第2話 月に想う少女
さて、物置小屋も無くなり詩緒達は今何処に居るのかと言うと理事長室に来ている。
豪華に装飾が施された木の机は何重にも塗り重ねられたニスの色合いから年代物であると想像出来る、椅子もさる事ながら壁に至る全ての装飾も細部まで拘っており、ちょっとした歴史博物館であった。
そして、詩緒達の前には重厚な椅子に腰を掛ける人物が居た。
鼻先に掛けた小さな丸眼鏡からこちらを覗き込む初老の女性、グリューゲル・スミレ・ルノワール理事長である。
「古後里詩緒さん、報告書には目を通させて頂きました。そこで結論だけ述べます」
グリューゲルは前のめりになり、更に詩緒の顔を覗き込む姿勢となった、人との交流を苦手とする詩緒にとって直視される事は耐え難く、視線から逃れようと目を泳がせる。
そんな詩緒の心境に気付くはずもないアリアの目線は詩緒以上にキョロキョロと落ち着きがない、それもその筈で滅多に入室する事が許可されない理事長室は想像以上に煌びやかであり、様々な置物や絵画はアリアの興味を引くには十分過ぎる代物であった。
「――聞いていますか、古後里詩緒さん」
「あ、はい。すみません」
「以上の事柄を踏まえて今回の件は不問と致します、宜しいですね?」
「え、あ、はい」
身を入れて聞いていなかっただろう、それを察したグリューゲルは淡々と話をし最後に詳しい内容は後程送ると言い終えた、そして詩緒達は理事長室を後にした。
以上、原因不明のまま巨人事件は一度幕を閉じたのであった。
今回、半壊した校舎は既に復元されている。こんな短時間に復元が可能であるかどうか普通に考えれば有り得ない話なのだがこの世界では常識の範疇であり魔法力学を学んだ者であれば仕組み程度は理解出来るのだ。そう、この校舎は魔法力学を応用した建築物でありこの世界では魔構築物と呼ばれている。
魔構築物とは土台となる基礎に形状記憶能力で固定した造型魔方陣が埋め込まれており何かしら破壊される事態があっても一度記憶させた形状へと瞬時再生が可能なのである。
例えば魔構築物で形成された建物の破壊を試みるのであれば中枢である造形魔方陣の基礎を根元から消滅させる程の衝撃を与えるか魔力回路を廻る魔力が尽きるのを待つしかない、魔力が尽きるのを待つのであれば地下深く埋め込まれた魔力貯蔵庫の魔力が枯渇するのを待てば良いのだが―― これには数十年の歳月が必要となる上に定期的に魔力の補充が行われている事から現実的に不可能な話なのである。
この上ない理想の防御策として魔構築物は重要文化財や主要都市など至る所で使われており、この学園も特定の重要施設である事から魔構築物が適応されているのであった。
◆◇◆◇
――場所は変わり此処は学園本館から別棟に繋がる連絡通路、辺りの風景は魔構築物に付属された効果によって四季折々の植物が一斉に生い茂っている。
そんな中――
「し、詩緒ちゃん! 詩緒ちゃん! た、助けて……」
アリアの悲壮な叫び声が響く。
「あら、可愛らしいじゃないですか」
詩緒は無造作にアリアの肩に乗っかている5㎝程の蜥蜴らしき生物を摘まむとアリアは詩緒から後退りする。
「鱗とかニョロニョロとか気持ち悪いからっ」
蜥蜴らしい生物を詩緒はマジマジと見つめる。
「見た事ないですね、蜥蜴にしては立派な鱗もありますし……、新種でしょうか」
興味津々に観察を続ける詩緒に一歩距離を置いたアリアは「早く捨ててー」と訴えている。
「ふむ、そうですね……。因みに反対の肩にもいますよ?」
「へ? ちょっ、いひゃぁ!!」
奇声を発しながらも華麗にトリプルアクセルを決めるアリア、そして着地と同時に後方かかえ込み宙返りを繰り返している隙を見て詩緒は素早くウェストベルトから取り出した黒い粉を一振りしこんがりと焼き上げる。
一瞬の出来事にアリアは唖然とし回転を止めた。
「は、えっ!? そ、それどうするの?」
詩緒は迷い無く言った。
「食べます」
と、言いながらこんがり焼き上がった蜥蜴らしき生物をローブの袖口にしまった。
「さっき可愛らしいって言ってたよね!?」
「冗談ですよ。まさかこのまま食べませんから、煎じて薬医や研究の材料に使います」
「そう言う意味じゃないから!? で、でも食べるんだ……」
顔面蒼白のアリアは想像してしまったようだ。
「そうだ、良い薬法になりましたらレアル君に差し上げましょう」
詩緒が思い付きで言った言葉に顔面蒼白のアリアはビクっと反応する。
「だめ、だめっ! レアもニョロニョロとかヌルヌルとか嫌いだから!」
「そうですか……、それは残念です。それにしてもアリア、ジャンプ中に手を広げるのは減点対象ですよ? それに着地も出来てませんでしたし」
「え!? 何の話してるの詩緒ちゃん!?」
