第9話「異世界の勇者、魔法使いの少女と出会う」
王国に古くから伝わる“勇者召喚の儀”でこの世界に勇者として召喚されたリュウと、その王国の第二王子であるシムの2人が王都を出発して最初に目指したのは、隣接する帝国の帝都だった。
目的は勇者一行に対する物資や資金の援助、そして帝国の“魔法研究所”から勇者一行に同行してくれる魔法使いを得ること。帝国は魔法の研究で常に1歩先んじており、魔法学において最先端の知見を得ている。そんな研究所に所属する魔法使いの協力を得られれば、人類の悲願である“魔王討伐”を達成する可能性が大きく上がることだろう。
「君達の申し出はよく分かった。帝国としても魔王討伐は最重要事項だ、可能な限り協力は惜しまないつもりだ。さっそく明日にでも詳細を詰め、可及的速やかに公表するとしよう」
「ありがとうございます」
皇帝の住まう城の一室、自国の閣僚や他国の要人との重要な会議に使われる会議室にて、皇帝とシムが1対1で向かい合わせに座り会談していた。豪奢なインテリアに彩られながらけっして下品ではなく、軍事力と経済力で発展してきた帝国の力強さを表すかのように重厚な印象を受ける。
「君達も長旅で疲れたろう。ここまでの道のりは比較的平穏とはいえ、道中には魔物が跋扈する箇所も少なくない。ここにいる間はゆっくりと体を休め、魔王討伐に向けて英気を養うと良い」
「度重なるご厚意、誠に感謝に絶えません」
「さっそく今夜にでも君達を歓迎する食事会を開こうと思うのだが、勇者殿はそういった行事がお嫌いではないだろうか?」
「あちらの世界ではあくまで一般階級だったと聞いております、あまり格式張った形式ですと委縮してしまう恐れがあるかと」
「成程、参考にさせてもらおう」
皇帝の言葉に再度頭を下げるシムに、皇帝が公式の場に相応しい威厳のある表情をふと和らげて口角を上げた。
「随分と勇者殿を信頼しているようだな」
「……我々王国が異世界から召喚した魔王討伐の“切り札”ですので」
「いや、君の素振りからは君個人に対する彼への信頼が見て取れる」
「……お見逸れしました」
先程までとは違う意図を込めて頭を下げるシムに、皇帝が今度は目尻を緩ませた。
しかしそれは一瞬のことであり、次の瞬間には公式の場としての表情に戻っていた。
「勇者殿は一足早く魔法研究所に向かったのだったな。おそらく今頃は、我こそはという者達によるアピールを一身に受けていることだろう。――もし勇者殿のお眼鏡に適い、本人にその意思があるというのなら、好きに連れて行ってもらって構わない」
「――宜しいのですか?」
思わず、といった感じにシムが尋ねた。
魔王討伐という任務には、当然ながら命の危険が伴う。帝国を代表するような魔法使いを同行できればシムとしては有難いが、仮に任務に失敗した場合、帝国はそれだけ強力な魔法使いを失うことになる。
言外にそのような意図を込めたシムの問い掛けを、皇帝は余すことなく読み取った。
そしてそのうえで、皇帝は力強い眼差しをシムに向ける。
「王国の秘儀にて召喚された歴代勇者の活躍によって、幸いにも魔王の侵攻は食い止められている。とはいえ緩やかにだが確実に我々の生存圏を狭めている以上、このままではそう遠くない未来に我々は滅亡へ向けた不可逆の道を辿ることになるだろう。それを防ぐためにも、君達には何としてでも魔王を討伐してもらう必要がある。――君達に向けた物資や資金の援助には、それだけの想いが込められている」
「――――」
シムはハッと息を呑み、そして口を引き結んだまま小さく頭を下げた。
それを受けて皇帝も小さく頷き、そして口を開く。
「勇者殿には、今の発言を伝える必要は無い。余計なことに惑わされ、その力が鈍ることがあってはならないからな」
皇帝のその言葉に、しかし今度は頭を下げることなくシムが反論する。
「いいえ。我々が何も言わずとも、彼はその重みを――本来彼が抱く必要の無かった重みを、しっかりと受け止めてくれています。彼は、そういう男なのです」
まっすぐ見つめてそう言い放ったシムに、皇帝は一瞬だけ目を見開き、そして分かりやすく破顔した。
「成程、実に頼もしい」
皇帝の言葉に、シムは無言の笑顔で応えた。
* * *
この世界における魔法というのは、自分の中にある“魔力”を活性化させ、それを“呪文”によって現実世界の物理現象に干渉させる能力全般を指す。呪文といっても実際に口に出して読むのではなく、頭の中で文章を思い浮かべながら黙読するイメージに近いだろうか。
この世界で使われる言語体系とも違う独自の言語を用い、文章のように文節を組み合わせることで魔法の効果が決まる。その難易度は基本的に呪文の文節が多いほど高くなり、その呪文をどれだけ記憶できるか、呪文をどれだけ早く唱えられるか、そして発動後にどれだけ自在に制御できるかによって魔法使いの腕が判断される。
