお茶して帰ろうということになったらしい。


 「下校中の寄り道は校則違反ですよ。分かってますか? みなさん」


 腰に手を当て呆れた口調で言ってみる。咲和ちゃん達もノリノリで「ましろ先生、かたいこと言うなよ~!」なんてブーイングしてきた。


 「ゴメンね。これからちょっと行かなきゃいけないとこがあるから、今日は無理なんだ。また誘って」

 「ん? ……まさか、男関係!?」


 勘のいい玲ちゃんがすかさず突っ込んでくる。残りの三人も、途端に瞳を煌めかせた。いや、そんなワクワクした顔で見つめられても。


 「ずっと外国に行ってた友達が今日、帰ってくるんだ。それを迎えに行くだけだよ」

 「ふうん。友達、ねえ」


 正直に答えたのに、咲和ちゃんはニヤニヤ笑いを止めようとしない。麻子ちゃんは、あ、と気づいたように手を打った。


 「もしかして、修学旅行の時に言ってた子? 小学校は青鸞で、今はドイツにいるっていう……」


 もしかしなくても当たりです。でもちょっと黙ろうか。慌てて麻子ちゃんの口を塞ごうとしたんだけど、他の3人の方が素早かった。


 「よし、麻子にじっくり聞こう」

 「うん、うん」

 「ましろは早く帰らなきゃ! 遅れたら大変だよ?」


 これ以上私に聞いても無駄だと判断した玲ちゃんが、しっしっと手を振る。


 「ましろ、ごめんね~。多分全部吐かされちゃう~」


 咲和ちゃん達に両腕を取られずるずると引きずられていく麻子ちゃんを、仕方なくそのまま見送った。

 そういえば、修学旅行のお土産を選んだ後に話しかけられて、「誰にあげるの?」って聞かれたから蒼のことを話したんだった。ドイツに送る、と説明した私に麻子ちゃんは目を丸くした。

 気づけば、聞き上手な麻子ちゃん相手にずっと文通してることとか、チェロがすごく上手いこととか、聞かれてないことまで喋ってたんだっけ。

 

 ああ、ずっと誰かに自慢したかったんだな、って後からしみじみ思った。

 蒼はすごく素敵な男の子で、私の大切な人なんだよって。遠く離れてあれから一度も会えてないけど、忘れたことはないんだって。



 

 家に辿りつき狭いガレージを確認すると、そこにはすでにお姉ちゃんの軽自動車がちんまり納まっていた。ただいま~、と奥のリビングに向かって声をかけ、駆け足で二階へと上がる。

 前の晩に今日出掛ける用の服を選んでおこうと思ったのに、結局タイムオーバーで決められなかったんだよね。


 何といっても三年ぶり。

 ちょっとでも可愛く見せたいっていう乙女的な見栄張りですよ。うん。

 あーでもない、こーでもないと手持ちの服を引っ張り出し、鏡の前で当てているタイミングで、扉がノックされた。


 「ましろー、入るよ?」

 「うん、入って!」


 お姉ちゃんだ、助かった!

 私は下着姿のまま、すっかり出掛ける準備を整えてるお姉ちゃんに飛びついた。


 「どうしよう、服が決まらない!」

 「はいはい。そんなことだと思った。ちょっと待っててね」


 空港に迎えに行きたいという内容の手紙をEMS(国際スピード郵便)で送ったところ、蒼から折り返し国際電話がかかってきたのは一週間前のこと。

 開口一番、『無理してない?』って聞かれたのには、かなりへこんだ。

 今までの手紙の文面からも感じてたことだけど、蒼は私に対してすごく気を遣うようになっている。別れの日に投げつけた『重荷を乗せてくるな』という一言が、彼との距離感をすっかり変えてしまった。

