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それはあまりにも、理不尽で不可解な出来事。
僕は、目の前の男性を見て憤っていた。
「なんだよ、こんなのありえない……」
僕の名は、『草薙 駿』。大学四年生、卒検合間の夏休みに実家の式部島に戻っていた。
式部島の実家で、僕は怒りに震えていた。
和室でスーツを着た男が、大きなテーブルを挟んで向き合って胡坐をかいた。
少し暑い八月、軒先から日の光が差し込んできて明るかった。
この家で、僕らはある事件の説明を受けていた。
それは『フェリー座礁事故』、定期船に乗っていた僕の妹『弥生』は帰ってきていない。
一か月近くも戻ってこない、明らかにおかしいその事件。
定期船を運航している会社の人を呼んで、事情聴取をしていた。
「とはいっても、草薙さんね。
娘の弥生さんは七月十九日の最終便、連絡船の方には乗り込んでいません」
「うそだ!」
前にいたスーツを着た三十代の若い男は、こうべを垂れてテーブルにおかれた紙を眺めた。
書かれている紙は、乗船名簿。名簿を見ることで、男は視線をそむけていた。
「そうはいっても、乗船名簿にも載っていませんし……」
「それはない!弥生は約束を破らない、絶対に帰ってくる子だ!
現に十九日の朝、この家を、この島を出ている。式部島に戻る方法は、あの定期船しかない。
最終便に乗ったのを、見た証人だっているのだ!」
目の前の男に、厳しい視線を浴びせる着物美女。口を一文時に結び、スーツの男を睨んだ。
紫色の着物に青い帯の女性は、綺麗な姿勢で正座をしていた。
彼女の名は、『野村 冬子』。僕と弥生の叔母だ。
両親のいなくなった僕たちのことを、親代わりとして養ってくれた。
髪を結わえている冬子さんは、四十代という年齢以上にかなり若々しく見えた。
「そうはいってもね……記録は残っていません」
「では、弥生はどうしたっていうんだ?
あれから一か月もたつ、新聞だと全員救助と書かれているけれど弥生はどこにいってしまった?」
冬子さんは、落ち着いた声を吐いていた。
「それは、知りません。ですが、この『フェリー事故』は何の関係もありません。
別の案件でしょう、もしかしたら夢でも見ているんじゃないですか?」
「何を言う!」僕は、バンとテーブルを激しく叩いた。
「それはこちらのセリフよ。冬子」
押し問答が続く中、そこに一人の女性が入ってきた。鼻にかかる大きな眼鏡をかけた、インテリなおばさん。
穏やかな顔で、カーキ色のスーツを着ていた。
「結局のところ、捜索でもなにも出ていないですわ。
冬子、結果が出ているんだからどうしようもないことなのよ」
そういいながら、ポケットから取り出した一枚のメモをテーブルに置いた。
難しい顔で冬子さんは、テーブルにおかれたメモを手に取ってすぐに投げ捨てた。
体を小刻みに震わせて、目をにじませていた。
「弥生はね……私の子じゃないの。彼女は、妹が命を懸けて守った大事な子……」
「では、どこで見つかったの?捜索だっていつまでも無限じゃないの。
それに、こういう事故は結構多いの。離島のさだめ。あなたはまだ離島生活が短いでしょ」
眼鏡の女性は、俺たちに諭すように言ってきた。
そのまま隣のスーツの男性は、立ち上がっていた。
「残念ですが、捜索は打ち切ります。
新聞に書いてあったとおり、この事故は既に解決しているのだから」
「弥生は……」
「ごめんなさい、これ以上はできないの。分かってあげて、冬子」
女は言い残し、スーツ男と一緒に部屋を退室した。
取り残された冬子さんは、退出を見送ることなくその場で袖に顔を隠していた。
「冬子さん……」
「駿君、ごめんね」冬子さんの声が震えていた。
畳の上に置いてある、少し古ぼけた新聞を取り出した。
『フェリー座礁事故、全員無事、奇跡の船長』そう書かれた、一か月ほど前の新聞。
僕は、泣いている着物女性の冬子さんの肩に手を寄せた。
「駿、あなたはこの記事を信じないでしょう?」
冬子さんの声が、震えていた。涙を拭いて、いつも通りの気高く大人の女性の顔を僕に見せていた。
「もちろん信じない、弥生がいなくなるなんて信じたくない」
「そうだな」冬子さんは、苦い顔を見せていた。
「だからこそ、僕は真実を知りたい。弥生が、なぜ急にいなくなったのかを。
僕は間違いなく見たんだ、弥生が薪島に嬉しそうに旅立ったあの日の朝」
その言葉と同時に、僕の頭に弥生がこの家を出たときの嬉しさを押し殺すような顔を思い出す。
「ええ、そのためにもやるべきことがあるわ。私は弥生を、見つけ出すから。
駿、あなたはあなたとしてやるべきことを続けなさい」
「僕も探しに……」
「ダメよ、あなたはまだ学校を卒業しなさい。あなたは、学生でしょ」
冬子さんの顔には、もう涙はない。輝いているようにさえ見えた。
彼女は、立ち上がって右手を力図よく握りしめた。それを座ったまま僕は見上げていた。
「一人じゃ、可哀そうだからね。弥生」
冬子さんは笑顔を見せると、僕は悲しそうな笑顔で同意した。