帝国にて皇帝と会談するというシムと一旦別れ、大臣の案内でリュウがやって来た“帝国魔法研究所”とは、そのような魔法を研究するための機関である。王国にも同様の機関があるが、ここはそれと比べて随分と進んでおり、そしてそれだけ優秀な人材が揃っているのだという。
とはいえリュウ1人が先にこの研究所にやって来たのは、魔王討伐のメンバーとして勧誘する人材を品定めするためではない。彼はこの世界に召喚された儀式の影響で魔法を使えるようになっていたが、王国の城内に所蔵された専門書を参考にしたとはいえ、独学と感覚で何となく使っているに過ぎない。なのでちゃんとした知識を身に付けるため、謂わば教えを乞うためにやって来たのである。
案内してくれた大臣にも、そして研究所で迎えてくれた研究員達にもその旨は伝えているはずなのだが、
「私が著した専門書を、ぜひ勇者殿にも読んでもらいたい! 私の研究は対多数を想定した戦術級・戦略級の大規模魔法でしてな、裏手の実演場でもお見せすることが叶わない大規模な魔法を得意としているのです! まさに魔王軍を一掃するのに相応しい魔法と言えるでしょう!」
「どうですかな、勇者殿! この色取り取りの鮮やかな光の芸術は! 私の専門は炎の魔法なのですが、錬金の魔法と組み合わせることでこのような色を生み出すことができるのです! このような柔軟な発想こそが、魔王討伐に必要な素質だと私は考える次第でして!」
「勇者殿は魔法を使えるようになって、まだ日が浅い! 魔法の基礎からしっかりと学び理解することによって、勇者殿の真の力を引き出すことが最優先と言えましょう! なれば魔法基礎理論において一家言ありと謳われる私を供とすることが、長期的な視点において魔王討伐に大きく貢献できるのではないかと!」
先程から、特に3人の男性研究員が熱心に自分の有益な部分をリュウにアピールしていた。全員が三十代後半から四十代前半ほどで、明らかに身なりも良いことから、この研究所においてそれなりに高い地位を有しているのだろう。
その証拠に、魔法に関する書物が山ほど収められた図書室において大声を出しても、周りの若い研究員は苦い表情をこっそり向けるだけで真正面から注意する者はいなかった。
――魔王討伐って、そこまで皆やりたがるような事なのか……。
言うまでもなく命の危険が伴う任務であることから、命令ならまだしも向こうから積極的に志願することは無いだろうとリュウは考えていた。しかし実際は彼が思っていたよりも、魔王を討伐する、あるいは魔王を討伐する任務に就くというのは名誉あることらしい。
つまりそれだけ魔王による被害が深刻だということか、とリュウは改めて身の引き締まるような思いになった。
「――あっ」
と、棚に並んだ書物を何と無しに眺めていたリュウが、ふいに声をあげて足を止めた。
3人の研究員が何事かと見守る中、棚から1冊の本を取り出した。
「これって――」
「おおっ、勇者殿! それはまさしく、私が著したものですな!」
大きな反応を見せたのは、大規模な魔法が得意だとアピールしていた研究員だった。
「そうだったんですか。これ、僕が王国にいたときに見せてもらった本なんです。これに載ってた炎の魔法のお陰で、ここに来る前に出くわした魔物の群れを倒すことができて――」
「それはそれは! 私の開発した魔法が勇者殿の旅の一助となれたこと、真に名誉なことでありますな!」
その研究員の笑顔が途端に誇らしげなものとなり、そして他の2人が(露骨に態度に出さないものの)悔しそうに口元を引き結ぶ。
「そうだ。その炎の魔法で気になったことがあって――」
「何ですかな? 私が何でも答えて差し上げましょう!」
まさしくリュウに自分の有能さをアピールできるチャンスとあって、その研究員は実に上機嫌な様子で胸を張ってそう宣言し、
「その炎の魔法……えっと、“グラン・メイラ”でしたっけ? この本に載ってた呪文なんですけど、あんなに長い文章にするのって何か意味があったりするんですか?」
「…………えっ?」
そしてリュウのその質問に、彼の顔がピクッと引き攣った。
「自分の感覚でしかないんでハッキリとはいえないんですけど、あんなに長い呪文じゃなくても効果は同じなんじゃないかと思って――」
「…………」
「自分で試行錯誤して、とりあえず6割くらいまでは削減できたんですけど……。自分の感覚だとまだまだ削れるような気はするんですけど、どれが削れるのか未だに分からない箇所があって……」
「…………」
「なのでこの本の改訂版とか、もしくは最新研究のデータとかあれば見せてもらえれば嬉しいなと――」
「き、君は何をしているのかねっ!」
先程までの自分をアピールしているのとは違う、怒りの籠もった悲痛な叫びとも取れる大声を突然浴びせられ、リュウは目を丸くして口を閉ざした。
自分の開発した魔法にケチを付けられたから、ではなさそうだ。その証拠に、横で聞いていた他の2人もその表情に怒りを滲ませている。
「え、えっと、何か問題が……?」