 無邪気に笑いながらまとわりついてきた可愛い蒼は、もういない。自業自得なのにすごく胸が痛む。私は馬鹿だ。


 紅から到着便のメモを貰ったこと。迎えに行きたいんだけど、お家の人が来てると逆に迷惑になるから予定を確認したいことなどを、一息に説明した。

 電話代が気になって落ち着かなかったっていうのももちろんあるんだけど、何て言うか、言葉に出来ない気恥ずかしさと居たたまれなさが、ずっしり私の上にのしかかってきたんです。蒼の大人びた声や喋り方が、離れていた3年間を否応なく突きつけてくる。早く電話を切りたくて、私は知らないうちに早口になっていた。

 蒼は微かに笑みを含んだ声で『じゃあ、頼もうかな』と言ってくれた。たったそれだけの電話だったのに、通話を切った後自分の手をみたら、ぐっしょり汗をかいていた。


 昔は、一度だって緊張したことなかったのに。

 自分の気持ちを自覚した途端、すっかり臆病になってしまった。蒼のクールな態度も、それに拍車をかけてくる。好きだと告げられたのは、彼がまだ小学生の頃の話だ。今でも同じ気持ちかどうかなんて分からないし、今更何を、という気持ちかもしれない。ただ懐かしい昔馴染みへの思いしか持ってないのかもしれない。冷静になれば、迎えに行くという行為自体、ひどい出しゃばりに思えてしゅんと肩が落ちる。


 「……これにしようかな」


 気を抜くと泥沼に沈みっぱなしで浮かんでこなさそうなネガティブ思考。懐かしさすら覚える。

 お姉ちゃんが選んでくれたのは、春らしい色合いのシフォンブラウスにリボンが愛らしいショートパンツ。それに合わせてくるぶし丈の茶色いブーツを貸してくれるという。髪もアレンジしてくれた。お姉ちゃんの手によって、あっという間にお出かけモードに変身。

 私の全身を少し離れたところから眺め、花香お姉ちゃんはグッと親指を突き出した。


 「うん、可愛い! さっすが真白。これで蒼くんもメロメロだね」

 「……だといいけど」


 社会人になっても相変わらずの姉バカぶりに笑ってしまう。彼女にかかってしまえば、私は向かうところ敵なしのハイパー美少女だ。はあ。現実ってつらい。


 空港までお姉ちゃんも一緒に着いてきてくれることになっていた。帰りが遅くなると危ないから、と送迎を申し出てくれたんです。何から何までお世話になりっぱなしだ。

 早く大人になりたいなあ、とこんな時いつも思う。いっぱい恩返ししたい。喜ぶ顔が見たい。


 幸運にも国際空港までの道は渋滞していなかった。

 早めに到着口にたどり着けてホッとする。出てくる蒼を見逃さないよう、出口近くにあるベンチに腰を下ろして時間を潰すことにした。


 「……ねえ、ましろ」

 「ん?」


 まだ30分くらい待ち時間があるというのに、そわそわして落ち着かない私を見て、お姉ちゃんは目を細めた。


 「蒼くんのこと、本当に好きなんだね」

 「ぶっ!!」


 何も口にしてなくて良かった。飲み物飲んでたら、間違いなく噴射してたわ。

 微笑えましそうにこちらを見つめてくる彼女を、直視できない。分かってる、このお姉ちゃんは今、幸せなんだ。だけど……。


 蒼のことを改めて意識した時、私が真っ先に抱いたのは()()()だった。

 あんなに仲良かった友衣くんと花ちゃんの関係を、この手で壊しておいて。いくら違う世界で人生やり直し真っ最中とはいえ、何もなかったかのように自分の恋愛にうつつを抜かすのって、どうなの?

