第7話「異世界帰り、ボランティアを終える」
東京都、霞が関。内閣府が入所する、中央合同庁舎第8号館。
大多数の公務員の例に漏れず、ここに勤める職員もゴールデンウィークは休日扱いだ。しかし通常国会の会期中ということもあり急ぎの仕事を抱えている職員も多く、平日に仕事が終わらなかった職員が朝から登庁することも珍しくはない。
龍之介を秘密裏に調査する女性職員・三澤も、そんな休日出勤する職員の1人である。食堂は休みなので途中のコンビニで買ったサンドイッチを片手に、普段よりもラフな格好で合同庁舎へと歩いていく。
「あっ、先輩」
と、同じく勇気を調査している男性職員・広瀬が庁舎に入っていくのを見掛け、三澤は早足で駆け寄って彼を呼び止めた。
名前は口にせずとも自分が呼ばれているのに気付いたようで、広瀬はピタッと足を止めて三澤を無言で迎える。
「先輩も休日出勤ですか? ――もしかして、例の彼について何か?」
「いや、それならそっちにも連絡が行く。今日は表の方で仕事が残っててな」
「あぁ、先輩もなんですね。私もです」
“異世界帰り”の存在は、大臣やごく一部の関係者を除いて極秘扱いとなっている。それは同じ内閣府の職員に対しても同じであり、それに携わる広瀬や三澤もそれとは別に表向きの役職を与えられて普段はそちらに従事している。
実際2人が龍之介に関する仕事をしたのは、先日のラーメン屋で自分達が調査しているとバレかけたあの日が最後だ。それ以来2人が手配した“専門家”に調査を任せており、2人がこうして顔を合わせるのもそれ以来である。
「ところで先輩、その調査って彼が本当にそうなのか判明するまで続けられるんですか?」
「基本はそうだが、そうでない可能性が高いと判断されれば調査は打ち切られるだろう」
「そのタイミングって、具体的にはどれくらいです?」
「場合によるから何とも言えんが……、年単位での時間を要すると思った方が良いだろうな」
「うへぇ。それはそれは……」
有ると証明するより無いと証明する方が難しい、というのはどの調査でも同じことだ。特に国家にとって大きな影響を及ぼす“異世界帰り”の場合、自分達が調査を打ち切った後で別の組織に引き抜かれたとなればその損失は計り知れない。
故に“異世界帰り”である証拠を掴めない場合、広瀬が言う通り年単位で調査を続けて慎重に検討を重ねていく必要がある。三澤もそれは分かっているのだが、気の長い話に顔をしかめずにはいられなかった。
「いっそのこと、彼が堂々と魔法を使うようなタイプだったら分かりやすいんですけどねぇ」
「……そうだな」
* * *
龍之介が普段は手が届かない植え込みのゴミなども拾い集めた甲斐もあってか、最終的に生徒会メンバー+ハナの6人は可燃ゴミだけでも45リットルの袋が2つ半ほど満たされるくらいの量が集まった。それ以外にも缶やペットボトルなどの様々な資源ゴミが各々の袋に分けられているが、そのどれもが4分の1から半分ほどを満たす量となっている。
それだけのゴミを集めたことへの達成感と、それだけのゴミが街中に捨てられていたことへの憤りを覚えながら、龍之介達は集合場所に指定されたゴミ集積所へとやって来た。
「あらぁ、こんなにたくさん集めてくれたのねぇ!」
別の参加者が集めたゴミを分別する作業をしていたお婆さんが、彼らの持って来たゴミの量に大きなリアクションを見せた。
「分別はもう済ませてますので、後はそのまま出せば大丈夫だと思います」
「あらあら、そこまで親切にやってくれるなんて有難いわぁ。やっぱり若い人達が来てくれると捗るわねぇ」
手放しで褒めてくれるお婆さんに、龍之介達の表情もどことなく誇らしげだ。
「でしょー? 私達、凄く頑張ったもんねー」
そしてココに至っては、もはや“どことなく”という表現を挟まず堂々と胸を張っていた。とはいえ彼女も頑張ってゴミ拾いをしていたのは事実なので、一瞬ムッと顔をしかめた和美も苦笑いと共に小さく溜息を吐くに留めた。
「それじゃ後は私の方でやっておくから、皆はこのまま帰っても構わないわよ」
「宜しいのですか? それじゃ、お言葉に甘えましてお先に失礼致します」
「ありがとな、嬢ちゃん達! 助かったぜ!」
会長が代表して頭を下げると、分別作業などをしていた町内会の人達からも次々とお礼の言葉が飛んできた。それらに何回も頭を下げながらその場を離れ、会長による簡単な挨拶を最後に新・生徒会としての最初の活動は終わりを告げた。
こうして龍之介達は大きな達成感を胸に抱きながら、力強い足取りで家路へと着いたのだった――
と、本来ならそうなる予定だったのだが、ここで問題が1つ。
「ついて来なくていいよ! 1人で家まで帰れるもん!」
「いや、そうかもしれないけど……」