「『問題が?』ではないですぞ、勇者殿! 勇者殿は、魔法の呪文がどのようなものかご存知無いのですか!?」
「えっと……、どんな魔法になるかを決めるための設計図、的な?」
「そんな単純なものではないのです!」
ますます意味が分からないとばかりに首を傾げるリュウに、その研究員はハッとした表情となりコホンと咳払いをして気を取り直す。
「――いえ、失礼しました。勇者殿はこの世界に来てまだ日が浅い、であればこの世界の基本からお伝えすべきでしたな」
「えっと……、それじゃ、お願いします」
研究員の気迫に圧されてリュウが教わった話によると、この世界における魔法は人々が自発的に身に付けた技能ではなく、この世界を創造したとされる“女神様”によって、この世界を正しい道に導くことを条件に貸与されたものらしい。そして魔法の発動自体も術者本人が行っているのではなく、呪文を介して女神様にお願いすることで使わせてもらっているのだ、と信じられている。
故に魔法の呪文というのは女神様に対する感謝の言葉を添えるのが習わしとされており、それを削るというのは禁忌とされている。また敢えて必要な魔力の量を増やすことで、未熟な魔法使いが難度の高い魔法を使用して事故を起こすのを防ぐという目的もあるらしい。
それを聞いたリュウは、一応の納得は見せた。この世界にもこの世界の歴史や文化があり、あくまで外の人間である自分が壊して良いものではない、というのも理解できる。
とはいえ、
「僕はこの世界に勇者として召喚され、そして魔王を倒すという目標に向かっています。だからこそ、できる限りの手は打ちたいのです。――お願いします! 呪文の改造に抵抗があるのは分かりますが、協力してもらえませんか!?」
「う、うーむ……」
腰が直角に曲がる勢いでリュウが頭を下げるも、研究員達からの反応は芳しくない。しかし即座に拒絶しないということは、彼の言葉にある程度の理解を示しているということでもある。
だったらもう一度、とリュウが頭を下げようとした、そのとき、
「別に良いじゃないですか、その程度のこと」
突然聞こえてきた少女の声に、リュウはそちらへと顔を向けた。
絵本に出てくる魔法使いのようなとんがり帽子を被る、青髪の少女だった。幼い顔立ちで背も低いが小さな子供という印象は受けず、おそらくリュウと同世代くらいだろう。
彼女はリュウに視線を向け、値踏みするように視線を上から下へと走らせ、隣に立つ3人の研究員へと向けた。その一連の動作の間、彼女の表情には一切の揺らぎが無く、まるで人形のように冷ややかな印象すら受ける。
「なっ――! 何を言っているのかね、アウロラ君!」
「そもそも実用性を下げるだけの無意味な慣習です。魔王討伐という“名目”があるのですから、これを機に思い切って改造した方が良いですよ」
「な、なんて罰当たりな物言いを!」
「教会の者達に聞かれたら、君といえども只では済まないぞ!」
「教会が何だっていうんですか。そんなの無視すれば良いでしょう」
立場的には上司である研究員から怒鳴られてもどこ吹く風な少女・アウロラに、リュウは自分に一番近い場所に立ち、言い争いに唯一参加していない研究員へと顔を向ける。
すると相手もそれに気づき、リュウへと体を近づけて耳打ちをしてきた。
「彼女はアウロラ。この研究所では新参の部類ですが、とても優秀な研究員です。しかし先程の言動からも推察できる通り、魔法の発展のためなら禁忌も厭わない性格でして……」
「成程……」
「あなたが勇者様?」
と、アウロラが突然話し掛けてきたため、リュウも思わず「は、はい」と敬語で返事をした。
「あなたさっき、“グラン・メイラ”の呪文を6割削減できたと言ってたわね?」
「えっ? えっと、はい……」
戸惑いながらもリュウが答えると、アウロラは胸を張るかのように上体を僅かに反らしてこう返した。
「私だったら、単語の置き換えをすることで8割5分削減できる」
「――な、何を張り合っているのかね、アウロラ君!」
先程聞いた説明から考えるととんでもないことを自慢している彼女に、当然ながら上司である研究員が怒鳴り声をあげた。
しかし実際にその言葉を向けられたリュウはというと、
「ほ、本当ですか! それだったら、他の魔法についても――」
「えぇ、私の研究データを使えば今すぐにでも」
「やった! あっ、それじゃ、僕のアイデアが採用できるかどうかも、一緒に考えてもらって良いですか!?」
「ん? アイデア?」
「はい。威力とか範囲の指定を数字で調整できるようにすれば、幾つかの似た効果の魔法を1つの呪文に置き換えられるんじゃないかと――」
「勇者殿! それは女神様を顎で使うかの如き所業ですぞ!」
「数字? ……成程、ならばいっそ文章の形に依らず数式のような形にすれば――」
「アウロラ君、止めてくれ!」
これが後に勇者の仲間として歴史に名を遺す偉大な魔法使い・アウロラとの出会いであった。