第4話「異世界帰り、ギャルと出会う」
夜の帳もすっかり下りきった丑三つ時。
“眠らない街”と称されることもある東京とはいえ、それはあくまで繁華街など深夜に営業する店の多い一部の場所に限った話。それ以外の場所ではコンビニなどを除いてほとんどの店が閉まっているし、街の人々のほとんどは電気を落として夢の世界に旅立っている。
しかしそんなベッドタウンといえど駅前などはまだ煌々と明かりを照らす店もそれなりにあり、覚束ない足取りで歩く酔っ払いの姿もいくらか見掛けることができる。
「うっしゃあ! もう1軒行くぞ、もう1軒! 今日は朝までとことん呑みまくるぞ!」
「ちょっと先輩。いくら奥さんと喧嘩して家に帰りづらいからって、俺まで巻き込まないでくださいよ」
今も顔を真っ赤にして大声をあげる中年の先輩とそんな彼の肩を支える若い後輩が、ほとんど人通りの無いロータリーの立体歩道を歩いていた。
先輩はまだまだ呑み足りないようだが後輩はあまり乗り気でないらしく、興を削がれた様子の先輩が不満そうに口を尖らせた。
「何だと!? 俺が若い頃は、先輩が呑むと言ったら絶対で――」
「アルハラで訴えますよ」
「……よぅし! だったら締めのラーメン食いに行くぞ! 酒の最後はラーメンと日本の法律で決まってんだ!」
「ありませんよ、そんな法律。――まぁ、ラーメンくらいなら良いですよ」
後輩の腕を振り払って大股でロータリーを通りを突き進む先輩に、後輩が首を横に振りながらその後に続く。
そうして下りの階段に差し掛かった先輩だが、まっすぐ歩くのもやっとの足取りにも拘わらず手摺りに手を伸ばす素振りが無かった。それを見た後輩が「危ないですよ」と早足で彼の傍へと歩み寄る。
と、あと少しで後輩の手が先輩の肩に触れようかというタイミングで、先輩が1歩目の時点で盛大に階段を踏み外した。
「おっ?」
「ちょっ――!」
事態を呑み込めない先輩と、この後の惨事を想像して顔を青ざめる後輩。
そうして先輩は階段を転げ落ちていく――ことはなく、まるで下から風でも吹き上げたかのようにフワリと体が宙を浮き、ほんの少し後ろへ飛んで階段の手前にストンと下り立った。
「ちょっと先輩! ほら、危ないですよ!」
「おっ? おぉ、あぁ……ん?」
後輩も酒が入っているためか今の光景に疑問を挟む様子は無く、改めて先輩の肩を支えながら2人で階段を下り始めた。
そうして2人が階段の最後の1段を下りていくまでの間、最上段からそれを見守る者がいた。しかしその人物は異世界で習得した魔法“ステルス”を発動しているため、普通の人間がそれを知覚することはできない。
「ふぅ、危なかった……」
言うまでもなく、その人物とは龍之介のことだった。
引ったくり犯の現場に遭遇し、魔法を使って解決に導いた復学初日から3日が経過した。
龍之介はこの3日間の内に、夜に母親が寝静まった後にこっそり家を抜け出して魔法の確認を行うことがすっかり日課となっていた。“ステルス”で姿を消したまま“フライ”で空を飛び、人気の無い場所で攻撃系の魔法を一通り試して夜明け前に自室に戻る、という流れが基本となる。
もちろん、本気で魔法をぶっ放すなんて真似はしない。どこに誰の目があるか分からないし、万が一のことがあって迷惑を掛けてはいけないため、例えば炎系の魔法は指先サイズの炎を灯して自分の周囲に飛ばして操作性を確認する、といった程度のものである。
しかしそれはあくまで攻撃系の魔法に限った話であり、そうでない場合は先程の酔っ払いを助けたときのように大胆な行動に出たりもする。上空数百メートルを高速で飛び回ったり、まったくの別人に姿を変えて街中を歩いてみたり、野良猫に魔力で出来た発信機を取り付けて寝床を特定してみたり、と犯罪にならないレベルで色々と実験を行っている。
そうして色々試してみた結果、感覚的には向こうの世界とほとんど変わらず魔法を行使できるらしい、というところまで推察できるようになった。
