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大学の中には、談笑室が設けられている。
勉強をする人の邪魔にならないようにする、リラックスができる場所。
ジュースはもちろんカップ麺やアイスの自販機も置かれていて、ポットも備え付けてあった。
いつも通りリュックを背負う夏帆はティーバックを二つ使い、紅茶を作って紙コップを持ってきた。
椅子に座る時も、大きなリュックを背負ったまま。器用に椅子に腰かけていた。
夏帆は、自分で入れたホットレモンティを飲んでいた。
「草薙君、がんばりすぎ。昨日、何時に寝たの?」
「えーっと、朝。なんだか眠れなくて……」
「だめよ、睡眠は美容の天敵」
などと言いながら、あまり化粧と縁遠い夏帆はつぶやいていた。
「夏帆、でも……僕たちのやっている研究は」
「研究に熱心なのはいいわ。でもハードだけを作ってもソフトがよくないと、普及できない」
「どういう意味かな?」
「そのままの意味よ、シスコン草薙君」夏帆は僕を凝視してきた。
「そうだ、僕はハイパーシスコンなんだよ」
「ねえ、草薙君。彼女のために、自分を忙しくしたい?」
元気なく僕は、紙コップを持って言い返した。前の夏帆は、相変わらずの落ちつた顔を見せていた。
持っていた紙コップ内には、ただの透明なお湯が入っていた。
いきなり話をすり替えてきた、夏帆。そして、それは僕の心理をついていた。
「そんなことない、大丈夫」僕は苦笑い。
「嘘ね」夏帆は鋭い視線を送ってきた。
たまにわからなくなるのが、夏帆の特徴。
服装だって、黄色いニットセーターと思えば、灰色のミニスカートとミスマッチ。
天然というか、自由奔放というか、個性的というか、でもよく見ている。
いろいろあってよくわからない人物だよ、夏帆は。
「泣きたい時は泣いてもいいの、私は妹さんの代わりになれるわ」
「なれないよ、なれるわけが……ない」
「でも苦しいんでしょ」
「何を言い出すんだ、夏帆」
不意に思い出した僕は、なんだか悔しくなっていた。
でも、直ぐに頭をブルブル振って夏帆をじっと見ていた。
夏帆は、僕の顔を逸らさずに見ていた。
「だから頑張る、妹さんのことを忘れるために研究を頑張るのね」
「弥生は関係ない!僕が言いたいのは……」
「そう、関係ない。でもあなたは、やっぱり苦しんでいる。それは仕方ないこと、助けが必要でしょ」
夏帆は、死んだような目で僕の方を見ていた。
「だから、関係ない……はずもない。弥生はね、僕にとって体の一部なんだ……忘れるなんかできない」
嘆いた、悔いた、頭を抱えた、体を震わせた。前の夏帆は背負っていたリュックを下ろした。
「これを読んで」そういって、いつの間にかリュックサックから取り出したのが一冊の本。
文庫本ほどの小さな本で、『存在学会入門書』と書かれていた。
「なんだよ、夏帆?」
「学問は、あなたの苦しみを解き放つ道標になると思う」
「えっ、だから苦しみとか……」
「このままでは、あなたは死ぬ。だけど、それはさせない」
そういいながら夏帆は立ち上がって、研究室の方に向かっていく。
僕も、夏帆を追いかけて行こうとしたとき、
「あなたは一度、時間をかけて学ぶべきだわ」
その一言を言い残した夏帆は、廊下の奥へと消えて行った。