詩緒とアリアは居住区である本館宿舎と中庭を挟んだ別棟施設に向かっている、地下フロアを備える施設の大部分は研究施設として使われているが、医療部門も併設されており学園生徒や特区住民は無料で利用ができ治療やカウンセリングを受ける事が出来るのである。
病棟の受付を済ませた二人は慣れた足取りで階段を上る、鼻腔を突くアルコールの臭いを嗅ぎながら足早に目的地へと向かった。
大きく拓けた広間はまばらであったが会話を楽しむ者や読書する者、リハビリを行う者も居れば奥のカフェテリアで寛いでいる者など皆思い思い過ごしていた。
その一角にある窓際の席には隙間風により栗色の髪が揺れ、触れれば今にも崩れてしまいそうな華奢な身体をした少年が立っていた。
髪の長さは違えど整った顔立ちはアリアにそっくりである、それもその筈で『久世レアル』はアリアの双子の弟であった。ただアリアと違い生まれつき体が弱く一日の大半をこの病棟で過ごさなければならないレアルは普通の生徒同様に学園に通う事が出来なかった、二人に気づいたレアルは笑みを浮かべ手を振る。
「詩緒さん、お久しぶりです! お待ちしておりました」
丁寧な物腰で二人を笑顔で迎える、ここで詩緒は毎回思うのである(弟の爪の垢を煎じて飲ませてあげたい、でも遺伝子レベルが同じなら意味がないのかな? いやいや、それならアリアとのこの差は一体……。)と。しかし今回はそれと別に何か違和感を感じていた、その正体は分からないが何か胸に引っ掛かりを感じる。
「こんにちは、レアル君」
詩緒は会釈を行い挨拶をする、礼儀作法に厳しい家系に育った彼女にとっては自然な行動である。
「レアちゃっすっ! 元気にしてた?」
レアルを見つける否や駆け足で近寄っていく、そして詩緒は再び思うのである。
(ここも一応病院なんですけど)
「元気もなにも姉さんは昨日きたばかりでしょ?」
「えへへっ、そうだっけ?」
穏やかな日差しが二人を包み優しく時間を止める、二人の談笑を見て兄弟姉妹のいない詩緒であったが心温まる気持ちとなった。
そんな穏やかな雰囲気の中、レアルが不意に言った。
「――何か焦げ臭くないですか?」
「ああ、それはですね――」
詩緒は袖口に手を突っ込み弄っている。
「ちょ、だめっ! それは出さないで! お願いっ」
寸前の所をアリアが引き止める、詩緒の袖口から出掛かってる何かを見て不思議そうな顔をするレアルであったがそれ以上何も聞かなかった、その辺りもアリアとは大違いである。
ここで詩緒は先ほどの胸の引っ掛かりである違和感の正体に気付いた、原因はレアルの言葉の言い回し方である。
「レアル君、先ほど「お待ちしておりました」と言っていたけど私達が来る事を知っていたのですか?」
前日に訪れたアリアが伝えたかもしれないが、先ずレアルに会うと決めたのは今朝の事である。
そしてこの内容であれば"前日に詩緒が来ると見越したアリアがレアルに伝えた上で、アリアの誘いによって詩緒がこの場に居る"事以外考えられないのであった―― しかしそれは有り得ない、何故なら今回は詩緒がアリアを誘ったからである、当のアリアについては自分は前日に訪ねているから今度にしようと面倒くさがっていた程であったのだから。
そして詩緒の胸の引っかかりは自身の口で確かめるまで取れそうになかった。
詩緒の質問に対してレアルは困った顔をしてどう話せば良いのか言葉に迷っているようであった。
「えっと、実はですね……、自分でも上手く言えないのですが観えたというか」
詩緒はレアルの挙動を伺うが嘘を付くような性格ではない事は十分に承知している、それにレアル自身も動揺しているようだ。そして詩緒は思う違和感の正体は分かった、しかし結果それ以上に困惑する事態を招いてしまったようだ……。 こんな事なら聞かなければ―― いや、気付かなければと思い直したが時は既に遅かった。
「昨日、姉さんが帰った直後に詩緒さんが目の前に現れるのが観えて……、それで」
そして詩緒は一つの仮定を導き出した――
「――予知」
その言葉にアリアは飛び上がり大喜びする。
「凄いよレアっ! 預言者様になれちゃうよ!」
アリアの言う通り、実際に予知能力であった場合は考えられるだろう、それもその筈で過去に残っている記録を全て探しても予知能力が発現した記録がないと言うのは授業で習うほど有名だ、例外として神託の三賢者は除かれるがこの能力を発現させた者は賢者に成り得る資格があると言われている。
だが腑に落ちないとばかり詩緒は舞い上がってるアリアを尻目に考察を続ける、決してレアルが嘘を付いているとは思えない、しかし先ほど以上に膨れ上がった懸念を払拭する事が出来ないでいた。
先ず、レアルは先天的に能力を持つEinsである。