 前世の記憶を取り戻して以来、もうどうにもならないのだ、と心の片隅に押し込めてきた気持ちがむくむくと湧き出てくる。償おうにも、あの二人には二度と会えない。

 そもそも、花ちゃんが花ちゃんじゃないこの世界。何もかもが違ってしまった。


 急に黙りこくった私をみて、お姉ちゃんの瞳が曇った。気遣うような視線を受け、慌てて大丈夫、と口角を引き上げる。おどけて「私はね。向こうはどうなのか分からないけど」と笑ってみせると、彼女はホッと頬を緩めた。

 

 「蒼くんだって、同じ気持ちだと思うなあ。あの子、小さい頃から真白大好きっ子だったし」



 ――『ピンクの髪に、焦げ茶色の瞳の小さなピアニストさんってわけね。私の記憶違いかしら。誰かさんによく似ていらっしゃるわ』

 昔、蒼のお義母さんに言われた台詞が、脳裏をかすめた。森川理沙さんも、私と同じ髪と目をしている。理沙さんの代用品として求められてるのでは?という疑惑は、あれから常に心のどこかにあった。


 蒼への気持ちが、単なる庇護欲や友情ではないと気づいたのは最近のこと。

 彼がいなくなった直後は、ただ心配だった。人見知りな彼がドイツで上手くやれてるか、ちゃんと食べてるか気になって仕方なかった。

 そのうち彼からの温かな手紙が待ち遠しくなって、コンクールの時の電話にガツンとやられた。そして最近ではこのままずっと手紙のやり取りが出来たらいいのに、と願い始めていた。


 そうすれば、私達は変わらずにいられる。

 ドロドロした嫉妬にも、吹き荒れる激情にも無縁のままの、幼い楽園。

 穏やかで優しい関係に満足していたからこそ、紅の告げた「蒼が帰国する」という言葉にあれほど動揺してしまったんだろう。


 本当は、怖い。


 彼の理想と現実の私の乖離が。

 そんな私を見限って去ってゆく蒼に、みっともなく執着してしまうことが。

 


 ふと気づくと、到着口から大きな荷物を手にした人たちが出てくるところだった。お姉ちゃんに促され、通行の邪魔にならない場所に立って蒼の姿を探す。心臓が早まり苦しいくらいだ。拳を握って口元に当てながら、視線を彷徨わせる。

 見つけたのは、向こうが先だった。


 スラリとした若い男の子が、私の立っている方を向いて軽く手をあげた。近くを通り過ぎる人たちが、一度はチラリと彼を振り返っている。

 サラサラの水色の髪。愛しげにこちらを見つめる眼差しに既視感は覚えるけど、でも――。


 「うわあ……ますますカッコよくなっちゃって!」


 隣に立っているお姉ちゃんの感嘆混じりの声に、ハッと我に返った。


 ――あれが、蒼?


 『ボクメロ』の城山 蒼そのまま、と言われればその通りなんだけど。思い出の中の彼との違いに、反応が遅れてしまう。


 だって、あんなに小さかったのに。

 

 久しぶりに孫に会ったおばあちゃんか。


 一人つっこみをしてる場合じゃない。迷いのない足取りで、彼はまっすぐこちらに歩いてくる。カジュアルすぎないジャケット姿がすごく似合ってて、心臓はぎゅうっと引き絞られた。


 「おかえり、蒼くん。私の事、覚えてる?」


 何一つ言葉を発さず立ち尽くしたままの不肖の妹を見かねたのか、花香お姉ちゃんが先に声をかけた。


 「もちろんです。ご無沙汰してます」


 そつのないきちんとした物腰で、蒼は出迎えのお礼を述べた。アルトの優しい声が、鼓膜を震わせる。私はとっさに両足を踏ん張って、腰がくだけそうになるのを阻止した。

 脳内予行練習では、もっとスマートに出迎えられていた。お姉さんっぽく、さらりと笑みを浮かべ「おかえり」なんて声をかけるはずだったのだ。


 

 「ましろも。久しぶり、でいいのかな」


 さっきから金魚みたいに口をぱくぱくさせてる私を見下ろし、蒼は僅かに首をかしげ、くすぐったげに笑った。拍子に揺れた前髪が、切れ長の瞳にかかる。

 その場で叫び出さなかったことは、奇跡に近かった。そのくらい私は動転していたし、興奮していたし、つまり変だった。


 「お、おかえり。蒼」


 何とか声を絞り出したものの、自分の犯した失態にサッと血の気が引いていく。

 

