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胸囲無き戦い


 はい、寝不足です。


 鏡を除くと、しっかりとクマが刻まれている。結局、意識が遠のいたのは四時ごろだったと思う。三時間も寝てないじゃないか、僕。

 冷水で顔を洗えば多少はマシになるが、どうにもぼーっとしてしまう。

 適当に朝食を済ませ、我が校の制服――今どき古めかしい、真っ黒な学ラン――へと袖を通して、玄関を出る。これから一日が始まると思うと、憂鬱だ。


「おい、誠二よ」


 玄関先でマモンに呼びとめられた。マモンはぐっすり寝られたようで、朝も元気はつらつとしている。


「どうしたマモン、どら焼きなら買ってこないぞ」

「いや、その……お前、押し入れで寝たのじゃな」

「ああ、結局ベッドだと気が気じゃなくてさ……うん、お前の勝ち。意地を張った僕の負けだったよ」


 ひらひらと手を振って見せると、マモンはその手を掴んできた。驚いたが、同時にその手にはマモンを使役する「ソロモンの指輪」が嵌められているのに気付く。


「……これでわしに命令すれば、すんなりとベッドから追い出せたのではないか?」


 訝しげに唸るマモンに、僕はなんとなく気恥ずかしい気持ちになった。


「いや、仮にもお前、女の子なんだし……あんまり強引に追い出すのも気が引けてさ。こういうとこで命令使っちゃうのは、使役とはまたずれてると思うし」

「……わしは、どうせお前は指輪の力を使ってくると思っとったよ」


 マモンは戸惑ったような調子で、けれど、どこか申し訳なさそうに続ける。


「人間の僕にされた悪魔など、大抵はぞんざいな扱いじゃ。気に食わぬ事が有れば、使役の効力で意のままにされてしまう……じゃからこそ、わしはせめてもと意地を張ったのじゃが……お前はどら焼きを強請った時も、ベッドを占有した時も、指輪の力は使わんかったのう」

「……僕はお前の力を使って欲望を満たしたいとは思うけど、お前を奴隷にしたいと思ったわけじゃないぞ?」


 素直な考えを口にしたつもりだったが、マモンはぽかんとした表情だった。そして、視線を僕から逸らして口をとがらせた。


「……まっこと、変な奴じゃ」


 機嫌を悪くしたのかと思ったが、そうでもなさそうなので、僕は学校へと出発する事にした。流石にマモンを連れて行く訳には行かないので、彼女に見送られながら家を出た。

 眠気のせいで頭がぼーっとしていたため、鞄が少し軽い事には気付いて居なかった。



          ◇



 案の定、授業には身が入らなかった。普段から身を入れている訳ではないのだが、今日はエル先生に散々叱られる羽目になった。具体的に言えば、今日は廊下に立たされる際に砂入りバケツを持たされた。この体調にはかなり堪えたため、昼休みに入った今では、空腹よりも眠気に負けてしまいそうになっている。


