イリュージョン・スピン
腐れ縁だか悪友だか恋人だか分からないけれど、俺の隣には吉行まいこという女が歩いている。
まいこはフィギュアの箱を3つ抱えている。俺はそれと同じような箱を4つ持ち、手首にはゲームセンターのロゴが入ったビニール袋を提げていた。缶ジュースがじゃらじゃら音を立てている。
全部クレーンゲームの景品だ。始終、吉行まいこがアームを操った。俺はそれをアクリル板越しに見ていた。
まいこはものすごくクレーンゲームが得意だ。
いつも少ない金で豪華な商品をゲットする。ゲームのときは狩人の目になり、針を垂直に突き刺すがごとく、アームの座標をぴったり合わせる。
よく分からないが彼女は、掴むというより引っ掻くようにアームを当て、転がしたり、爪で弄んだりする。そういうのが得意なんだろう、多分。素人のぼくでも、そういうプレイングは見てて飽きなかった。
「出禁にならないように、ほどほどに取ったら別の店に移動するんだよ」
「手間がかかるな」
「でも私、どこ行ってもほぼほぼ初見でも取れるんだよね。空間把握能力にたけてるから」
「うん」
彼女が、空間把握能力にたけてると言ったのは、これで20回目くらいだ。
吉行まいこは、渦巻きの描かれたメガネを指でつまんだ。髪はぼさぼさである。今日はまいこの家で遊ぶことになっていて、空は天気雨が過ぎたあとの晴れだった。
「懐かしいな、昔見てた」
まいこは箱にプリントされたフィギュアのキャラを見ながらうっとりした。
ふりふりのコスチュームを着た、白い長髪の女の子がステッキを持ってポーズを決めている。
「どんな魔法少女なの?」と俺が訊くと、それはガン無視して「昔、ほんとにこの子になりたかったんだ。やっぱりいいものだねぇ~」
半端に口角をあげながら言った。
「今やってるやつも、子どもには分からないニッチなネタがあって、色んな人が楽しめるんだ」
「へー」
こんなに景品を取るのが上手いなら、通販で売りまくったらいいのにと思うが、それを言うと酷く怒られた。転売は駄目らしい。
転売について話しだすと、まいこは口調が荒くなる。でもそれはそういうオタクのノリらしく、怒りを表明するときはひどく誇張し、多少気に入ったものを神と呼んだりする。
俺は彼女の話を聞きながら、ぼんやりと空を見上げた。シギだかサギだか分からない、クチバシがぎょっとするように大きい鳥が飛び、やがて魚のいそうな水辺でも見つけたのか緩やかに下降していった。見えなくなってから、クワッ! という声が聞こえた。
「クワッだって」とまいこ。
家に行く途中、難所があった。それは庄野さん家の犬小屋である。田舎だけど、そのなかでは、まあ栄えているほうの立地にある。廃ビルの影になっていて、昼でもまいこのようにうす暗い。
家の前は、車一台通れるくらいの路地なのだが、犬のリードはその幅いっぱいに届く。そして端まで行ってもまだ、たわんでいる。
庄野さん家の犬は乱暴な柴犬で、なんらかに噛みつかないと気が済まない性分らしい。
ちなみに庄野さんとは面識がなく、表札を見て知ったまでだ。
「がう! がう!」
歯並びがいい。小柄なのにもかかわらず、牙が鋭い音を立てる。
ぎりぎりリードが届かない場所から俺は犬を眺める。
「この犬、役所から怒られたりしないのか?」
「私たちしか、通らないからね」
「というか、なんで俺らはこんなとこ通るんだよ。ここ無駄に遠回りだろ」
「へへ、犬……」とまいこは腰を屈めた。そのあと、俺へと向き直り「箱貸して」
「あ……うん」
俺は彼女に箱を貸した。吉行まいこは片方に4箱、もう片方に3箱という昭和の出前みたいな格好になった。
ふらふらしていて、見るからに危なっかしい。俺が自分で持とうとしても、まいこは意地でもこちらから剥ぎ取ってくる。
両手が小刻みに震える。まいこは後ろにふらついたかとおもうと、危うく箱を落としかけ、しかし、ぴたりと持ち直しながら前のめりになって勢いをつけ
「ひ、ひ~」
何度も8の字を描いて駆けずり、そのたんび転びそうになりながらも進んでいった。やかましい声を出すが、庄野さんの犬よりはマシだ。
そして、彼女はある地点で体勢を整え、向こう目掛けて小走りになった。
