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俺の寿命がクロックアップ

「んまいのう……んまいのう……!」


 林檎書店を前にして、マモンの空腹が限界に達したので、近くにあった古びた和菓子屋からどら焼きを調達して与えた。これがどうやらお気に召したらしく、口にあんこをつけながらもくもくと頬張っている。普通なら食べ物を奢るなんて絶対にしないが、こいつのモチベーションを上げるため、必要経費として買ってやった。


 ちなみに僕も説教のせいで昼飯を食べそびれたので、自分の分も買って齧ってみたが、これがなかなか美味しい。安いのに、あんこが甘すぎず上品な風味で、皮部分もふんわりと柔らかく焼き上げてあって、全体的に口当たりが良い。甘い物なのに飽きない。近場にこんなに美味しいどら焼きが売っていたのを、思いがけず知ってしまった。


「地上にはこんなに美味いものがあったのか……知識はともかく、現物は魔界では手に入らぬからのう。カルチャーショックな味わいじゃよ」

「そんなに気に入ったのか……」

「うむ。お主に使役される対価としては納得に値するのう」

「どら焼きの価値たけえな! 悪魔って和菓子で使役できるんだ……」


 こいつは知れば知るほど威厳を擦り減らしていくタイプらしい。親しみやすいのは良いが、なんだか悪魔を召喚したという実感がどんどん失せていく。

 だが、その間に僕はこいつの新たな活用法を考えていた。催眠術はダメ、増殖魔法は保留、となれば残りの念動力を試してみるのはどうだろうか。


 さきほど、マモンは念動力の力は自分の筋力に準ずると言っていた。ならば、重たい物を持たせることは最初からあきらめ、離れた物を動かすという点に注目してみようじゃないか。


「なあマモン、お前の念動力って、どのくらいの距離なら届くんだ?」

「まあ、眼でしっかり見える位置までじゃな。イメージしやすいかどうかが魔法のキモじゃよ」

「よし来た。それじゃあマモン、僕はこれからあそこの林檎書店へ行ってくる。お前はこの電柱の陰に身を隠し、念動力を使うんだ」

「ほう……?」


 ちなみに、林檎書店の店先には現在、ルキさんがホウキを持って立っている。どうやら店の前を掃こうとしているらしいが、大方、入荷したばかりの新刊に目を奪われているのだろう。あのまましばらく放っておくと、一冊手に取って読み始めてしまうのだ。


「良いか、マモン。僕はこれからあの三つ編みのお姉さんと話をして来る。その間にお前は念動力であのお姉さんを狙うんだ」

「……えっと、動きでも止めておけばいいのかの?」

「違う! ブラのホックを外すに決まってんだろ!」

「決まっておるのか⁉ 他に可能性を探る余地も無く⁉」

「そうだ。年上のお姉さんが何気ない会話の最中に、なぜかブラのホックが外れてしまうとするだろ? 赤面するだろ? 恥ずかしがるだろ? どうにかしてずり落ちてくるブラをとどめようと、挙動不審になるだろ? それを見てニヤニヤしたいだろうが」

「ゲスじゃなお前。まっことゲスじゃな。びっくりするわ」

「何とでも言え。こういうのは僕のポリシーに反さない行いなんだ」

「なんじゃか、お前を理解するのを諦めたくなりそうじゃよ、わしは」


 呆れはするが、マモンは一応、僕の指示には従わねばならない。しかしそれだけだと手を抜かれても困るので、僕はついでに一押しを加えておく。


「上手く行ったらどら焼き一個追加してやる」

「全力でやらせていただきますのじゃ!」

「……お、おう」


 あまりに現金なマモンの態度を見て、少し悲しい気分になるのはなぜだろう。僕も中学生のころ、悪魔的な存在に軽い憧れを抱いた事はあったので、その実物がこういう感じだと少し切なくなる。


 何はともあれマモンの了解を得て、僕はルキさんの方へと歩き出した。相変わらずセーターの上からエプロンというスタイルだが、本日はセーターの色がポップなピンクになっている。これが少しオシャレをしようと思った時の格好だという事は、おそらく僕くらいにしかわからないだろう。 


