菊崎航佑(1)
この世の中には、視える奴と視えない奴がいるらしい。
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五月。高校に入って一年と少したち、新しいクラスにも慣れてくる時期。昼休みの放送でKポップの音楽が流れる中、俺は相原と弁当を広げていた。
「うまっ。やっぱ唐揚げは母ちゃんのだわ。母ちゃん天才だわ。相原も食ってみる?」
「えー? 菊崎の分がなくなっちゃうからいいよ。というか、よくそんな食べられるね」
相原は呆れたように笑った。相原の弁当は俺の半分くらいで、よくそんなんで足りるな、といつも思う。あれか、もやしだからか。背が高くて色が白くてひょろい。まじでもやし。
相原とは高校からの付き合いだが、一年の最初に席が隣になり、何となく友達になって今に至る。最初はぎこちなかったが、今では違うクラスになっても押しかけて弁当を食べる仲だ。後で唐揚げ一口やるな、そういっていつも全部たべてるくせに、とか他愛もない話をしながら、ふと沈黙が降りる。
カラッとした日差しに、早弁していた部活の奴らが校庭でボールを蹴る音が遠くで聞こえる。パシュ、という音と歓声に、誰がゴールを決めたのかと耳をそば立てていたら、ベランダで弁当を食べていたグループの声が聞こえてきた。
この世の中には、視える奴と視えない奴がいるらしい。
サッカー部の同期が得意げに言って、奴のカノジョの吹部女子がきゃー、と可愛らしく悲鳴を上げる。盛り上がる彼らを横目に、俺は相原に聞いてみる。
「この世の中には、視える奴と視えない奴がいるらしいってよ」
相原は、色素の薄い瞳を瞬かせた。
「菊崎がそんな話に興味あるって知らなかった。そうらしいね」
「相原は見たことあるか、そういう、なんか霊みたいなもの」
相原の箸が一瞬止まったが、また何事もなかったように動き出す。
「うーん、どうだろ。菊崎は?」
「俺はないな。YouTubeでホラゲの実況とかは見るけど」
そっか、と話を区切って無言で唐揚げを咀嚼し始めた相原に、俺はそっと息をついた。
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相原は、いい奴だ。喋ってばっかの俺の話もにこにこしながら聞いてくれるし、掃除の時間もサボらない。女子に向かって下ネタを言わないし、必死に頼めば溜め息をつきながらも課題を写させてくれることもある。
でも、相原は、たまに変な奴だ。部活帰りに、帰宅部の相原が土や草まみれで廊下を歩いていたときにはびっくりした。時々何もないところをぼーっとみたまま動かない。誰もいない教室に忘れ物を取りに帰ったとき、相原が誰かと喋ってるような声が聞こえたけど、扉を開けたら相原一人だった。
ぱっと思いつくのがこれだけあるから、俺だけでなく他のクラスメイトも多少同じような経験はしているはずだ。けれども相原が気味悪がられないのは、相原の人徳によるものか、それともなよっちくて優しげな相原と心霊現象がマッチしないからか。
一人になりがちな相原の一番の友達だと自負する俺は、でも、気のせいかもしれないと思うことにしていた。気のせいかもしれないし、相原が言いたくなる時を待てばいい。もし気のせいだったらまだ厨二病から卒業できてない人みたいになっちまう。それは恥ずかしい。でも、時々そういう話題を振って、反応を見てしまうときはある。相原は分かりやすく動じたりはしないけど、忌避している感じもない。どういうことか、ともやもやしてしまうが、特にこれと言って出来ることはない。
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もやもやは動いて発散するに限る、といつもより基礎練を多めにした部活の帰り、体操着を入れた袋をボールに見立てて蹴りながら、いつもの道を歩いていた。高校は徒歩圏内にあるので、帰りが遅かったり朝練のある部活に入りやすかったのはありがたかった、なんてことをつらつら考えながら、いつものように道中の祠に一礼する。
これは習慣のようなもので、まだ小さかった俺が亡くなったじいちゃんに、この祠を通るときは一礼してから通りなさい、と教えられたのをずるずる続けている。何でそうしないといけないの、と聞く前にじいちゃんは亡くなったから、やめようにもなんかやめられない。そうして礼をして、顔を上げると、隣に女の人が立っていた。
は、と息が漏れる。とても綺麗な女の人だった。え、さっきまで俺一人だったよな。思わず足を確認した。白いハイヒールに包まれた足がちゃんとあった。なにテンプレのような確認してんだ、と自分にツッコミを入れて、視線をゆっくり上に戻す。女子大生のような、茶髪に白いシャツワンピースのようなものを着た女の人。綺麗だが、気配がまるでない。
そして、女の人が緩慢な動作でこちらを見た。髪の毛と同じ茶色の瞳が、俺を写す。女の人は表情を変えずに、ゆっくりと口を開いた。
「いつも ここに来ている子だよね」
あ、この人喋るんだ、なんて考えながら、「はい」と反射で返事をする。
「そっか。 いつも 見てた。 いつも ありがとう。 こんなところ 覚えてるの 君くらいだから」
そう言って、女の人は祠を指さした。俺の腰くらいの高さの、苔むしてお世辞にも綺麗とはいえない祠。俺が一礼しているのを見た通行人も、次の瞬間には存在を忘れているようなもの。何のためにあるのかもはっきり分からないもの。
「もう なくなっちゃいそうなんだ」
女の人は儚げに笑って、そして、次の瞬間にはいなくなっていた。
「……は、なんなんだよ。」
俺の声だけが、むなしく夜の道に響いた。
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「俺、視ちゃったかもしれん」
相原は、口まで持って行った卵焼きをぽろっと落とした。
「は? 何言ってんの。ホラゲの見過ぎ? 納涼にはまだ早いけれど」
冗談を言うように早口で話す相原は、冷静そうに見えるけれど、制服の上に落ちた卵焼きをすぐ取らない時点で動揺しているのが丸わかりだった。
「いや、見たんだよ、昨日。祠で。女の人」
相原は、目をぱちくりとさせた。
「ほこら? 女の人? ほこらって、あの菊崎の家に帰る途中にある祠?」
「そう。茶髪で白い服着た綺麗な人だったんだけど、一瞬で現れて一瞬で消えたんだよ……。な、幽霊だと思う? 俺、憑かれてない?」
「そんなこと言われたって……」
相原は俺をじっと見た。
「昨日と変わらない、普通の菊崎だよ」
そして、手をぱんぱん、と叩いて「おしまいおしまい。心配しすぎない。菊崎は帰って早く寝る。はいこの話終わり」と弁当に箸を延ばした。卵焼きは制服に落としたままだった。