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識域のホロウライト  作者: 伊草いずく
1.Hollow White, Starry Sky.
7/52

1-5(-1).鉄錆と踊れ

 がぁんっ!


 暗闇の中、身体のそば数センチの位置を空振った複節の前脚が、背筋の寒くなるような音を立てて足元を穿(うが)ち砕いた。


 跳ねた腐血が、ほんの一瞬前に身を(ひるがえ)していた俺の頬を幾筋か(かす)め、輪郭(りんかく)を崩しながら背後へ飛び散っていく。


 状況認識はすべて後付けのもの――身体の反応の()()()で付いてきたものだ。

 感覚経由で反射が働いていなければやられていた。


 わずかに遅れ、各部から全身を駆け上がってきた戦慄が合流。

 感覚が捉えた各種の観測情報を意識へと叩き付ける。


 材質:ざらざら、硬い、()だした金属?

 重量:法外、重機なみ?

 内部構造:心臓がある、()()()()()()――嘘だろ!?


 未知の技術で作られた機械(ロボット)だと言われた方がまだ信じられた。


 けれど直感がそれを否定する。

 人工造物(つくりもの)ではあり得ない息づかい、(からだ)の動き――すべて、獲物を襲う生き物の感触記憶と一致する。


《きぃ?》


 大蜘蛛が――もし感情があるならばの話だけれど――口元から怪訝の音を漏らし、(あご)を傾けた。

 一撃で()らえられる、そう信じて疑わなかったとでも言いたげだ。


 実際、反応できた俺は幸運だったと言える。

 視覚は今も暗さに慣れきっていない。

 目での状況把握を早々にあきらめて感覚に頼っていなければ、今頃は地面に()いつけられていたことだろう。


 だが、問題なのはここからだ。

 血の気が引きすぎてかえって冷めた頭で、湧き上がってきた疑問を手当たり次第にさばいていく。

 “どうして”のたぐいは全廃棄。

 “何がどうなってるか”も考えない。


 俺が追ってきた由祈はどうやら偽物だった。

 俺はこいつに釣られた。

 それをまず“過ぎたこと”として受け止める。


 気にするべきは次だ――“なら、本物の由祈は何処にいるか?”

 偽物があいつそのものの姿をしていたことが気になる。

 同じようにここに釣り出されていたとしたら?


 嫌な想像が脳裏で膨らみかけたが、そこで思考を打ち切った。

 無駄な憶測は何の役にも立たない。

 本能の切り捨てに従って、不安を気力に置き換え心臓へと叩き込む。


「(知りたいなら動け、走れ! こんなところでぼうっとしてる暇なんて、ない!)」


 覚悟を決め、蜘蛛の一撃が起こした震動の反響を肌身で咀嚼(そしゃく)する。

 跳ね起きると、瞬間的に把握した空間情報を頼りに、血溜まりを蹴立てて走り出した。

 錆びた金属棚の間をすり抜け、積まれた荷の山を飛び越え、着地と同時に身を低く沈める。


 ばしゃっ!!


 隠れた瞬間、何かが音を立てて荷にぶつかった。

 風切り音に次ぐまとわりつくような衝突の気配、吐きつけられた糸のたぐいと当たりを付ける。


 障害物を背、空間把握と大蜘蛛の位置探査を進めながら再加速。改めて距離を稼ぎ始める。


「(高い天井、広い空間! 転がるガラクタに、ところどころに据えられてる金属の複雑構造物――稼働してない工場か何かか!)」


 付近に出口は見当たらないが、上階はやや明るい。

 向けた注意の先、四角く抜かれた空白を感触する。

 ――恐らくは通風と明かり取りを兼ねた窓、そのどれかが開いている。


 脱出を図るならそこだ。


 そびえる金属コンテナを蹴り、上方跳躍(ウォールラン)

 頭上にあった渡し足場(キャットウォーク)へ飛び移り上を目指す。


 ばしゅっ! ばしゅうっ!


 大型機械の上へと()(のぼ)った大蜘蛛が網を吐くたび、(くう)を裂く振動が工場内に木霊する。


 跳躍、前方回転、スライディング。

 飛来のタイミングに合わせ手を選びながら、大窓が居並ぶ二階部分へ到着。

 鉄柵に足を掛け、外――波打つスレート材で作られた屋根へと飛び出す。


 びたっ! びたっ! びたっ!


 足下で糸の(あみ)と思しい物体が連続して張り付く気配。

 続く異様な震動――数秒と経たず屋根が(きし)み、そこかしこが崩れ始める。


 崩落に追われながら扉があった方角、元来た裏路地に続くはずの端へと向かう。

 だが、感覚、追って両目が捉えるのは、市街から辿ってきた一本(みち)の姿、ではない。


 分厚く黒い雲の下に居並んだ、見渡す限りの遺棄(いき)工場の行列。

 熱も煙も絶え失せた煙突だけを名残と掲げた、赤錆び色(ラスト・ブラウン)の廃屋の群れが一面に広がっていた。


 絶句――息を呑む。

 コピーアンドペーストを乱雑に繰り返したかのような画一的な光景に、悪夢に似た非現実感を覚えた。

 退路が消えたという事実以上に、その景色は俺の正気を強烈に揺さぶってくる。


 ばぎゃああっ!!


