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識域のホロウライト  作者: 伊草いずく
1.Hollow White, Starry Sky.
38/52

6-2.アップロード

戦術要点(ブロック)α(アルファ)β(ベータ)γ(ガンマ)δ(デルタ)、以上制圧済み全点、異常なし。“(アンカー)”による対象識域の縛束固定、正常動作中。対敵性識域・侵蝕弱体プログラム、三種実行中。各アプローチ、順調に推移しています』


 一帯の状況を管制するコギトの操作で、作戦の進行度合いを示すホログラフステータスが更新される。


 動員された別働隊による包囲、合わせて展開された逃亡禁止結界と攻勢支援、全てが予定通りに動いているとの(しら)せ。


《“円卓”か! 凡愚(ぼんぐ)どもの寄せ集めにしては動きの早い――!》

『何にでも近道はあるものさ』


 黒衣のフードから顔を覗かせた預言者がひげを揺らす。


『とはいえ、それなりの対価は支払ったがね。まったく、上層連中の頭のカタいこと』


 だから後手に回ることになるんだ。いつも言っているのに。


 そう預言者がぼやく間にも、進捗を表すゲージは一〇〇%へと近づいていく。

 その様子を、俺は感覚を張り詰めさせたまま見つめる。


 ――こちらの仕掛ける手がすべて通れば、勝率は相当程度まで跳ね上がる。


 今回の布陣について受けた説明を思い出す。

 このゆえに、初動が奇襲として成立することは極めて重要だと。


『だから、わたしたちはこのまま時を待つ。襲撃が狙いどおりの成果を出したと、敵側に誤認させてことをはこぶ』


 数十時間前、悠乃は俺にそう告げて、作戦の全容を知らせてきた。


『“超越級(ビヨンド)”複数体からなる戦力は、そのあたりにころがっているようなものじゃない。由祈にわたしたちがついていることをわかった上で、Luminaの三人ごとわたしたちを排除するために切ってきた大駒(メジャーピース)だとかんがえるべき』


 ここまでの展開は、通常の捜査においては“様子見”段階に位置するのだと、悠乃は語った。


『“円卓”は識域から現実への影響を最小限にするためにうごく。現実の側でも、各国政府をはじめとする意思決定機関は不干渉をのぞんでいる。だからわたしたちは基本的に、事件が起きてからその収拾を依頼されてこちらに降りる』

『七彩の今回の動きは例外的なんだ。僕の預言を前提に、これまでのはたらきで得た手札(リソース)を使って直衛くんの襲撃を立件し、周辺警戒の名目で現実に降下して捜査を行った。たとえるなら、空き巣調査の()()で許可を取って事件を追っていたようなものさ』

『……人が襲われて食われるような事件が、空き巣と同じ扱いですか』

『場合によっては、それ以下』


 短く悠乃が言い切り、預言者が補足する。


『教えた通り、現実には整合性の機能がある。加えて、ほとんどの逸路は欲望に従って突発的に人間を襲う。これに関して事前の予測はつけられないし、被害者の消失を異変としてしばらくの間だけでも認識できる親しい人々も、大抵はごく普通の、識域のことを知らない人間たちだ。整合性が仕事を終える前に事件を片付けるには、どうしてもどこかで現実のネットワークに頼る必要が出てくる』

