第19話「異世界帰り、巻き込まれる」
『消防から各局。渋谷のショッピングモールにて火災が発生、出口が瓦礫で塞がっており、救助活動が難航している模様。なお現場の目撃状況から、火災発生時に爆発が発生したと思われる。事故と事件両方の可能性あり――』
警察無線からそのような音声が流れ出した直後から、例のゴミ捨て場同時火災事件の捜査本部では刑事達が血相を変えてあちこち走り回っていた。他の警察無線にも耳を傾ける者、テレビを点けて臨時ニュースに目を凝らす者、自身のスマホからSNSにアクセスする者、偶々現場近くにいた自身の知り合いに電話を掛ける者など、各々が即座に思いついた方法で情報収集を試みている。
「この事件の犯人、俺達が追ってる奴と同じじゃねぇのか!?」
「本部長! 俺達も現場に向かいましょう!」
そしてその中には、現場に乗り込んで情報を集めようと思う者もいた。いや、本部長に詰め寄る勢いを見るに、自分達の手で犯人を捕まえようとすら思っているかもしれない。
とはいえ組織に属する人間である以上、責任者である本部長の許可無くして動くことはできない。その場にいる刑事全員の視線が、腕を組んでテレビの画面を睨みつける本部長へと一斉に注がれる。
「――分かった。A班からC班まで現場に向かえ! 周辺で怪しい奴を徹底的に調べ上げろ!」
「はいっ!」
そうして本部長の許しが出るや、待ってましたとばかりに刑事達が一斉に部屋の外へと走り出した。
「俺達も行くぞ!」
「あぁ」
そしてその中にはタケとマツのコンビも含まれており、一気に人口密度の低くなった捜査本部は数名の刑事を残すのみとなった。しかし彼らもただ黙って待機しているわけではなく、今この場にいないA~C班配属の仲間に本部長の指示を伝達する声があちこちで飛び交っている。
それを横目で見遣りつつ、本部長の意識は自身のパソコンの画面に向けられていた。
ゴミ捨て場同時火災事件の重要参考人と見ている、白髪交じりの男がそこに映し出されているその画面へと。
「まさか、こいつが――」
* * *
渋谷での事件発生から10分経たずして、広瀬と三澤は秘密裏に内閣総理大臣官邸に呼び出された。
地上5階、地下1階建ての鉄骨鉄筋コンクリート構造をしたその建物の中には、内閣総理大臣などの執務室や、内閣に属する面々が集まって会議をする閣議室、更には海外の要人を招いた際に使われる貴賓室、そして非常時に稼働する危機管理センターなどが設けられている。
つまりそれだけ政治の中枢を担う重要な機関であり、いくら内閣府の職員であろうと表向きは特別な役職に就いていない2人がそう簡単に立ち入ることのできる場所ではない。
「そこに座りなさい」
「は、はい! 失礼します!」
ましてや総理大臣の執務室に直接呼び出されることなどまず無いと言って良く、東堂総理直々に部屋中央の応接セットに促された三澤は、まるでこれから叱られる子供のように緊張で体をガチガチに強張らせながらソファーへと腰を下ろした。
一方広瀬は対照的に、その冷静な表情を崩すことなく「失礼します」とキビキビした動作で三澤の隣にスッと腰を下ろした。そしてそれを見計らったタイミングで、鋭い目つきをした東堂が2人の正面のソファーに座る。
勿論東堂は、この2人を叱るためにわざわざ呼び出したわけではない。
「渋谷で発生した火災現場に、例の“異世界帰り”候補の少年がいるというのは確かな情報か?」
「はい、事実です。“協力者”による情報提供で確認しております」
「その協力者と連絡は取れるか?」
「先程から何度か試みていますが、一向に繋がる気配がありません。おそらくですが、事件に巻き込まれている可能性が高いかと」
「ふむ……」
広瀬の回答に、東堂が顎に手を当てて考え込む。
そして数秒後、再び口を開く。
「例のゴミ捨て場の放火事件については聞いている。その犯人が関わっている可能性は?」
「不明です。しかし彼が個人的に放火事件を調査していたタイミングで、同様の手口で引き起こされた可能性のある事件に巻き込まれたのを考えると――」
「確かに、偶然で片付けるには出来過ぎている」
机に視線を落とす形で2人から目を逸らし、そしてすぐさま2人へと視線を戻す。
「他の“異世界帰り”は、その事件には関わっていないと見て良いんだな?」
「はい。他の“担当者”と連絡を取り、いずれの者達も関わっていないことは確認しております。――もっとも、彼らが直接動いていないだけで協力者がいる可能性が無いわけではありませんが」
「確かに。今そこを突き詰めても詮無きことだ」
東堂と広瀬によるテンポの良い対話を、三澤が緊張した面持ちで眺めていた。口を挟む余裕も無く、仮にあったとして広瀬以上の意見を言えない以上、眺めているしかないというのが正直なところだった。
はたして自分がここにいる意味はあるのだろうか、と三澤が自問を始めた頃、
