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第1話「異世界の勇者、異世界に帰る」

 地平線には空と山しかない、見渡す限り草1つ生えていない荒野。餌が無ければそこを住処にする動物もおらず、まさしくそこは“不毛の大地”と呼ぶに相応しい荒涼とした景色が広がっている。

 そんな荒野のほぼ中央にて、()()()()の命運を賭けた戦いが今まさに始まろうとしていた。


 1人は、あどけなさの残る黒髪黒目の少年。魔法的な細工の施されたローブで全身を包み、右手には魔法の発動を補助する豪華な宝石をあしらった身の丈サイズの杖と、格好こそ立派な魔法使いだが、男子にしては低めの身長に幼い顔立ちのせいか服に着られている感が拭えない。

 そしてそんな彼と対峙するのは、染み1つ無い白い肌に、それ自体が光を纏っているかのように鮮やかな金色の長髪をした女性。新雪のように真っ白な1枚布の衣服に同じく真っ白な2対の翼が背中から生えるその姿は、まさしく神話に登場する女神を彷彿とさせる。


「人の身で神の領域に至りし人の子よ、よくぞ我の前に辿り着いた。褒めてつかわそう」


 女性の言葉に少年は口を開くことなく、その目に警戒心を宿らせながらジッと彼女を見据えて杖を構える。


「貴様ほどの実力ならば、我を守護する天使の末席に加えてやっても良いぞ」

「悪いけどお断りだね。自分で魔物をけしかけて魂と信仰心を集めるような奴の手下なんて御免だよ」


 少年の杖を握る手に力が籠められ、杖の宝石が青白い光を纏い始めた。

 女性は彼の答えを予期していたのか、さほど表情を変えることなく小さく溜息を吐くに留める。


「何故そこまで()()()()の者達に肩入れするのか、我には理解ができぬ。所詮貴様は、無理矢理この世界に連れて来られた部外者だというのに」

「確かに最初はそうだったけど、それでも僕に優しくしてくれた人達のために、僕のできることをするだけだ」

「それすらも貴様を魔王討伐という目的に縛り付ける枷だと知ってて、か?」


 女性の問い掛けに、少年は意識だけを自身の背後へと向けた。

 目を凝らしても見えることの無い場所にいるであろう()()を思いながら、少年は口を開く。


「少なくとも、あの3人の気持ちは本物だと確信できるから」





 少年が意識を向けたそこでは、大地を埋め尽くしていると錯覚するほどの魔物の大群が、たった3人の男女に向かって進軍していた。狼や熊、あるいは巨大な蛇などを象ったその魔物達は、まるで自我を失ったように一心不乱に目的地へと突き進んでいく。


「1匹たりともここを通すな! リュウを女神との闘いに集中させるんだ!」

「んなの分かってんだよ! いちいち説明すんな!」


 青地に金色の装飾が施されたマントを翻しながら剣を振るオレンジ髪の青年の呼び掛けに、両手に金属製の籠手を装着した筋骨隆々の大柄な赤髪の女性が怒鳴るように返事をした。

 まるで喧嘩のように聞こえるその遣り取りは、視界を埋め尽くすほどの魔物を相手にして気が立っているため――というわけではなく、この2人は最初に出会ったときから大体こんな感じだったりする。


「2人共、少しは集中」


 それを示すかのように、絵本に出てくる魔法使いのような大きなとんがり帽子を被る青髪の少女が、背中越しに聞こえてくる2人の会話に呆れ顔を浮かべていた。


「はぁ!? してるっつーの!」


 赤髪の女性が、返事を言い切ったタイミングで籠手を装着した右腕を魔物達に向けて殴るように突き出した。しかし間合いが離れているため魔物には届かない――かと思いきや、彼女の籠手から火花が散り、その火花が龍を象った雷へと変化しながら魔物達へと文字通り食らいついた。幾十、幾百もの魔物が、龍に呑み込まれるように雷の餌食となっていく。


「誰に向かって言っている!」


 そして彼女に呼応するようにオレンジ髪の青年も、自身の剣を前方の魔物達に向けて真一文字に振り抜いた。剣自体に先程の籠手のような変化は見られなかったが、その瞬間、彼の前方にいた魔物達が一斉に体を真っ二つに切り裂かれてその場に崩れ落ちた。