本来一緒に来るはずだった母親が体調不良で迎えに来れず、それならと和美がハナと一緒に帰ることを提案したのだが、子供扱いされるのが嫌なお年頃なのか、本人がそれを頑なに拒否し始めたのである。
「最近物騒な事件も多いし、さっきの変なおじさんのこともあるし……。万が一のことがあったら大変だから――」
「ダイジョーブだもん! ちゃんと寄り道しないでまっすぐ帰るから! 歩いても10分くらいで着くし!」
「ほら、お母さんにも挨拶しておきたいし、ハナちゃんが頑張ってたってお母さんに教えてあげないと――」
「子供あつかいしないで! 1人でちゃんと帰るから! ついて来ないでよ!」
「あっ! 待って――」
和美の言葉で余計に意固地になってしまったのか、ハナは呼び止める声も聞かずその場から逃げるように走り出してしまった。和美が彼女を追い掛けようとするも、すぐにそれを察してこちらを睨みつけてきたせいで動くに動けず、そのまま彼女は曲がり角で姿を消してしまう。
「大丈夫かな、ハナちゃん……」
「まぁ、お母さんが1人で行かせたくらいだし、本当にすぐ近所に家があるんじゃないかな? あの子しっかりしてるから、ちゃんと寄り道しないで帰るでしょうし」
「それにさっき言ってた“物騒な事件”って、女子小学生を狙った連続傷害事件のことですよね? あれって確か夕方の下校途中を狙った犯行ですし、こんな休日の朝早くにはいないんじゃないですかね」
会長と風太の言葉に、ハナの走り去った方を見つめていた和美が「だと良いんだけど……」と返事をするが、その表情は心配そうに曇ったままだった。
そんな彼女の横顔を眺めていた龍之介が、ふいに「よし」と口にして1歩踏み出した。
「それじゃ、あの子がちゃんと家に帰れるか僕が見ておくよ」
「えっ?」
龍之介からの突然の提案に、皆が一斉に驚きの顔を彼へと向ける。
「後ろからこっそりついて行って、ちゃんとあの子が家に入るまで見届けるから」
「でもリュウ、その……大丈夫なの?」
「あの子に見つからなきゃ良いんでしょ? それくらい簡単だって。――それじゃ、お先に失礼しまーす」
ヒラヒラと手を振って、龍之介は皆に背中を向けてその場を離れていった。足早に曲がり角まで進んでいき、そのままハナと同じ方向へと曲がっていく。
そうして彼の姿が見えなくなって、和美がポツリと呟いた。
「『小学生のストーカーみたいな真似して大丈夫か?』って意味で訊いたんだけど……」
その青年にとって、女性とは“穢れ”の象徴だった。
青年に父親の記憶は無く、幼い頃から母親と2人暮らしだった。彼女はオブラートを何重にも包んだ表現をすると“恋多き女性”であり、青年との自宅によく恋人を連れ込んでいた。その恋人は長くても半年足らず、短いと1週間もすればすぐに次の人物へと変わっていき、おかげで青年は歴代の恋人について名前も顔も碌に憶えていなかった。
それだけならば、まだ良かった。
彼女は恋人を自宅に連れ込んでは、まだ幼い青年の前でも構わず“行為”を始めるような人間だった。まだまだ第二次成長期も迎えておらず、そういったことに自発的に興味を持つような年齢でもなかった子供が、実の母親によるそういった行為を目の前で見せつけられたショックは如何ばかりだろうか。
とうとう我慢の限界に達した彼はある日、母親に泣きながら不満を爆発させた。具体的にどんな言葉を母親にぶつけたのか、今となっては青年も思い出すことができない。
しかしそれに対し母親が笑いながら何と答えたのか、その言葉だけは今でもハッキリと憶えている。
「そんなに嫌わないでよ。あなただって、お父さんとお母さんがこういうことをしたから生まれてきたのよ」
その言葉を、青年は最初信じることができなかった。やがて性に関する知識を身に付け、母親の言葉が本当であると認めざるを得ないと知ると、自分が汚らわしい行為のおまけで出来た排泄物か何かだと感じるようになった。
そしてその感覚は、他の人間に対しても抱くようになった。
とりわけ、女性に対してはその感覚が強くなる傾向にあった。
更にそれが子供となると――
「――――いた」
朝早くから人通りの無い住宅街を1人で歩く女子小学生の背中を遠くから見つけた青年が、口から零れ落ちるような小さな声でそう言った。
ズボンのポケットに手を伸ばし、上から撫でるようにして“それ”の感触を確かめると、青年は決意を固めたかのように口元を引き結んで少女へと近づいていく。
「僕が、綺麗にしないと……」
青年にとって、血は不浄の塊だ。特に女性の血は、それだけで吐き気を催す。
しかし、生まれてしまったものは仕方がない。だからこそ青年は、母親から受け継いだその穢れに満ちた血を一度外に流し、新たな血と交換することで少しでも子供を穢れから遠ざける道を選んだのである。
