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識域のホロウライト  作者: 伊草いずく
1.Hollow White, Starry Sky.
10/52

2-1.日常、そのおわり

 ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、――かちっ。

 ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ……。


「!」


 弱に設定された冷房の稼働音と、アナログ時計の針音だけが響く室内。

 けたたましく鳴った馴染みのアラームで、俺は跳ね起きた。


「……俺の部屋……?」


 目覚ましを止めることも忘れて、思わず呟いた。

 見知った自室、窓際に置かれたベッドの上からの眺め。


 視線を降ろす。

 事前の感覚と違わず、身体に傷はない。

 汚れも、臭いの痕跡もなく、使い古しの薄手のタオルケットがまとわりついているだけ。


 続いて室内へと意識を向けた。

 ものの配置にも使用状況にも、異変の類は一切ない。

 カーテンを開けた先の景色も平穏だ。雲一つない青空に強烈な太陽が照っている。


「…………」


 しばし呆然とした。

 ついさっきまで全身に感じていた消耗、血生臭さの記憶とのあまりの落差に、意識が酷い混乱を味わった。


 時刻と日付を確かめる。

 朝の六時、日付は一日進んでいる。

 それらを表示している端末は充電器に接続されていて、ひび割れても破損してもいない。


 そうだ、由祈は?


 反射的に連絡アプリを起動したが、記録(ログ)は合流までのやり取りで終わっていて、その後に続いているはずの電話発信記録など、影も形も見当たらなかった。


「――夢、だった、ってことか……?」


 思わず言葉が漏れた。

 とても信じられない。あの正気を疑うような経験が、自分の頭が作り出しただけのものだっただなんて。


 いや、でも、普通に考えればそうでしかない。

 あんなのが現実のことであっていいわけがない。


 人喰いの大蜘蛛、たくさんの子供の死体、自分がやったこと、それに――。


 “あなたは、本当の“願い”を見つけなければならない”