「なら良い」


 そして残る青髪の少女も、杖に魔力を込めて前方の魔物達に差し向けた。すると次の瞬間、ちょうど魔物達が立つ辺りの地面に大きなヒビが入り、そこから赤黒い光を煌々と放つマグマが噴き出して魔物達を呑み込んでいった。


 まさしく一騎当千。

 1人だけで軍団を相手取れるほどの強大な力を持った者達。


「――――!」


 そんな彼らが、背中から貫かれるような鋭い気配に、思わず顔を強張らせて後ろを振り返った。

 その瞬間、地上に太陽が顕現した。


「なっ――!」


 咄嗟に腕で目を庇うほどの眩い光が辺り一帯に迸り、少し間を空けてビリビリと体を震わせるほどの爆発音が鳴り響いた。吹き飛ばされた大気が砂と熱を巻き込んで襲い掛かり、彼らの纏う衣服に施された防御魔法が反応して青白い光を淡く放つ。


「ははっ! 相変わらずメチャクチャだな!」

「さすが私の見込んだ男!」


 事情を知らぬ者が見ればこの世の終わりだと嘆いても不思議でない光景を前に、赤髪の女性が獰猛な笑い声をあげ、オレンジ髪の青年が自分のことのように誇らしげに胸を張り、


「リュウ――」


 青髪の少女が、その杖を両手で祈るように握り締めながら少年の名前を小声で口にした。





 大規模な爆発を皮切りに始まったその戦いは、後世の歴史書によると一刻ほど続いたという。1つ1つの魔法が町を滅ぼすほどの大災害に匹敵する規模であり、荒野と隣接する領地では魔法によるものと思われる光や音が幾度となく観測されたと記録されている。

 規模だけで見れば、もはや戦闘ではなく“戦争”とも称せるほどの戦い。

 その果てに、


「――まさかこの我が、人の子に敗れる日が来ようとは」

「…………」


 最後に立っていたのは少年――リュウであり、地に伏せるのは女神のような女性の方だった。新雪のように美しかった翼は見る影も無くボロボロで、生命力を具現化したかのような存在感は今にも消え入りそうなほどにか細い。

 しかしそれでも彼女の顔に後悔の類は微塵も無く、そしてリュウの表情は旅の目的を果たしたことへの満足感など微塵も無かった。むしろ今の彼は、泣き出しそうなのを堪えるかのように口を引き結び、地面に視線を落としている。


「何故そのような顔をする、人の子よ。貴様は人間共の視点から見れば、間違いなくこの世界を救ったというのに」

「…………」


 答えなかったのか、答えられなかったのか。リュウからの返事は無い。

 しかし女性はそれに気分を害する様子は無く、むしろ小さな子供を諭すかのような表情で話を続ける。


「役目を終えた貴様は、程なくして元の世界に戻るだろう。その後にこの世界がどうなるか、それはあくまでこの世界に住む者達の問題だ。貴様が気に病むことではない」

「…………」

「それとも、奴らのことが気掛かりか。それこそ今更だ。貴様と奴らが運命を共にする未来など、最初から有りはしなかった。あるいは――いや、これこそ今更か」


 リュウからの反応は無かったが、女性は構わず言葉を連ねる。

 しかしそれも、遠くからリュウの名を呼ぶ仲間達の声が終わりを告げる。


「さらばだ、人の子よ。――――」


 最後に付け加えられた()()()()にリュウがハッとした表情で顔を上げる。

 しかし既に、彼女の姿はそこには無かった。


「リュウ!」


 そして背後から自分を呼び掛けるその声に、リュウは後ろを振り返った。

 自身を“勇者召喚の儀”で召喚した王国の第二王子であり、剣と魔法を織り交ぜた“剣魔術”の師範代の称号を持つオレンジ髪の青年――シム。

 森の中に住む少数民族“ロツス族”族長の1人娘であり、自身の体に宿る精霊の力を借りて戦う赤髪の女性――ルベド。

 シムの王国と隣接する帝国の魔法研究所に史上最年少で入所し、旅の最中にもユウキと共に数多くの魔法を開発してきた青髪の少女――アウロラ。

 この3人が、リュウが()()()()に飛ばされてから始まった旅の仲間、だった。


「――リュウ!」


 ふいにリュウの体が青白く光り出したことに、アウロラが悲痛ともいえる叫び声をあげた。シムもルベドも、そして当の本人であるリュウも一瞬驚きで息を呑むが、すぐに察したように落ち着きを取り戻す。