 それでも、驚く暇も絶望している余裕もない。

 屋根を砕いて姿を現した大蜘蛛から逃げるべく、俺は死に物狂いで疾走を再開する。


 目指すのは屋根の先端部、その向こう。

 限界まで身体に推力を(まと)い、踏み切る。


 ――ばしゃっ!


 跳躍から一秒。

 ()()()()()()()()()、という未知の状況の意味を解した感覚が、本能をぶっ叩き全身を総毛立たせた。


 地面からの距離はおよそ十メートル超。

 映画でもそうは見ない、相当な大幅(おおはば)の人口谷――廃工場の屋根から屋根へ跳び渡る、渾身の大跳躍(ロングジャンプ)


 感覚を総動員し、着地からの衝撃吸収(クッション)に全ての意識を振り向ける。

 慣性を殺さず手、肩と接地、前転を経て再び立ち、最短で速度を取り戻す。


 自己採点では満点以上、ぶっつけ本番であることを考えずとも最上の出来だ。

 それでも身体が(しび)れ、遅れてやってきた恐怖で肝が痛いほどに冷えた。


「もう二度とやりたくないぞ、こんなの!」


 思わず悪態を吐いたが、現実は非情だ。

 屋根を砕きながら、遠く背後で大蜘蛛が飛翔した。


 質量物が風を裂く嫌な音と共に、(いびつ)なシルエットが上昇。

 落下先はもちろん、俺が跳び移った工場の屋根。


 あれだけ重くては踏み切りも着地もまともに出来るはずがないのに、足場は辛うじてながら持ちこたえ、怪物の無茶な移動に手を貸した。


 たちの悪すぎる冗談だ。

 緊張と戦慄で口元がひきつっていなければ、いっそ笑ってやりたい。


 状況は詰み切る一歩手前。

 体力、運、アドレナリン、綱渡りを支える要素が一つでも欠けたら終わりだ。

 そのうえ、そもそもどこへ逃げれば助かるかすらわかっていないときた。


「(八方塞がりにも程があるだろ! どうすればいい……!?)」


 余裕のない頭でそれでも手札を探ろうとした、その時。


 ぶーん。ぶーん。

 ぶーん。ぶーん。


 ポケットの内側で、訴えるように震える端末の感触。


「着信……!?」


 こんなおかしな場所にまともな電波が通じているとは思えない。

 取り出し、発信者の名前を確認――表示されていたのは文字化けと欠損だらけの異様な番号。


 寸秒、躊躇(ためら)った。だが選択の余地はない。

 覚悟してスピードを落とし、端末液晶を操作(フリック)した。

 通話状態に切り替え、耳に当てる。


「取り込み中なんだけど、何処の誰だ!?」

『あなたのみかた。今、そちらに急行中』


 返ってきたのは抑揚の薄い、鈴を転がすような澄んだ声。

 同年代と思しいかすかに幼さの残る声調に驚いていると、意識を引っ掻き回すような奇妙な感触の雑音(ノイズ)が前触れなく響き始める。


「っ!?」


 反射的に耳から離そうとしたが、端末を握った手は張り付いたように動かない。

 混乱しながら耐えると、数秒でそれは途絶え、代わりに機械的な人工音声が後を継いだ。


識核(しきかく)へのプログラムの緊急搬入を完了。自律駆動術式(ブートストラップ)、並びに認識補助表象式(シグナルマネージャ)、起動します』


 次の瞬間――感覚と視界に違和感。

 景色、捉えている世界に、何かが()()()()()


 色濃い染料(インク)(しずく)を落とされた水面(みなも)のように、有り様が変わる。

 何が起きたのか理解する間もなく、世界の様相がわずかに変化する。


工程終了(クリア)。正常な動作を確認』

「何だよ、今の!?」

『いきのこるための応急処置。標識(マーカー)が見えるようになったはず。従って』


 応答は淡々。

 意味を問おうとした時、不意に胸から熱を持った光が飛び出し、矢印を作って視界の端で激しく明滅を始めた。


 進行方向を指示しているらしい、としばらくして理解する。

 設定された経路(ルート)通りに行ければ、確かにこのまま直進するより長生きが出来そうではある。

 ……あくまで、行ければ、の話だけれど。


 理由は一目瞭然。

 標識(マーカー)が指し示しているのは斜め前方、遠方の工場屋根へと飛び移る経路(ルート)だが――遠すぎる。

 距離がさっき跳んだ谷の倍は開いているのだ。


「“落ちて死ね”って言われてるか!?」

『そんなわけない。識域(しきいき)でも、死者の蘇生はかんたんには行えない。そんなもったいないことはしない』

「そうかよ! そりゃ何よりだけど、それよりどうすればいいかを教えてくれ!」


 聞いたことのない単語を使いつつわざわざ否定してくる声に、思わずつっこみが漏れる。

 するとあっさり返る答え。


『かんたん。とぶ』

「はあ!?」

『現実ではむりでも、()()でならできる。あらゆる空想(イメージ)、“願い”が形になる、この場所――識域の中でなら』


 正気か?