 虹色の瞳の残像と共に脳裏に甦る声。


「(願い……か)」


 そこまで思い出して、すとんと()に落ちる感覚を味わった。

 “願い”を聞かれて、それがないことを意識して、最後には探すことを求められる。

 いかにも自分が見そうな内容だと思ったのだ。


 とんでもなく強烈で、あんな真に迫ったものを経験したのは間違いなく初めてだけれど、しょせん俺はまだ高校生、二十年も生きてやしない。


 ああいう夢にうなされる夜も人生にはあるのかもしれない。

 直前の由祈との会話が変な形で消化されたか。


 そんな風に考えると落ち着いてきた。

 衝撃が過ぎ去り、代わりに日々のすべきことについてあれこれが頭に浮かんでくる。


 夏休みであっても朝は忙しい。やることは色々ある。

 思考を切り替えることにして、深呼吸した。


 よし。

 まずは――。


「顔洗って姉さん起こして、飯の準備を始めるか」



§



 とんとんとんとんとんとん。

 ざっくざっくざっく。

 ぽこぽこぽこぽこぽこぽこ……。


 眩しい陽射しが差し込む台所。

 身繕いを終えてエプロンに袖を通した俺は、諸々の作業を並行で粛々(しゅくしゅく)と進めていく。


 つとめとしてやっていることだけれど、料理は割と好きだ。

 基本を身体で覚えれば存外無心でやれるし、手から足から動かすせいか、朝なら目覚ましに、昼夕ならいい気分転換になる。


 作ったものに対して、食べてくれた相手から都度で反応がもらえるのもいい。

 姉もちょいちょい来る由祈もリアクションが正直なため、手を掛ける甲斐は結構ある。


 鍋から立ち上る湯気と共に出汁の香りが鼻腔をくすぐる。

 油を引いたフライパンが温まり、溶いた卵を落とすとじゅうじゅうと音を立てる。


「よし、と……」


 味噌汁の火を止めて、卵焼きを仕上げた。

 ベーコンを少し(あぶ)って盛り付けを済ませたら、大体の準備は完了だ。


 一息ついて顔を上げたところで、背後にのそのそとした気配が起こった。

 直衛家の大黒柱を務める我が姉、(りつ)のお出ましである。


「おはよー、佑ちゃあん……」

「おはよ。髪すごいことになってるから直してきたら?」

「お腹減ったぁ……先に牛乳のむー」

「コップ割らないでよ」


 しょぼしょぼと目を(こす)りながら冷蔵庫を開け、棚から犬のマークのマグを取り出してなみなみと注ぎ、ゆっくり一気飲み。


「あぁー、おいひーい」


 まだ二十代だと言うのに、何ともゾンビ然とした動き。

 ちなみに疲労のせいとかではなく、単に朝が弱いだけだ。

 朝食の支度を始めてから今に至るまで三回は起こしているというのに、この寝ぼけっぷりである。


「配膳はやっとくから、洗面所。ヘアバンドはそろそろ替えのやつ使って」

「ふわぁい」


 このまま食わせては何をひっくり返されるかわからんと思い、身繕いを厳命。戻りを待って手を合わせる。


「今日は帰り何時?」

「うぅーん、ぷえふぇんやっふぇひょっひひゃんひゃへひょ」

「一口で詰め込み過ぎだって。プレゼンやって直帰なんだけど、読めない?」

「先方の偉いひとが喋るのすっごい好きでねえ」


 佑ちゃんの出来たて食べたいのに無念だよう、などと語る素振りは至って普段通り。


 ご覧の通り弟にべったりの姉なので、昨日俺に何かが起きていたらこんな風にはならないはずだ。


「やっぱり気のせいか」


 空になった食器を流しへ運びながら独りごちる。

 すると、


『いいえ、気のせいではありません』


 がっしゃん。


「うわおうっ!?」


 驚いて乱暴に皿を置いてしまった俺に代わり、姉さんが素っ頓狂な声を上げた。


「佑ちゃんどしたの!? 大丈夫!?」

「だい、じょう、ぶ」


 ではない。

 反応を見るにどうも姉さんには聞こえていないようだけれど、ということは幻聴か?


『現実法則上ではその分類(カテゴライズ)を隠れ(みの)としていますが、正確には異なります。佑様の識核(しきかく)――現実一般では魂と呼ばれている霊的部位に取り憑き、直接思念をやり取りすることによって会話を成り立たせています』


 大変に理路整然としたわけのわからない説明が返ってきた。

 まずい、本物だ。聞き間違いだと思いたいが物凄くはっきりと聞こえる。


 咄嗟に思う。弟が唐突に“声”を聞くようになったなどと、心配性の姉さんに知られるわけにはいかない。


 とりあえず習慣(ルーチン)に身を任せ、普段と同じ行動を取ろうと努める。

 食後といえばお茶、暑い今時分は冷やした麦茶だ。


 取り出した二リットル容器からコップへ注ごうとする間にも、声による語りは続く。


『申し遅れました。私は“コギト”。“円卓(えんたく)”の(めい)を受け、覚徒(かくと)の皆様の諸活動を補佐する深層鑑識(しんそうかんしき)プログラムです』


 知らない単語がさらっと大量に出てきたぞ。たくましいな俺の妄想力。


『妄想ではありません。少なくとも現在の世界様相下では、これらの情報、及び私の存在は確かな事実です。覚徒とは佑様のような、識域(しきいき)と現実の双方を認識し、かつ識域の構成要素である空想(くうそう)を駆使出来る存在を指し、“円卓”とは――』

「佑ちゃん、お茶、こぼれちゃうこぼれちゃう」


 後ろからそろそろと顔を出した姉さんに言われ、満杯直前で辛うじてストップ。


「すごい顔してるけど、お、お熱とか……」

「大丈夫、大丈夫だから」


 額に手を当てようとするのを拒みつつ麦茶と共にテーブルへ送り返し、声を潜める。


「じゃあ、何か。昨日のことは全部実際にあったことで、お前は俺の妄想なんかじゃなく、おかしいのは俺じゃなくて世界の方だって言うのか」

『そうなります。正確には、“おかしい”――認識の瑕疵(かし)があるのは、現実一般に流布している常識の総体ということになりますが』

「勘弁してくれ……」


 これじゃ完璧にあっちとそっちの区別が付かなくなった人じゃないか。


『私単体での説明では信憑性に欠ける、ということでしょうか』


 困り切っていると、独特の平淡な口調で声が尋ねてくる。


「よくわかったな、その通りだよ」


 皮肉――いや、自分に対して言っているわけだから自虐か――半分に答える。


 出来ればこのまま引っ込んで、そして俺の人生が終わるまで出てくるのを控えてくれると大いに助かるんだが。


 しかしその半ば祈りに似た感情をスルーして、機械音声は告げる。


『それならば問題はありません。まもなくこちらに指揮権保持者(アドミニストレータ)が到着しますので』

「アドミニ……いや、何だって?」


 とてつもなく嫌な予感がして、思わず素の音量で声を上げてしまう。


 が、幸か不幸か、姉さんには聞きとがめられずに済んだ。

 はかったようなタイミングでリビングにチャイムの音が鳴り響いたからだ。


「えっ。誰だろ、こんな時間に」

「で、て、く、る」


 インターホンで対応しようとするのを制して、玄関に向かう。

 開ける。


 そこにはまさしく、昨日意識を失う間際に会った銀髪の少女が佇んでいた。

 しかも何故なのか、俺の学校指定の夏制服(セーラー)というミスマッチはなはだしい格好で。


「…………」

「――――」


 見つめ合う。かたや天然の無表情に基づくと思しい真顔、かたや混乱のため一周回って無表情に近くなってしまった真顔で。


「え、えーっと……。どちらさま? 佑ちゃんのクラスメイトかな、それともおともだち……?」


 よして欲しかったのだが、奥から出てきた姉さんが控えめに少女に声をかける。


「――はい」


 少女――目だけは最初に見た時と違い、玻璃(はり)のような灰色――はそのままおもむろに頭を下げ、抑揚の薄い喋り口のまま、こんな風に挨拶をした。


悠乃(ゆの)七彩(ななせ)です、はじめまして。佑くんの、()()()()です」

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