「どうやら、役目を終えたと判断されたようだ」

「判断されたって、誰にだよ?」

「少し前までならあの女神と答えたところだが、さて、結局誰になるのやら」


 シムとルベドがそんな会話を交わす中、アウロラがリュウへと歩み寄る。


「……リュウ」

「……お別れだね、アウロラ」

「――――」


 リュウの言葉にアウロラは口を開きかけ、視線を落とし、目を瞑り、小さく息を吐き、そして目を開けて再び彼へと視線を向けた。


「――元気で」

「うん、みんなも」

「後の事は私達に任せてくれ」

「ま、結構楽しかったぜ」


 リュウの体がいよいよ光に包まれ、彼の姿が判然としなくなった。

 彼らにとって、別れの挨拶はこれで充分だった。最初から決まっていた結末だ、今更慌てて会話を交わさなければいけないほど、彼らが共に過ごした時間は短くない。


「それじゃ」


 こうして偽りの平和を作り出した元凶から世界を取り戻した救世の勇者は、後世の歴史書からは想像もつかないほど、ひどくあっさりと()()()()から姿を消した。



 *         *         *



「――――ここ、は」


 龍之介が目を覚ましたとき、最初に視界に映ったのは真っ白な天井だった。

 目だけを動かして周囲の状況を確認すると、同じく真っ白なベッドに横たわり、薄手のパジャマを身に纏っているのが分かった。どちらも汚れが見当たらず、こまめに洗濯して清潔に保たれているのが窺える。

 そして同じ部屋の中に、自分以外の人の気配がすることも。


「あっ――えっ――」


 真っ白なナース服を着たその女性は、ベッドに横たわったまま目を動かしている龍之介にこれでもかと目を見開き、意味を成さない声を漏らしていた。

 ともすればリゾート地で大量殺人鬼にでも出くわしたかのような反応に、龍之介は事情を知らないながらも何故か申し訳ない気持ちになった。


「えっと……」

「りゅ、龍之介くん! えっと、わ、私の声、聞こえる!?」

「あっ、はい、聞こえます」


 ズイッと顔を近づけて尋ねてくる女性に、龍之介はコクコクと小刻みに頷きながら答えた。


「――ちょ、ちょっと待っててね! 先生呼んでくるから!」


 女性はそう言うと、龍之介の返事も聞かずに部屋を飛び出していった。ドアの向こうから女性のものと思しき足音と「せんせー!」と大声で叫ぶ声が聞こえてくる。

 訳も分からず独りにされた龍之介は、戸惑うように独り言ちた。


「ナースコール使えば良いんじゃ……」





 その後、病室の中は上を下への大騒ぎとなった。

 初老の医者が慌てた様子で病室に駆け込み、ベッドで横になる龍之介と目が合うと途端に驚愕の表情を浮かべた。二言三言会話を交わして本当に意識があることを確認すると、部下らしき若い医者や看護師に次々と指示を出しながら簡易的な検査が始まった。

 彼らの説明によると、龍之介は自宅を出て遊びに行く途中に交通事故に遭い、実に1年近くもの間ずっとこのベッドで眠り続けていたらしい。懸命な治療も虚しく一向に意識を取り戻す気配が無く、正直自分達でもどうすれば良いのかお手上げ状態だったらしい。


 ――うーん、実感が無い……。


 とはいえ、つい先程まで異世界で旅をしていた龍之介からしたら、まるで見ず知らずの他人の話を聞いているかのような心地だった。()()()()()()を旅立ってからずっと覚えている酷い倦怠感も相まって、どこか夢の中をさ迷っているかのような非現実感が拭い切れない。

 非現実感で比べるなら、魔法と魔物と女神が実在する向こうの世界の方がよっぽど大きいというのに。


「龍之介っ!」


 と、丁度検査が終わったタイミングで、駆け込むを通り越して飛び込むくらいの勢いで、龍之介の母親が病室に入ってきた。

 彼の記憶の中での母親は、バリバリと仕事をこなすエネルギッシュな人物だった。自分が幼い頃からまるで老けることなく若々しいままで、身だしなみにも気を遣っていたからかスーツ姿がバシッと決まっていて格好良かった。

