物情騒然
某所、作戦会議室。
「――以上の事から耐久値を計測した結果、既に内側から侵攻が開始されていると予想されておりこの速度であれば予定より数日早く次元限界値に達すると思われます。また―― 現時点で確認されている異形種の発生原因ですが、これは次元力場による影響だと我々は考えております」
薄暗い部屋の壁面に映写された図面や数式をレーザーポインターで指しながら説明を行う女性。
円卓の中心に設けられた狭い空間に身を置く女性の周囲には軍服姿の男達が鎮座しており、その一同が訝し気な視線を放ちながら壁面に映し出された表示を凝視していた。
「異形種とやらになる確立はどれ位かね?」
「我々の庇護下にいる子供達を除けば、現在に至っても把握出来ていない個体数に対して確立を求められるのは些か不見識だと思われますが? それでも差し当たって申し上げれば統計上、出生率は極めて少ない事から自ずと確立とやらは低くなるのではないでしょうか?」
「「貴様ッ! その態度はなんだッ!? 立場を弁えているのかッ!」」
ぞんざいな回答に荒々しく声を上げる男達を一回り見渡した女性は冷静な面持ちで言葉を続ける。
「周期的に次元波長が律動している事から何かしらの意図が考えられますが、此方につきましても現在調査中であります」
冷静に淡々と説明をすると思えば時折ぞんざいな回答をする彼女は決して責任の無い立場ではない。
『来栖アエギ』は国家が最重要計画として進めてきた対魔迎撃プロジェクト、その中枢機関の一部となる"特殊区戦略技術開発局"(通称、特区戦術局)主任である。
その類い稀な才能によって生み出された数々の技術と研究成果は対魔プロジェクトにとって大きな進歩を促し、多くの技術者や研究者から敬畏される立場であった、そんな彼女は今非常に苛立っている。
アエギは観測者としても能力の高さに才名を馳せている、対人であれば発汗や分泌物、人体から放射される熱量によって対象の情緒を読み取り分析する事は容易い、その能力は精神状態に限らず持病や怪我を秘し隠していても有る程度に見抜く事が出来るのだ。
しかしこの能力は身近な対象に使用するのが目的ではなく虚空の中、つまり常人には何も見えない空間に対して発揮されるべき能力なのである。
そして、観測者であるアエギにとってこの重要会議は児戯に等しく思えた、政府高官に付き合わされ無益に時間を浪費し事前に報告は送っているにも関わらず同じ説明を何度も求められる。
アエギの苛立ちは増すばかりであった、この不要な重大会議を早々に幕引きする為に政府高官にとって焦眉の問題となる事項に話を進めた。
「次に出現座標についてですが進めても宜しいでしょうか?」
アエギが口を開くと先程までざわついていた場が静まり返り政府高官達は互いの顔を見合わせ黙考する。
暫し沈黙が訪れる――
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――膝を激しく揺すり痺れを切らした一人が沈黙を破った。
「では、その出現座標についてはどう説明をするつもりなのだ? ダモクレスとやらの出現場所が今ここに居る我々の真上ではないかッ!」
荒々しく抑揚をつけて放つ言葉は冗談ではない、これ以上ない程に眉間にシワを寄せている。
それに賛同する様に他の男達も一層に険しい顔つきでアエギを睨み付けた。
(あっちゃー、やっぱりそうなる? そりゃ、そうなるよね。大方は予想通りなんだけどさ)
アエギは威圧的な態度を示す政府高官達に怯む事はない、予てより準備していた質問を仕返す。
「その件に関しては我々より国連機構の方がお詳しいのではないでしょうか?」
相手のペースに乗らず、ここぞとばかりに核心を突く。
ギリッ、歯軋りが聞こえた。この小娘風情が知った口を利きやがってと言うオーラが前面から出ているのだがそれでも名の在る高官であったか出かけた言葉を一度飲み込み冷静を装う。
「我等とて準備を行ってきた。だがそれとコレとは話が違う、ナ、ゼ、この場所なんだッ」
