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識域のホロウライト  作者: 伊草いずく
1.Hollow White, Starry Sky.
9/52

1-6.「存在は壊れる」

 弾丸のような勢いで飛来した工場の大型機械が、大蜘蛛を暗闇のただ中へと吹き飛ばす。


「はあっ……はあっ……!」


 全身血塗れの俺は、壁に背を預けた姿勢で荒く息をした。

 動作に伴う苦痛と、それでも消えない激しい怒りで、自分がまだ生きていることを実感する。


『真理の定立、及び使用による空想の実体化を確認。形象(けいしょう)強度よし、交戦可能と判定』


 脳裏で淡々と響くのは機械音声。


『肉体各部の破損状態計測、及び理想値設定を終了。《自動修復(オートリペア)》を実行します』


 続く声と共に、全身の疲労と消耗、そして痛みが消えていくのを感じた。


 暗闇の奥へと姿を消した蜘蛛の気配を感覚で追いながら、自分の手足の様子を再確認する。

 血と汚れに塗れてはいるが、()えていた。

 無傷、動かしてみても違和感一つ感じない。


 代わりに意識には、膨大な量の情報が――精彩さを増した感覚刺激の波が殺到していた。

 世界の全てがかつてないほど明瞭に感じられる。

 熱持つ右腕を中心に、周囲の状態が進行形(リアルタイム)で、つぶさに精神へと伝わってくる。


 新たな感覚起点となった右手の甲には、鋭角の渦を思わせる光の刻印が脈打っていた。

 焼け付くように疼き、しかし自分の身心の一部かのごとく馴染む印の色彩は、白――無垢の白(プロト・ホワイト)


 直感的に理解する。

 これがある内は、戦える。あの怪物に目に物見せてやれる。


 大気に触れている指先が、わずかな震動の発生を感知した。

 同時、俺は動いた。


 どきゅっ!


 体重をかけた踏み込みの瞬間、足元のコンクリートが音を立てて砕け、全身が急加速。

 糸の大矢を撃ち放とうとしていた蜘蛛に向け、一直線の突撃を開始する。


 ばしゅうっ!


 一拍遅れて、小ぶりな槍ほどの大きさを備えた死の暗絹色(ダーク・シルク)が発射された。

 狙いは胴、命中すればどうあれ即死。


 だが軌道は読めている。

 行動を起こすべきタイミングも。


 ぱきっ!


 足下、再び地面が砕ける感触を合図に俺は跳躍。

 背面跳びの要領で大矢を回避(ヴォルト)し、糸引きの射手へと肉薄を果たす。


 きり、きりり――。


 接触の刹那、振りかぶった右手の刻印が無機質に()き、暗色(あんしょく)の闇に白光(びゃっこう)を閃かせた。


 迎撃のために繰り出された前脚は一瞬遅い。

 二連刺突をかい潜り、軌跡を()右掌(みぎてのひら)が蜘蛛の胴体後部へと吸い込まれる。


 直後――その異形の輪郭(シルエット)が、光に上塗りされたかのように()()()()()


