カオス、黒魔術の儀式
帰宅してすぐにマモンをベッドに寝かせ、僕は勉強机の椅子に座った。
先ほどと比べれば落ち着いたようだが、熱っぽい表情でうなされ続けている。十字架一つのダメージがこれほど響くというのは、悪魔の立場に立ってみれば恐ろしい話だ。
看病でもしてやりたいところだが、相手は悪魔だ。その上、十字架を見たという原因で具合が悪くなったのでは、どう看てやれば良いのか解らない。
一応、気休め程度に氷嚢を乗せてやったが、本当に気休めにしかなっていないみたいだ。
「うー……うー……」
「参ったな。薬があるわけでもないし、人間の療法が効くかもわからないしな……悪魔が元気になる様な事でもあればいいんだが……」
僕が呟くと、マモンはうっすらと目を開けた。どうやら意識は保てているようで安心したが、その視線がゆらゆらと泳いで、僕から外れて反対側を見つめる。
「ど、どした。僕なんか不味い事言ったか? それとも、なんかして欲しいのか?」
「……いや、その……」
「遠慮せずに言えよ。お前がそんなんじゃ魔法を試すこともできないし、出費が居るようならあとで体で稼がせるから」
「ド畜生じゃなお前は……」
「冗談だって。ほんと、して欲しい事とか物とかがあったら言えよ、出来る範囲で何とかしてやるから」
「……やっぱり、割と優しいんじゃのう、お前は」
そう言うと、マモンは薄く笑いながら、火照った顔をこちらに向ける。
「まあ、瘴気に満ちた魔界ならともかく、人間界ではちと回復に時間がかかるじゃろうな……儀式的な行為で瘴気を満たすこともできると言うが、わしも未経験じゃし、お前にぶっつけ本番でやらせるのも不安じゃしのう」
徐々に口数も多くなってきたので、少しだけ元気が出たのかもしれない。僕はその元気を繋ぎとめてやりたいと思い、笑顔で語りかける。
「遠慮するなって、僕の物を僕がケアするのは当たり前だろ?」
「…………は?」
マモンが間抜けな声を上げ、口をぽかんと開けた。
「わ、わしゃ、お前の物なのか?」
「いや、だって、お前は僕に使役されてるわけだろ?」
「…………お、おう」
マモンの表情がみるみる赤くなっていく。と同時に、口を一文字に結んで黙ってしまった。
どうしたんだろう、言葉のチョイスが悪かっただろうか。やっぱ、つい「物」呼ばわりしてしまったのが気に障っただろうか。今のは勢いというか、言葉のアヤみたいなものだったんだけども……。
容体とは別の方面で不安になっていると、マモンは少しの沈黙を破って、微かな声で呟いた。
「……その、な。手っ取り早く回復する方法は、あるにはある」
「なに、本当か? よし言ってみろ」
マモンの言葉に続きを促すが、何やら歯切れが悪い。
「……わしは十字架の聖なる力……言うてみれば、神を貴ぶ光で焼かれたのじゃから、逆に背徳的な行為に及べば回復できる……らしい」
「……背徳的な行為?」
聞き返すと、マモンはまた視線を逸らした。体調が悪化しているのか、どんどん顔は紅潮していき、耳まで真っ赤になっている
「う、うむ。先輩悪魔から聞いたんじゃが……まあ、聖教徒がタブー視するような、おおよそ健全ではないような感じの事を行えば、悪魔も使役者も共に力が満たされる……とかなんとか、うん、はい……」
「なんだか歯切れの悪いやつだな……」
しかし背徳的な行為とは何だろう。つまり、神様に失礼な感じの事をすればいいんだよな。茹でトマトのようになっているマモンは、気づけば胸元を少し肌蹴ているが、よほど熱いのだろうか。
「わ、わしも悪魔として、いずれはこういう事もあるとは思っていたがの。ま、まあ、お前も決して苦しくは無い事じゃし、むしろ気持ちいいと言う話をよく聞くし……」
「……よし、分かった」
少し考えて、僕は椅子から立ち上がった。なぜかマモンがびくりと肩を震わせる。
「ちょっと待っててくれ、少し道具を用意してくるから」
「ど、どどど、道具⁉ ちょ、待ってたも! いきなりハードコアすぎるのはちょっと辛いっていうかっ……!」
「任せろ! どうせやるなら徹底的にだ!」
「て、て、徹底的⁉ わ、若い衝動とかがあるのは解るが、一応病人相手にそこまで本気なのはわし、どうかと思う!」
やけに遠慮がちなマモンの静止を振り切り、急いで階段を駆け下りていく。家中を駆け回って使えそうな物を集め、五分ほどで部屋へと戻っていく。
「待たせたな、マモン! なんとか行けそうだぞ!」
だが、部屋へ入るとなぜかカーテンが閉められていた。ぶっちゃけ薄暗いが……この方が背徳的な感じが出るのだろう、多分。
