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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

戦場の聖女は歪んだ愛に気付かない

作者: 南雲 皋

 土煙、怒号、悲鳴、剣戟(けんげき)、魔法の光、血の匂い。

 そういったものに囲まれて、私は私の役目を果たす。


 腕の()がれた兵士、脚を失った魔導師、痛みに(あえ)ぐ人々を聖なる祈りで治癒(ちゆ)するのが、戦場(いくさば)の聖女こと私、アルメリア・ジョナフィールドの役目だった。


 魔王軍との熾烈(しれつ)な争い。

 世界各地で魔物たちとの小競(こぜ)()いも発生しているが、魔王を討ち果たすべく進軍するここは、他とは比べ物にならないほどに激しい戦いが繰り広げられていた。

 人間同士の戦争であれば休息がある。しかし魔王軍との戦いにおいて、そんな甘い話はひとつとしてなかった。昼夜問わず繰り広げられる戦いに、人々は疲弊(ひへい)していた。


 それでもなお戦い続けていられるのは、私がいるからだ。

 “聖女“という柱があるからこそ、彼らの心は折れずにいる。


 自惚(うぬぼ)れではなく、事実だった。


 元々は聖堂に(こも)り、ひたすらに顔の見えぬ民を守るために祈り続けていた私を、周囲の反対を押し切って戦場へと連れ出したのは司祭のマリオスだった。

 彼と護衛に連れられて初めて魔王の()まう城が見える距離まで来た時には、目の前で繰り広げられる激しい戦いに震えが止まらなかった。


 マリオスに支えられて瀕死(ひんし)の兵士たちの元へ行き、大量の血を流しながらも魔物との戦いを続けているかのように(うな)される男性を(いや)す。


 聖堂での祈りは女神の像を媒介(ばいかい)として私の力を薄く広く届けるものだった。直接人を癒すのは聖女だと分かった時以来で、まして血に(まみ)れ、眼前に死が迫る人間を癒したことなどない。

 上手く治癒できるのか不安だったが、彼の傷はすぐに治り、呼吸は穏やかなものに変わっていった。


 長く続く戦いに疲弊した兵の瞳は、出口の見えない迷宮に迷い込んだようだった。光を失い、ただひたすらに目の前に現れる敵を倒す日々。

 誰かを守るために始まったはずの戦いは、己の命を明日へ繋ぐことが精一杯になっていて。


 傷付いた兵を直接癒すうち、彼らの瞳に光が灯るのを見た。

 私の治癒の暖かさに涙を流し、人の温もりを思い出したと微笑んだ彼らは、前線へ送られた当初と同じ、いや、それ以上の力が出せるようになっていた。


 伝説の勇者が本当にいたのなら、きっと勇者が彼らの精神的な支柱になっただろう。けれど伝説は伝説のまま、勇者が産まれた時に(かえ)るとされる不死鳥の卵は聖域の最奥で今もつるりとした(から)を保っていた。


 欠損部分までも回復できる治癒能力を持つ聖女は、伝説ではなく実際に複数人存在した。歴代聖女の中でも私の治癒能力は特に秀でていて、だからこそマリウスは私をここへ連れ出したのだろう。

 今までの聖女は欠損こそ治癒できるものの、そこにはかなりの痛みを共なったのだそうだ。私のように、治癒を暖かく、心地よいものだと感じることはなかったのだと。


 私の治癒は乾き切った兵の心にゆっくりと沁み込んでいく。

 聖女様がいれば大丈夫、と。

 皆がそう思うようになるまで時間はかからなかった。


「アルメリア、少し休みなさい」

「マリオス様」


 汗を流して患者を治療する私にハンカチを差し出しながら、マリオス様が柔らかく微笑む。

 強固な結界を張れるマリオス様は、安全地帯を三交代制で維持し続ける結界師たちを手伝い、定期的にこうして私を気遣(きづか)ってくれていた。

 受け取ったハンカチで汗を(ぬぐ)い、他の治癒師に声を掛けて休憩に入った。


 治癒師も交代制で、私がいなくとも大抵の怪我や病気には対応できる。腕や脚を完全に失って担ぎ込まれる患者の対応には呼び出されるが、切り落とされた部位を持ち帰ることができていれば、繋ぎ合わせて癒すことは高位の治癒師であれば可能なのだ。


 救護のために建てられた小屋を出て、この地にありながら壊されずに残っていた教会へ向かう。教会に勤めていた司祭たちは腕が良かったのだろう。管理する人間が離れてもなお、しばらくの間結界を維持していた形跡があった。そのおかげで魔物たちの手から逃れ、今は私の家となっている。


「……?」


 何かが、視界の隅でキラリと光った。

 今何かが、とマリオス様の方を振り返ると、見たことがないくらいに焦った彼の顔が見えて、そして、次の瞬間には彼の腕にすっぽりと包まれていた。


「ぐっ……う……」

「マリオス様!」


 呻き声にマリオス様を見れば、私を引き寄せた腕がほとんど取れかかるくらいになっていて、そこから(おびただ)しい量の血が溢れ出していた。ほとんど悲鳴に近い叫びを上げ、私はマリオス様の怪我を治療する。

 騒ぎを聞きつけた結界師が確認しにいくと、光の見えた方角に張られていた結界の一部に(ほころ)びが見られたそうだ。術者と術者の狭間(はざま)、結界が局地的に薄くなっていた部分を()()られたのだろうということだった。