《ぎぃっ――!?》


 掌の通過軌道をなぞるように噴き出した体液。

 その熱を背に感覚しながら、地を削って制動する。


 大蜘蛛の苦鳴には驚愕の色が(にじ)んでいた。

 何をされたか予測も付けられずにいるらしい。


 逆の立場なら、俺も同じことを思ったかもしれない。

 だが、何か難しいことをやったわけじゃない。この一合で俺が使った手札は一枚きりだ。


 真理――俺にとって自明で、何よりも確かな感覚――その影響を、“掌”の影響が及ぶ三箇所へと順々に及ぼした。それだけ。


 “存在(もの)は壊れる”。

 物体も生命(いのち)も、この世界にとっては二番目以降のどうでもいいもの。

 その“どうでもよさ”――存在が抱える()()()()を少しだけ後押しし、自壊し(こわれ)てもらったのだ。


 ()()()()に強度や大きさは関係ない。

 青銅の巨人だって滑れば転ぶ。転べば砕ける。


 存在が壊れる時、そこには力量(エネルギー)の余剰が大なり小なり発生する。

 その勢いをうまく借りれば、自分を高速で動かすことも、触れた箇所からドミノ倒しのように対象を崩すことも出来る。


 とはいえ浅かった。

 仕留められなかった分、警戒されやりにくくなった。


 しかし構わない。

 一手で足りないなら、壊れきるまで何度だって打ち込んでやる。


 血を流す大蜘蛛の姿が(かす)み、壁面に張り付く。

 音を立てて全身に生じた口吻(こうふん)から、暗く光る糸が濁流のように空間へと溢れ出す。

 不可視の手で見る間に編まれていくそれらは、一方では(まゆ)状の全方位防御を、他方では何発もの糸の巨大砲弾を形成する。


 本来は射撃特化、遠距離型か。

 傷を負わされた途端に隠れ出す性根、つくづく気に食わない。


 ばしゅううっ!


 撃ち出された砲弾の火線が視界のほとんどを埋め尽くす。

 面制圧、回避を許さず押し潰す算段。


 なら防ぐまでだ。


 どくんっ!


 右腕を地面に突き立て、放つ心臓の鼓動に集中(フォーカス)

 反響を手繰(たぐ)り、下方一帯の存在構造を一息に把握する。


「(“壊す”範囲を指定! 必要な形を削り出して、最後に底部を崩壊促進(オーバーロード)――打ち上げるっ!)」


 きりいっ!


 刻印が啼いた直後、衝撃と共に地面が爆発隆起。

 厚さを備えた巨壁が出現し、砲弾を真っ向から受け止めた。


 その間にも俺は動いている。

 砕け散った防壁の破片が散る中を駆け、砲撃第二波の射出軌道を感覚予測。

 辿るべき経路(ルート)を割り出すと同時に足元を壊し、自分自身を撃ち出す。


 どっ! ごっ!


 大気を裂き地を穿(うが)つ砲弾豪雨の最中を縫い、大蜘蛛との距離を詰める。

 敢えて工場設備に接触する軌道を選択、身を捻りながら掌を突き、踏破(ヴォルト)

 触れた一瞬で表面を壊し、反動で上方へと駆け昇る。


 天地逆転状態で天井部に着地、両脚で衝撃を吸いきると、再確認した射線を辿り急速降下を開始した。


 破音を()いて飛ぶ砲弾。

 その内の一つが俺を真正面に捉える。


「やられてやるかよ――!」


 叫びながら、たった今しがた掴み取り、握り込んでいた小さな金属物体――天井の金具から引き抜いてきたボルトを“壊し”、投げ放った。


 最初に一帯を感覚した時、見つけていた。

 老朽化と破壊の衝撃で外れかかりながらも、かすかに、しかし確かに支えを成していた(はがね)

 力量(エネルギー)を引き出すには十分だ。


 ぐばぁっ!!


