第五話:感染(キャリア)との接触
「村上くん?」
鹿島は意外そうな顔をした。ずっと引きこもってて、寝起きかも? 勝手に想像してたけど、そんな感じじゃなかった。
「あの……これ。本当は、ぼくじゃなくて、曽根が──あっ! 鹿島の家に一番近いのが曽根だからなんだと思うけど──」
「プリント……?」
「あ……あ、うん。これ」
ぼくが差し出したプリントのうち、学級通信に目を落としてじっと見入っていた。もうクラスのことなんか興味もないだろうと思っていたので、意外な気がした。さっ、と学級通信のプリントを、宿題プリントの後ろへ回し、今度は宿題のほうを見たけど、すぐに顔を上げた。
「ありがとう」
嫌々来たのに、そんなことを真顔で言われて、罪悪感を感じた。何を喋っていいのかもわからない。女子の家まで来てるってだけでも、プリントを届ける言い訳がなければ、特殊なことなのに、ましてや相手は”あの鹿島”だ。
それじゃ、ぼくは帰るから──そう言おうと息を呑んだ瞬間。
「クラスのみんなは? 元気」
帰るタイミングが掴めない。
「みんな? あぁ……心配? してるよ……うん」
クラスでは”みんな”鹿島の”病気”の話で持ちきりなのに、その”みんな”との温度差を鹿島は気づいてないんだろうか? 憐れになった。
「嘘ばっかり……。中、入る?」
「え!?」
思わず大きな声を出してしまった。まさか女子から、それも鹿島からそんなこと言われるとは思わなかった。
「どうしたの」
「いや」
「私がそんなこと言わないと思ってた? って顔してるよね」
鹿島は笑った。”あの鹿島”の笑う顔なんて、初めて見た。
ガタンとチェーンを外す音が聞こえ、ドアの隙間がさっきよりも開いた。反射的にぼくはドアに手をかけてしまった。鹿島は無言でくるりと背中を見せて、部屋の中へ消えた。
(どうしよう……)
「お邪魔しまーす」
鹿島はあっという間に、部屋の奥に消えていた。返事もなかった。
思っていた通り、玄関で喋っていても親が声をかけてこなかったのは、鹿島以外に誰もいなかったからだ。ぼくが「親は?」と聞いたら「うちは共働きだから、遅い」言い慣れた口調で鹿島は答えた。
「あっ」
鹿島が立ち上がろうとしたので、ぼくは「別にいいよ。すぐ帰るし」と言った。
「え?」
鹿島が不思議な目でぼくを見た。
「え? 違ったっ?」
「んーん……」
と言って鹿島が、小さく笑った。
てっきり何か飲む? って意味だと思った。ぼくは恥ずかしくなって、また無言に戻った。
(鹿島と二人なんて、苦痛すぎる……)
冷蔵庫から1.5Lのオレンジジュースとコップ二個をトレーに乗せて、鹿島は、自分の部屋へ行こうと言った。と言っても、襖で仕切られただけの隣部屋だ。
「いつも、なにしてんの?」
これでも、ぼくなりの精一杯の譲歩だ。話が弾まなくても、ぼくに責任は無い。
「別に……」
(やっぱりな)
話が全然弾まない。
「私、ガラケーだし」
「あ、うん、おんなじ。ぼくもだよ」
「だから、テレビとか見てる」
全然話が噛み合わない。鹿島が遅れて言葉を返すので、会話がちぐはぐだ。
「村上くん。喉渇いてたの?」
そんなわけない! 無言がつらくて、ぼくは喉も渇いてないのに、三杯目をコップに注いでいた。
「うん。ぼく飲みすぎかな? 半分も飲んでしまったよ」
「そんなこと、気にすることないのにー」
(気にしてないよ。鹿島さん)
ふと、背中の勉強机の上に、さっきから蓋が開いたままになっている、ノートパソコンに目が行った。よく見ると青く光っている。座り直すフリをして、中腰で振り返り、覗き込んだ。
「あ、うん。パソコンとかもしてる。村上くんは?」
ぼくが覗いても、鹿島は気にも留めていない。さっき一瞬見えたけど、うちの学校のホームページだ。どうして鹿島はそんなサイトを見てたんだろう……。
「うちは親が買ってくれないし、持ってない。あっ! でも、お姉ちゃんは持ってるけどね。たまに借りてやってる。ぼく専用の無い、って意味だけどね」
また、わけのわからない言い訳を……。
鹿島は口元だけで”ふっ”と笑い聞き流してくれた。
◇◇◇
”それじゃ、ぼくは、もう帰るよ”
さっきから何回もその言葉を、頭の中で繰り返してる。いつ言おうかタイミングを見計らっているので、視線が一点に集中してしまい、フローリングの木目が変な風に見えてきて、目がチカチカしている。
「もう、帰りたい?」
俯いていたら急に頭の上から声が聞こえ、ぼくは慌てて顔を上げた。
「帰りたいって言うかっ。……親とか」
言ったあと、鹿島が最初に「親は共働きで遅い」と言っていたことを思い出した。またしばらく沈黙──。
「怖い?」
「なにが」
「私……感染するって。クラスの”みんな”言ってるし……」
「は? 馬鹿馬鹿しい。なにそれ」
とは言ったけど──。うん。
「私さァ。もう──」
と言って鹿島は、言葉を区切った。
ぼくは聞き返す。
「もう?」
なんの感情もない目で、鹿島は言った。
「──死のうと思ってるんだ」