――まぁ、最後に“女神”と戦ったときの装備じゃないから、向こうの世界での威力そのままってわけじゃないけど。
だとしても、この現代日本社会で暮らしていくにはあまりにも不相応な力であることに変わりは無い。先日のように事件に遭遇したときや、先程のように危険な目に遭いそうな人を助けるならまだしも、この魔法の力を積極的に使って何かしようと考えるのは止めよう、というのが3日間限定の日課から得た龍之介の結論である。
「ただいまぁ……」
誰にというわけでなく小声で部屋の中に呼び掛けながら、あらかじめ開けていた窓から姿を消した状態の龍之介が自室に体を滑り込ませた。音をたてないよう床に下り立つと“ステルス”を解除して姿を現し、窓の鍵とカーテンを閉める。
そして、部屋にあるベッドへと目を向けた。
ベッドでは、龍之介が穏やかな表情で寝息を立てていた。
正確には、龍之介の姿を模した魔力の塊が、穏やかな表情で寝息を立てているかのように偽装していた。
向こうの世界で開発した魔法“デコイ”によって生み出された分身は、その見た目だけでなく実際に体温程度の熱を帯びており、しかも実際に触れるうえに本物そっくりの感触も相手に伝える。普通の人間ならば、多少触れる程度ではバレないほど精巧な分身といえるだろう。
「…………」
ベッドで眠る自分の分身に何やら複雑な表情を浮かべながら、龍之介は魔法を解除した。
一瞬だけ青白い光を淡く放ち、次の瞬間には彼の分身は影も形も無くなっていた。
「おやすみなさぁい……」
そうして空いたベッドに体を潜り込ませ、これまた誰にというわけでなく呼び掛けてから目を閉じた。
本来の起床時間まで、およそ3時間。
いざとなったら回復系の魔法で体調を整えれば良いか、と龍之介は日課から導き出した結論そっちのけな事を考えながら夢の世界へと旅立った。
* * *
「おはよ~」
「あっ、野々原くんおはよ~」
「うぃーす」
「おは~」
未だに違和感を拭い切れないまま1年C組の教室に足を踏み入れた龍之介が挨拶をすると、近くにいたクラスメイトが次々と彼に挨拶を返してきた。その表情に嫌々だとか義務感といったネガティブなものは無く、普通に1人の友人に対して行っているように見える。
そう。実は初日の昼休みにて太陽に連れられて教室を出たあの後、龍之介はクラスメイト達と打ち解けることができたのである。
あれから教室に戻ってきた彼を待ち受けていたのは、心配そうな表情で一斉に駆け寄ってくるクラスメイトだった。どうやら太陽に無理矢理連れられ酷い目に遭わされたと勘違いしたらしく、それ自体は龍之介の説明によって誤解だと分かってもらえたのだが、その遣り取りが会話するきっかけになったようで、それ以降彼に話し掛けるクラスメイトが増えた、という流れだ。
――何というか、青鬼に協力してもらった赤鬼の気分だな……。
有名な童話に自分を準えて内心で苦笑しながら、龍之介は自分の机に荷物を置いて席に着く。
すると、そのタイミングで近づく男子生徒が1人。
「お~っす、リュウ」
「おはよ~、風太」
明るい茶髪の毛先を遊ばせた笑顔が爽やかな彼の名は、塩谷風太。その明るい性格で誰にも分け隔てなく接する彼は、僅か入学1ヶ月足らずにも拘わらずクラス内外に友人が多く、クラスでも中心的な立ち位置を手にしている。
ならば何故龍之介に対しては最初近づいてこなかったのか、と疑問に思う者もいるだろう。しかしその理由は至ってシンプル、その日彼は学校を休んでいたからだった。よって彼が龍之介に話し掛けて仲良くなったのは、2日目の朝に龍之介が登校してきた直後のことだ。
「どうよ、学校は慣れた?」
「まぁね。入院中はほとんど寝てたから、僕の感覚では少し長めに休んでただけだし」
「いやぁ、だとしても俺からしたら結構しんどいわ。前にインフルで1週間丸々休んだときも、次の月曜から学校行くのダルかったもん」
「あぁ、それは分かるかも」
