弱虫毛虫と中学生
翌日。土曜日なので、堂々と寝坊した。
マモンを呼び出すのに成功した時は既に深夜であったため、寝不足気味だったのも効いている。ふふふ、睡眠最高。さすが三大欲求の一角を担うだけの事はある。誰にも咎められずに昼近くまで寝て居られるなんて、休日ってのはなんて素晴らしいんだろう。もうね、このままシーツの海に溺れたい。夢の中で泳ぎ続けたい。
と、穏やかな時間を過ごしているのも束の間。
「ちぇすとぉ!」
「うぐぇあっ!」
布団の上から、何か重たい物がみぞおちに直撃した。肺から空気と共に命が漏れた気がする。僕は震えながら、自分の腹の上へと視線を動かした。
「……なっ、なにやってんだ、お前っ……」
「朝じゃぞ、起きんか」
半目で睨みつけながら、僕の頬をぺちぺちと叩いてくる少女。その姿を見て、僕は昨日の出来事を思い出した。
あの後、召喚したマモンはショックで塞ぎこみ、自ら押し入れに閉じこもってしまった。中にはまだ布団が締まってあったし、寝心地は悪くなかろうと思ったのでそのままにしておいたのだが、どうやら精神的に復活したらしい。
「マモン……お前、僕に使役される立場になったんじゃなかったっけ……」
「そうじゃよ。だから起こしに来てやったんじゃろうが。感謝して足でも舐めてほしいところじゃな」
「いいの⁉」
「うわあ! 気持ち悪い反応するのうお前!」
ドン引きしたマモンはさっさとベッドから降りてくれた。目の覚めてしまった僕は、しぶしぶとベッドから上半身を起こしていく。
「っていうかお前、なんでこんな時間に起こしに来たんだよ。まだ十時じゃないか。今日は学校もないんだぞ」
「まだ十時というセリフに軽いカルチャーショックを感じるがの、由々しき問題が発生しておる」
「由々しき問題?」
「おう、腹が減ったのじゃ。ごはん作ってたも」
「…………」
ご飯作ってたも、って。悪魔が、ご飯作ってって……。
まあ、こいつの立場では僕が飯をやらないと食事にありつけないのだろう。というか悪魔も腹が減るのか。
しかしどうしたものだろう。冷蔵庫から食材を漁ってくるしか無いだろうか。正直、両親にこいつの存在をいつまで隠していられるかも不安だ。
「ママ殿は先ほど、フラメンコ教室に出かけてしまったのじゃ。その時にそろそろお前を起こすように頼まれたのじゃよ」
「お前もう僕の母さんに逢ったの⁉」
「うむ。オムレツらしきものとご飯をくれて美味しかったのじゃ。じゃが、ちと足りんかった」
「僕が寝ている間にイベント起こすんじゃねーよ! 母さんの状況適応力も高すぎるしお前の図々しさも恐ろしいよ!」
しかし、あのぽわぽわした母さんのことだ。悪魔くらいは平気でもてなすかもしれない。
爺さんに父さん、母さんも、まともな人間がほとんどいないのが我が家だ。そりゃ僕のような子供が生まれても可笑しくはないだろう。唯一文句を言いそうなのは、我が家において、類まれな常識を備えて育った妹くらいなものだ。
「マモン。お前、茉莉……妹には会わなかったろうな。ポニーテールでちっこい奴だ」
「ああ、ちょうど出かけていた様じゃが、先ほどママ殿と入れ違いに帰ってきおったよ。今はリビングに居るのでは無いかの?」
そうか、遭遇しなかったのか。茉莉は事を大きくしたがるからな。僕が悪魔を呼び出したなんて知れたら、どれだけ煩く言われるか。
だいたい、普段からあいつは口喧しい。やれ宿題はちゃんとしろだの、やれ服を脱ぎちらかすなだの、やれ部屋を片付けろだの……高校生の兄に取る態度ではない。僕が小学生の頃はもっと奔放な人間だったと思うのだが。
ふと、思いついてしまった。マモンを使役して上手い事やれば、軽い悪戯も出来るんじゃないだろうか。あの小姑みたいな妹は、僕が普通にしかけた悪戯ならほとんど突破してしまう上、そのレベルアップ版の仕返しを行ってくる。悪魔の力を使って一泡吹かせてやるのも面白いかもしれない。
「マモンは僕が使役できるって事は、お前に悪魔の力を使うように命令してもいいわけだよな?」
「まあ、屈辱的じゃがわしはそれに逆らえんのう……」