 そんなときに限って、芹香がわざわざ席まで構いに来たりする。


「どしたのみっくん、今日はミミックというよりポイズンゾンビだよ?」

「お前は少し言葉を選ぼうな」


 歯に衣着せぬとは言うが、こいつは歯に下着くらいつけておくべきだと思う。


「いや、ちょっと寝不足でさ。昼休みくらいゆっくり寝たいから、そっとしておいてくれ……」

「ふーん、まあ平和なようで安心したけどね」

「平和……?」

「うん、此間みたいにむーくんと揉めるかと思ってたからさ」


 ちなみに、むーくんとは芹香による室井の二人称だ。

 芹華に言われて顔を上げれば、前の席に室井の姿が無い事に気づく。教室内をぐるりと見渡すと、教壇近くの角席に、奴の角刈り頭を発見することが出来た。


「あ、あの野郎、彼女と弁当食ってんのか……!」

「うん。此間みっくんが騒いだせいで、クラス中に知れ渡っちゃったからさ。もう人目を気にせずにカップルすることにしたんだって」

「くおおおおおおおっ……畜生、良いなあっ……彼女持ちって眩しいなあ……!」

「やだ、泣かないでよみっくん……ちょっと怖いよ」


 これが泣かずに居られる物か。つい先日まで隣に居たと思ってた友人に、実は周回遅れで差をつけられていたんだぞ。これほど惨めな事は無いだろう。

 仕方ない。一人身は一人身らしく、寂しく隅で弁当でもつつくか。

 そう思って鞄を探ったのだが……。


「あ、あれ? やべっ、弁当忘れた」

「ありゃー、やっちゃったね。今からじゃ購買も無理だろうし」

「授業終了から五分……とっくに戦国時代に入ってるだろうな。二人は死人が出ている頃だ」

「無駄にうちの学校を物騒にしないでよ」


 そう言いながら、芹香は室井の席に腰掛けた。そして僕の机の方を向き、弁当箱を広げ始める。


「……芹香、お前……」

「ま、仕方ないよね。寝不足の上に腹ペコじゃ、みっくん倒れちゃうかもしれないし」

「飯のない僕の目の前で食事を見せつけるとか、悪魔みたいな女だな……」

「そんな陰湿な女じゃないよう! 半分分けてあげるって言ってんの!」

「え、マジで……?」


 正直、思いがけない提案だ。こいつがそんな正統派幼馴染みたいな事をしてくれるとは……。


「うん。お金払ってるとはいえ、ちょくちょく助けて貰ってるしね。ほら、みっくんだからどうせ予備の箸は有るんでしょ? 一緒に食べよ」

「せ、芹香……っ」


 見慣れた筈の芹香の笑顔は、今日はやたらと眩しく見える。幻覚だろうが、後光すら射しているかのようだ。なんなのこいつ、天使なの? 女神なの? 久々に目に見えて優しくされたから、ギャップで余計に輝いて見えるぞ。


「ふふっ、小学校の遠足以来かなー、こういうの。みっくんの好きなタコさんウィンナーも入ってるよー」

「おお、タコさん! そうだよな、ウィンナーはオクトパスフォームだよな!」

「なんかその言い方だと美味しく無さそうだね」


 なぜか妙に楽しそうな芹香が、弁当の蓋を開ける。冷めて居ても美味しそうな香りが鼻をくすぐり、ピンクの弁当箱の中から、色鮮やかな食材が顔を出した。


 その瞬間。


「誠二―、おるかー?」


 教室の入り口から、すっかり聞き慣れた声が響いてきた。と同時に、クラス中の視線が一斉に声の方を向く。勿論、僕や芹香も例外ではなく。


「……マモン?」


 そこにはマモンが立っていた。


 なんと、ゴスロリドレスではない。ロゴ入りの黒いシャツに、ベルトを通したタイトなスカート。首輪は勿論外れて居ない。方向性は離れてないものの、ややラフに見えるゴシックパンクな感じの服装になっている。

 髪の毛はポニーになっており、セットではなく自然と巻かれるのか、しっかり縦ロールを形成している。ほんのりと茉莉のセンスが見え隠れするから、格好の事情は解った。


「ど、どうしたんだよお前。何で学校に……」

「お前が弁当を忘れて行くからじゃろ。ほれ、持ってきてやったぞ」


 机の上に、見慣れた柄の巾着袋が置かれた。開けてみると案の定、僕の弁当箱が出て来る。ついでに蓋も開けてみたが、タコさんウィンナーが入って居る。


「ママ殿が気付いてのう。わしは家で暇しとったから、届けに来れたわけじゃ」

「ああ、そっかそっか、悪かったな。いや助かったよ、ありがとう」

「まあ良いってことよ。わしゃお前を助けるのが仕事のようなもんじゃしな」


 クラスの連中がにわかにざわめき始めた。どうしたのだろうか。


 ふと視線を向けると、芹香が物凄く怖い目付きになっていた。え、何、どうしたのこいつ。修行仲間でも空中で爆死させられたの?