「とにかく我々にとって最も重要なのは、“異世界帰り”の存在が世間に露見しないことだ。それに付随する情報、それこそ異世界由来の特殊能力が公になることも避けたい」
「ですが現状、マスコミへの報道規制は難しいかと。仮にそれが可能だとしても、あれだけ多くの目撃者がいるとなれば――」
「分かっている。――最悪、“彼女”を投入することも視野に入れる必要があるかもしれんな」
「総理、それは――」
「最悪、と言った。――君達も現場に向かいたまえ。君が必要と判断すれば、必要な手続きはこちらで済ませよう」
話は以上だ、と言外に告げられた広瀬は、何かを言いかけた口を閉ざして立ち上がった。それに1拍遅れて隣の三澤も慌てた様子で立ち上がると、揃って「失礼します」と頭を下げてドアへと向かう。
それを開けて2人が出ていくのと擦れ違いざま、東堂の第一秘書である男が頭を下げて部屋に入ってきた。
「大臣の皆様、お揃いです」
「あぁ、すぐ行く」
鋭い目つきを揺らがせることなく、東堂は短く言葉を返した。
* * *
『ご覧ください! 大勢の人達が見守る中ビルからは黒い煙が上がり、時折炎が燃え盛っているのが分かります! 消防隊による必死の消火活動が行われていますが、中にいると思われる買い物客の安否は未だ確認できておりません――』
多くの企業が集まる東京の中でも、特にビジネス街として日本最大規模を誇る丸の内。
その中でも一際大きな高層ビルの最上階にて、休日の渋谷で突如発生した火災の生中継映像が巨大モニターに映し出されていた。その部屋は会議室にもなっており、高級なスーツに身を包んだ如何にも重役だと分かる高齢の男女10人がその映像を見守っていた。
しかしその大半は映像そのものよりも、モニターの正面に陣取って映像を食い入るように見つめる1人の男性の方に気を取られていた。
「――――! ――――、――――!」
傷1つ無い艶やかな革靴をパタパタと忙しなく踏み鳴らし、この中の誰よりも高級なハイブランドのスーツに皺が寄るのも気にせず襟の部分を右手で握り締め、綺麗にセットされていたであろうロマンスグレーの髪を左手でガシガシと搔き毟る60歳前後の男性。
皆が心配そうな表情で彼を見つめるが、苛立ちを隠そうともしない彼に落ち着くよう進言する者は誰もいなかった。
「――連絡はまだ取れないのか!?」
「は、はい! 先程から何回も電話を掛けているのですが、一向に……!」
汗をダラダラ垂らしながらスマホ片手に控えていた彼の秘書が、怒鳴るような勢いの問い掛けに委縮した様子ながらもそう答えた。
そしてその答えに、彼の挙動がますます熱を帯びていく。
「いや、もしかしたら急に気が変わって、あのビルには行っていないかもしれない……! 電話に出ないのは昼食に夢中で着信に気付いてないからだろう……! そうだ、きっとそうに違いない……!」
自分に言い聞かせるようにそう呟く彼の姿に、他の者達はいよいよ何と声を掛ければ良いのか分からず、一様にテーブルへと顔を伏せてしまった。
* * *
『ご覧ください! 大勢の人達が見守る中ビルからは黒い煙が上がり、時折炎が燃え盛っているのが分かります! 消防隊による必死の消火活動が行われていますが、中にいると思われる買い物客の安否は未だ確認できておりません――』
「おーおー、よく燃えてんじゃん」
記者と思われる女性がヘリコプターから現場の状況を興奮気味に伝えているその映像を、両耳にこれでもかとピアスを付けた見るからにガラの悪い金髪の青年がニヤニヤと笑って眺めていた。自宅のリビングでコーラを片手にテレビを観るその姿は、まるでドラマか映画といったフィクションでも楽しんでいるかのようだ。
青年の態度は褒められたものではないが、普段ドラマや映画を観るのと同じ画面でニュースの映像を観ているとそれらと同じような感覚に陥ってしまう、というのは誰しもが多かれ少なかれ当て嵌まるのではないだろうか。結局のところ自分とは関係無い場所で起こった他人事だというのが、そう感じてしまう大きな要因といえるかもしれない。
「あのおっさん、マジでやりやがったわ。直前で怖くなってバックレるかと思ったけど、これが“無敵の人”ってヤツなのかねぇ」
しかしこの青年にとって、このショッピングモールの火災はけっして他人事などではなかった。
そして青年の口振りからも分かる通り、その関係性はけっして被害者側のものではなかった。
「それにしても、例の“異世界帰り”は爆弾に気付かなかったのか? あの店にはいるって聞いてたんだがなぁ。――まぁ、これで死んだらその程度だったってことか」
青年は愚痴るような口調でそう独り言ちると、充電コードに繋いでいたスマホを手に取って電話を掛け始めた。
* * *
その男は、常に何かしらに対して恨みを向け続けている人生だった。
最初に恨みを向けた相手は、小学生のときの担任だった。子供だった頃の男は特に先天的な疾患といった理由も無く学業が苦手で、ちょっとしたことですぐに激昂するほどに気の短い性格だった。
