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識域のホロウライト  作者: 伊草いずく
1.Hollow White, Starry Sky.
14/52

2-3(-3).光の歌声

「ごめんなさいね直衛くん、合流してすぐに仕事頼んじゃって」

「いえ……」


 切迫の買い出しタイムを経て這々(ほうほう)(てい)で送迎社用車に帰還した俺を、困ったような笑顔の女性が(ねぎら)ってくれる。


 悠乃より少しだけ背が高いくらいの小柄、動きの邪魔にならないようお団子(シニョン)にまとめた髪、機能性とフォーマル加減を絶妙に両立した上下スーツのいでたち。


 この人は名を牧野(まきの)小枝さんという。

 Luminaのサポート周りを一手に司る、専属のベテランマネージャーだ。


 元々は単独(ソロ)で活動していた由祈個人の担当で、長く実の家族のように世話をしてくれていたという経緯もあり、俺ともそこそこ面識がある。


 腕のいい動画編集さんに俺が渡りを付けられたのは、九割方小枝さんの信用、そしてコネのおかげと言っていい。


「こちらこそすみません、大変なのに転がりこんで」


 運転中の小枝さんに飲み物を手渡しつつ、謝罪する。


 おっとりした顔立ちに反して、ハンドル(さば)きは(すさ)まじくエッジが効いている。

 無事故無違反ゼロ不祥事を大前提としながらもスピードを一切損なわない立ち回り、昔は峠を攻めていたと言われても納得するほどの静かなるキレである。


「まあ、いつものことだから……。来るのも直衛くんと、そのお友達だってことだったし」


 すいすいと朝の混雑を抜けつつ、カフェオレをすすってのんびり微笑む小枝さん。


 手間を食うことが明らかな高校生二名の教育と管理と監視、決して楽な仕事ではあるまい。

 にも関わらず悲愴さを微塵も感じさせない横顔からは、日頃の圧倒的な激務ぶりが伺える。


「ん、これはいける。やるね悠乃ちゃん」

「カロリーを気にするアイドルでも当社比安心、ほしまーく。わたしにも一つ」

「ほい」

「もぐもぐ」

「(こいつらはもうおやつ食ってるし……)」


 俺が小枝さんなら社長のお達しが来た時点で失踪を検討する。

 ただただ尊敬だ。


 そうこうやっている内に、目的地であるレッスンスタジオに到着した。

 小枝さんに連れられ、袋を両手に持ってひときわ大きな一室へと移動。


「おーす」

「おはようです」


 由祈と小枝さんが声をかけると、室内に散っていた三人の少女が揃ってこちらを振り向いた。


「……おお」


 その瞬間、小さく悠乃が声を漏らす。


 無理もない。

 由祈の面倒を見る過程である程度耐性が出来ている俺でも、久々のこれはちょっと効く。


 少女三人は何か特別な様子でいたわけではない。

 格好は実用一点のトレーニングウェア姿だし、それぞれ自然体で、ストレッチやら端末の確認やらをしていただけだ。


 けれどそれでも、彼女たちには見る人の目をくらませるほどの(まぶ)しさがあった。


 かたや玲瓏(れいろう)、かたや爛漫(らんまん)、かたや静謐(せいひつ)

 在り方は違えど、それぞれが人間離れした魅力を当たり前のように発している。


 それらは決して攻撃的なものではないが、対面で、そしてすぐ近くで接すると、用意のない人間をおのずと圧倒してのける。


 必要の有無は関係ない。

 頂点へと至る過程で、それは自然と身につくものなのだろう。


 全国区でトップの名を欲しいままにするアイドルグループ、Lumina。そのメンバーであるとはつまり、そういうことだった。


 ……まあ、“必要”、つまり“求めたかどうか”に関係ないというのは、そのすごさと人格がそれほど関係しないという意味でもあるので、やや面倒くさかったりもするものなのだけれど。


「おはようございま……あーっ!」


 背の高い一人目、長い髪を一本に縛った少女が、俺を指さして声を上げる。


「ヨメくんじゃん! え何、どうしてここにいんの!?」


 怜悧(れいり)という言葉がよく似合う見た目なのに、喋ると一気に第一印象(キャラ)が崩れる。

 方向は各々異なるが、それは残りの二人も同様だ。


「もしかして、職場体験で来るヒトってヨメさんだったんですか!? ひゃー、おはようございますっ!」


 二人目、落ち着いていればどこぞの令嬢を名乗れそうな少女がびっくりした様子でぴょこんと頭を下げると、


「二人とも気付かないで無茶振りしてたんかーい。ていうかヨメ氏の後ろにヒくほど可愛い子来てますけどこっちのが問題では。ここにきて新メンバー追加です? 怒濤の新展開?」


 三人目、動作の一つ一つが美術の題材になりそうな超然とした少女が、シャッター音を連発しながら俺と悠乃の写真を撮りまくっている。無許可で。


 一連の台詞を聞いてげんなりする。

 そうだろうとは思っていたが、三人とも最後に会った時からまったく変わりがない。


 風原(かざはら)(ひびき)日向(ひなた)光莉(ひかり)水瀬(みなせ)(しずく)