「そうか。例えばだけど、リビングでお菓子食いながらテレビ見てる小学生の服にこっそり毛虫を忍ばせるとかも出来るか?」
「わしはそんなちっちゃい事に使われるのか⁉」
顔を青ざめさせて絶望するマモン。よほどこのくだらない命令が嫌らしい。
「毛虫なら偶然外から入ってくることもあるからな。僕に疑いを向けられることは少ないだろう。それに、お前がどの程度の事を出来るかも知りたいしさ。僕の中ではまだお前、自分のちっぱいを触らせた悪魔でしかないんだし」
「おお、死にたくなってくるのう畜生……昨日に比べて随分スケールが下がった気がするが、まあ良いじゃろ。その程度の命令、造作もないという事を見せてやろうではないか!」
マモンは腰に手を当てて、無い胸を目いっぱいに張った。これほどドヤ顔の似合う悪魔が他に居るのだろうか。
だいたい、僕はこいつが召喚されて以降、まともに悪魔らしい力を使ったのを見て居ないのだ。こういう些細な実験から、こいつの力を試していく必要がある。
二人で静かに階段を下りて、リビングへと近づいていく。アニメ番組の音が漏れてくるので、茉莉はまだテレビにくぎ付けなのだろう。
「よし……完全に油断してやがる。これなら……っておい?」
が、マモンはそのまま玄関の方へ行くと、外へ出て行ってしまった。俺も慌てて外へ出て行くが、玄関の扉は静かに閉めるのを忘れない。
「ちょ、待て。何でお前外に出て来た?」
「いや、だってまずは毛虫を調達せんと」
「…………いやいやいや、おま、魔法は? 悪魔的な不思議超パゥアーは?」
「お前のう、毛虫だけ召喚するような微妙な魔法が有るわけないじゃろ……」
「……確かに」
くそっ、こいつ、なんでそう言う所は現実的なんだよ! そりゃそうだけどさ、我ながらくだらない指示だと思ったけどさ!
マモンは草むらにしゃがむと、そのままよちよちと移動しながら毛虫を探し始めた。駄目だ。悪魔の姿では無い。もう完全に暇つぶし中の子供にしか見えない。
「おっ、居たぞ。さあ、捕まえるのじゃ!」
「え、僕が捕まえんの?」
「あたりまえじゃろ! あんなモジャモジャうねうねした生物さわれる訳ないじゃろ!」
「お前いい加減にしろよ⁉ 悪魔だろ⁉ 悪魔ってあれよりもっとおぞましい存在じゃねーの⁉」
「う、うるさいのう! アレじゃ、ちょっと近くでじっくり見てみたら割と気持ち悪かったんじゃ! なんかそういうのって気になるともう、こう、駄目じゃろ! あと何か毒とか有ったら嫌じゃし」
「毒⁉ 毛虫の毒が利くのかお前は⁉ 衝撃だわ! 全国のエクソシストに教えて回りたいわ! っていうか見つけたらそこから魔法で転移させろよ! 捕まえる必要はねーだろ!」
「あんなちっこいのピンポイントで転移させるとか無理じゃし、わしあんまそう言うの得意な悪魔じゃ無いんじゃ」
「なんだその『私って乗り物駄目な人だから』みたいな言い訳は⁉ 技量が無いだけじゃねえか! ということはお前、単純に毛虫を捕まえてけしかけようとしてたのか! そんなん僕一人でも出来るわ!」
「お兄ちゃん、何をギャースカ騒いでんの?」
「うわあっ!」
振り返ると、すぐ目の前に茉莉が立っていた。
お気に入りのヘアゴムで纏めた、ふわっとしたポニーテール。僕のお下がりでややオーバーサイズなシャツの上に、オーバーオールを着こんだいつも通りの普段着姿。流石に身長は僕より高くないが、同年代の中では長身な方らしく、そのうち僕を抜かしてしまいそうで怖い。
そんな茉莉はただでさえ威圧感が有るのに、いつもジトっとした目付きで憮然としているから、こうして睨まれると、つい目線を逸らしてしまう。顔立ちは母さん似で可愛らしいのだけど、愛想が無いだけで随分と印象が違うのだ。
「や、やあ茉莉、おはよう。早起きで偉いね」
「十時過ぎなんだけど。おはやくないんだけど」
「そうだね。兄さんちょっと寝坊しちゃったよ、ははっ。さ、中に入ってアニメの続きを視て来るといいよ。子供は気ままなのが一番だ」
「お兄ちゃん、その子は誰?」
畜生、強引に話題を変えてきやがった。会話のキャッチボール中に話題を二連続で投げて来るのはマナー違反だと思う。