リードは伸びきり、反動で犬が後ろに跳ねる。犬は悔しそうな顔をした。
悔しそうな犬を見るためか俺を見るためか、まいこは後ろを振り向いた。箱がぐらぐら波打っている。
「へへ、ゴール……さあ次はそっち」
吉行まいこは口角を上げた。
「ほら、さあ……」
「はやくはやく……」
「いいからいいから……」
「わあったよ」
俺は走った。案の定犬は追いかけてきた。半分も行かないうちに噛みつかれそうになったが、俺が電柱を軸にぐるぐる回ると、犬もそれにならって回り、リールが柱に何重にも巻き付いた。
犬は計らずも電柱に固定されて、路地いっぱいに「くぅん」と寂しい声を響かせた。
俺も目が回るが、ぐるぐるバットの要領でそのまま駆け抜ける。
「が、頑張って」
「ほらほら」
「ダッシュダッシュ」
「あ、そこ《《かべちょろ》》いるから踏まないで……頑張って頑張って」
「う、うるせえ……ていうか頑張ってるから。頑張ってねえように見えるか、これが」
回る景色と、まいこからの声援で頭が悪夢みたいになりながら、俺は向こうに辿り着いた。
「到着……」と俺。飯を抜かしてきてよかったと、胸を押さえながら思う。
「な、なんかごめん」
「別にもういい」
それから彼女は犬に向かって眉を下げた。
「こっちも、ごめんね」
俺も犬に謝ることにした。不本意だが。
「すまん」
俺はさっきの分の箱を彼女から引き取った。遠くで工事の音がした。
いつも俺は塀の上を歩いて、犬の猛攻を逃れているが、今日はなんとなく地上を駆け抜けた。
「またね、ポチ」
犬が自力でリールをほどくと、まいこは遠巻きに見守りながら言った。まいこは、いつもあたふたと逃げ回っているが、箱を落としたことがない。
少し歩くと、頭上の陽光が強くなった。大通りに出た。
ぼくらはこの町にある大学に通い、そして暮らしていた。生活に不便しないほどよい田舎だが、車はあったほうが絶対よかった。
まいこは医学部キャンパスに、ぼくは文学部キャンパスに通っている。両キャンパスの距離は徒歩だとすこし遠い。しかし、それ以外でこの町の交通について困ったことはない。
まいこの歩幅は大きいので、しばしば、俺が後ろになる。どんくさそうな背中だ。
そして、まいこの体はよくみると《《きらきら》》していた。晴れ空に輝く光の筋──クモの糸がからまっていた。
きっと、庄野さんの家の前で付いたのだろう。
それとゲームセンターから出るときも、薄暗くて汚い路地を行った。
びちゃびちゃの駐車場にヤンキーがたむろしていて、吉行まいこはそれを見て「魂が汚濁する」などと呟き、俺を顎で指示して、わざわざそこを行かせたのだ。
彼女の身長が170後半くらいある分、たくさん絡まっていた。両手が塞がっているので取ることはできない。吉行まいこは雨後の晴天に体をきらめかせ、水たまりを避けながら歩いた。
途中、彼女のバイト先に寄った。
「いらっしゃいませ、お、まいこ!」
鈴が鳴ると同時に爽やかな声が聞こえた。ペットショップである。
「へへ、こんにちは」
「どうしたの今日は」
「あ、ちょっと買い物──いや、新しい仲間を迎え入れにきて、それと荷物置きに」
ふたりの会話を遠巻きに見守った。
まいこは同僚と上手くいってるので、俺は手持ち無沙汰になる。つまらなくなって、飼育箱の生き物に目を向けた。
入り口近くにはイグアナ(?)のケースが置いてあった。そいつがコバエを食べた直後、吉行まいこが
「あのぅ、バックヤードに置いてきますね」と同僚に言う。
「りょうかい」
吉行まいこは仕事の手際がいいし、なんだかんだ話が面白いので慕われている。
だから多少の無理も許されているらしいが、慕われているからといって、仕事のスペースにフィギュアの箱を置きまくるのは許されることなんだろうか。
まいこは景品を抱えて裏のほうへと歩いていった。俺は箱を持ったままである。
まいこがいない間、イグアナを眺める。ほかのトカゲと違うのは、アゴが袋みたいになっているということだ。それ以上に殊勝な感情はない。
イグアナは退屈そうに口をパクパクさせ、またコバエを食べた。
「ねえ弟くん」
吉行まいこの同僚の女子大生が話しかけてきた。