『すぐ変化に気付くためには“普段の様子”の把握が不可欠で、そういうのがわかる人たちに話を聞けないとタイムアップになる……ってことでいいですか?』

『そうだ。まったくその通りだよ』


 イメージしたのは地元の警察官による日頃のパトロールとか、そういうたぐいである。

 毎日の地道な作業、その積み重ねが解決の鍵になるというなら、これを識域側の人間が担うのは確かに難しかろう。


『そして、だ。そうなれば必然、捜査の優先権は現実の組織の側に生じる、ということになるだろう?』


 小さな眉を器用に、表情豊かに動かしながら、預言者が続ける。 


『交渉して“協力”を申し出ることは不可能じゃないが、基本的にはその手前……“関知をしない”段階に留まることが、“円卓”側の処世術となってくるんだよ』

『…………』


 襲われる側としては文句の一つも言いたくなる話だが、とりあえずのみ込んだ。

 大事なのはこの先のことだろうからだ。


『つまり、ここからは“円卓”をうごかすことができる。“超越級”による襲撃は、最低位のそれによるものでも、人員を正式にひきだすための事由になる』


 変わらず端的に悠乃が切り出す。


『警察の捜査でいう“逮捕状が出せる”段階になった、ってことか』

『だいたいあってる。はなまる』

『まあ、そこまでしてもまだ手間はかかるんだけどね。その辺の問題は僕がなんとかしてみせよう』


 そう言って預言者が毛に覆われた胸を叩く。


『知らぬ存ぜぬの事なかれは連中の得意技だが、それでもごまかせない貸しの一つや二つ、こっちも持ってはいるからね』


 年の功ってやつさ。


『現実では既に、私たちがいなくなったことによる整合性の波が生じはじめている。由祈が渡したテキストの指示通りに動いてくれれば、敵は必ずライブ当日に姿をみせる』


 そうまとめる悠乃の声はあくまで落ち着いていた。

 感情の整理ができていないのは俺だけだ。


『……由祈はそれまで、一人きりでいなきゃいけないんだよな』

『ええ』


 テキストデータに計画のあらましは記してあるというけれど、本当に計画の通りに進んでいるか、俺たちが生きて潜伏しおおせたかどうかは由祈には確かめようがない。こちらの準備が整う前に敵が動く可能性だってある。


 その危険をわかった上で、あいつは孤立無援の状態を保たなければならない。

 計画の成否はひとえに、由祈が重圧に耐えられるかという一点にかかっているといっても過言じゃない。


 俺の言いたいことを察したのだろう。

 悠乃は小さく頷き、言葉を継ぐ。


『由祈ひとりに負荷が集中することはひていしない。けれど、これが現状とりうる最善の手』


 あらゆる選択にはリスクがともなう。

 わたしたちはその中で、もっとも実現可能性の高い手段を選ばなければならない。


『…………』


 “叶いえない“願い”は、ある”


 悠乃に告げられた言葉が脳裏にひるがえる。


 もしこの場にいたとして、由祈はきっと、何も言いはしないだろう。

 そうとわかっていてテキストデータを渡した悠乃も、この先最後まで、葛藤などないかのように振る舞うだろう。


 だからこそ、俺がここで言うべきことがあるはずだった。

 なのに言葉は見つからない。

 悠乃が語った()()()()を、無視できるだけの理由を見つけられない。


 時間が過ぎて、今、この場に至っても、まだ。


 ――Beep!


 脳裏、不意にコギトが発した警告音(アラート)で、俺の意識は現在へと引き戻される。


『並走中の三プログラム展開進捗に異常が発生しました。浸透プロセスが無効化されています』

「!」


 顔を上げる。先程まで憤激と共にこちらを睨んでいた男の視線が宙に浮き、ここではない場所に布陣した戦力、そして不可視の概念群へと注視を向けている。


《ふん、お決まりの三層呪戒(トリニティ)四方制圧陣形(クアドラプル)か。凡百の逸路であれば踏みつけられもしようが――》


 ばちん!

 ばちん!

 ばちん!


 男が居丈高に指を打ち鳴らすと、更なる警告音(アラート)が連続して鳴り響く。


『プログラム、浸透呪詛の逆流により破損停止。要点αおよびβに展開中の同二小隊、信号減衰』


 時を同じくして開かれた通信回線から流れ込んできたのは、剣戟、衝撃・炸裂音、脅威の襲来を告げる切れ切れの大声――そして、断末魔。


信号途絶(シグナルロスト)。通信を維持できません』

《残りの無能者の処断については、わざわざ()を聞かせてやる必要もあるまいな》


 ばちん!


 進捗が停まったまま点滅していたゲージが赤色に染まり、消失する。


 “仕掛ける手が全て通れば”


 そうはならない可能性も伝えられてはいた。

 想定されうる、しかし最悪の展開として。


 ――黒幕が一定以上の存在規模を有する逸路だった場合、こちらの事前策は無効化される恐れがある。

 そしてそうなったなら、わたしたちは次の手に移らなければならない。全力で。


『空想規模の測定が完了。また、データベースに一件、威名個体(ネームド)の該当を確認しました』


 コギトの機械音声が静かにその裏付けを告げる。


位格(クラス)A5、“到達級(アライバル)”、固有名“葬送者(ネーニア)”。儀式殺戮の罪状で記録される規格外逸路(フリークス)です』

《ふむ。どうやら鳥頭(とりあたま)の“円卓”にも物覚えのいい生き残りがいたようだな。能なく実をもって測れぬ貴様らに対し、これ以上適切な名乗りがあるか?》


 規格外(フリークス)

 怪物(フリークス)


 ()()について預言者を通して学んではいた。

 なかば冗談交じりに。非常識がまかり通る識域においても、おとぎ話と混同されうる存在として。


 それは“超越”のさらに先、(ことわり)彼岸(ひがん)に“到達”している。

 それは己が魂に名を冠し、類するものなき存在(もの)として、自身を世界に定義する。

 それは大いなる“願い”を有し、成就のため悠久の時を生き、世界を書き換えんとする。


『“到達級(アライバル)”の分類は、現実でたとえるなら国際指名手配のそれに匹敵する。“それをいたずらに活動させてはならない”と全会一致で認められた、文字通りの化け物に付与される呼称なんだ』


