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識域のホロウライト  作者: 伊草いずく
1.Hollow White, Starry Sky.
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6-5.かたちを換える

 がつっ、がつっ!


 呼吸が乱れる、視界が揺れる。

 爆ぜる火薬の燃焼音と、鼻先をかすめる獣の牙の噛み合う音、両方が一緒くたになって頭に、消耗した身体の芯に響く。


 原型記憶率の低下はあらゆる性能(パフォーマンス)に悪影響を与える。

 運動支援、防御強化、疲労や傷を取り除く回復補正――識域戦闘の基礎をなす全要素が空想に下支えされている以上、それらの大元となる原型記憶の消耗は戦力減に直結する。


 悠乃七彩の原型記憶量は個人のそれとしては相当なものだが、覚徒と逸路の間には埋めがたい性能差が存在する。

 格上の逸路と正面から、それも一対一で空想をぶつけ合うなどという選択は愚行でしかない。


 絶望に満ちた“悲劇”の波、響く葬送歌の()はいまだ途絶えず。

 円卓からの増援が着くまでにもまだ時間はかかるだろう。


 だからといって膝を屈してやるつもりは毛頭ない。

 一秒、一瞬の猶与であろうと逃さず、最後の最後まで稼ぎきる腹づもりでいる。


 だが――。


「!」


 意思がどうあろうと限界は訪れる。

 満ちる血溜まり、その只中から死力を振り絞り腕を伸ばした一つの影の束縛をかわしきれず、刻まれ続けていた舞踏(ステップ)が止まる。


 その一瞬の隙を狙い、大柄な戦士の影が錆び欠けた剣を振り上げる。


「く――」


 回避は不可能、十分な防御も不可能――虹の眼の見切りによる判断を経てなお、ほんのわずかでも死に至るまでの時間を延ばすべく《インベントリ》に手を伸ばした、その時。


《ほう!?》


 きりいっ!


 無垢白(プロト・ホワイト)の光を()くいななきが空を裂き、見上げる巨躯の影が()()()()()、真っ二つに崩壊、絶命する。


「悠乃!!」


 歴戦、エリートの名はやはり伊達じゃない。


 状況の変化を見て取るなり、即座に拳銃を抜き放って全弾連射(フルバースト)、しがみついていた影を吹き飛ばす。

 そして自由になった身で俺の背中のカバーに回りつつ、言う。


「ばか。ひどいばか」


 あかてん、らくだいせい、いのこりけってい。


「悪い」


 この後に及んで口数が減らないことに安堵しつつ、心底からの思いで一言、謝る。


 悠乃がどういう思いで俺に“諦め”を説いたか――あんなにも濃い十日間を一緒に過ごしてきたんだ、あれが俺への優しさだったことぐらいわかる。


 俺は、自分で自分の“願い”をだめにしただけでなく、悠乃の“願い”と、友人としての思いやりの両方を踏みにじったことになる。


 けれど。


「でも、諦められなかった」


 息を切らせたまま、本音を告げる。

 すぐさま殺到してくる影の波にぐらつきを叩き込みながら、どうしても言わなければいけないことだけを口にしていく。


「何もしないまま終わりたくなかった。死んでも、それだけはしたくなかったんだ」


 相手の“願い”を潰す覚悟なんて持てない。

 今この瞬間も、指先が崩し壊す影の群れ、一人一人が遺していく“叶わなかった”ことへの絶望を前に、心がくじけそうになっている。


 でも、止まれない。


 選んだ以上戻れない、という理屈のせいだけじゃない。

 止まりたくないのだ。


 その選択がどれだけ不合理でも、不完全でも。

 その先に望みがなくても、諦められない。


 直衛佑は眩しいものにはなれない。真っ当な人間にはなれない。

 そのことは思い知った。

 でも、だから、


「だから、この“人間らしさ”だけはなくしたくないんだ。“諦めたくない”って思う、このどうしようもない“人間らしさ”だけは!」


 目の前を埋め尽くす影の群れ、光のない塗り潰されたまなざしの持ち主たちを、それでも人間だと確信する理由。

 このひとたちを壊したくないと感じてしまう理由。


 誰一人として生者ではない。

 どのひとにも希望など残されていない。


 それでもこの人達は“願い”を諦めきれない。

 だから俺たちに牙を剥いている。


 俺はそれを“らしさ”だと思う。

 そして、その気持ちがわかるというただ一点においてだけ、自分を人間だと感じられる。


 真っ当とは程遠くても、不十分、不適格な人間未満に過ぎないのだとしても、()()()()だと自分を認めることができる。


 これは本当のわがままだ。

 自分勝手にも程がある最低の選択だ。


 許してほしいなんて言わない。

 死んだ後の世界があるなら、そこでどんなお(とが)めだって受ける。


「――ばか。やっぱり、ばか」


 言いたいことを言い切った俺に、覚悟していたよりもずっと優しい罵倒が投げられる。


「あとでせっきょう。ひゃくじかんは正座してもらう。……だから、それまで死んではだめ」


 返事の声をあげようとして失敗する。

 襲い来る影の密度が一層引きあげられたからだ。


 同時、肌がぞわりと粟立つ。

 反射的に感覚を巡らせた先には葬送者がいる。

 厳粛をもって高くに君臨する、悲惨なる歌曲歌劇の絶対統率者が。


《おお、おお――。儀が仕上がるまでの退屈しのぎが、思いのほか愉快な(すじ)となりおおせたではないか!》


 実に――()()!!