「中学生くらいに見えるんだけど、なに? お兄ちゃん、同年代の女子に相手にされないから、とうとうそっちに走ったの? お願いだから私の年代まで射程圏内に入れるのはやめてよ?」
「おま、人聞きの悪い事をッ……」
「おいコラ誰が中学生じゃ」
僕が反論する前にマモンが出張って来た。どうやら中学生呼ばわりが頭に来たらしく、こちらも負けず劣らずの目付きで睨んでいる。ジト目とジト目、お互いに視線の間で火花を散らしながら相対している。
先に茉莉が口を開いた。
「あなた誰ですか? うちの庭でうちの残念なお兄ちゃんと何やってるんですか?」
「お願い茉莉ちゃん、残念って枕詞つけるのやめて?」
「わしは悪魔マモン。青のグリモワールより呼び出されし、七つの大罪は『強欲』を司る大悪魔じゃ。見知り置くがよい!」
「やっぱり中学生じゃない」
「そうだね、お兄ちゃん否定できないよ」
「なぜじゃ⁉ 今どこが判断材料になったのじゃ⁉」
驚愕するマモンには悪いが、この世界には中学生特有の病気があるんだよ。割と最近の文化だから知らないかもしれないけどね。とは教えないでおく。
「えっと、マモンさん。今はそういう『人とは違うんやで』したい年頃なのかもしれませんけど、早々に夢から覚めないと傷は深くなるだけですよ」
「な、なんじゃその優しげな眼は⁉ よせ、そんな温かい感じの眼差しを向けるのはやめるのじゃ! なんか胸が痛くなってくる!」
「私の知り合いに、中学生のころ『運命の特異点』と書いて『カオスコンダクター』と名乗っている人が居ましたけど、今ではその言葉を聴くだけで過呼吸になるほど苦い思い出になっているんですよ?」
「コヒューッ、コヒューッ……」
「あ、ああ、もう良い。やめてやってくれ。もう誰の事か解ってしまったのじゃ」
いったい誰の事だろう。さっぱりわからないよ。
「ともかく、うちのお兄ちゃんみたいな人と付き合ってると馬鹿になりますし、本当に中学生にも手を出しかねないのでやめたほうが良いです。おっぱいと見たら見境が無いんですから、この人」
「ああ、それは確かにのう。身を以て知っておるから……」
「お兄ちゃん、後でじっくりお話させてね?」
「うわぁ…………」
茉莉の眼がナイフのように鋭くなっている。切れそう。っていうかキレてる。タチが悪い事にマモンは嘘を言っていないもんね。言い逃れできません。
恐れおののく俺の肩に、マモンが優しく手を置いてくる。
「……悪魔に関わった者は、真っ当な死に方が出来んと伝えられておる」
「どうやらそれはマジっぽいな……」
結果、僕の午前中は小学生からのマジ説教という、心が枯れてしまいそうなイベントで費やされてしまった。
◇
「あー、災難だった」
きっついわー。肉親、年下というダブル属性コンボの説教マジきっついわー。そのまま髪の毛全部抜けるかと思ったわ。
「だが、マモンが悪魔だという事は隠し通せたな」
「なんでちょっと自分の功績みたいに言うんじゃ? お前なにもしておらんぞ?」
結局、僕は着替えてマモンと外出することにした。マモンには出来るだけ羽を小さく畳んでもらい、茉莉の部屋からくすねたファンシーなリュックを背負わせてある。こうすれば悪魔の羽もコスプレ用のアクセサリーに見えるからだ。
行く当てがあったわけではないので、とりあえず僕らは林檎書店への道を歩いていた。
もとはと言えば、ルキさんから渡されたグリモワールからこいつが出てきたのだけど、別に見せびらかしに行くわけでもない。我が家から林檎書店へのルートなら、人通りがあまり多くないために、マモンを連れて歩くのも比較的安全だと思えたのだ。
その間に、僕はマモンの扱いに関して考え直すことにした。どうやらこいつ、万能ではないらしい。世界征服のようなスケールの大きい願いはともかく、先ほどのようにスケールが小さすぎる願いなら出来るってわけでもない。こいつが悪魔として出来る範囲の事を、まずは把握する必要があった。
「なあマモン、お前って結局、何ができる悪魔なんだ?」
「そうじゃな。契約となればお前の魂を使って、ある程度は自由に魔力を使えるのじゃが、このように使役されるとなると、わし本来の得意な魔法じゃないと扱いが難しいのう」