当然周りとのトラブルも絶えず、その度に担任の教師に叱られる日々だった。しかし子供だった男は自分の方が正しいと信じて疑わず、故にそんな絶対的に正しい自分を悪者扱いする教師を恨むようになった。
偏差値は低いものの大学まで進学することはできたが、授業についていけず次第にサボるようになったことで自然消滅的に除籍となった。
その間に勤めていたバイト先でも生来の性格が災いして同僚や客を相手にトラブルを頻発し、その度にバイトを辞めることになったのだが、自分に原因があるなどと露にも思わない男はバイト先の上司や同僚、そして客に対しても秘かに恨みを募らせていった。そしてそれは徐々に、社会全体に対してのふんわりとした恨みへと変化していく。
そうしてトラブルを起こしてはバイト先を転々とする生活を送るようになるが、そんな生活では当然収入も安定せず、家賃や税金、更にはインフラの使用料も滞納することがザラになっていった。
自宅には月に何通もの督促状が届くようになり、男はそれを怒りに任せて破り捨てては送り主である役所の人間に対して見当違いの恨みを抱え、やがてそれは政治家や権力者に対する漠然とした恨みへと移り変わっていくこととなる。
そうして自分の中でブクブクと恨みを肥大化させていく男だったが、溜め込むばかりではそれこそ風船のようにいつか破裂してしまう。
なので男はその恨みを、ネット上の顔も見えない相手にぶつけることで発散していた。口汚い言葉で罵って一方的に勝ち名乗りを上げるときだけが、男にとってストレスから解放される唯一の瞬間だった。たとえ後々その遣り取りを思い出し、余計に怒りがぶり返すようなことになったとしても。
「誰でも簡単に使える安心安全の爆弾、だと……?」
男が場末のネット掲示板でそんな書き込みを見つけたのは、自身のストレスの捌け口を求めてネットの世界をさ迷っていたときのことだった。
自分の抱える恨みをネット世界でなく現実で発散したいという欲求も持っていた男だったが、自分で爆弾を作る知識も適切に管理する知識も無いと諦めていた。しかしその書き込みによると、その爆弾は製作者が指定した日時以外ではけっして爆発せず、仮にそれ以前に破壊されたとしても爆弾としての機能を失うだけで誤爆することは絶対に無いらしい。更に爆弾とは思えない外見をしているため、街中に設置したとしても不審に思う者はまずいない、とのことだ。
「……まぁ、物は試しか。どうせ安いし」
男はそう呟き、その書き込みにあったアドレスから爆弾の売人への連絡を試みた。
そして、現在。
「マジかよ、めっちゃ燃えてる!」
「中に残ってる人達、早く助けないとヤバいんじゃないの!?」
「危ないから下がって!」
「ドリル持ってこい! 入口を何とかしないと入れねぇぞ!」
「水圧上げて! 上の火に届いてないぞ!」
黒い煙をもうもうと吐き出して燃え盛るショッピングモール。
それを見上げながら悲鳴をあげたりスマホを掲げている群衆。
そんな彼らが現場に近づかないよう規制線を張って必死に呼び掛ける、ここから一番近い警察署か交番から来たと思われる警察官。
建物の炎にホースを向けて必死に消火活動をしつつ、入口の瓦礫をどかそうと悪戦苦闘している消防団員。
それらの様子が一目で分かる程度にショッピングモールから離れた場所で見つめていたその男は、今までの人生で味わったことのない感覚に酔いしれていた。
「――ハハ」
無意識に漏れた声は喜色に塗れ、その口角は自分でも咄嗟に思い出せないほど久し振りに上がっていた。燃え盛る炎から伝わる熱波とは別に、内側から湧き上がる熱によって男の顔が仄かに赤く染まっている。
と、ズボンのポケットにしまっていたスマホが震え出し、男はそれを手に取って電話に出た。
『よう。ニュースでも大騒ぎだぜ』
画面に名前が表示されているのを見越してか電話の相手は名前すら告げずいきなり本題に入ったが、男は気分を害した様子は無く、むしろその言葉に口角を更に上げて上機嫌となった。
「俺の手に掛かれば、平和ボケした馬鹿な日本人なんてこんなモンよ。まぁ、馬鹿の分際で今まで散々俺を馬鹿にしてきたツケとしては、まだまだ全然足りないくらいだけどな」
『おーおー、頼もしい限りだねぇ。で、その口振りからして、もっと俺の爆弾が欲しい感じかな?』
「当然。今度はもっとでかい場所を狙ってみるのも有りだな。それとも、ここいらで国会辺りでも狙ってみるか?」
『どこを狙おうが勝手だが、次はちゃんと金は貰うからな。今回は“依頼”って形だったから無償で提供したけどよ』
「言われなくても分かってるよ。――とりあえず、その話はまだ後日だな」
『おう、待ってるぜ』
終始弾んだ声で電話の相手と遣り取りをした男は、スマホを元のポケットにしまうと改めてショッピングモールへと目を向けた。
群衆・警察官・消防団員に一通り視線を遣り、鼻を鳴らして嘲笑を浮かべてから、男はその場を離れていった。
「成程ね」
それは、少年の声だった。