年上だからといって敬語は使わず、入院などの話にも触れにくそうな様子を見せず普通に反応する。風太のそんな態度が龍之介にとっては逆に有難かったし、そんな彼の対応が他のクラスメイトにも波及していくのを龍之介は肌で感じていた。
クラスの中心人物になるというのはそれなりの理由があるんだなぁ、などと龍之介が考えていると、風太が内緒話でもするかのようにスッと顔を近づけてきた。
「そういやリュウ、聞いてる? 今日このクラスに転入生が来るって」
「転入生? 僕は聞いてないけど、逆になんで風太は知ってるの?」
「いや、俺もさっき聞いたばっかなんだけど。知らない生徒が職員室に入るのを、他のクラスの奴が偶々見たんだとさ」
そしてこの数日間で風太についてもう1つ分かったのが、彼が“情報通”であるということだ。交友関係の広さがそのまま情報源の多さに繋がっており、そして友人達の手によって一斉に彼の下へと情報が集約されていく。その様子はまさに、彼を中心に独自のSNSを構築しているかのようだ。
「それにしても、こんな時期に?」
「な? 気になるよな。しかも1年生ってことは、前の高校を入学してすぐに転校したってことだろ? どんな事情があって来たんだか」
「あんまり詮索しない方が良いんじゃない?」
「逆だろ。事情を知ってた方が、相手の地雷をうっかり踏まずに済むんじゃん」
本当にそう思っているのか、あるいは秘密を知ろうとする大義名分なのか。そんなことを龍之介が考える間も無く、担任の教師である森田が前方のドアを開けて教室に入ってきた。クラスメイト達が慌てた様子で自席に戻っていく光景があちこちで見られる。
そんな慌ただしい空気の中で、最初から自席に着いていた龍之介はドアの向こうに視線を向けた。確かに言われてみれば、ドアの窓からチラチラと明るい金色の髪が見え隠れしているのが分かる。
「えー、今日からこのクラスに仲間が1人増えることになった。野々原のときに言ったばかりだから分かると思うが、1日でも早くこのクラスに馴染めるように協力してやってくれ」
森田がそう前置きして「おーい、入ってこい」とドアに呼び掛けると、ドアの前で待機していたその人物が「は~い」と気の抜けた声で答えてドアを開けた。
その少女はこの学校のデザインとは違う制服(おそらく前の高校の物だろう)を着ており、スカートはウエスト部分を折り込んでいるのか大分短く、スラリと長い真っ白な脚を惜しげもなく晒していた。背中にかかる長さの明るい金髪はゆるくパーマが掛かって波打っており、濃いめのアイラインで元々大きな目がより強調されている。
つまるところ、その少女はギャルだった。
「福留心っていいまーす。ココって呼んでくださーい。勉強はそんなに得意じゃないんで、みんな教えてくれると嬉しいでーす」
目元で横向きのピースをしながら満面の笑みでそう自己紹介した少女・ココに、教室中から拍手が沸き起こった。所々で「可愛い~」などと囁く女子生徒の声が聞こえてきたりと、龍之介のときよりもクラスメイト達にすんなり受け入れられている様子だった。
まぁ仕方ないよね、と龍之介が若干複雑な感情を抱きながらも頷いていると、
「それじゃ福留は、一番後ろの窓際の席に座って」
教師がそう言って指差したのは、最後列の最も窓に近い席、つまり龍之介の隣だった。入学後早々に編入したことで出席番号も一番後ろに配置され、それに併せて席も後ろに追加される形となったことを鑑みれば、龍之介の隣に転入生がやって来るのは或る意味必然だろう。
ココは「はーい」と軽く手を挙げて返事をし、口元に笑みを浮かべてその席へと歩いていく。
そして腰を下ろす一連の動作の最中に、隣に座る龍之介に顔を向けてその笑みを一層深くした。
「お隣同士、よろしくねー」
「うん、よろしく」
これから(色々な意味で)深い付き合いとなる2人による初めての遣り取りは、こんな何の変哲も無い簡潔なものだった。