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識域のホロウライト  作者: 伊草いずく
1.Hollow White, Starry Sky.
8/52

1-5(-2).起動宣告

『真理とは、ある存在がその根本から感覚し確信するに至った、己だけの真実のこと。あなたが今いる空間――識域で、空想を出力する際の柱となるもの』

「よくわからないけど、ないと困るんだな!?」

『手に入れられなければ、数分と()たずに踊り食いのうんめい』


 嫌な未来をあっさり語られる。


『心当たりをさがして。速度(ペース)はそのままで』

「最後さらっと言うことじゃなくないか!?」


 思わずつっこんだが、その一言で通話は終了。

 後には機械音声の定型台詞が繰り返されるばかりとなる。


「“連れ合いを助けたい”じゃ駄目か!?」

潜航失敗(エラー)。異なる“願い”の入力が必要です」

「くそっ!」


 ポケットに端末を突っ込み、断片的に伝えられた情報を整理する。


 増えた手札は二枚。

 逃走経路を示してくれる標識(マーカー)と、“真理(しんり)”と呼ばれた何か。


 それがあれば状況をどうにかできるらしい。

 けれど、手に入れるには本心からの“願い”の宣言が要る。


 それが問題だ。

 他のものなら何とかなるかも知れないのに、よりにもよってそれとは。


 “そんなんだと――”


 地下街で由祈に言われた言葉が脳裏をよぎった。

 ここで怪物に食われて終わる。

 それは確かにつまらない最期だろう。


 ――でも。それはこと俺にとっては、ましな終わりとも言えるのではないか?


 ふとそんな思いが胸を突く。


 だって、俺には“願い”がない。

 このまま生きたところで何をするあてもない。


 ものはいつか壊れる。生命(いのち)はいつかは息絶える。

 痛いのはごめんだけれど、ただ無駄に長らえ、無為に死ぬくらいなら、他の生き物の餌になった方がまだ有意義かもしれない。


 由祈のことは気になる。けれどもしここに迷い込んでいるなら、俺にすら手を差し伸べる“味方”のことだ、きっと放置はしないだろう。

 いや、見方によっては、俺は由祈の救助を遅らせる一因にすらなっているかもしれない。


 ならいいんじゃないのか。ここらで、もう――。


「!」


 その瞬間、標識(マーカー)が不意に“止まれ”を表す赤色に変わり、警報(アラート)が鳴り響いた。


 直感が理由を(しら)せる――追いかけてきているはずの、蜘蛛の走行音が()()()()()


 何かをしようとしている。

 でも、何を?


 気付けなかった寸秒の分、推測と判断が遅れた。


 おりしもタイミングは跳躍の直前。

 中途半端に踏み切ってしまった俺の後ろ脚を衝撃が襲った。


 ――ばしゅっ!


 燃え上がるような感触が走り、ぐらりと世界が傾く。

 感覚が辛うじて捉えたのは、立ちこめる黒雲に鈍く軌跡を残した暗絹色(ダーク・シルク)の光。


「(糸――!?)」


 細く、硬く絞られ、高圧で放出された蜘蛛糸の矢。

 それが(かかと)を射抜いたのだと理解したのは、始まった落下の最中だった。


 姿勢が崩れ減速した身体では到底向こう岸には辿り着けない。

 伸ばした手は空を切り、(もろ)くなっていた廃工場の壁面に激突。

 突き破り、そのまま屋内へと落ち込んだ。


「うっ……!」


 意識が一瞬飛び、痛みによってすぐさま復旧する。

 辛うじて破裂を免れた肺に酸素を取り込もうと、本能が呼吸を促し――別の要因によって、やはり反射的に、ほとんど嘔吐するように()き込んだ。

 精神を芯まで侵すような濃密な血臭、腐敗臭。


 顔を上げた。すぐそばに、口蓋(こうがい)から上が食いちぎられた人間の死体が転がっていた。

 俺を濡らしている腐血は、どうやら彼女からこぼれ出たものらしかった。


 なぜ()()だとわかるのか?

 中学校の指定と思しい、真新しい制服を身に(まと)っていたからだ。


 感覚が遅れて周囲の情報を取り込む。

 見出す――鉄柵の後ろ、大型機械の影、出口の扉付近に転がった、遺骸、遺骸、遺骸。


 ()()()()()()

 下は十歳前後、長じていても十四、五歳がせいぜいと思われる体格、骨格。


 ()()()()()()()()()

 食い荒らされたというたぐいのものではない。

 食べたのならば、その傷は欠損として遺体に残る。

 けれどそれらはどれも創傷として刻まれている。ことごとくが。


 ばぎいっ!