ボブカットで、ワインレッドのカラコンをつけていて、目元がなんとなくミステリアスだ。俺は弟ということになっている。
「な、なんでしょうか」
「弟くんの好きな動物ってなに?」
答えづらい質問だなと思った。俺は周囲のケージを見渡す。
「強いて言うならクモでしょうか」
変なチョイスになってしまい、恥ずかしい。
「なんで」
「ええっと、怖そうに見えて──少なくとも近所にいるやつは無害というか、ええっと無害ですし」
すると女子大生は「むふふ」という勝ち誇った顔をして「それは君が人間だから言えるんだよ。虫だったらどうする?」と言った。
「ぼくが……ということですか?」
「うん」
俺はしばらくの沈黙のあと「勝ち目ないですね」と言った。
やがてまいこは景品をひとつだけ減らして戻ってきた。そしてクモを購入した。
どうせヤードに置けるならもっと置いてくればいいのにと思っていると、彼女は景品の減り分を、クモの飼育箱でぴったりと補った。
俺たちは店を出て、帰路を辿った。天気雨が過ぎたあとは、空模様は安定している。風はなく、雲は動いてないように思える。道沿いに水位がとても低い川が流れ、コイが背びれを突き出して泳いでいた。
俺たちは古い住宅街を歩いていく。
吉行まいこは、ショベルカーに切り崩される工事現場や、傾いた廃屋や、石切りをする少年なんかに目を向ける。
そういう吉行の目移りは俺らにとって日常風景であり、それに気が飛んでるまいこに話しかけても、だいたいクレーンゲームのことしか返ってこない。
「あの動きに、ヒントがある気がするんだ」
まいこは箱を抱えたままバランスを崩す素振りは見せない。胸が邪魔なので、気持ち前方へと遠ざけている。フィギュアの最上階で、黒いクモが小躍りしている。
住宅街の隅っこは山に近い。この周辺は軒が疎らで、イノシシ注意の看板や、野生動物対策の柵が目についてくる。
木の上から糸を伝って芋虫が降りてきたので、俺はそれを息で払いのけた。
ゲームセンターからだいぶ歩いたような気がするが、体感よりはずっと短い距離だ。
家についたころには汗をたくさんかいていた。雑木林を目前にした、国民的アニメのそれみたいな一軒家が、吉行まいこの家である。なんとここにひとりで住んでいる。
曰く付きの物件なのか、見えないところがボロいのか、もしくはまいこが大金持ちで大枚をはたいて買ったのかは分からないが、とにかくひとりで住んでいる。
玄関に入る。ところどころ汚れの目立った廊下が途中で直角になって延びている。
靴箱があって靴べらがあって、花の生けてある花瓶がある。湿った花弁のラッパを覗くと、その中に小さなクモが丸まっていた。
階段が見えるが、窓からも照明からも遠いせいで薄暗い。
今日は行かなさそうだが、2階には吉行まいこのオタクルームがあり、まあ、なんというかとにかくステレオタイプのアニメ部屋(?)である。
ステンレスの棚にフィギュアが飾られ、大好きなキャラのポスターがデカデカと飾られていた。
勉強机にはクレーンゲームについての研究と題し、文系のぼくには頓珍漢な数式がノートに書かれている。
勉強机は前の居住者が置いていったのだ。この家には、ところどころに古い生活感が染み込んでいる。
「ささ、早く」
吉行まいこは玄関に景品を置き、俺も景品を床に並べ、引っ越しの荷物みたいに寄せ集める。
そこから飼育箱を取って、リビングに行くことにした。景品で取った常温のジュースも飲むので持っていく。
「ちゃんと足元気をつけてね」
「へい」
「いるかもしれないから……」
そうやって板目を注視しながら歩いていくが、今日はなにもいない。
リビングの前にはカレンダーが掛けてあり、もうデジタルの時代だから当然なのだが、だいぶ昔からめくられていない。妙な感じだ。
リビングへのドアには磨りガラスが嵌まっている。
「開けるね」と吉行まいこ。
「うん」
ドアを開けた瞬間、小さいクモが3匹お出ましした。どこの家にもいるようなハエトリグモだ。
しかしそれは序の口で、部屋中を見回すと、真っ黒の絨毯が敷かれているようで、よく見ると細かく波打っていた。波の上ではモンシロチョウがヨットのように運ばれ、やがて黒い群体に呑まれてしまう──