 蜘蛛糸の砲弾に呑まれるように消えたボルトが爆ぜ、絶死の一射を内部から打ち砕いた。

 開いた射線の向こうに感じるのは、繭に身を潜めた大蜘蛛の心拍の手触り。


「あぁああああっ!」


 一閃――引き絞った右掌が無垢白(プロト・ホワイト)の光を放ち、繭を破壊。

 体躯を穿(うが)ち、過半を崩壊させた。


 金属が(きし)るような叫びが空間を染めた。

 張り巡らされた蜘蛛糸が強度と粘性を失う。

 存在としての確かさを失い、溶解の途を辿り始める。


 着地と制動を終えた俺は、落ちた大蜘蛛の方をゆっくりと振り返った。

 枢要臓器欠損、心肺破裂。

 真っ当な生き物であればとっくに死んでいるはずの深手を負って、しかしなお、それは生きている。


 ――とことん、しぶとい。


 陽を浴びた雪のように消え去っていく糸の残滓の中を歩き、近づいた。


《きい、い、い……》


 欠けた複脚を痙攣させ、大量の体液を噴きこぼしながら、それは生きようと足掻(あが)いている。


 とどめを刺そうと、右手を持ち上げる。

 ……けれどどうしてか、振り下ろせない。


 唇を噛んだ。

 急速に怒りが引いていくのを感じていた。

 流れ落ちた体液が、殺された子供の流した血と、同じ一つのものとして混じり合っていくような心地がする。


 数秒が過ぎ、感覚のせいだと気付いた。

 目の前のものから余計な情報を読み取っている。


 ――こいつは、死を恐がっている。


「(だから、何だ)」


 勢いを失う心に噛みつき返す。


「(こいつは、何人もの子供に同じ思いをさせたあげくに殺しただろうが)」


 そう訴えながら、胸の底では既に気付いていた。


 理由ははっきりとはわからない。

 けれど、直感している。


 今こいつをこの手で壊してしまうのは、何かを間違うことだと。


「…………っ」


 諦めて、掌を降ろした。

 刻印から光が消え、活性化していた感覚が元の状態へと戻っていく。


 暗闇から去ろうと、消耗した身体で、傷ついた蜘蛛に背を向けた。


 それだけが俺に出来る“間違い”ではない選択だと思ったからだ。


 結論から言えば、それは確かに間違いではなかった。

 けれど、正解でもなかった。


 ――たぁんっ!


 銃声が、静まりかえった空間に短く響き渡った。


 振り返った瞬間、耳元を細い風切り音が過ぎた。

 糸の矢――射手の絶命により狙いが()れ、頬をかすめるに留まったのだと遅れて理解した。


「りそうてき。でも、赤点」


 聞こえてきたのは、鈴を転がすような澄んだソプラノだった。


 思わず目を向ける。

 崩れた壁の向こう、光を背負い、少女が一人立っていた。


 幾重もの混血に磨かれたようなおもて、流れる銀の長い髪。

 黒衣を(まと)った小柄な体躯――そして、万華鏡のように揺れる虹色の瞳。


 綺麗だ、という印象を持った。

 由祈にすら抱いたことがない感情、不思議に思う。


()()が甘いとそうなる。油断はしばしば、最悪の結果をまねく。……今回はどのみち、こうするしかなかった」


 俺へと歩み寄りながら、相手は息絶えた蜘蛛を一瞥して、そんなふうに結んだ。


「それって、どういう――」


 返しかけて、言葉に詰まる。

 相手がこちらを見つめたまま、目と鼻の先の位置にまで近づいてきたからだ。


「毒の()()はない。でも、記憶率(メモリ)の消耗がはげしい。――安静がひつよう」


 ほとんど触れ合うほどの至近距離から、虹の瞳が頬の傷を仰ぎ、呟く。


 意味を掴みかねていると、その体勢のまま続けて言葉が紡がれる。


「“コギト”。管理者権限、指定(コマンド)。佑に《 意識遮断(カットオフ) 》」

『指定了解。実行します』


 脳裏で機械音声が応答した瞬間、眠気と立ちくらみを合わせたような強烈な衝撃が走り、世界が歪んだ。


「うっ……!?」

「だいじょうぶ、安全は保障する。身心もろもろの健康も。あなたには役割があるから」


 こんなことをしておいて言う台詞じゃないだろう、と思うも、口に出す余裕もない。


 バランスを崩して倒れ込む。

 薄れゆく意識の中、続いた言葉の意味を、辛うじて拾う。


「佑。――あなたは、自分の本当の“願い”を見つけなければならない」


 役割。

 見つける。

 願い。


 反響する言葉が、遠く胸の内で光る()に溶け、やがて消えた。

 灯は、淡く、強く、空疎な感触を伴う色彩に――どこか不穏な、形容しがたい白一色に揺れていた。

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