Kickーー大地を蹴る少年
タイトルはロックバンド「BUCK-TICK」の曲名からです。
久しぶりに書いたので至らぬところが多々ありますが、何卒ご容赦くださいませ。
近所のありふれた公園に父と子がいた。
遠くから見ればそれは日曜の休日には珍しくない光景だった。ただ少年の目は泣き腫らしたせいか赤くなっていて、それを父親が腕を組んで厳しい視線で見つめている。少年は鉄棒で逆上がりの練習をしていた。少年は何度も大地を蹴って身を翻そうとするが、そのたびに力なく崩れ落ちた。
「ねえお父さん、もうできなくてもいいからやめようよ・・・。」
うつむき、涙ぐみながら少年が言った。そのたびに父親は少年の頬に平手打ちをした。痛みに促され、再び鉄棒を掴みながら何度も大地を蹴った。それでも、体は下に落ちるだけだった。やがて鉄棒を握る手から力が次第に弱くなり、ついには体を翻している最中に鉄棒を手放してしまう。頭を地面に叩きつけた痛みで思わず声をあげて泣きそうになるが、父親の険しい視線が少年に突き刺さり、少年は声を殺し涙を殺した。それでも意思をくじくにはあまりある痛みはまだ少年の頭からは離れなかった。
「ねえパパ・・・」
つぶやくように少年が言った。
「どうした春樹、また泣き言か?」
「もうできなくたっていいから、練習やめようよ」
言い終わると同時にまた乾いた音。父親の声が甲高く激しくなった。
「できるようになるまで一緒にいてくださいってお願いしたのは春樹じゃないのか?男が一度言い出したことを簡単に引っ込めるのか?できるようになるまで泣き言を言ったらパパは何度でも叩くからな」
「でも・・・、これを見てよ」
春樹と呼ばれた少年はそう言いながら父親に自分の手を見せた。
「まめができて皮が破れて痛いんだ。もう鉄棒握るだけで辛いんだよ・・・」
春樹の弱弱しい声に父親が動いた。またビンタされると思い、少年は目をつぶった。だが、痛みはいつまでたっても来なかった。かわりに両肩をがっしりと両手で掴む父親の顔が目の前にあった。その目は険しくもなく、怒りすらなかった。ただ、何かを伝えようとする真剣なまなざしがそこにはあった。
「なあ春樹、お前が掴んでいるのは鉄棒じゃないんだよ」
「どういうこと?逆上がりの練習してるんだから掴んでるのは鉄棒でしょ?」
春樹の問いかけに父親は静かに首を横に振った。
「お前が掴んでいるのはな、自分にとって一番大事なものなんだ。大人になってから見つかる好きな女の子の手かもしれない。そうじゃなかったら自分にとって一番大切な心なんだよ。それが人に対する優しさなのか、あるいはこれだけは許せないって気持ちなのかもわからない。それは春樹が自分で見つけるしかないんだ。辛くても絶対に離すな。これは逆上がりの練習じゃない。お前が大事なものを辛くても絶対に手放さずに目標をやり遂げる練習なんだ。わかるか春樹?逆上がりもできずに大事なものを手放さずにいられるわけがないんだ!」
父親の真剣なまなざしと言葉からにじみ出る気迫が、春樹の弱りきった身と心を少しづつだが確実に立ち上がらせた。
「よくわからないけど、まだやるよパパ」
「おしその調子だ!さ、続けるぞ」
背中を強く叩かれて練習の続きを促された春樹は再び鉄棒を握り締めた。痛みに春樹の顔がゆがむが、父親のさっきの言葉が頭の中で何度も何度も繰り返されていく。
辛くても、大事なものを手放すな。
さっきと同じように何度も駆け上がっては地面に落ちる事を何度も繰り返した。でももう、泣き言は言わない。父親の叱咤もさっきよりは前向きで荒々しさは徐々に薄れていく。物心がつきかけた春樹にも、もう少しで逆上がりができそうな手ごたえが実感としてあった。
「地面を蹴ったらな、思いっきり体で鉄棒を包みこんでそこから体を起こすんだ。もう少しでできるから、さあ!」
父親の声に突き動かされ、春樹は何度も繰り返してきた作業を始めた。
大地を蹴って地面を離れた春樹のつま先がきれいな放物線を鉄棒の前に描いた。