 ――心の中でいつも呼んでる方の名前が、勝手に口から飛び出ちゃったよ。

 

 昔に戻ったかのような馴れ馴れしい呼び名に蒼もすぐに気づき、驚いたように私を見つめてきた。ずっと手紙では『城山くん』って書いてたのに、再会した途端に下の名前呼び捨てとか……ないわ。距離の詰め方がおかし過ぎる。


 その場にしゃがみ込んでしまいたいくらい、恥ずかしくなった。

 ズーンと落ち込んだ私の背中を、花香お姉ちゃんは軽く叩く。


 「積もる話はいっぱいあるだろうけど、先に駐車場出ちゃってもいい? どっかでご飯食べて帰ろうよ。帰国したお祝いに私が奢るから」

 「え……でも、いいんですか?」


 遠慮がちな蒼の問いに、花香お姉ちゃんは悪戯っぽく片目をつぶってみせた。


 「子供が遠慮しないの! 社会人になったこの私に、どーんと任せなさい。どこで食べたい?」

 「お、お姉ちゃん」


 うわ、ちょっと待って。蒼の知ってるお店に連れていかれたら、ドーンと飛んでいくのは今月分のお給料だよ?

 ツンと花香お姉ちゃんの袖を引っ張って注意を促そうとしたんだけど、それより先に蒼が弾んだ声をあげた。


 「じゃあ、花香さん達がよく行くお店に行きたいです」

 「それだと、ファミレスとか回転ずしになっちゃうよ。蒼の口には合わないかも。すごく庶民的な食べ物屋さんというか何というか」


 セレブが行くような場所じゃない、と先に注意を促すつもりで口を挟むと、彼は目元を和ませたまま素直に頷いた。


 「全然大丈夫。むしろ行ってみたい」

 「おっけー、決まりね! 蒼くん、おうちに連絡しといて。ちょっと遅くなるって」


 花香お姉ちゃんは上機嫌で頷くと踵を返し、私たちの前をさっさと歩いて行ってしまった。二人きりで話せる時間を持たせてあげようという魂胆が、丸見えだ。私も人のこと言えないけど、分かりやす過ぎです。


 「えっと……メールか電話してくる?」


 沈黙に耐え切れず口を開くと、蒼は「車で連絡入れとく。美恵さんには真白が来てくれるって連絡してあるけど、飯どうするかまでは言ってないから」と丁寧に答えてくれた。


 「そっか。美恵さん、嬉しいだろうね、蒼が帰ってきて」


 今更、苗字呼びにも戻せない。ええい、このまま押し切っちゃえ! 

 当たり障りない会話でこの場をもたそうと頑張る私の手を、ふいに温かな感触が捉えた。


 蒼の手だ、と気づいた瞬間、口から何かが飛び出そうになる。


 「ましろは?」

 「え……」


 蒼は立ち止まり、おもむろに私を見下ろした。

 瞳の奥で不安そうに揺れる影に気づいて、息を飲む。


 「ましろは嬉しい? 俺が帰ってきたの、迷惑じゃない?」


 重ねて問われ、私は絶句した。

 

 ――ああ。変わってない。

 

 見た目はすっかり大人びてしまったけど、まっすぐ慕ってくれる一途さはあの頃のままだ。それが単なる友情でも家族愛でもいい。

 もうなんだって、いい。

 私へ向ける目が嫌悪でなければなんだって。


 胸がつかえて上手く言葉にできない。

 勢いよく首を振り、あ、これじゃどっちの意味か分からないよね、と我に返った。恐る恐る、もう一度彼を見上げると、不安げな眼差しのまま蒼も息を詰めていた。


 「帰ってきてくれて、良かった。また会えて、嬉しい」


 息継ぎしつつの無様な返答。

 だけど蒼は安堵したようにひとつ、瞬きをした。



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