 しかし目の前にいる彼女は顔が真っ青になるくらいに息も絶え絶えで、ゴムで纏めた髪も所々(ほつ)れている。おそらく病院から連絡を受けて、そのまま必死に駆けつけてきたのだろう。自分なんかより、よっぽど彼女の方が病人に見えた。

 随分と酷い顔だな、と龍之介はぼんやりと彼女を眺め、そしてそんな顔にさせているのが自分のせいだとすぐに思い至った。


「龍之介っ……! 良かった……、本当に良かった……!」


 医者がスッとベッドから離れ、入れ替わるように歩み寄る母親が膝を折ってベッドに横たわる龍之介に抱きついた。彼女の両目からボロボロと流れる涙が、彼のパジャマに染み込んでいく。

 母親の体から、そしてパジャマに染み込む涙から伝わる熱を感じ、龍之介の目からも自然と涙が溢れ、ベッドに零れ落ちた。


「母さん、ゴメン――」

「謝らないで! 本当に、良かった……!」


 一層力の籠もる母親の腕の中で、龍之介はようやく自分が()()()()に戻ってきたことを実感した。



 *         *         *



 と、そんな感動の再会を果たしてから1週間。

 龍之介は早速、重大な問題にぶち当たっていた。


「暇だなぁ」


 龍之介は自分しか居ない病室のベッドで()()()()()()、腕を組みながら独り言を漏らした。

 検査をするにも医者の方が病室にやって来る現状、彼の生活は基本的に病室とトイレで完結していた。日中のテレビ番組も特に面白い物は無く、ゲーム機を持ってくるよう母親に頼んでも「ちゃんと体を休ませなさい」と聞き入れてもらえず、きっちり定時に出てくる食事も病院食特有の味気無さで早々に飽きてしまう。

 時々来客はあるものの、それ以外はベッドで横になり時間が経つのを待つのみの生活。

 ハッキリ言ってしまうと、今の状況の方が向こうの世界に居た頃よりもよっぽどキツかった。


「というか、いつまで入院してれば良いんだろ」


 自分が入院する原因となった交通事故については記憶に無いし、1年間意識不明だったことも当然ながら自覚が無い。体中を見渡しても事故による怪我の跡は微塵も見当たらないし自覚症状も無い以上、自分が入院しなければいけないとはどうしても思えなかった。

 いや、自覚症状は確かにあった。目を覚ました直後の酷い倦怠感が、おそらくそれなのだろう。

 しかし今の龍之介にはそれが無く、そして彼は自分に健康面での異常が一切無いと断言できた。


 龍之介はこの世界に戻ってきたその日に、自身に“治癒魔法”を掛けたのだから。


「…………」


 ベッドから足を下ろして床のスリッパに滑り込ませ、そのまま()()()()()()()()()()

 壁際の棚にコップが入ってるのをガラス戸越しに確認し、それに向かってスッと腕を伸ばした。


 その瞬間、独りでにガラス戸が開き、コップがフワリと浮き上がった。

 コップが龍之介の伸ばした手に収まり、何も無い空間から現れた透明な液体がコップの中へと注がれていく。

 そうしてコップに満たされたその液体を、龍之介は何の躊躇いも無く口にした。

 その液体は、紛れもなく水だった。


「――やっぱり魔法、使えるよなぁ」


 向こうの世界の出来事が意識不明の時に見ていた夢ではなく現実だと龍之介が確信できたのも、自分の中に魔力が残っており、向こうの世界で習得した魔法も問題無く行使できることを確認していたためだった。目覚めた直後こそ動けないほどに重く()し掛かっていた倦怠感も、今では治癒魔法1つで綺麗さっぱり消え失せている。

 具体的にどこまで魔法が使えるのか。

 それを確かめるためにも、龍之介は少しでも早く退院がしたかった。


瀬良(せら)さんに、それとなく頼んでみようかな」


 瀬良というのはこの病院に勤めている看護師であり、龍之介が最初に目覚めたときに病室にいた女性のことである。どうやら意識不明だったときの彼の世話を主に担当していたのが彼女であり、その流れでここ1週間も(非番でない限り)彼女がそれを続けている。

 龍之介にとっては短い付き合いだが、それだけでも彼女が看護師としてとても優秀なのがよく分かる働きっぷりだった。1年ほど意識不明だった彼に目立った汚れや匂いが無かったのも、彼女が意識不明状態の彼を献身的にケアしていたからに他ならない。