 いずれも由祈に引けを取らない強烈な個性の持ち主だ。


 なお、ヨメとはこのグループ内で共有された俺のあだ名を指す。

 顔を出すたび何らか由祈の面倒を見ていたせいで、いつの間にかそう呼ばれるようになった。勘弁してくれ。


「あいあむ悠乃七彩。これはさしいれ、Luminaセンターの実食(チェック)を通過したおすみつき」

「「「おおー」」」


 物怖じというものがないのか、それとも何かしら波長の合うところがあるのか、悠乃は三人組とも早速馴染んでいる。


 現状一番蚊帳(かや)の外なのは俺である可能性まで出てきたな、おい。


「けど良かったわー、体験来たのがヨメくんと悠乃ちゃんで」


 ひとしきり盛り上がった後、風野がしみじみとした口調で言う。


「『ライブの時まで一緒だ』って言ってたから、せっかくの十日が水入らずじゃなくなっちゃうの残念だーって思ってたけどさ。このメンツだったら楽しくやれそうっていうか」

「それはそうですね」

「うんうん!」

「?」


 首を傾げた悠乃に、由祈が補足する。


「私ら、最近は忙しくて全員で練習とかあんまやれなかったから。こっからの十日はライブ練に専念ってことで日程空けてあるんで、合宿みたいなもんなの。実質」

「まあ、その分ちゃんと気合い入れて仕上げてもらわないと困るんだけどね。遊ぶのは、ほどほどに」


 柔らかな笑顔でがっすりと釘を刺すのは小枝さん。

 しかしそのくらいのプレッシャーには慣れているのか、全員動じた風もない。


「おーし、んじゃやりますか。レッスンの先生来る前に、いつものやつ」


 由祈が大きく伸びをしながら部屋の真ん中へと歩み出ると、風野、日向、水瀬が後に続く。


「声出し、制限時間三十秒ね。あー――」

「「「あー――」」」


 小枝さんにならって、俺たちは壁際へと下がる。


 音程の揃った声が響く中、そっと悠乃の様子を(うかが)うと、灰色の瞳は問うようにこちらを見返してくる。


 何を尋ねられているのかはわかっている。

 あらかじめ聞かされていたからだ。


『いつもと様子の違う人がいたら、教えて。“狼”を探す』


 マンションを出立する前、悠乃は由祈と俺にそう指示した。


『狼?』

『わかりやすく言うと“味方に擬態している敵”。主犯の“耳と目”の代わりをしている個体』


 聞いた俺は、先程の鯨の例えを思い出す。


『主犯の逸路からすれば、現実は観測の難しい異界。自分が現実に出ているならまだしも、そうでないなら最低一つ以上、こちらの動向を探るための手段が要る。それが“狼”。その多くは、獲物が心を許している近しい人を食い殺して、擬態する』

『近しい人、って……。それって、つまり』


 悠乃は頷き、淡々と答えた。


()()()()()()()間に合った。けれど、監視が始まる以前に他の関係者が襲われ、成り代わられている可能性も検討しなければならない。今日は、それを確かめる』

「…………」


 コーラスを尻目、俺は少し考えてから、小さく、しかしはっきりと首を横に振った。

 少なくとも俺には、小枝さんも三人も、別人とすり替わっているとは思えない。


 勿論、たまにしか接しない俺の感覚など当てにはならない。

 でも、彼女たちをよく知っている由祈も、俺と同じような判断を下している。それが判断の理由だ。


 どうしてそうとわかるのか、と悠乃が眼差しで問うてくる。

 すぐにわかる、と伝えるために、俺は目線を部屋の中央へと向けた。


 そこには短い発声練習を終えたばかりの四人がいる。


「うし」


 ほとんど独り言のような合図の後、無言で視線を交わし合うと、由祈たちは深く息を吸った。


 そして――次の瞬間。


 たった四人が占めるには広すぎるスタジオに、身震いするほどの“(まぶ)しさ”が満ちた。


「!」


 悠乃もまた感じ取ったか、刹那、(たた)えていた注意が霧散する。


 “それ”は声、歌声。


 人は普段、音律を聴覚でのみ捉える。

 その“いつも通り”の限りでは、彼女たちの歌はただ聞く調べとしてのみ認識される。

 そのはずのもの。


 けれど“これ”は、その単純な域を(はる)かに越えて感覚に迫る。


 光、明かり――そういったものを思う時、人の記憶は関連する幾つもの刺激を共に思い出す。

 陽射しには熱があり、身体に起こった暖かさは好ましい思い出として心に残る。


 身心深くに刻まれたそれら、一切合切を、この歌声は引き出してのける。


 Lumina――“光明”を意味するその名に違わず、聞いた人は皆、思い出すのだ。

 いつか何処かで落とし、なくして、自分一人では辿れなくなった、けれど確かにあったはずの、温かいもののありかと姿を。


 この中心にいるのは由祈だ。

 あいつが歌声の核となり、三人が全力でその響きを育てることで、これだけの、奇跡のような時間を作り出している。


 仲間への、場への完全な信頼――無防備なほどに心をさらけ出す判断が出来なければ、ここまでのものは紡げない。

 いつものように歌うことを決め、それを成し遂げた時点で、由祈はここにいる全員に関して、“疑う必要はない”と示したに等しいのだ。


 今度は俺が悠乃に視線を向ける番だった。

 無言でいた悠乃は、しばし四人を、その先頭に立つ由祈を見つめた後、静かに一度、頷く。


 しかし、しばらくの間を置いて、こうも続けた。

 心の内で胸をなで下ろしていた俺に、それは聞こえなかったけれど。


「……でも、もしそうなら。敵はきのうの待ち伏せのための情報を、どこから手に入れたの」


 灰晶の瞳の奥に覗いた疑念は、囁きが途切れると共にしまわれ、それきり出てこなかった。


 元通りの適当さに戻った悠乃は誰ともフランクに接し、自由な振る舞いで俺に相応の心労を叩き込みつつ、面々と交友を深める午前を過ごした。

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