「……みっくん、この子は誰?」


 声も怖い。トーンが低い。いつもの軽いノリじゃない。脊髄を冷水が走り抜けていくかのような悪寒がする。


「い、いや、芹香。こいつはな……」


 僕が説明しようとしていると、マモンが間に割って入ってきた。なにやら芹香をじろじろと見つめると、何かを得心したように半目になって頷いている。

 すると何を思ったか、マモンは僕を遮ったままで話を始めた。


「わしは誠二のパートナーみたいなもんじゃ。お前に関係は無いから気にしなくて良いぞ」


 その発言で、芹香の目付きがさらに鋭くなった。あの天使のような芹香ちゃんはどこに行ってしまったんだろう。堕天したのかな。後光の代わりに瘴気が見える。


「へ、へえー、そう。パートナーさん……なんか、その曖昧な言い方は自信の無さを感じちゃうよねー」

「どうしたの芹香さん、なんで喧嘩腰なの」

「まあ、わしと誠二を表す最も適切な単語じゃと思うがのう。で、誠二のパートナーでないお前は何者じゃ?」

「マモンさんもなんで張りあってんの。怖いんだけど。目が据わってるんだけど」

「私は十年以上前からみっくんの幼馴染だよ。まあ、広い意味でパートナーみたいな物だよ。自称パートナーさんはいつから誠二のパートナーさんなのかな」

「自称でなくて実際にパートナーなんじゃよ。繋がりが有るんじゃよ。まあ少なくとも十年間かけてお前が得られなかった感じの関係性があるんじゃよ」

「やめて。二人ともやめて。争いは悲しみしか生まないよ」

「私はみっくんに胸を揉まれそうになった事が有るよ」

「わしは実際に胸を揉まれたがのう」

「お前なに暴露してんの⁉」


 教室のざわめきが大きくなった。先日の注目とはまた別の意味で視線が痛い。ビシビシと肌に突き刺さってくる。


「へ、へぇー、そうなんだー、へー」

「そうなんじゃよー、まあ、言ってみればファーストタッチ? あー、あとどら焼きも奢って貰ったかのー」

「みっくん、私のおっぱい触っていいよ! あとどら焼きを寄こせッ!」

「落ちつけ芹香ッ! お前がこの場で一番混乱しているッ!」


 いきなり僕の腕を掴んできた芹香を、必死に押し留める。どう見ても正気では無い。どうしたんだこいつは。


 普段ならおっぱい触れなんて言われたら即座に触りに行くけど、これは怖えよ。未だかつてない威圧感を感じて居るよ。


「み、み、みっくんは貧乳派だったの⁉」

「まあ、どっちかと言えば巨乳派だけど……」

「じゃああんな台地みたいなおっぱい触っても満足しない筈じゃ無いっ!」

「だいちっ…………!」


 あ、マモンが大ダメージを受けた。ふらついてギャラリーに支えられている。ちなみに芹香のは六甲山脈って感じだ。


「てぃ、Tシャツの絵柄も全然歪んでないもん! ポップなキャラクターの絵が綺麗に見えるもん! 凹凸の少ないなだらかな台地みたいだもんっ!」

「ぐぇっ、うっ、うぐううっ……」

「その辺にしておけ芹香! お前に言われたら本当に死にかねないから! っていうかお前、想像以上にバストにアイデンティティを見出してたんだな……」


 芹香の肩を掴み、背中を叩いて落ちつかせようとする。芹香は何故か、ムキになった子供のように涙眼になって居た。なお、マモンは精神的ダメージからの回復に時間がかかっている。


 なんか、その辺の女子から時折「二股野郎」とか「色情魔」みたいな声がボソボソ聞こえてくるんだけど、前者は違うだろ。股かけてないからね僕は。一股もかけてないからね。


「どうしたんだよ芹香、お前おかしいぞ? それもえらい急激におかしくなっていってるぞ? お前の機嫌は冬の高山か?」

「もー、わかんないもん! 私にだってわかんないけどムカつくんだもん!」

「自分でも解らないのかよ! あーもう、ちょっと弁当でも食って落ち着け。腹が減ってるから気が立ってるんだろ」

「多分そういうんじゃないもん、それじゃなんか違う気がするんだもん!」


 本当にどうしたんだこいつは。普段から子供っぽい奴ではあるけど、こんなに駄々をこねるような態度は初めてだ。いつもは基本的にニコニコしているし……ルキさんの事は苦手らしいから、あの人の前では少しだけ不機嫌になるけど、これ程ではない。


 芹香をなだめようにも原因が解らず、寝不足で疲労した僕ではその体力も無さそうなので、これは放っといたほうが良いのだろうか。


「まあ……何はともあれ飯だよ、メシ。お腹がいっぱいになれば大抵のストレスは吹き飛ぶもんだって。なあ、マモン。お前も少し僕の弁当つまんでいって良いからさ、落ち着こうぜ」

「あ、すまん。なんかやり取りが長いから、つい全部食ってしまったわ」

「何してくれてんの⁉」


 見れば、僕の弁当箱はとっくに空になっていた。タコさんウィンナーどころか、イモの煮っ転がしも卵焼きも跡形もない。ホウレンソウのお浸しだけ残ってやがる。


「その場の欲求には逆らわないのがお前のポリシー、じゃろ?」

「人の物を無断で盗み食いしないのも僕のポリシーだったりするんだけどねえ……っていうか食うの早すぎるだろ。フードファイターかおのれは」


 そう言うわけで、僕の昼食は結局消滅してしまった。どうしたものだろう、芹香もここまでヘソを曲げて居たら、もう弁当なんか分けてくれないだろうし……。


 と思ったら、両手で弁当箱を差し出してきていた。


「……えっ。あの、これ、食っていいの?」

「……もともとみっくんと分けようとしてたわけだから良いよ。なんか、それが一番すっきりする気がしてきた」

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えるけど」


 芹香は結局、機嫌が悪そうだったが……いざ弁当を食べ始めると、不思議と軟化していった。若干味付けが甘めだが、割と味は悪くない。「けっこう美味しい」と言うと少し照れていたようなので、放課後までには気まずさも薄れていた。


 ちなみに、マモンはいつの間にかいなくなっていた。


 こういう神出鬼没さは悪魔っぽいけど、あいつは結局、何をしに来たんだよ。


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