──それは感染する──
「──死のうと思ってるんだ」
「なんでェ!?」
ぼくは即座に聞き返したけど、薄々なにを言おうとしてるのかは想像できていた。鹿島が顔を上げた。ぼくの顔を食い入るように見つめている。
そして言った。
「わかってるくせに」
ぼくたちは無言で、お互いをじっと見つめた。先に目を逸らしたのは、ぼくだった。
「窪塚くんも、自殺しちゃったしね」
「うそ!?」
鹿島は返事をしなかった。
視線だけが、どこか遠くをさまよっている。
その目を見ているのが苦しくなって、ぼくは席を立った。
ドアを閉める瞬間まで、沈黙はそのままだった。
どんな顔をしているのか、振り返る勇気も出なかった。
もしかすると、ぼくなんか最初から眼中になかったのかもしれない。
ぼくは速足で歩きながらも、背中に残った沈黙の冷たさは、なかなか消えてくれなかった。それは、昔の自分を見捨てたみたいで、余計に息苦しかった。
*
それから数日が過ぎたころ──。
「正直に手を挙げてほしい。責めたりはしない。犯人捜しもしない。ただ──お前たちを信じたいんだ」
先生の声が教室に響いた。
教室のあちこちで視線が交わる。顔を見合わせる男子もいた。
最初の一人が、ゆっくりと手を上げた。それに続いて、また一人、また一人。ほとんどの手が上がった。
ぼくはまだ挙げていなかった。
直接なにかしたことはない。でも、クラスのみんなが鹿島に冷たい態度を取るのを見ても、ぼくは何も言わずにやり過ごしてきた。
あの日、彼女の部屋を出たときの、嫌な気持ちを思い出す。
自分がきれいな人間だなんて、とても言えない。
……結局、ぼくも手を上げた。
その時だった。
ふと見ると、前野だけが手を下ろしたままだった。
彼女はまっすぐ前を向き、先生を見つめていた。
どうしてこんな時に、前野に目がいったんだろう……。
まあ…前野ならそうだよな。嘘なんてつかないだろうし、本当に、加担したことなんてないんだろうと思える。
今更だよな……、ぼくはもう、なんにも言えない。
とても恥ずかしくて。
*
さらに数日が過ぎた──。
窪塚のことで、PTAやマスコミが少し騒いでいたらしい。ぼく自身はよくわからなかったけど、曽根は「私服の警官が来てたよなァー」とか言っていた。まあ、どこまで本当かはわからない。
全校集会では窪塚の名前は出なかったけど、学校からの”報告”はあったらしい。
先生はそのことで忙しそうで、いつもよりばたばたしていた。
「本当にいいのか? 曽根のほうが近いけど。頼んでいいか? 村上が行ってくれるか」
「はい。前に──」
先生は本当に忙しいようで、ぼくの言葉を待たずに「じゃあ村上、頼んだぞ」と言い残し、さっさと職員室へ帰ってしまった。
鹿島の家には、あの時、一度きりしか行っていない。プリントや給食のパンを、あのあと誰が配達係になったのか、ぼくは知らない。それ以前に誰がその”役回り”をしてたのかも知らないんだ。ぼくが知るわけがない。
だけど、あの言葉が気になっていた。運動会の慌ただしい中じゃなければ、ぼくが「もう一度、鹿島の家にプリントを届けよう」なんて思わなかった。ぼくの偽善なんて、その程度だ。
体操服のまま、ぼくはまた、あの道を歩いている。今回は、押し付けられたわけじゃないので、イライラしていない。
あの団地へ到着すると、コンビニ前の大通りで、田中が手を振ってるのが見えた。親と一緒だ。きっとこれからどこかに、ご飯でも食べに行くんだろう。ぼくが手を振ると、田中は棟を指差して、しきりに首を捻っていた。
狭くて急な階段。運動会の参加賞を手に持って、ぼくは階段を上り始めた。
─404号室─
表札のプレートは抜き取られていて<鹿島>の文字はなくなっていた。
キツネニ ツママレタ オモイダ。。。
忽然と姿を消した。まるでドラマのように…。
「これ……どうしようか」
ぼくは参加賞のミニトロフィーを持って、その場に立ち尽くす。
こんな時に、ぼくは、そんなことを考えていた。
──それは、感染する。
***
●エピローグ:僕が怖かったもの
PS,
先生さえも知らなかった。
まるで夜逃げするように、鹿島の家族は、忽然と姿を消した。
ぼくはずっと、鹿島菌と呼ばれていた”病気”が原因で、鹿島は学校へ来なくなったのだと思っていた。でも委員長から聞いて、それがぼくの思い違いだったことを知った。
委員長から「鹿島さんから」と、四つ角の二箇所だけ三角形に差し入れた、女子特有の手紙折りされたメモを渡された。
『私は、村上くんが小学校の時、
今の私とおんなじだったって、
こと知ってました』
変な改行の入った、意味不明な文章。
ぼくはずっと”鹿島菌”が怖かった。いつまた、ぼくが”村上菌”を発症させてキャリアに逆戻りするのか。
怖かった。
曽根という友達が出来て。部活にも入り。出来るだけ波風を立てないように、嫌な役回りを押し付けられても、心の中でイライラするだけに留めた。
これからもきっと、ぼくはそうして行くだろう。
だけど…。
鹿島はどういうつもりで、これを書いたんだろう?
ぼくが小学校の時に『村上菌』に侵されていたことを知ってるからって、それをぼくに教えたところで、鹿島とはもう会うこともない。
「あいつ……結局なにが言いたかったんだ?」
ぼくは鹿島の部屋のドアの前に、そっとトロフィーを置いてきた。
厳かで誇らしげな参加賞。
ちょっと笑ってしまった。
「参加賞にトロフィーって。なんだか……」
────ぼくの偽善が、また真実に蓋を閉めた。