みたいなイメージを、はじめて招かれたときに思い描いたが、いざ蓋を開けてみると、リビングには平均10匹程度しかいなかった。
今日はさっきのハエトリグモ3匹だけで、ほかにはいない。きっと物陰に隠れているのだろう。
このことを本人に話したら「も、もっと驚くかと思った」と返されたが、俺は拍子抜した。安堵もしたが。
もっと放ちたいらしいが、踏んでしまったら悲しいのでこれくらいに留めているという。
たまにほかの部屋のクモがぞろぞろやってきて、50匹近くになることもあるが、そのときは流石に驚いた。
「相変わらずの部屋だね」
「クモの動きって、参考になるから。しかも結構愛着も湧いてくるんだ。無害だし」
「いや、そうじゃなくて。ほかにあるだろツッコミどころ」
俺は床をぐるっと見渡した。テレビやソファーなんてないまっさらな部屋で、一面をフィギュアの箱やぬいぐるみが埋めていた。
まるでクレーンゲームの筐体の中みたいだ。クモなんてどうでもいいくらいの、衝撃的な散らかりっぷりだ。
俺はさっき運んできた景品を、この散乱のなかにぶち込んだ。
「どこ歩けばいいんだよ」
「適当に……あ、クモ」
まいこは、どんくさそうに見えて要領のいい足取りで進む。
「私の場合は向こうから察して、避けてくれるんだ」
「クモの親玉みたいだな、お前」
それでも、ただ散らかっているだけなので、不思議と汚らわしくは見えない。足元を駆け抜けるクモは別だが。
「興味のない作品のフィギュアとかはここに置いてるんだっけ」
「うん」吉行まいこはふふっと笑う。「なかなか取り甲斐がありそうだから、片っ端から貰っちゃうんだ」
「全部同じ形じゃん」
「違ぅ、からぁ……。中身が違うと動きが変わってくるんだよ」
「へえ」ととくに興味もないので聞き流し「じゃあ、取ったらほかの人に配ればいいのに」
「あぁ……それもそうか」
そう言って、吉行まいこは先ほど購入したクモを放流し、飼育箱はそこらへんに置いて窓際へと歩み寄る。
「邪魔なんだよね……これ」
「まったく、よく買ったよ」
壁に接して大きなクレーンゲームの機械がある。景品はなにも入っていない。
まいこは自腹で筐体を購入し、練習のために使うんだと息巻いて部屋まで入れてもらったものの、たしか電気代が冗談みたいな桁で、ずっと手すら触れてないそうだ。
空っぽの筐体を覗いてみると、なかでクモがハエを食べていた。
吉行まいこはきょろきょろした。クモの姿は見えない。
「みんな引っ込み思案モードだね。今日は羽根を伸ばさせそうだ」
吉行まいこはそう言って小窓のそばに寄った。小窓の下辺には、観葉植物やネコなんかを置けそうな小さな段になっている。彼女はカーテンを開き、そこに腰を掛ける。昼の光が流れ込む。ぼくは目を細めた。
彼女は庭をバックにふふっ、と笑う。体に巻き付いたクモの巣が光った。
「今日はどうやって遊ぼうか」
吉行まいこの影が、外光に倒されてぼくに届いている。リビングには、幾重にも張り巡らされた糸が、スパイ映画のレーザーみたいに浮き上がっていた。
クモの姿は見えなかったが、気配は感じられた。箱に隠れてちらほらいるのだろう。
俺は吉行まいこへと向き直り、彼女の体を見上げる。ペットショップでの会話を思い出した。
俺を弟だと思い込んでいた女子大生が、君が虫だったらクモは怖くないのか、と言っていた件だ。
多分彼女は吉行まいこについてよく知っていたから、あんなことを言ったのだろう。
いまいち実感が沸かないが、人間が虫の大きさだと考えると、熊か、下手したらそれ以上に怖いかもしれない。でもぼくは虫くらいの大きさではないので怖くはない。
ただ、虫がクモの獲物で、景品がアームの獲物だとすれば、俺は……。
そう考えはじめたころに、吉行まいこは座ったままぼくの袋から景品のエナジードリンクを取り出して、ぷしゅっ、とタブを切って飲んだ。常温だ。
エナジードリンクは、大学生に流行りのカフェインが強いものだった。
「に、逃げちゃ駄目だよ」
吉行まいこは、もう一本を取って開け、その飲み口をこちらへ近づけると、メガネを指で傾けて、へへ、と笑った。