Einsは生まれながらにして能力者でありその能力は一定で変化する事は無い、それとは別に能力者になる可能性を秘めた者が訓練如何により後発的に能力に目覚めた能力者をZweiと呼ぶがそれには制約がある、それは初めて開花した能力が全てでEins同様にZweiも一者につき一能力であると言う事、それが後発的に新しい能力が発現するなど今まで例はなかった。
レアルは喜び飛び上がっている姉と俯き加減で何かを考えている詩緒を見て困惑している。
「――その予知は他にどんな時に観えるのですか?」
「意識してる訳じゃないんです、断片的に突然目の前に現れその場に自分も居て気が付くと元に戻っている感じで……」
(無意識に能力が発動している? やはりそれなら)
無意識下で能力を発動しているとなるとEins特有の状態である、仮に極めて低い確率で予知能力が発現したとしてもアリアと同じ遺伝子配列を持つレアルには先ず有り得なかった。予知能力は魔力者として類い稀な素質に併せ、長年培った豊富な経験を持った者でもほぼ発現しないと言われている、ましてレアルはアリア同様に霊子力者であったのだから。
そして現在に至る迄その域に達したのは人類の救主と言われる神託の三賢者のみであった。
神託の三賢者とはこの国の勢力者達よりも更に上にいる存在である、全ての理を見据えた彼等の言葉は神より託された神言とされ人々の生活基盤を始め国の財政、軍事力の全てを言葉一つで導き古くからこの国はその神言一つで動いてきた、そして国の勢力者を始め多くの人々に深く崇拝されている存在であった。
やはり幾ら考えても仮定の域を出る事はなかった、声を詰まらせていた詩緒は深呼吸を行いゆっくりと息を吐き慎重な面持ちで口を開く。
「レアル君、この事は私達しか知りませんよね?」
「はい、自分でも最近になって分かった事なので、それまでは夢か何かと」
「では、内密でお願いします。戻って少し考えさせて下さいね」
詩緒の雰囲気を察したレアルは申し訳なさそうに顔を顰める。
「詩緒さんがそう言うなら、わざわざ来て頂いたのにすみませんでした……」
気落ちしているレアルに詩緒は優しく言った。
「いえいえ、大丈夫ですよ。気にしないで下さい、次に来る時は良い薬法を教えますから楽しみにしてて下さいね」
途中、何度もアリアは公表すればレアは病棟から出られるとか、一緒に住みたいとか。
(気持ちは凄く分かるのですが今は逆効果となってしまうでしょう、ごめんねアリア――)
と、心の中でそう呟きながら詩緒はアリアを無視し続けた、最後に薬法について話をした所でアリアは顔面蒼白になり無言になっていたので結果良かったのであろうと思いレアルに一度別れを告げ部屋を後にした。
病棟を出た頃にはすっかり日も暮れ初めていた、足早に宿舎へ戻る二人。
「早く戻ってゲームしなくちゃ」
ダッダッダッ
「それは無事に門限に間に合ったらの話ですけどね」
トコトコトコ
「私は嫌だって言ったのに、詩緒ちゃんがガサガサ探してるからだよっ!?」
ダッダッダッ
「まだ探せば新種がいるかもしれませんし、それに――」
トコトコトコ
脳裏に浮かぶのはレアルの言葉、そして払拭する事が出来ない増すばかりの不安。
言葉を止めた詩緒にアリアは不思議そうに尋ねた「どしたの詩緒ちゃん、それに? なになに」
「それに――、寮監が次に門限が守れなかった場合はアリアのゲーム機を破壊するって言ってました」
「えぇ!? 取り上げるんじゃなくて破壊しちゃうの!?」
「だから急いで戻らないといけませんね」
「でも詩緒ちゃんは全然焦ってないよね? 全然急いでないよね!?」
「そんな事ないですよ、先程からずっと全力です」
トコトコトコ
「……詩緒ちゃん」
ゆっくりと息を吸い込み声を張り上げながら「あぁ! どうしましょう!? このままではアリアの大切なゲーム機が冷徹暴力悪魔の寮監によって跡も残らぬ程に粉砕されそれはもう想像出来ない程に酷い状態に――」
「ええぇ! 突然どうしたの!? ってか内容がひどくなってない!?」
ゆっくりと息を吐き落ち着いた振りで「そこでアリア、提案があります。貴方の能力で私を背負って走れば大切なゲーム機も破壊されず間に合うと思いますが、どうしましょう?」
「なんか台詞みたいになってるんですけど!?」
「さて、どうしますか?」
「ううぅっ、詩緒ちゃんのばかぁっ!」
アリアの遠吠えが木霊する中、朧げな光で二人を照らす月を見上げ詩緒は呟いた。
「何も起こらなければ良いですが……」
――人類の道標である神託の三賢者、その一人である智勇の賢者が間も無く迎えるであろうダモクレスの予言を行ったのはそんな夏至を迎えたばかりの朧げな光を放つ月夜であった。