「最初から言えよ……で、お前の得意な魔法って?」
「ふふん。何を隠そう、わしは物を増やす魔法を得意とする」
「マジで⁉」
「マジでじゃ。ふふん、褒めてたも、褒めてたも」
頭頂部をこちらに向けて差し出してくるので、とりあえず撫でておいた。羽をぱたぱた動かしているので、おそらくはお気に召したのだろう。なんだか初登場時の威厳がどんどん消えていくな、こいつは。
「じゃあさ、差し当たって僕の財布の中身を増やしたりできる?」
「おう、金を増やすのじゃな? 得意中の得意じゃよ。悪魔なんじゃからもっとそういう使い方をしてくれんとのう」
マモンが乗り気なので、とりあえず財布から諭吉先生にお出まし頂く。給料日を過ぎた直後だから出来る芸当だ。普段は英世先生ですら留守にしていることもある。
「それじゃ、とりあえずこいつを頼む。諭吉先生が倍になれば一気に財布戦力が跳ね上がるからね」
「よかろう。我が力をとくと見るがよいわ!」
そう言うと、マモンは僕から万札を受け取って、額に当てるように掲げた。さながらインディアン・ポーカーでもしているようなポーズだ。
すると、どうだろう。突然、マモンの手の中で万札が輝きだしたではないか。
「まもんっ!」
マモンが叫ぶと、その万札はまるで、最初から二枚が張り付いていたかのように、あっさりと増えた。形容するなら、細胞分裂を早回しで見た様な調子だ。
「ほれ、この通りじゃ。まあ、最初にお前が望んだような額はちょっとキツいが、このくらいなら朝飯前じゃぞ」
「おおおっ……本当に増えた! でもさ、今の何?」
「え、何が?」
「いや、だから今の『まもんっ!』って何?」
「え、呪文じゃろが」
「呪文なのか⁉ あれで良いのか呪文は! お前の名前じゃねえか!」
「ええい、うっさい! 結果が得られれば過程はどうでもいいと言うのが悪魔のスタイルじゃ。それより、ほれ。しっかり増えたじゃろうが」
マモンに二枚の万札を押し付けられ、それを受け取る。見てみれば、確かにどちらも一万円札。特殊な印刷加工や透かしも寸分違わず、傍目には完全なコピーに見えた。
「凄いな……お前、これまるっきり同じじゃないか」
「そうじゃろうそうじゃろう。もっと褒める事を許そう」
「ああ、完璧だ。インクの発色、透かし、細かい隠し文字印刷……さらに発行ナンバーに至るまで全部一緒だよ畜生がッ!」
「ひぇっ! なぜ怒るのじゃ!」
「駄目だよ! これ偽札だよッ! っていうか僕も最初からこの事態を想定しておくべきだったよ、予想できた展開だったよ!」
当たり前だよな。そのまんまコピーしちゃうとナンバーもコピーしちゃうよな。というか、これはどう頑張っても紙幣偽造だ。目撃されたら豚箱で臭いメシ確定。
「ちなみにその札じゃが、一定時間がたつと泥になって崩れるから注意じゃ」
「じゃあどのみち使えねえよ! 最初からゲームオーバーじゃねえか! 葉っぱのお金で買い物する狸かお前は!」
となると、増えた物はずっとそのまま置いておけないわけだ。得意魔法という割、用途が非常に限られてくる。このマモンを使って金儲けをするのは、どうやら少し難しそうだ。
そんな事を考えていると、マモンの様子が可笑しいことに気付く。
「むう……だ、ダメか……わしの一番得意な魔法……」
「……お、おい。ちょっ、待って。なんで涙目になってるの? そんなにか? そんなに自信あったのか今の魔法。あれがとっておきか?」
「わしの一族の、伝統の魔法での。これが初めて出来た時は、ママにたくさん褒めてもらったのじゃ……これで貴方もやっと、一人前の悪魔になれたわね、と……あの時は嬉しかったのう……懐かしい思い出じゃ……」
「わかった、わかったから! そういう心に来る感じの奴やめてくれ! いや、すげえよ! 一定時間だけでも物を増やせるとかハンパねーよ! 人間じゃ無理だもん! うん、流石悪魔って思った! 感動した!」
「そ、そうかのう? でも今使えないって……」
「いやいや使えるって! ちょっと考え直したら割と使える感じだったわ! 僕の発想力が貧困だったわ、うん。まず偽札作らせたのが悪かったよね! だからなんかこう、応用とかしたら行けると思うわ! ソーグッド!」