 それほどの言葉を持って教えられた人外がそこにいる。

 たった一人の俺の幼なじみを――由祈を狙って、ここに姿を見せている。


 その事実が背筋を凍らせる。

 戦慄として、恐怖として、身体を縛り、十全な動きを封じる。


 そしてその鈍りが、俺の反応を一瞬遅らせた。


「っ、佑!」

「由祈!」


 背後で不意に生じた異物の気配。

 振り返りざま、由祈へと伸ばした手は空を切る。


 すぐそばにいた俺と由祈を隔てたのは、光を呑むような黒色で染め上げられた暗幕。

 それが視界を遮ったのはほんの一瞬だ。

 しかしそれが走り抜けたあとには、由祈の姿は影も形もない。


 象徴紋を起点、感覚を最大射程まで広げ、行き先を探る。

 一秒を費やして突き止めた先は、“葬送者”と呼ばれた男の側方、数メートルの位置。

 鳥籠を思わせる豪奢な金細工の檻が宙に釣られ、その内に閉じ込められている。


《我が“願い”――究極の悲歌の儀を紡ぐには、聴衆と歌手の妙なる共鳴、同一なる“願い”への祈りが本来ならば不可欠である! だが――》


 ばちん!


 指が鳴らされると、悠乃が消滅させた影――風原たちに代わって現実に入り込んでいた三体の逸路が再出現し、歌声を響かせはじめる。


《 《 《Ah――――》 》 》

「う……!」


 額を押さえ、崩れるように膝を折って、由祈が檻の中で力を失う。

 倒れ込もうとするその身を、檻の内から伸びた鎖が縛り上げ、吊された罪人のように空中に固定する。


 そして、


《Ah――――》


 檻の頂点部分、精緻に彫り抜かれた歌姫の上半身が生命を得たかのように口を開け、第四の調和の音を場に降り来たらせる。

 その瞬間、空間に満ちる大気が別様に性質を変じたのを、感覚が掴み取った。


《うむ――良い!!》

『これは……!』


 同じことを、預言者、そして悠乃もまた感じ取ったようだった。


『“差し込み(アップロード)”データの生成、および提出回路の形成開始を確認。識域が特異点に変質します』

「わかるように言ってくれ!」

「法則の書き換えが実行されようとしている。識域――“願い”が込められたこの一帯が特異性を獲得し、他の識域から隔絶された独立空間として存在を確立しはじめている」

『つまり、外から手出しできなくなったこの識域で、“願い”の差し込み(アップロード)が始まろうとしてる、ってことだ!!』


 風が渦巻き、風景が変化を始める。

 際限なく広がる暗闇に輪唱する歌声が満ちあふれ、反響を経て天へと音を(のぼ)らしめる。


 それはまさしく非現実的な光景だった。

 荘厳、厳粛――居合わせるものすべてを威圧する秩序の重圧の中、息づく調和(ハーモニー)が空間を占め、照らし、過ぎ行く時の流れを“音楽”――つまり、意味あるものに変え祝福する。


 大きく開け、果てしない彼方まで続いているかのような暗い空は、明らかに現実のそれとは別物だ。


 “差し込み(アップロード)”、と預言者は言った。

 空想によって世界の法則を書き換えるために行われるという、“思いを形にする”行為の極致。


 この暗黒の向こうに、恐らくは世界があるのだ。

 形などないはずの、しかし空想によって力づくで形を与えられた“法則”への接続端子が。


 どく、と心臓が大きく脈打つのを感じた。


 世界が、変えられようとしている。

 どれほどの位格を持つにせよ、一つと数えられる存在の意思、“願い”にもとづいて。


 耳元で血流が鳴り、自分という存在の小ささをこれ以上なく感じさせられながら、底など測りようもない(はる)か高くと向き合う。


 “■せ”


 かすか、囁くように。

 しかし無視しようもなく強く、声が胸の内に一度、響くのを感じた。


 戦場。

 直衛佑が立つことになると預言された場、運命がすぐ近くに迫っていることを、不意に理解させられる。


 けれど、俺の心はまだ定まっていない。


 “戦ってはいけない”


 無感情な声が未だ残響する心を押し止めるように、悠乃の言葉がひるがえる。


 時間は刻一刻と過ぎる。

 後戻りのできない分岐、その瞬間の訪れを前に、迷う思考が大きく揺さぶられるのを、ごまかしようもなくはっきりと感じていた。

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