 ――つまり瀬良さんには、僕の色んな所を見られてるということで……。


 これ以上考えるのは止そう、と龍之介は首をブンブンと横に振って思考を無理矢理打ち切った。


「問題無く動けるのをお医者さんに見せれば退院できるかな……。でもいきなり普通の人と同じくらい動いたら、それはそれで変に思われるよなぁ……。いや、そもそも普通よりも早く退院しようとしてるんだから、多少怪しまれるのは仕方ないと割り切るべきか――」


 考える時間は余るほどある。

 龍之介はベッドに腰を下ろすと、これから自分が取るべき行動について真剣に検討し始めた。



 *         *         *



 東京都、霞が関。国会議事堂や中央省庁を始めとした国の機関が数多く集まる、まさしく“政治の中枢”と呼んで差し支えない場所である。

 現在の時刻は、午後8時を過ぎた頃。公務員というと時間外労働をせず定時で帰る印象が強いが、少なくともここに勤める国家公務員には無縁のものだろう。どの建物の窓からも煌々とした明かりが漏れており、中で多くの人々が忙しなく働いているであろうことが容易に想像できる。


 そんな建物の1つ、中央合同庁舎第8号館。

 国会議事堂と首相官邸から程近い場所に建つここには、内閣官房及び内閣府に属する組織が入所している。内閣総理大臣と国務大臣によって構成される内閣の直轄組織であり、政策の企画立案やそれに関する情報収集を執り行う。


「――時間になりましたので、これより会議を始めます」


 そんな建物の一室、長テーブル6脚を長方形に並べるだけでスペースのほとんどを占めるほど小さな部屋にて、三十代半ばの男性が司会として開会の挨拶をした。彼の隣には二十代半ばの女性が補佐として席に着き、目の前に置かれたノートパソコンを操作している。

 部屋にはこの2人以外に誰もいないが、かといって会議の参加者がこの2人だけというわけではない。パソコンの画面にはオンライン会議のアプリが立ち上げられており、別の場所からこの会議に参加する者達の映像が並んで表示されていた。


 その参加者は、見る者が見れば驚くほどに豪華な顔触れだった。

 何といっても目を惹くのは、時の内閣総理大臣・東堂銀次(とうどうぎんじ)。光の当たり方によって銀色にも見える白髪の老人だが、背筋は伸びておりその目に宿る力にも衰えは感じない。

 それ以外の参加者も内閣官房長官や各省庁の大臣、あるいは内閣府の特命担当大臣と、つまり内閣を構成する国務大臣のうち7割ほどが画面上とはいえ一堂に会している。全員でないのは単純に都合が付かなかったからであり、実際は全員に対して今回の会議の参加が呼び掛けられていた。


()()()()で集まるのも、随分と久し振りに感じるな』

『まぁ、()()自体が数えるほどしか居ませんからな』


 何年にもわたって大臣を務めているベテランがそのような会話を交わすのに対し、最近就任したばかりの若い大臣(といっても50歳を超えているのだが)が状況を把握できない様子で首を傾げている。


『あのう、これは何の会議なんですか? “極秘の内容”としか聞かされていないのですが』

『あぁ、確かにそうだな。それじゃ司会の君、説明を宜しく頼むよ』


 ベテラン大臣の申し付けに、司会の男性は「はい」と短く答えて頭を下げた。


「結論から申し上げますと、“異世界帰り”と思われる人物の存在が確認されました」


 男性からの報告に画面越しの大臣からざわめきが起こる中、男性が淡々とした口調で説明する。


「“異世界帰り”――正式名称“異次元世界渡航経験及び特殊能力保持者”とは、我々の住む世界とは別次元に存在する世界に渡り、そこで身に付けた“特殊能力”を保持した状態でこの世界に帰還した者を指します」

『ちょっと待ってください。別次元に存在する世界……というのは、何かの作り話ではなく実際に存在するのですか?』

『“異世界帰り”の者達から聞いた話によると、どうやらそうらしい。もっとも、我々がそれを確認したわけではないがな』


 如何にも疑ってますといった表情で問い掛ける若手大臣にベテラン大臣がそう答えるが、溜息の混じったその声には呆れとも嘲笑とも取れる感情が含まれていた。どうやら彼も、話の全てを信じているわけではなさそうだ。

