上野まひろ(3)
「見つけた! おに交代! 三十秒!」
遠くで声が聞こえて、俺は駆け出した。
次の子……、次の子は、一番背の高い子!
周りを見渡す。他の子に見つからないで、隠れられそうな場所……。
「いーち、じゅーう、さんじゅう!」
うそだろ、お前もきちんと数えないのかよ。さっきまでちゃんと数えてただろ。
一か八か、俺は近くの木に登って、いい感じに葉っぱが茂っているところに隠れた。
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「いるかなー、いないかなー」
場違いに明るい声が響く。俺は必死に息を殺して、下の真っ黒な人型を目だけで追う。
真っ黒は、石の裏や木の影などを丁寧に覗いていく。
見つかりませんように。昨日と一昨日、木の上だと見つからなかったから、今回もうまくいきますように。
そう必死に願いながら、震える手を抑えた。
「いないねー、いないねー」
そう言って、次に見つかる子の方向へ歩き出したのを見て、俺はほっと息をつく。このまま、見つからなければ。どうにかなるかもしれない。望み薄だけど。
「なんて、いうと思った?」
ひゅ、と息が詰まった。
恐る恐る、下を見る。一番背の高い子が、真っ黒な子どもが、木の下に立ってこちらを見上げていた。
「あはは、いいところ思いついたね。どこにいるか二日も分からなかったの、初めてだよ。」
真っ黒なのに、楽し気に笑っているように見える。にやにやとこちらを見ているように見える。
「でもね、まひろくん、昨日木から下りるときに、サチに見つかっちゃったんだよね。それで分かった。あ、サチってわかる? 次見つける子」
頭の中に、一番背の小さかった子が浮かんだ。あの子か!
「でも、もう終わりだね?」
真っ黒が、にやにやしながら、こちらに手を伸ばして、
「みいつけ、」
「られないよ」
誰かに、後ろからぎゅっと、抱きしめられた。
覚えのある声、匂い、暖かさ。うっすら目を開ける。
相原の兄ちゃんが、俺を抱きしめていた。
「どうして」
黒い人影が、心底不思議そうにしている。
「もう、『みつかった』から。君たちがかくれんぼのルールを利用しているのなら、君たちは自分からルールを破れない。まひろは僕が見つけた。一度見つかったら、もう見つけられないでしょ」
人影が、苛立たしそうに叫んだ。
「そんな言葉遊びを、卑怯な! どうして邪魔する! その子は私のだ!」
相原の兄ちゃんが、色素の薄い茶色の目で、じっと人影を見つめた。
「……じゃあさ、どうして、君はかくれんぼしてるの?」
影がこちらに伸ばしていた手の動きが、止まった。
「どうして、最初は自分が鬼になって、誰かを見つけようとするの?」
人影は、動かない。
「見つかったら、次は鬼になる。で、他の子を見つける。君はさ、見つけてもらいたかったんじゃないの?」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
黒い影は、頭をかきむしった。兄ちゃんは、俺を抱きしめたまま、静かにその様子を眺めている。
「私は……、私が、そうだ、私は、見つけてほしくて……」
しばらくして、ぽつりと、そんな言葉が聞こえた。
黒い影が、ぺしゃんと座り込む。なんだか、泣いているように見えた。
「でも、寂しくて、辛くて、いつの間にか忘れて……。寂しくないようにしたいって、思って」
兄ちゃんは俺を抱きかかえたまま、とすっ、と地面に降りた。
「みつけて、ほしかった。……でも、見つけてもらえない子ばっかり、増やしちゃった」
兄ちゃんは、黒い人影の頭を撫でた。黒い人影は、思わず、といったように兄ちゃんを見上げる。
「いいよ、僕が全部見つけてあげる」
「……でも、私には見つけてもらう資格は」
「ううん、あるよ。僕ができる範囲になるけど、みんなまとめて見つけてあげる。だから、まひろは返して?」
相原の兄ちゃんは、そう言って、黒い人影から手を離した。
「……うん」
黒い人影は、しばらくの間兄ちゃんと俺を見て、そして頷いた。
そして次の瞬間には、消えていた。
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人影が周りにいないことを確認してから、兄ちゃんが、俺をいつもより強くぎゅっとして、大きく息を吸う。
「見つけましたー! ここでーす!」
「みつかったかぁー!」
「いま行くー!」
遠くから、大人の男の人の声が聞こえる。
あ、大丈夫だ、と思った瞬間、俺はなんだかすごく眠くなって、兄ちゃんの肩に頭をこてん、と預けた。
兄ちゃんは色素の薄い目を瞬かせた後、微笑みながら俺の頭を撫でて、「おやすみ」と言ってくれた。
ーーーーー
ぴっ、ぴっ、ぴっ、と、機械の音がする。
俺は、ゆっくりと目を開けた。真っ白な天井。点滴が二パックくらい、金属の棒につり下がっている。チューブの先をたどると、俺の左手の手首と肘の間くらいに針が刺さっていた。
「んん」
急に声が聞こえて、びっくりしたけど身体がうまく動かせなくて、ゆっくり横を見る。ベッドのわきの小さな椅子に座った相原の兄ちゃんが、グーっと伸びをしていた。そして、いつものようにふわふわ微笑む。
「おはよ、まひろ」
「おはよ、兄ちゃん……?」
状況が呑み込めないでいる俺は相当変な顔をしていたらしく、兄ちゃんはくすくす笑った。
「うん。返事できるなら大丈夫かな。まひろ、何があったか覚えてる?」
「うーんと」
俺はしばし考える。頭にもやがかかったような感じがしていたが、だんだん思い出してきた。
「そうだ、かくれんぼしてて、……みんな真っ黒で、それで見つかって」
怖かった。声が震える。兄ちゃんがそっと手を握ってくれて、ゆっくりでいいよ、と言う。
「みつかったとき、兄ちゃんがきてくれて、で、真っ黒が消えて、ここにいる……? 合ってる……?」
「合ってる。そっか、まひろは全部覚えてるね」
兄ちゃんは俺の頭を撫でた。なんだか懐かしく感じて、いや、ほんとに懐かしいな。今年は兄ちゃんとそんなに遊べなかったから、去年ぶりくらいか、頭撫でてもらえたの。もうすぐ集まり終わるよな。え、もう終わっちゃうじゃん。まだ兄ちゃんと遊べてないのに!