 背後で壁が打ち砕かれ、激しく大気が震えた。


《し――き》


 現れた大蜘蛛の喉が音を鳴らす。嬉しげに。


 それは確かに喜色を表すもののように聞こえた。

 楽しい“遊び”に興奮しきりとなった子供が漏らす、無邪気な笑い声のように感じられた。


 恐らく気のせいではないだろう。

 今までの“追いかけっこ”は、この異形の怪物にとっての娯楽だったのだ。


 この工場群はこいつの“遊び場”。

 そしてここは、設けられた終着点、その一つだ。

 手傷を負わせた獲物を連れてきて、逃げ回る様子を楽しみながらもてあそんで、最後には食い殺す。

 一連のプロセスのゴール地点、餌の集積処分場。


 子供ばかりを選んでいるのは、その方が生きがいいからか、餌としての好みか?

 どっちでも大した違いはない。これは――。


《き、き、き、き。き?》


 蜘蛛が顎を鳴らし、首を傾げる。

 もう逃げないのか、と問うように。

 もうお前は自分にとって面白いものではなくなるのか、とでも言うように。


 息を深く吸った。今度こそ。

 恐怖と苦痛の中で息絶えた死の気配を腹の底まで感触しながら、最悪の気分で俺は言った。


「なあ、おい。“願い”っていうのは、本気ならどういう馬鹿なやつでもいいのか」


 ポケットから落ち、血溜まりの中でひび割れた端末が答える。


『問題ありません。入力を行いますか?』

「ああ」


 立ち上がる。

 まだ(しび)れている腕で、殺された少女が最期まで(すが)っていたと思しい鉄パイプを拾う。


 瞬間、蜘蛛が動いた。

 無拍子での突進――足の怪我がなくても、身を(ひるがえ)すだけで精一杯の代物。


 食らえば骨の一本や二本は余裕でへし折れるだろう。

 相手もそれをわかって繰り出している。

 そうして選択を迫っている。


 構うものか。


 ――ずぐっ!


《ぎ、いぃぃぃぃっ!?》


 逃げるという選択肢を放棄し、代わりに眼前の怪物の身体部位を精密感覚。

 無事な右足を軸に一点集中の重心移動を噛み合わせ、黒く光る眼球目掛けて鉄パイプを突き込んだ。


「ぐっ!!」


 当然、俺も無事では済まない。

 巨壁に正面衝突したような衝撃が襲い、吹き飛ばされる。


 やられたのは腕。どうなっているか見たくもない。

 事前に息を吐ききった肺はどうやら無事、喉も潰れていない。ならいい。


 体液を噴き、(うめ)く蜘蛛の身体から、やがて激しい熱――怒気の立ち上る感触。


「……は」


 壁に背を当てて起き上がりながら、これでおあいこだ、と笑ってやった。


 そうだ、俺は怒っている。

 これまでの人生で一番というくらいに(いら)ついている。


「ものは……壊れる。生き物は……すぐ死ぬ。当たり前だ。それは……そういう、もんだよ。だけど、なあ」


 半ばうわごとのように呟く。

 自分の感情、自分の思考、全てを形にしてはっきりさせるために。


「その“前提”を……。“面白がる”前提にする、のは……嫌いだ。大嫌いだ、そんなのは」


 脆くて儚い。

 ()()()、使い潰してもいい。

 ()()()、どう利用しても構わない。


「そんなふざけたことを考える、やつの、思い通りになるのは……。腹が立つ」


 無性に、この上なく。

 とても認容、許容出来ないと、心の底から叫びたくなるほどに。


 だから。


「俺は……。俺が、“願う”のは……」


 大蜘蛛の筋肉が膨張、引き起こされた空気の揺れが感覚へと(さわ)る。


 再度の突進の気配。

 食らえば今度こそ、直衛佑という存在は一個の肉塊と成り果てるだろう。


 そうなる前に、口にした。


「お前みたいな存在(やつ)の“願い”を、真正面からぶち壊してやる、ことだっ――!」


 瞬間。

 意識の最下、胸の奥へと続く不可視の回路に、何かが通じるのを感じた。


 脳裏に言葉が閃く。

 飾り気のない機械音声が、無機質に入力の結果を(しら)せる。


採取(サンプリング)に成功。深層潜航及び緊急解析、完了(よし)略式(りゃくしき)宣告(せんこく)を実行します――』


 感覚が加速する。

 刹那の猶与が果てしない静止情景の連続へと置き換えられ、あらゆる物事が鮮明に浮き上がる。


 人工の声が告げた言葉の意味を、俺は理解できなかった。

 けれど、それが必要なものの到来を告げていることはわかった。


 心の底で何かが音を立てて()まる。

 同時、精神が一つの確かなもの、世界のどこにいても揺らぐことのない、無二の真なる理解を掴む。


 そしてそれが、促した。

 俺自身に向けて。

 言葉にならない声で。


 “願え”


『――“我は告げる(キャスト)”』


 瞬間、轟音。


 凄まじい速度で迫っていた大蜘蛛のシルエットが、それ以上の高速――風音さえ後に()く速さで飛来した大質量の直撃を受け、盛大に横殴りに吹き飛んだ。

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