 大臣達の会話が途切れた僅かなタイミングを狙い澄まして、司会の男性が言葉を滑り込ませた。


「“異世界帰り”の特徴は大きく分けて3つ。1つ目は、病気や怪我などを理由に長期間意識不明の状態にあったこと。2つ目は、その間にこの世界とは異なる場所にて活動していた記憶が本人にあること。――そして3つ目が、その異世界にて手に入れた“特殊能力”をこの世界においても使えること」


 男性がチラリと隣の女性に目配せし、女性がキーボードを叩いて画面に資料を表示する。

 それは簡略的な日本地図であり、所々に赤点が記されていた。一番多いのは東京を中心とした関東圏、次に大阪や京都の周辺、と基本的に大都市に集中しているが、中には都市圏から離れた田舎や小さな島、更には海外の大陸のど真ん中に記されたものもある。


「現在我々が確認している日本出身の“異世界帰り”は18名、その全員がそれぞれ“特殊能力”を持っています。ゲームやアニメに出てくるような魔法を使える例もあれば、純粋に知能や体力などが極端に底上げされた例もあります」

『厚労省所管の研究所にも、極秘ではありますが“異世界帰り”が所属しています。感染症に対する特効薬の開発など、大きな功績を幾つも挙げていますよ』

『海外に拠点を置く日本人の“異世界帰り”は農業に特化した能力を持っていて、広大な土地を農場に変えて世界の食糧問題解決に大きく寄与しながら莫大な利益をあげている。表向きには普通の企業となってるが、事務を除けば実質その1人で生産してる状況だ』


 比較的若い部類に入る厚生労働大臣が敬語で話し、ベテランの1人である農林水産大臣が更に付け加える形で“異世界帰り”の事例を説明する。


「今の説明にあったように、政府と協力関係にある“異世界帰り”も複数名存在します。もっとも先程の事例にもある通り、多額の報酬と引き換えにその存在を秘匿させてもらっていますが」

『“異世界帰り”の力は様々だが、どれも強力なものばかりだ。犯罪組織に狙われるのは勿論だが、他国に引き抜かれるのも我々にとっては大きな損失だ。たとえ国益に利するような能力でなかったとしても、その動向を監視させてもらっているというわけだ』

『で、今回の議題は、その“19人目”についてということか』


 ベテラン大臣の発言に司会の男性が頷き、補佐の女性が画面に1枚の写真を表示する。

 その写真には、病院らしき白い部屋のベッドに眠る1人の少年が映し出されている。


「野々原龍之介、16歳。去年の5月に交通事故に遭い、1年近く意識不明だった少年です。先週の金曜日に意識を取り戻し、現在都内の病院に入院中です」

『それで、この少年が何か不思議な力を使ったと?』

「今のところ、そちらは確認できておりません。しかし()()()の話によると、意識が回復して1週間で既に病室内を自由に歩き回り、食事も普通に摂っているそうです。本人はそのことを隠しているようですが」


 その報告に対する反応は、何かおかしなことがあるか分からず眉を寄せる者と、納得したように小さく頷く者に綺麗に分かれた。


『成程、確かに妙だな。俺の親父も脳梗塞で倒れたとき、リハビリ施設に行くのですら1ヶ月は掛かった記憶がある』

『ましてやこの少年は1年近く寝たきりの状態だった、そう簡単に筋肉や消化器官が回復するはずがない。――普通の人間ならば』

『ただ単に、人より回復が早かっただけという可能性は? まだ若いようですし』

『勘違いならば、それで良し』


 と、ここまで黙ったまま会議の動向を見守っていた東堂総理が口を開いたことで、大臣達が一斉に会話を中断してカメラに向かって前のめりになった。おそらく自分のパソコンの画面を通して総理に注目しているのだろう。


『しかし勘違いでなければ、適切な対処をしなければならない。まずは彼が“異世界帰り”であるかどうかを明らかにする必要がある。――勿論、本人には気付かれずにな』

「はい。そのためにも、調査のための専門チームを立ち上げる必要があるかと」

『分かった、許可しよう。3日以内にチームのメンバーを纏めて、書面で提出するように。公式に残す文書ではないため、様式は問わない』

「畏まりました」


 こうしてほとんどの人間に対して内密に行われた会議は、司会の男性と補佐の女性による多大かつ迅速な根回しによる労力に反して、ほんの数分の内に終了した。

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