「ルキさん、こんにちは」

「おや、誠二くん。どうしたんだい、昨日にもまして早い時間に……というか、今日はバイトの日だったっけ?」

「いえ、たまたま近くを通りかかったもんですから。昨日のグリモワールの事も報告しようかと思いまして」

「ほう、そいつは興味深いな! それで進展はあったのかい?」

「いえ、それがまだわからない事だらけで……なんとなく魔法陣っぽいページとかは見つけたんですけど、やっぱり文字が読めないと辛いですねー」


 大嘘なのだが、これはルキさんに悪魔の存在を知られないためだ。今からマモンにブラを外させるのに、先に「悪魔が召喚できました」なんて言ったら、どう考えたって僕が悪魔を使ったのがバレバレだからね。


「ふむ、そうかい。まあ私も冗談半分であげた物だし、あれとにらめっこするよりは勉強に時間を使ったほうが良いよ」

「まあグリモワールが無くっても勉強はしないですけどね」

「あのさあ誠二くん。君はただでさえ欲張りなんだから、勉強とかそういう努力をして選択肢を増やすのが一番なんだよ。お爺さんにもそう言われたよね?」

「だってせっかくの休日なのに勉強とか嫌でしょう! っていうかルキさんに言われても説得力ないんですよ、基本自堕落なくせに!」

「ふん、私はいいのだ。大人だから」


 そう言ってルキさんは腰に手を当て、胸を逸らすような体制になる。マモンも良く自分を誇示するためにやるのだが、ルキさんにもこういう子供っぽい癖がある。そう、この瞬間、ルキさんは露出の少ない服装ながら、もっとも胸のラインを強調するポーズになるのだ。


 ――――今だっ!


 僕は電柱の方へ顔を向け、マモンへと目で指示を送る。マモンもどら焼きを頬張りながら、ぐっと親指を立てて応えた。マモンはそのまま指を狐のような形にして、ルキさんの方へ向けると、くいっと引っ張るように動かしてみせた。


「だから、誠二くんは子供のうちにもっと努力を――――」


 すぱぁん! と、乾いた音が響いた。と同時に、ルキさんのエプロンごと、セーターの胸部分がきれいに破れて弾け跳んだ。


「……………………」

「……………………」


 ブラどころの騒ぎではない。布という布がきれいに吹き飛んでおり、地肌だけは無傷であることが確認できた。うん、確認できた。


すげえ。普段はセーターとエプロンに隠されたそれは、拘束具をすべて解き放ったことにより、本来の戦闘力を惜しみなく発揮している。E、いや、推定Fはあるのではなかろうか。その大きさゆえに若干、重力の影響を受けているのがまた、良い。


「馬鹿なっ……人間界の乳はバケモノかっ……!」


 などと、マモンも驚愕していらっしゃる。ニッチな言い回しをする奴だ。

 いや、っつーか何、これ。ブラのホック外すだけじゃなかったっけ?


