第12話 サンルードの血脈 ―― 狂人の血
執務室に漂う酒の匂いも、忘れてしまうほどの言葉だった。
ブルードの口から放たれた言葉が、頭の中で反響していた。サンルードの血が、レンドルに流れている――。
レンドルは、一瞬、呼吸を忘れた。
「……え? 俺が、聖人サンルードの血脈、ですか?」
あまりの唐突さと、意味の分からなさに、疑問で返すことしかできなかった。
「神殿の聖跡で得られる加護は、ヴォルテニアの王族の系譜のみに発現する。そしてサンルードの血とは、ヴォルテニア王の直系そのものだ」
「そんな……」
レンドルは、ブルードの言葉の本質を全く理解できなかった。王族、サンルードの血、貧乏騎士爵の我が家に、そんなものがあるはずがない。
「いや、おかしいです。俺の両親からそんな血筋の話なんて、一度も聞いたことがありません」
「……そうだな。俺も聞いたことがない。いや、お前の言う通りだ、そんなはずはないんだ。……俺は……なぜ、そんなことを……」
ブルードは混乱したように頭を押さえた。ここまで酷く泥酔し、動揺しているブルードを、レンドルは見たことがなかった。
「それは、絶対に確かなことなんですか?」
「……絶対、ではないかもしれない。だが、王の系譜でなければ不可能なはずだ。……それに、サンルードしか、この地には来ていないはずなんだ……」
最後のほうは独り言のように呟いていた。ブルードは眉間に深い皺を寄せ、自身の記憶を激しく探るように考え込んでしまった。
その姿は、あまりにも奇妙だった。もし本当に血が流れているなら、レンドルは外洋の大国、神聖ヴォルテニア帝国の王族に連なる一員だ。だが、現実は地方の貧乏貴族だった。侯爵であり、この国の偉人とも称されるブルードが、そんな重大な事実を見誤るはずがない。
ブルードはうつむいたまま、ぶつぶつと何かを呟き、そのまま黙り込んだ。
「母は間違いなくエルフですし、父もブレイズ家で元は平民上がりです。本当にヴォルテニア王族の血が流れているなら、父の方のはずです……それなら、もっと早くに軍や国が騒いでいるはずです」
「うむ……確かに、その通りだ。……俺は何をおかしなことを聞いたのか。――酒のせいだ、忘れてくれ。お前は間違いなくファレンの息子だ。ブレイズ家に王の血など流れているわけがない」
ブルードは短く整えられた髪を、右手で乱暴にかき上げた。
「お前が生まれた時から知っている。その顔立ちはファレンに間違いない。誰がどう見ても――」
うつむいたまま、ブルードの言葉はそこでぷつりと途切れた。
もしかして、父以外の子だとブルード教官は疑っていたのか。
母に限ってそんなことはない。お父さんにそっくりね、そう何度も母に言われた。
「すまん、エルザがそんなことをするわけがない……」
ブルードが絞り出した言葉は、レンドルの考えを見透かしたような答えだった。
「……父に聞いてみたら、何か分かるかもしれません。実は、父が王族の隠し子だった、とか……」
「いや、待て」
ブルードが鋭く遮った。顔を上げたその表情には、得体の知れない悲壮感がにじみ出ている。
「俺が直接、ファレンに聞きに行こう。他にも、あいつとは話さねばならんことがある」
レンドルはそれ以上、言葉を重ねることができなかった。ブルードの眼光があまりにも鈍く、それでいて狂気を孕んでいるように見えたからだ。これ以上この話題に踏み込むのは、本能が拒んでいた。
ブルードは深く息を吐き出し、いつもの教官の仮面を被り直した。
強烈な酒の匂いが、レンドルの鼻腔を突く。
「俺は、サンルード様に恩を返したくてな。その血筋を保護しているんだ」
「……そうだったんですね。驚きました」
「明日は、お前の苦手な歴史の講義だ。きっちり予習をしておけよ。……では、下がってよろしい」
「はい。失礼いたします」
レンドルは敬礼をとり、執務室を後にした。
「……レンドルが……狂人の血なわけがない……」
背後で、消え入るような呟きが聞こえた。
誰にも話していないが、エルフの血を引くレンドルは、通常の人族よりも遥かに耳が良い。
だからこそ、己の耳を疑った。
ブルード教官が確かに呟いた言葉。
狂人の血。聖人サンルードの血を、そう呼んだのだ。
振り返ると、ブルードは机に両肘をつき、うつむいたままぴくりとも動かなかった。まるで、そのまま深い眠りに落ちてしまったかのように。
レンドルは今度は深く軍礼を捧げた。
そして、外に居た衛兵の手によって静かに扉は閉じられた。
廊下の先からは、赤黒い夕暮れの光が差し込んでいた。
石畳を踏み締めるレンドルの足取りが、自然と緩んでいく。先ほどの会話が、脳裏で激しく渦巻いていた。
なぜ、あんな剥き出しの殺気と鋭い眼を向けてきたのか。
あの人は、自分の放った殺気に気が付いていなかったのか。
レンドルの足が、完全に止まった。
何かを、致命的な何かを隠している。――直感がそう告げていた。
国中から称えられるべき聖人の血筋を、一体誰から保護しているというのか。
そして、その保護されたはずの血筋の人間たちは、今どこでどうしているのか。
王族の血。とても信じられることではなかった。
レンドルは、一刻も早く父親に話を聞きたいと、そう思わずにはいられなかった。
背後で、複数の重い足音が近づき、先ほどの執務室の扉が開く音が聞こえた。交代の衛兵か、あるいは別の用人だろうか。レンドルは振り返ることなく、再び歩き出した。
――狂人の血。
その悍ましい言葉の響きだけが、いつまでも耳の奥にこびりついて離れなかった。