 底冷えのする声音でそれが言う。

 その響きににじんだ()()に、言葉にできない嫌な感触を覚える。


 その何かは一拍ごとによりはっきりと姿を見せ、深く(しわ)のよった葬送者のしかめ面を歪ませる。

 口角を上げさせる――にやつかせる。


 あまりに醜悪なその笑み、満面に現れた()()の情の意味を理解できず、俺はたじろぐ。

 それが失敗だった。


 次の瞬間、黒い血溜まりのそこかしこから吹きだした影が俺に飛びかかった。

 その物量、質量はこれまでとは比較にならない。


 そもそもそれは敗者たちの姿をしていない。

 それは液状の影だった。

 指向性を与えられ、流れ噴き出す先を指揮のままに定められる影の激流だった。


 感覚が周囲を認識した瞬間、直感的に悟る――避けきれない。

 精彩を失ってコマ送りになる時間の中で、俺は立ちすくむ。


 ……その俺の前に、激しい虹の残光を()く小さな少女がたった一人、割って入る。


 そして、次の瞬間。


 ――どうっ!!

 どずずずずずずずずずずおううっ!!


 黒の激流がすさまじい音を立てて打ち砕け、タールのような飛沫(しぶき)を辺り一面に吹き散らす。

 雨のように降り注ぐ飛沫の只中で、俺はいまだ死なず、形を保ったまま呼吸している。


 代わりに――、


「――――」

「ゆ、」


 身体に無数の傷を負い、露出したあらゆる部位から大量の血を流す悠乃が、俺の目の前で音もなく力尽きる。


 抱きとめることはかなわない。

 再形成された激流の一つが俺と悠乃の間を遮り、孤立した俺を他の流れが追い詰めにかかる。


「くそっ――」

《ははは、生きがよいな、結構! それでいて察しもいいようだ――目端だけが利く愚か者といったところか、少年!》


 必死に逃げ続ける。

 けれどもうわかっていた。逃げ場なんてものはどこにもないと。


 俺を追う巨大蛇のような奔流、その濁った存在の有りよう、それ自体が、俺に一つの冷たい事実を突きつけてくる。


 この大流は舞台を成す(いしずえ)そのものだ。

 それは葬送者が収集し蓄えたすべての悲劇によってできあがっている。


 すべてとは文字通りの意味だ――俺と、そして悠乃がこれまで舞台上で殺した影、その全員がこの流れを構成している。


 演者も道具立ても、退場した一切はこれにのみ込まれ、繰り返し利用される。

 これが舞台の底にとぐろを巻いて控えている時点で、舞台上の物語には欠片の意味もなかったのだ。


《ああ、ははは、ああ!! まったく、この世界は度しがたい!》


 徐々にテンポが狂いはじめ、加速していく歌曲を指揮しながら、葬送者が哄笑する。


《あらゆる陰日向(かげひなた)に弱者が溢れ、希望を追う! その愚かしさ、矮小さゆえに、貴様らの“願い”など叶わぬという摂理もわからず這いずりまわる! あげく当然の結果として追い立てられ、むさぼられ、しごく些細に用いられる! このように!! かくのごとくに!!》


 無数の支流に分化した黒の濁流が、指揮者の切っ先として俺を打ち据え、切り刻む。

 そのたびに感覚を通して理解する。


 この激流は言うなれば溶液(スープ)だった。

 あらゆる悲劇、その痛ましさ、使()()()()だけを残して他の要素、輪郭を取り上げ、便利なように煮詰めて指揮に沿わせたもの。敗者たちの濃縮抽出利用物(スープ)


 これの中に、今までのぞいていたような“願い”持つ亡者としての性質はない。

 ここでは“願い”は取り上げられている。そのことを苦痛と感じ、その取り返しを望む思考すら、ここでは“抽出”の過程で棄てられてしまっている。


 おまえたちにはこれは過ぎたものだ、と評定されてしまっている。


《ゆえに我が救ってやろうというのだ! 貴様ら弱者の物語を舞台の光で照らしてやろうというのだ! 高貴なる者、強者と生まれついたものの責務として!!》


 ならば貴様らにもわきまえるべき分際(ぶんざい)というものがあろう!!