「ありがとうアルメリア、もう大丈夫ですよ。君に怪我がなくて良かった。間に合わなかったらどうしようかと思って……」


 安全地帯だからと油断していてはダメですねと笑ったマリオス様に胸が痛む。集まってきた人々にもう安全だと伝え、マリオス様の手が私を教会へと向かわせた。

 私の青い顔を見てか、もう今日はそのまま休んだ方がいいと皆口々にそう言った。


 木製の扉を開け、正面に置かれた女神像に礼をする。小さなステンドグラス越しに差し込む光に照らされた女神像を見ると、早まった鼓動が少し落ち着いた気がした。

 奥にある居住スペース。自室にしている部屋へ入ると、後ろをついてきていたマリオス様へ両手を伸ばした。血で汚れた服を気にしてなかなかこちらへ来ないマリオス様に()れ、自分からその胸に飛び込んで抱きしめる。


「あなたを、失うかと思った……!」

「それはこちらの台詞です。あれはあなたの心臓を狙っていた」

「でも……たくさんの血が流れて……」

「大丈夫、あなたが全部治してくれたでしょう?」

「ええ……きちんと、治せた?」


 マリオス様は困ったように笑い、身体を離すと司祭服を脱いだ。下に着ていたシャツも脱ぎ、聖職者にしては(きた)えられた上半身があらわになる。

 怪我をしていた腕には傷ひとつなく、私はそれを確かめるように皮膚(ひふ)を撫でた。

 肌を滑る私の手をマリオス様の手が絡めとる。そのまま引き寄せられ、唇が重なった。


 マリオス様が私を戦場へ連れてきたのは罪滅ぼしのためもあるのだろうと思う。

 女神へ向ける愛と信仰を失ったわけではない。それでも。

 聖女と司祭が愛し合ってしまったなど、誰にも言えるはずがなかった。聖堂では触れ合うことさえ出来ず、甘く(とろ)けるような視線を密かに重ね合わせることが精一杯だった。


 こうして唇を合わせ、舌を絡ませ、欲深い行為に手を伸ばす私たちは、きっと(ゆる)されない。魔王を討ち果たしたとして、平和な世が訪れたとして、皆が望むその世界に私たちはいられない。


 いつか戦場で、共に死にたい。


 本当は今日も、二人で死んだとて良かったのだ。マリオス様だけが傷付いたことに動揺してしまったけれど、マリオス様の腕を落としたあの攻撃が私にまで届いていたなら治癒などせずにいただろう。


 マリオス様の熱を全身で感じながら、私はいつかのために想いを新たにするのだった。



.*・゜ .゜・*.



 アルメリアの柔らかな金の髪を撫で、私は静かに立ち上がった。結局あれから何度も交わり、すっかり夜も()けてしまった。手早くアルメリアの身を清めると、脱ぎ捨てた服を持って何も身に付けないまま部屋から出る。

 静まり返った教会内部の空気は澄み切っている。女神像に触れると、なめらかな石の感触が手のひらに伝わった。


「アルメリア……今日も素晴らしかったよ……君はどんどん完璧な聖女になっていく」


 女神は、ヴェールを(まと)って(たお)やかに立っている。なびくヴェールの間から見える脚に手を這わせ、それから(すが)り付くように抱きしめた。


 柔らかく暖かなアルメリアとは対象的な、硬く冷たい女神像が、私を叱責(しっせき)する。


――まだ……まだ、足りない……――


 そうだ、まだ足りない。アルメリアにはもっと輝いてもらわなくては。女神の器、私の最愛。

 いつか二人がひとつになるまで、私は私の全てを捧げよう。


 洗濯場へ血で汚れた服を放り投げ、綺麗な服に着替えると、アルメリアが深く寝入っていることを再度確認してから教会を出た。


 自分の周囲に張った結界を濃くして、見張りの兵に気付かれぬよう森に入る。少し離れたところから聞こえる戦闘音を無視し、森の奥、崖下(がけした)(つく)られた洞窟(どうくつ)へと足を踏み入れた。


 結界を解けば、ようやく私を発見したらしい魔物がこちらへ向かってくる。それが先程アルメリアに向かって魔弾を放った魔物だと気付いた瞬間、私は手から結界を剣のように伸ばし、斬り捨てていた。


「聖女の命を(おびや)かせとは誰も言っていないよ?」

「うちの部下がすまないな」


 暗がりから出てきたのは悪魔のようなツノと羽根を生やした男だった。スーツを着こなす彼は、この辺り一帯の魔物を取り仕切っている。


「知能の低い魔物を調教するのは大変だろうけれど、もう一度同じことがあれば私は別の取引相手を探すことにする」

「あぁ、聖女の顔をしっかり覚えさせておく。それで? 今日は文句を言うためだけにわざわざ来たのか」

「まさか。新しい配置を知らせに来たんだ」

「それはそれは」


 彼は私の(ひたい)に手のひらをあて、いつものように記憶を読み取った。これでまた、彼らはこちらの兵とバランスを保ちながら交戦してくれることだろう。


「それでは、また」


 結界もなしに歩く私を、襲ってくるような魔物はいない。別に襲われたとて返り討ちにするだけなのだが。

 無駄な殺生はしたくない。少し前に斬り捨てた魔物の死骸(しがい)足蹴(あしげ)にし、結界を張って洞窟を後にした。


 聖女が聖女であるために必要なものは何か。

 それは、傷付いた人間だ。アルメリアの暖かな治癒に触れ、彼女を聖女だと崇める人間がいるからこそ、彼女は輝く。女神になれる。


「アルメリア、私の女神」


 私の傷を必死に治す彼女の顔は良かった。彼女の心臓ではなく、最初から私を狙ってくれていればあの魔物は今でも生きていられただろうに。


「ずっとずっと、皆を癒し、愛される聖女であっておくれ」


 教会に戻り、アルメリアの寝室へ。ベッドで穏やかに眠る彼女は誰よりも美しい。

 愛するアルメリアが聖女として輝き続けられるように。


 これからもずっと、戦いの日々を。

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