ちなみにマモンは布団を被ったまま、暗くて解りづらいが、多分まだ真っ赤だった。カーテンを閉めてまた布団に戻ったと考えると、ややシュールではある。
「わ、割と早かったのう……ど、道具を用意してきたのかの……?」
「ああ、差し当たってこいつだ」
と、僕は持ってきたサインペンと、爺さんの遺影を取り出した。
「ぺ、ペンじゃと! それをどう使う気なのじゃ……?」
「こうする」
僕は爺さんの遺影を窓際に置くと、サインペンで鼻毛と、額に「肉」の文字、そして「ボーイズラヴも結構ありだと思う」と吹き出しを書き加えた。
「なにやっとんじゃお前はっ⁉」
「罰当たりな感じだろ?」
「罰当たるよ! 絶対罰当たるよ! 故人を弄ぶのはアウトじゃろ色々とッ!」
「BLってところがいかにも背徳的だと思うんだ。ちなみにボーイズラヴって言うのは美少年同士の同性愛の文化で……」
「そりゃ背徳的じゃろうよ! 説明せんでもええわ! なんとなく字面で解るわっ!」
「ついでに仏壇に萌えフィギュアを飾って来たぜ。こう、ジオラマ的な感じに戦闘シーンを再現させてみた。電飾も完備だ」
「もう完全に意味が解らんよ⁉ 意味不明すぎてちょっと怖くなってきたもん!」
マモンは未知の物体に遭遇したような怖がりようで、ますますしっかりと布団に引きこもってしまう。なぜだろう、僕の処置が間違っていたというのだろうか。
「うーん、うちはバリバリの仏教徒だから、ちょっとキリスト教圏的なアイテムが無くってな……せめて、仏教的なアイテムを駆使して背徳感を出してみたんだが」
「そういう工夫とか要らんよ! なんかわし面識もない異国の神々から狙われそうじゃろ! あの痛そうな感じの錫杖でド突き回されそうじゃろ!」
やっぱり悪魔は仏とは面識がないのか。それが解っただけでも少し得した気分である。
だがそんなマモンの様子を見ていると、どうも具合が悪そうに見追えなくなってきた。
「お前、なんかごちゃごちゃ言う割には元気になってないか?」
「えっ、あ……マジじゃ」
見れば、マモンは顔色も元に戻り、気だるそうな感じも消えていた。どうやら苦しさも持続してないようだ。しかし、なぜか本人はすこぶる不満そうな顔をしている。
「えー……マジかー……わし、あれでも回復できるのかー……うわー、背徳的っちゅーか冒涜的な感じじゃったけど、確かに邪教っぽいヤバさを感じはしたけど……ショックじゃわー……自分の生体にショックじゃわー……」
「まあ、治ったんだから良いじゃないか」
「ちゅーかお前、お爺さんのこと大好きだったんじゃなかったかのう……? 思いっきり失礼な事しとるけど、それアリなのかのう……?」
「ああ、爺さんも『わしの屍とかSASUKE的な感じでガンガン踏み越えていけ』って言ってたからな。むしろ爺さんが以外が相手じゃこんなん無理だし」
「アクティブすぎるじゃろ、お前の爺さん……」
マモンは布団を被ったまま溜め息を吐く。それを見て、僕は首をかしげた。
「マモン、まだ具合が悪いのか?」
「い、いや、不本意なくらいに回復したが……」
「じゃあなんで布団を被ったままなんだ?」
「…………いや、その」
マモンがたじろいだように動くと、ベッドの端から、薄手の布が落ちてきた。
その形状を見るに、おそらくはスカートであると思う。
「………あ」
反応に困り、少しの間固まってしまう。恐る恐る視線だけを上げていくと、泣き出しそうなマモンと目があった。
「……いや、違うんじゃ」
「……背徳的って、そういう……」
「いや、聞いてくれ。なんか体調が悪くなると、こう、本能が自分を守ろうとするじゃろ……わしもちょっと朦朧としていたというか、冷静な時なら絶対あんなこと言わなかったじゃろうしっ……!」
実際、先ほどまでのマモンは割と様子がおかしかった。人間で言えば熱で朦朧としているような感覚だったのだろうが……。
「悪い……さすがにそう言う方向で回復する発想は無かったからさ……」
「よ、よさんか。頼むから申し訳なさそうにするんじゃない……」
「あの、ほんと僕気づかなかったんだよ……なんか、うん、ゴメンな?」
「謝るなよおおおおおおおおおおおっ! そこでそう言う反応されたらわしが惨めじゃろうがああああああああっ!」
とうとう何かのタガが決壊したのか、マモンは号泣しながら布団に丸まってしまった。
僕はというと、女心は複雑だなあとか、悪魔ってそれで回復できるんだーとか、いろいろとチャンスを逃したのではないかとか考えていたが……。
とりあえず、この分だと今日も押入れで寝る羽目になりそうだった。
その事に関しては、もはや諦めるとしても……。
問題は、この出来事を深く考えると、また寝不足になりそうだと言う事だ。