 頭に浮かんだ言葉は危機感に飲まれて消えた。


 踏み切るべき屋根の端まではもう十メートルを切っている。

 止まれば死、飛び降りても死、こうなれば一か八か跳んでみるしかない。


「“コギト”。代理干渉、じゅんび」


 半ば自棄(やけ)になって加速する中、端末から響いた鈴の音が何かに向けて指示を飛ばす。


指定(コマンド)、汎用空想、《跳躍強化(ハイジャンプ)》。姿勢制御はおまかせ」

了解(コピー)。代理干渉を強制実行します』


 先程聞いた機械音声が応答した直後、感覚に“それ”が来た。

 全身が急に軽くなったような、それでいて足先には力がみなぎるような、不思議な感触。


 ――跳べる。


 根拠不明の確信が湧き、俺は突き動かされるように、最後の一歩で思い切り屋根端を踏みつけて離陸した。


 ばぎゃっ!


 蹴ったスレート屋根が壮絶な音を立てて割れ砕け、同時、身体が宙空へと撃ち出される。

 射出、という言葉がまさにふさわしかった。

 まるで弾丸のような勢いで前方上空に跳び上がった俺は、たった数秒で建物二階分もの追加高度を獲得。激しく渦巻く風を全身で切り裂き、大距離を高速滑空していた。


「う、お、お、おおおお――!?」


 耳元でごうごうとうるさいのは風の音か血流か。

 自力での大跳躍など比較にならない、鳥になったような開けに開けまくった世界を、混乱の傍らで妙に冷静に眺めている自分がいる。


 ほとんど夢を見ている時の感覚そのままだ。

 違うのは、そうと思い込むにはあまりに本能が怯えすぎているという点。

 起きた頭で夢を見るというのは()()のだと、一生使い所のなさそうな知識を得る。


「これ、着地どうするんだ!?」


 降下、もとい落下が始まる。

 視界の先、はるか遠かった目標の工場屋根が見る間に近づき、思わず声を張り上げる。


 手に握った端末からの声はかすか。


指定(コマンド)、時間差実行」

『認識しました。《衝撃吸収(ショックアブソーブ)》、適用準備』


 だんっ! どっ! がぎゅっ!


 着地の瞬間、俺の両脚を中心に半径三メートルほどの広面積が平たく沈み込んだのを感覚が察知。

 反射的に回転接地、落下の勢いを殺す動きを取ったが、必要ないほどに衝撃は軽微。


 無論、身体への負荷もほとんどない。

 慣性が促すまま、すぐに疾走を再開する。


 背後から大蜘蛛も跳んで来るが、今度は俺も覚悟が済んでいる。

 着地地点そば、進行方向には、二つ並んだ大煙突。


 標識(マーカー)に従い、その間を急角度を刻んですり抜けると、後を追ってきた大蜘蛛は煙突の片方に激突。

 煙突、および複脚の一部をへし曲げながら強引に軌道修正したものの、速度を失い、もがいてスレート屋根に幾つもの穴を開けた。


充填思惟(バッテリー)残量、三十%。独立駆動状態(スタンドアローン)での代理干渉は以上で打ち止めとなります』

『まる。これですこしは時間がかせげる』

起動(きどう)宣告(せんこく)の準備完了まで、残り十五秒』

『略式でいい。三秒にちぢめて』

了解(コピー)


 ショックと運動負荷で心臓が大変なことになっている俺をよそに、端末からは交互に声が響き、勝手な会話が繰り広げられる。

 少しの時間を急ぐあたり、こっちのきつい状況を反映してくれているのだろうが、詳細は勿論わからない。


『……準備完了(クリア)略式(りゃくしき)宣告(せんこく)の代理定立を試行します。精神深層への潜航のため、本性(ほんせい)的“願い”のサンプル採取が必要です』

『音声入力モードで待機。佑』


 機械の長口上の後、声は促すように俺を呼ぶと、それきり沈黙した。


「どうして俺の名前――じゃなくて! 俺に言えってことか!?」

『そう』


 うなずかれても困る。大体何だ、その何とか的“願い”って。


『あなたが本心から抱いている、己の在り方に通じるたいせつな願望のこと』

「“助かりたい”じゃ駄目なのかよ!?」

「それは生物一般としてのあなたが抱く受け身の“願い”。それでは“真理(しんり)”に辿り着けない」


 また知らない言葉だ。


 この状況を何とかするためのものなら、言うまでもなく欲しい。

 欲しいけれど、


「いきなりそう言われたって思いつくわけないだ、ろっ!」


 再び屋根の端を蹴り、大跳躍。

 一階分の高低差を落下しつつ、かろうじて向こう岸に着地、制動、再加速。


 背後からは速度を取り戻した大蜘蛛の追走の気配。

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