「………………」

「……いや、ルキさん違うんです。大丈夫です、はい、見てません。見たけど見てない事にします」

「………ぐすんっ」

「泣いた⁉」


 突然涙ぐむルキさんに、思わず慌てふためいてしまう。


「……ふふっ、私は何をやっているんだろうな……この歳になって、弟のように可愛がっていた少年の前で真昼間から乳ほうりだして……」

「待ってくださいルキさんッ! そこで自罰的にならなくていいですから!」

「私としたことが、よもや知り合いの前で突然乳を爆発させてしまうとは……」

「落ち着いてくださいルキさん! おっぱいは自力では爆発しませんよ⁉ そんなダウナーな混乱しないでくださいよ! っていうかまず腕で胸を隠しましょう!」

「ふふふ……私のことは乳爆発女とでもリアルおっぱいミサイルとでも呼ぶが良い……でもな、誠二くん。優しさを忘れた大人にだけは、ならないでくれよ……」

「もう死ぬみたいな空気を出さないでくださいッ! ほら、人に見られないうちに店に入って着替えてきた方が良いですよ!」

「そ、そうだな。すまん、取り乱してしまって……こういう時に冷静な対応を指示できるなんて、誠二くんは案外、紳士的なんだな……ふふっ」

「うぐぇあッ!」

「どうした誠二くんっ! なぜ心臓を抑えて崩れ落ちたんだ!」


 ルキさんの言葉が迫撃砲のように勢いよく胸に突き刺さった。心の奥の方がジンジンと痛みを放つ。これが良心の呵責ってやつか……初めて食らったけど、結構辛いもんだ。


「ちょ、ちょっと貧血です。大丈夫ですから、早く着替えてきてください……」

「そ、そうか? 遠慮せずに中で休んでいいんだぞ?」

「大丈夫です、今あんま優しくしないでください。なんか泣いちゃいそうなんで」

「そうか……男の子には時に、情けをかけるだけ惨めになる場合があるというが、今がそんな感じなんだな? ならば私は着替えに行くが、辛かったら遠慮せずに頼るんだぞ?」


 ルキさんは最後まで心配そうな視線を向けながら、店の中に入っていった。

 僕は痛みに痺れる胸を抑えたまま、マモンの方へと戻っていく。


「……どういう事だ、ありゃ」

「いや、ちょっと力の加減間違えたかもしれん」

「ちょっとどころじゃねーだろ⁉ ブラがキャストオフしたじゃねーか! 弾け跳んだ衝撃波に当たり判定がありそうなレベルだったじゃねーか! なんだあれは、接近戦用の隠し武装の類か⁉ 有効射程一マスくらいの決め技か!気力溜めないと撃てない系統の!」

「しゃ、しゃーないじゃろ。見えてないブラのホックを操作しろというのがそもそも無理があったんじゃよ」

「先に言えよ! お前全然行ける感じの雰囲気だったじゃん⁉ っていうか腕力と同等の力しか出ないって言ってませんでしたっけぇええええええ⁉」

「あ、悪魔の腕力はつよい」

「先に言えよッ! 先にッ! 言えよッ!」

「いひゃいいひゃいいひゃい! ほ、ほっぺをひっぱるのはやめふのひゃー!」


 無駄によく伸びるほっぺをつまみ、縦に二回、横に二回ひっぱって、丸描いて弾いてやる。林檎のように真っ赤なほっぺが出来上がった。


「ぐぬぬぬ……痛いのじゃ、痛いのじゃ……」

「ちっ。結局のところ、先に実験しなかったのが悪かったか……」

「そ、それよりお前、終わったらどら焼きを買ってくれると言っていたじゃろ。済んだことはくよくよせず、どら焼きを買って立ち直るべきじゃ」

「上手く行ったらって言ったろ」

「えっ、じゃあどら焼きは?」

「なしに決まってるだろ」

「殺す気か!」

「お前それで死ぬのか……?」


 どら焼きは成功報酬として約束したのであって、どんな形でもあげるとは言っていない筈だ。報酬とはそういうものだ。とりあえず形だけこなしておけば貰えるとなったら、世間ではリストラなど起きていない。

対価はあくまで、対になる価値と書く。と爺さんも言ってた気がする。


「うう……どら焼き」

「まあ、また今度、何らかの形で成功したらな。どの道、今食べたら晩飯とか入らなそうだし……」

「どら焼き……」

「ていうか、マモンを家に置いといて良いのかな。母さんは兎も角、、茉莉や父さんをどうにかしないと……」

「…………どらやきー……」

「………」

「……………どらやきぃ……」

「ええい、もう泣くなっ! 買ってやるから!」


 勢いで言ってしまった。そして、直後に後悔した。


 この僕が何の見返りも無しに、自腹で食べ物を買い与えるなんて、初めての経験だ。普段なら死んでもやらない事だが、涙目のマモンを見るとつい、言ってしまった。


「……どら焼き、食べてよいのか?」

「ああっ、もう……良いよ。一個だけな!」


 しかし、潤んだ目で首をかしげるマモンを見ると、断れる気分じゃなくなってしまった。


「……あ、ありがとう!」


 マモンはきょとんと幼い表情から、すぐに笑顔になっていく。

 その花が咲いていくような満面の笑顔を見て、僕はなぜか、どら焼きを断らなくて良かったと思ってしまった。


「……らしくない事をしちゃったなあ、全く」


 文句を言いながらも、不思議と苛立っているわけではない。


 けれど、なんだか心臓が掴まれたように感じているのは、まだ良心が痛んでいるからだろうか。


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