アエギは未だ冷静な面持ちを保っているが内心は先程の苛立ちを通り越し心底呆れていた。
(この国……いや、この世界は終わったかな)
長き年月は人々の心を脆くするのには十分過ぎた、心の脆弱さを埋めるように恐怖や危機という概念を忘れていた人間ほど「何故自分が」「何故この場所が」と良く喚く。
アエギからは(低脳、家畜、臆病)と心の声のつもりが……どうやら声に出してたらしい、チッと舌打ちをしたが幸いにも周りには聞こえていないようだ。
「特区戦術局に幾ら使っていると思うッ、そのダモクレスをどうにかするのが仕事じゃないのかッ!!」
「何度も申し上げるように次元亀裂を防ぐ事は不可能です、せめて遅延させる為にあらゆる手段を講じて来ましたが、今となっては既に手遅れです」
此処まで来たら八つ当たりであったが、冷徹にして完璧主義者を語るアエギが本気になれば相手が誰であろうと論破するのは容易い、今回の相手は上官にあたる政府高官者であったが立場を理由に弁えるのではなく話が通じない相手であるからこそこれ以上の説明は必要ないと判断した。
予想だにしなかった出現座標、それとアエギの説明によって回避出来ない現実に直面した政府高官達は押し静まり神妙な面持ちとなる、先程まで威圧的な態度で先陣を切って話していた男も項垂れながら椅子に座っていた。
そして政府高官の誰かが言った。
「――では、君はこの首都を戦場にしても良いと?」
対するアエギは微笑みながら言った。
「最小限の被害に留めるように尽力します――」
その言葉を皮切りに一人一人と映像が途切れ消えて行く、最期の一人が消えた事を確認したアエギは
「明転」と唱え照明を灯した――。
気怠そうに腕を背中に回し髪止めを外す、腰程の長さはある金色の髪が大きく波打ちバラけた。
「あー、やだやだ。これだから堅物共の相手は疲れる」
「音声まだ生きてますよ?」
部屋の隅から姿を現した女性はアエギに忠告する。
「え、本気で?早く切ってよっ」
あどけない笑顔でクスクスと笑う彼女は来栖アエギの後輩『沫崎モエギ』である、事実年齢よりも随分若く見え大人の色香を漂わせるアエギと比較するならその容姿は純粋無垢な少女である、しかしそんな彼女もアエギ同様に特区戦術局の一員でもあった。
「冗談です、ちゃんと先輩の失言をフォローする為に控えていましたから」
アエギの失言は全てモエギによって消されていた為に政府高官達には聞こえていなかった、もし聞こえていたらどうなっていたのだろう。
「だから来栖先輩はしゃべらない方が良いって私は言いましたよ、それに何で冒頭から挑発的なんですかぁ……」
「そうかな? 私としては上手く出来た方じゃない?」
いやいや、とモエギは首を横に振り否定した。
「それに先輩、何だかんだ楽しんでませんでした?」
「そうそう! 軍服に身を包んだ屈強な男達に視姦され、もう大興奮っ! いやー、少し濡れちゃったじゃないか。だが残念な事にタイプは居なかったかなー」
重要な会議の場で快感を得ていたアエギは十分に性的倒錯者である。
「それはお楽しみでしたね」
然も面倒くさそうにモエギは言った、長年行動を共にしている彼女からしてみればアエギの思考は完全に把握済みであり性的倒錯者である事も承知している、冗談めいて言った言葉も半ば本音であろう事も理解していた。
「それはそう、出現座標の話を切り出した時さーあんたも自己中共と一緒に壁向こうから睨みを利かせてたでしょ!?」
「さすが先輩、良く分かりましたね」
モエギはペチペチと響かない拍手をした。
「そりゃもう愛するモエの熱い視線を受けて私が気付かない訳ないでしょ? まぁそれは良いとして今日はお仕置き決定だから」
「何でそうなるんですかっ」
「私を謀った罪は重いのだよ、後で部屋に来なさいね」
フフン、と怪しい笑みを浮かべ身の丈はある白衣を翻しアエギこの場を後にした。
一人残されたモエギは諦め届かない声で呟いた。
「痛いのは嫌ですよぉ……」
(この首都はまさにダモクレスの剣って訳ね……こりゃ忙しくなるわ)




