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「弟?これが?」おじいさんは目を丸くした。
「薬屋が言っていたから。だからこれ、どうぞ」
おじいさんは目を丸くしたまま涙ぐみ、マルコの頭に手を乗せた。
「いいのか?」
マルコはうなずいた。
おじいさんは「ありがとう」と言った。
マルコはまたうなずいた。小さな星屑がガラス瓶の中でぽわりと光った。
おじいさんは大事そうに、ガラス瓶を抱きしめた。
マルコは歩いた。自分の足跡だけが残る銀河を戻る。足跡からやがて道に戻り、瞬く星の数が増えていく。時々足元の道がぺかりと光り、また一日たったのだと泣いた。
なんで渡してしまったのだろう。マルコは何回も思った。何度も何度も思った。
マルコは歩いた。泣きながら歩いた。ぽたぽたと浮き上がる階段を一段、一段下りていく。お腹の奥にぐつぐつと何かがたまってあふれだしそうで、だけど何も言えなくて唇をぎゅっとかんでいた。皆のことを思い出したら、怖くてこわくてたまらなかった。皆に会いたいけれど、村に戻っちゃいけないような気がした。家に入っちゃいけないような気がした。
階段を下りると、丘の上に繭があった。
「おじさん!」
薄緑色のその繭の横には門番が持っていた弁当箱が転がり、サンドイッチが干からびていた。
マルコは走った。走って走って走った。
そうやって家に来た。
家の煙突からは煙が出ていた。マルコはほっとし玄関へ走ったけれど、扉の前で止まった。
すぐにだって扉を開けて入りたいのに、入ったらいけない気がした。誰か気付いてくれないかな、と思ったけど、誰も気づいてくれなかった。
「どうした」
どれだけたったのか。気がつけばマルコは抱きしめられていた。辺りはすっかり暗くなっていた。
「なんで」
「どうやら、一日に一人というわけじゃないらしい。年の多い人間からというのは変わらないが」
くしゃっと笑ったその顔にマルコはお父さんの腰にしがみついた。
「ごめん、ごめんなさい」
それだけで、お父さんには星屑がないことがわかったのだろう。
「大丈夫。星屑なんてなくたって大丈夫だ」
マルコの背中をとんとんと叩いた。
「でも、皆が」
「エディも心配していた。お腹すいてないか」
マルコは始めて自分がお腹が空いていると気づいた。
それから、二つの冬を越えた。お父さんはマルコが帰ってきてから三日後に繭になった。
お母さんは二か月後だった。村の人はマルコのことを責めなかった。
「そうか頑張ったな」とマルコのことを抱きしめた。温かい体温にマルコは泣いた。
「マルコは泣き虫だな」そういったのは七つ上のサリイだった。
「そんなに泣くと目がなくなるぞ」と言ったのはいつもマルコを揶揄うジャンだった。
「昨日、マルコの好きな鹿がとれたのよ」そういったのは猟師のベニーだった。
「大丈夫だよ。でも準備が必要だね。子供たちだけになるのは心配だ」
「そうだな、保存食を多めに作るか」
ベニーが言った。
翌日から、特訓が始まった。お父さんとベニーから猟の仕方とさばき方、お母さんからは料理を習った。七歳になったら習うはずだったことをたくさん習った。
それからしばらくして狩りに行く途中の道でお父さんは繭になった。
「なんで!」
駆け寄ったマルコの目の前で、白い線が羽のように足元から柔らかくお父さんを包んだ。手を伸ばしたマルコの手を振り払うみたいに白い線が動いて、お父さんは繭になった。
「なんで」
マルコは後ろからベニーに抱きしめられながらつぶやいた。三日前から頬が少しだけ白かったけれど、体が白くなってから十日ごくらいに繭になるので、もっと先だと思っていた。だから、今日は皆でちょっとだけ豪華なご飯にしようと言っていたのだ。
「マルコ、帰るかい。私は森へ行くが」
「ベニー」
マルコは信じられなくてベニーを見た。
「次は私の番だからね。どれだけ持つか分からないけど、できる限り保存食を作っておくさ」
ベニーはちょっとだけ悲しそうに首を傾げ、マルコの髪をくしゃりとかきまぜた。