 高揚した葬送者が叫ぶようにのたまう。


《無知蒙昧ならばそれらしく仰げ! 無力無価値ならばそれらしく乞い祈れ! ()()()()()()()()()()()!! “諦め”こそが貴様らに許されたたった一つの摂理(ルール)なのだ!!》


 衝撃。痛み。灼熱感。


 敵意が存在を傷つけ、損ねようとする。

 激情が存在をすり潰し、ねじ曲げ、へし折ろうとする。


 容赦ない攻勢になぶられながら、しかし俺は葬送者の言葉に感覚を向けている。

 聞いている。飲み込んでいる。理解しようとつとめている。


 そして、確かめようとしている。

 直衛佑という存在の内にふつと浮かんだ、ある認識が真実(ほんとう)のものであるのかを確かめようとしている。


 それは大切なことだからだ。

 直衛佑という存在にとって、無関心ではいられない重要なことがらにまつわる認識だからだ。


「――ぃ――」


 だから――捕らえられ、引き裂き刑の罪人のごとく吊られた格好のまま、俺は問いを口にしようとする。


《ふん! 懺悔か!? それとも甲斐の一つも持ち得ぬ今際(いまわ)の呪いの文句か!?》

「――え、は、」


 睥睨する男の眼下から、繰り返す。

 言葉となるよう、喉にせりあがる血を飲み込みながら何度も発音する。


「おま、え、は、」


 お前は。

 葬送者を名乗る、今ここにいるお前という存在は。


「かなし、い、か」


 いたんでいるか。

 世界が、ひとが、こんなふうであることを。


 ひくり、と男の眉が動く。

 眉間の(しわ)が深まり、みるみる内に怒りの情を露わにしていく。


《悲しい!? 言うに事欠いて“悲しいか”だと!?》


 憤怒の形相で男は吐き捨てる。

 逆上と侮蔑からなる一言一言、それすらくれてやるのが惜しいとでも言いたげに。


《貴様のような無能風情が、何様のつもりで我に問うている!! この我に! ()()()()()()()()()()だと!? 打つ手、成す力、いずれもなく! 悲嘆に暮れるほか()()なき下層者のごとき感情が我にあるなどと、どのように愚昧(ぐまい)な精神があれば考えつくか!!》


 指揮棒(タクト)が一際高く振りかぶられる。

 すさまじい早さで鳴り続ける音色が狂騒の度合いを層倍に強める。


《貴様のようなものがこれ以上愚考を紡ぐなど、もはや一秒(いちびょう)一拍(いっぱく)一刹那(いっせつな)とても許しがたい!! 千々と引き裂け断末魔を奏で、苦悶の絶命をもって我への(つぐな)いとせよ――!!》

「――そう、か」


 腕を振り下ろす直前の一瞬間。男は激情に染まりながらしかし、おもてに怪訝の色を垣間見せた。

 それは男の、存在として真っ当だった頃に有していた危機本能の名残であるようだった。


 気取っている上位者としての居丈高に似合わなくて、俺は声もなく笑った。

 (むな)しい笑いだった。だってそれは実のところ、おかしさとか楽しさとか、そんな本来の好ましさとはまったく縁遠いたぐいの笑いだったから。


 それは泣きたくなるほど苦しい、一つの感情から来たものだった。

 直衛佑がまったく見知らぬようで、その実どんな感情よりもくわしく、幼いころから感覚し、抱え続けている代物。


 酸素のない虚空で燃え盛る太陽のように熱く、星を覆い隠す曇天のように冷たい。


 からっぽの直衛佑が、からっぽのまま世界に独り残されたあの日々において、たった一つ、とりまくすべてのひとから受け取ることができた思い。


 ()()のためなら全部を賭けてもいい。

 壊れてしまったからっぽでも、心からそう信じることのできる一種類きりの感情――“願い”の源泉たりうる、衝動。


 ――■したい


 声が反響する。

 無感情な声が反響する。


 明かりなど呑まれて久しいはずの漆黒の天を汚染し、気付けば明瞭に降り注ぐその色――虚ろの白(ホロウ・ホワイト)


 ――■せ


 啓示のごときその曙光が記憶を(おお)うとばりを焼き尽くし、かつての想いを照らし出す。


 沈められていた直衛佑の、本当の声を思い出させる。


 ――壊せ


 ――壊せ。壊したい。壊せ。


 ――こんなに(こら)えがたい、悲しさばかりが在る、世界を。


「――《我は、()》」


 響く言葉は、深淵より導かれるように。

 確と、戦場に布告を(のたま)う。


「《我を、鋳る(キャスト)》」


 ――かっっっっっっっっ!!


 光が降り、火と化してすべてを焦がす、溶かす。

 ぐらつかせ、臨界させ、根底より鋳直し、再定義する。


 そして世界に、虚無の(ともしび)が姿を(あらわ)した。

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