第13話『法の執行人と、無法の王様』
コール音が、静まり返った店内に、やけに大きく響き渡る。
数回のコールの後、電話の向こうから、聞き覚えのある、凛とした声が聞こえた。
『はい、男性保護課、橘です』
「あ、あの…先日、お世話になりました、佐藤悠真です」
『佐藤さん。どうしましたか?何か問題でも?』
橘さんの声は、相変わらず冷静で、事務的だった。
俺は、唾を飲み込み、簡潔に、しかし強い口調で状況を説明した。
「俺の相方の…サヤの個人情報が、ネットに晒されています。神木レイジという配信者に、扇動されたようです」
『……!』
電話の向こうで、橘さんが息を呑むのが分かった。
一瞬の沈黙。
そして、彼女の声のトーンが、明らかに変わった。
冷静さは保っているが、その奥に確かな怒気と緊張が混じっている。
『…神木レイジ、ですか。分かりました。すぐに動きます』
「お、お願いします」
『いいですか、佐藤さん。あなたたちは、絶対にネット上で反応してはいけません。下手に反論すれば、相手を喜ばせるだけです。証拠となるサイトのURLや、スクリーンショットを、できる限り保存しておいてください。いいですね?』
「は、はい…!」
『詳しい話は、後ほどこちらから連絡します。とにかく、今は何もしないでください』
一方的にそれだけ告げると、電話は切れた。
だが、その的確な指示と、力強い声は、俺の心を少しだけ落ち着かせてくれた。
「…神木レイジって、一体何者なんですか?」
電話を切った後、俺は玲子さんたちに尋ねた。
あの橘さんの態度を、あそこまで変えさせるほどの相手。
ただの配信者ではないことだけは、確かだった。
「この世界で、一番有名な男性配信者さ」
玲子さんが、重い口を開いた。
「いや、もう配信者って枠には収まらないかな」
真琴さんが、苦々しい顔で言葉を継ぐ。
「あいつは、ネットの世界の『王様』だよ。初期から活動していて、そのルックスと、徹底した『俺様』キャラで、女性たちの圧倒的な支持を得てる」
玲奈さんも、静かに頷いた。
「彼の言葉は、ファンにとっては絶対なんです。彼が『黒』と言えば、白いものでも黒になる。彼が『こいつは敵だ』と示唆すれば、膨大な数のファンが、自主的にその相手を見つけ出し、徹底的に攻撃を始めるのよ。…彼自身の手を汚すことなくね」
つまり、俺たちは、ネットの世界の独裁者に目をつけられてしまった、ということか。
その事実に、フロアに、再び重い空気が流れる。
相手が、あまりにも巨大すぎる。
サヤの身体が、小刻みに震えているのが分かった。
「…あたしの、せいで…」
俯いた彼女の唇から、か細い声が漏れた。
「ごめん、ユーマ。あたしが、調子に乗ったから…。ユーマまで、巻き込んで…」
その言葉に、俺の中で何かが、プツリと切れた。
「ふざけんな」
俺は、サヤの前に立つ。
彼女は、驚いたように顔を上げた。
「何言ってんだ。悪いのは100%、あいつだろ。なんでサヤが謝るんだ」
「で、でも…」
「あんたは何も間違ってない。俺とコンビを組んで、面白いことをしようとした。それだけだろ」
俺は、サヤの目を、真っ直ぐに見つめた。
そして、この世界の常識では、ありえない言葉を、彼女に告げた。
「震えなくていい。怖がらなくていい」
俺は、彼女の震える肩に、そっと手を置く。
「…俺が、あんたを守るから。絶対に」
シン、と。
店の中の、音が消えた。
サヤが、息を呑んで、俺を見つめている。
玲子さんも、美咲さんも、真琴さんも、玲奈さんも、全員が信じられないものを見るような目で、俺を見ていた。
男に「守られる」のが当たり前の、この世界。
その世界で、男の俺が、女のサヤに、「守る」と宣言したのだ。
その異常さを、俺はもう、気にしていなかった。
「ユーマ…」
サヤの瞳から、ぽろりと、一筋の涙がこぼれ落ちた。
だが、その顔は、もう先ほどのような恐怖には染まっていなかった。
彼女の心臓が、ドクン、ドクンと、大きく鳴っているのが、俺には聞こえるような気がした。
俺は、彼女の手を強く握る。
「橘さんには、法律で戦ってもらう。でも、俺たちは俺たちのやり方で、あいつに仕返しをする」
「あたしたちの、やり方…?」
玲子さんが、問いかける。
俺は、全員の顔を見渡して、不敵な笑みを浮かべた。
芸人が、一番輝くべき場所。
それは、ステージの上だ。
「決まってるじゃないですか」
俺は、宣言した。
「次の配信で、あいつの悪口なんか霞むくらい、めちゃくちゃ面白いネタをやってやるんです」
「笑いの力で、あんな奴、ぶっ飛ばしてやりますよ」
その力強い言葉に、俯いていたサヤが、ハッと顔を上げた。
玲子さんが、真琴さんが、玲奈さんが、そして美咲さんが、驚いた顔で俺を見ている。
そして、その表情は、やがて確かな意志を持った笑みへと変わっていった。
サヤは、涙を拭うと、俺の手を、強く、強く握り返した。
彼女の瞳には、もう迷いはなかった。
そこには、俺の相方としての、強い闘志の光が灯っていた。