それから五日後、ベニーが繭になった。たくさんの燻製と、罠と狩りの道具を作っていった。
それから八日後、お母さんが繭になった。たくさんの料理のレシピを書き残し、保存食の瓶をいくつもいくつも作っていった。
そうやって何人もが繭になり、マルコが繭になる番になった。だが、次に繭になったのはマルコではなく妹のエディだった。
マルコにはどうしてなのかわからなかった。ただ、年下の子供たちの世話をし、順番に皆が繭になるのを見送った。
マルコは一人になった。
それから五日たっても十日たってもマルコは繭にならなかった。
マルコは繭になった者たちを、それぞれの家に入れて、雨に濡れないようにした。
一か月がたち二か月がたったけれど、マルコは繭にならなかった。
マルコは毎日大きな樽のような繭を転がして、声をかけて、日向ぼっこをした。時々は忘れて雨ざらしにしてしまったけれど。
そうして、マルコは大人になっていった。マルコが大人になっても彼らは繭のままだった。マルコは寂しくて、寂しくて、消えてしまいたくなった。髪の毛が白くなって、咳もでて、昔のように彼らの繭を転がすのもしんどくなった。少し大きな屋根を作ってその下においた。そうして、マルコの腰が曲がりかけたころ、エディの繭が動いた。それまで白かっただけの繭の奥にエディの顔がうっすらと見えた。ぱちりと目を開いたエディに、マルコは喜んだ。
「エディ、エディ。僕だよ。マルコだ。分かる?」
エディは目をぱちくりとした。
「僕、大人になったんだ。あれからもう五十年だよ。おじさんだよ」
エディはまた目をぱちくりとした。返事はなかったけれど、マルコは嬉しかった。その晩はずっとエディの繭に向かって話し続けた。この星に人はマルコだけになったこと。時折やってくる定期便の数が減ったこと。エディの繭は一番日当たりのよい場所に置いていること。今は自分で料理も洗濯もできること。この間、熊をとったこと。一人なので食べきれなくて、燻製ばかり増えていること。
マルコが何かを言うたびに、エディは目をぱちくりと動かした。そのたびに、マルコは笑った。
「エディ、僕ほっぺが痛い。笑いすぎたかも」
マルコはその日、自分がずっと笑っていなかったことに気づいて、また笑った。
夜が更けても話し続け、三日目の朝、マルコはぼんやりと目を開けた。
「いつの間に眠っていたんだろう。エディ、おはよう。……エディ!」
繭の中にいたエディの顔は見えなくなっていた。どれだけ呼んでも、エディの好きなプディングを作っても、お母さんに教えてもらった紅茶を入れても、エディの好きな歌を歌っても、エディの顔は見えなかった。
「お父さん、お母さん」
マルコは二人の繭を並べ、その横にエディの繭を置くと、三つの繭の間に座った。
「僕、もう長老より年上なんだよ」
「ベニーさんの矢は癖があって使いにくいんだよ」
「フレッドさんから貰ったやつ今も大事に使っているんだ」
マルコは三人の繭に小さな剣を見せた。繭は白いままだった。太陽の光を浴びて薄い黄色に輝いたけれど、誰の顔も見えなかった。
「ねえ、答えてよ。一度でいいからさ」
マルコはエディの繭を抱きしめ、泣いた。おいおいと泣いた。鏡に映った自分の顔に、あの日のウサギのおじいさんを思い出してまた泣いた。
それから、寝室の小さな引き出しを開け、中から古びた紙とペンを取り出した。あの日の夜、薬屋でもらったものだ。
「もしもどうしても堪えられなくなったらこれに君の名前を書くといい。そうすればその苦しみを忘れさせてあげよう」
特別製のそのペンは涙をペン先につけて書くとその悲しみを忘れさせてくれる特別製のものだと薬屋は言った。つるりとした肌を撫でて、どこか遠くを見た薬屋の胸のペンダントにはいくつかの星屑が埋められていた。
もしかしたら薬屋も誰かを待っていたのかもしれない。銀水晶のような煌きを放つペン軸に、マルコは思った。
遠くで笛の音がした。
月に一度の定期便だ。
マルコは涙を拭いて、杖を手に扉を開けた。