「そ、そうか……えへへ、そうじゃよな。ぐすっ」
鼻水をすすり、目元を拭いながら笑うマモンを見てほっと胸を撫で下ろす。くそ、メンタルが貧弱すぎるだろこの悪魔。中学生か。
だが、応用が必要だというのはその通りで、僕の使わせ方が悪かったのだろう。この一時的に物が増えるという魔法は、その性質を逆手に取ることもできるかもしれない。なるべく詐欺にならない範囲で、後で使い道を考えてみよう。
しかしこのマモンとかいう悪魔、二千歳とか言っていたけれど、とても二千年も生きたような精神年齢には思えない。悪魔と人間の年齢感覚についても考え直した方が良さそうだ。一応、不思議な力を使えるだけ利用価値はあるのだから、変にヘソを曲げられても困ってしまう。少し機嫌が直ったタイミングで、他に出来る事は無いか探ってみるか。
「でもさ、マモン。もしかして今のがお前の使える唯一の魔法だったりする?」
もしそうだったら溜息でもついてしまいそうだったが、マモンは再び胸を張ると、ちっちっち、と指を振って見せた。逐一イラっとすんなこいつ。
「まあ、今のはあくまで得意魔法じゃからの。他に初歩的な所で、念動力や催眠術なども使う事が出来るぞ。転移魔法と違って、イメージがしやすいからのう」
「マジかよ、先にそっちを教えてくれよ」
増やす魔法より俄然使える能力だったじゃねえか、とは言わないでおく。
「まあ、と言っても念動力の強さはわしの筋力に比例する。あまり重たい物は持てないという事じゃな。その点は催眠術の方がお前の嗜好には合うんじゃないかの」
「うーん、でも催眠術はちょっと遠慮したいかな」
「なぜじゃ? 色欲の強いお前なら、催眠術を使ってあれこれしたいと思ったのじゃが」
「すげえ失礼な事言われた気がするけど否定できないね。でもさー、なんか人の心を弄るってのはフェアじゃない気がするんだよね」
「悪魔を使役している分際でなに言っとんじゃこいつは」
「いやそれを言われると困るんだけど……ほら、僕って大概、欲望には忠実に生きてるわけだけど、他の人にだって欲望は有ると思うんだよ」
「それはそうじゃろうな」
「例えば、僕が欲しい何かを他人と奪い合う事になったとして、それぞれの手段で競い合うのはともかく……心とか欲望そのものを弄っちゃうのは、人間としてやっちゃいけない気がするんだ。誰だって叶えたい願いがあるのに、それを叶えたいっていう心を消したりしたら、人間だって事を踏みにじっている気がするんだ」
「…………お前が欲望を尊重するのに、自他は問わないと言う事かの」
「お前に命令してるのだって悪魔契約のルールに則った上でのことだからな。フェアだろ?」
マモンは奇妙な物を見つめるように、僕へとまん丸な目を向けて来る。妙な事を言っているのは自覚しているが、それは僕のポリシーだ。そこを譲りたくないって言うのも、僕の欲望の一つだ。基本は『自分の道を生きる』だからな。
すると、マモンは何かを思い出したように眉をひそめる。
「じゃあお前、わしに世界征服とか願った時……あくまで他人の洗脳とかは無しで、でも世界を自分の物にしたいと……そういう意味で言ったのか?」
「そりゃそうだろ?」
「世界を自分の物にしたとして、何をする気だったんじゃ」
「誰にも文句を言われずに一日中ぐっすり寝て、美味い物をたらふく食って、面白い漫画とかアニメを見て、あとは可愛い女の子を口説く」
「ちょ、待て。女の子の心を弄っておけば、口説く労力とか必要ないじゃろ」
「だって自分の好きなように洗脳した女の子と付き合うってさ、一人遊びみたいなもんだろ? 相手にちゃんと心がなきゃ楽しくないじゃん」
「……ははっ、世界征服はしたいけど人間に自我を求めるって……欲張りすぎじゃろ、お前。どう考えたって矛盾しとるぞ」
「せっかく悪魔を召喚したんだから、そこは遠慮なく行こうと思って」
それを聞いて、マモンはとても微妙な笑顔を浮かべた。驚きと呆れと、もうひとつ何かが混ざったような表情だ。
「わしゃ、とんでもないのに呼び出されたみたいじゃな」
その声があまり嫌そうに聞こえなかったのは、僕の主観的な問題だろうか。