そうして今まで4人の子供を不浄から救ってきた青年だが、ここに来て警察の目が厳しくなってきた。4人共夕方の下校途中を狙ったためか特に夕方の時間帯のパトロールが多く、仕方なく青年は決行の時間帯をずらすことにした。
しかし休日の朝となると、さすがに子供自体をあまり見掛けない。見たとしても家族や友人と一緒の場合が多く、今日はこのまま帰ろうかとしたのだが、
「やっぱり、運は僕に向いている……!」
ズンズンと大股で近づく青年に、少女はまだ気づく気配が無い。小走りで駆けていく彼女だが、所詮は子供の足なので青年でも簡単に追いつくことができる。
あと数メートル、という段階で青年はズボンのポケットから“それ”を取り出した。
それは峰の部分がノコギリ状になった、所謂サバイバルナイフだった。そのナイフに使用感は無く、そのまま店に置かれていても不思議でないほどに綺麗なものだ。
そうして、あと1歩大きく踏み出して腕を伸ばせば届く、という距離にまでなったそのとき、
「――――!?」
今まさにナイフを振り上げようとしていた青年が、突然大きな衝撃に襲われた。
背中を起点に一瞬で全身を駆け巡ったその衝撃に、青年は呼吸ができないほどに胸を詰まらせ、指1本動かすことができなくなった。視界のあちこちで火花がチカチカと散り、焦点が合わなくなったのか景色がぼんやりと霞んでいく。
「な――――」
フィルターのように薄暗い靄の向こう側で少女がこちらを振り返るのを微かに感じ取りながら、青年の意識は闇に塗り潰された。
「ん?」
後ろで何か物音がしたように感じたハナが後ろを振り返るも、彼女の視界に映るのは先程自分が通ってきた住宅街の景色だけだった。
数秒ほど首を傾げながらキョトンとしていた彼女だったが、気のせいだと判断したようで再びクルリと前に向き直って足早にその場を離れていった。
そして、そんな彼女の背中を見送るのは、
――焦ったぁ! いきなりナイフ出して襲い掛かってくるとか!
地面に座り込んで気を落ち着かせるように大きく息を吐く龍之介だった。
そんな彼の傍には、先程の青年の姿もあった。地面に横たわっており、眠ったように気絶したままピクリとも動かない。
2人がいるのは、まさにハナが立ち止まって振り返った場所から目と鼻の先にある地点だ。そこはもはや“足下”と表現して差し支えないほどの近さであり、いくら地面に座っていたとはいえ彼女が気付かないなんてことは普通有り得ない。
では何故、彼女は気づかなかったのか。
答えは簡単。龍之介の魔法によって、2人の姿と気配は普通の人間には感知されなくなっているからである。
――でも良かったぁ。念のために後を追い掛けてなかったら、今頃どうなってたか……。
そもそも龍之介は、ハナの後をついて来ていたときから自身の姿を魔法で隠していた。彼女に気づかれないためという理由も勿論だが、傍から見た他の人達に小学生をストーキングしていると勘違いされるのを防ぐためでもあった。和美が抱いていた心配は、当然彼も把握していたというわけだ。
しかし見守り始めて数分経った頃、1人の青年が姿を消した龍之介のすぐ脇を通って後ろから追い越していった。その青年が醸す雰囲気、更には青年の口から漏れた独り言に只事ではないと悟った龍之介が注意を払っていたところ、徐々に大股でハナに近づきナイフを取り出してきたのである。
慌てて龍之介は魔法で右手に電気を纏い、スタンガンのように青年の背中に押し付けることで彼を気絶させ、更にはハナに要らぬ恐怖を与えるべきでないと彼の姿を自分と同じように魔法で消したのであった。
――“向こうの世界”にいたときだったら、もう少し早く反応できたんだけどなぁ……。まさかこの世界に戻ってきて、魔法を人に向けることになるなんて……。
突然の出来事にバクバクと暴れ狂う心臓を左手で押さえる仕草をしながら、右手でポケットからスマホを取り出して電話を掛けた。
電話番号は勿論、110番である。
「すみません、110番ですか? 道端にナイフを持った男が倒れてて――」
とりあえずスマホで警察と救急に通報した龍之介だったが、それらが来るまでこの場に留まるつもりは更々無かった。下手に警察の事情聴取を受けて自分のしたことをバラすわけにもいかないし、何よりハナがちゃんと家に帰るまで見届けるという役目がある。
「それじゃ、魔法を解除っと」
自分に掛けた魔法はそのままに、青年に掛けた魔法を解く。仮にこの場を見ている者がいたとしたら、何も無い場所にいきなり気絶した青年が姿を現したように見えるだろう。
青年が目を覚ます気配が無いのを確認して、龍之介は姿を消したままその場を立ち去っていった。
「マジか……」
誰かが、そう呟いた。