「兄ちゃん! 今日は遊べる?」
急に大きな声を出した俺を、兄ちゃんはきょとんとした顔で見る。そして、何が面白かったのか、声を上げて笑い出した。
「兄ちゃん、たぶんもうすぐ帰らないといけないから、遊べるの今だけだよ! ほら! あ、ゲームまだ部屋かも、っていうかここ病院? ゲーム取りに帰りたい!」
ゲームのことを思い出して、ばっ、と上半身を起こした俺は、なぜかくらくらしてまたベッドにダイブした。兄ちゃんは面白いものを見るような目で俺を見ている。
「だーめ。まひろは栄養失調と脱水症状でしばらくこのままでーす。でも俺も事情聴取でしばらくここにいるし、ゲームはできるかも。後で聞いてみるね」
「いよっし!」
点滴で手を動かしていいかわからなかったから、心の中でガッツポーズした。
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ゲームの憂いが消えると、だんだんあの人影たちのことが気になってくる。
「にいちゃん、あの影たちどうなったの?」
「そうだね、まひろにはちょっと難しいかもしれないけど。聞きたい?」
兄ちゃんは首をかしげる。茶色の瞳がいつもより真剣な色を帯びている気がして、俺は無意識に背筋を伸ばした。
「……うん、聞きたい。あの子たちがどうなったのか、知りたい」
「聞いたことを、後悔しない?」
「たぶんしない。何もかも分からないで、怖かったって思い出だけ残るのがいやだ。怖かったのが同じなら、ちゃんと分かったうえで終わりにしたい」
いつもよりちょっと真面目に言えば、兄ちゃんは微笑んで、「僕も同じ意見」と言って頭を撫でてくれた。俺はその手をつかんだ。
「なに?」
「このまま。頭撫でたまま、話して」
「あはは、分かった。よーく聞いてね」
そして、兄ちゃんからいろいろ聞いた。
まずは、今まで親族はどういう状態だったのか。集まりの最後の日、帰るときになって、母ちゃんが俺がいないことに気づいて探し回ったこと。親戚の人も探してくれたが、それでも見つからなくて母ちゃんが心配のあまりなぜか民間の捜索隊にまで声をかけて俺を探してくれたこと。で、それについてった兄ちゃんが俺を見つけてくれたこと。
「それって、母ちゃんは自分から捜索隊の人に声をかけたの?」
「……どうして?」
「いや、なんとなく。兄ちゃんがそそのかしたのかと思って」
「えー、僕そんなことしそうに見える?」
「見える」
兄ちゃんは、色素の薄い目を細めて微笑んだまま、何も言わない。
そして、兄ちゃんのこと。兄ちゃんが俺に黒いペンキをかぶったか確認した夜、俺の様子がなんだかおかしいと思って、本家のおうちの書庫に行って資料を探したらしい。そしたら、本家のおうちの近くにある山で、定期的に子供が行方不明になっていることに気づいた。
タブレットで新聞を遡ったり、書庫にある昔の事件を記録した本を確認したりして、一番最初に行方不明になった子はだれか調べてみたら、ある事件がヒットした。当時小学五年生の女の子が、誘拐されて殺され、その山にすてられた、らしい。犯人はその山に捨てたって言うけど女の子は見つからなくて、そのままになっていた。
その後、山にハイキングに行った子供が見つからなかったり、山の近くの家の子が家から突然抜け出して行方不明になったり。気味悪がって、子供のいる家はたくさん他所に引っ越しちゃったらしい。でも、ただでさえ高齢化の進んでいるこの町で、この噂は致命的だと考えた町は、できるだけ隠すようにした。たまに子供が行方不明になると、なぜかこの山を一番に捜索した、っていう記録を兄ちゃんは見つけた。
「俺、その子たちがどこにいるかわかる気がする……。後で、場所、書いとくね」
「ありがとう。でも無理しないでいいよ。できる範囲で、って約束だから」
「そっか……。そういえばもしかして、兄ちゃん、昨日から今日までずっと資料探してた?」
「いや、途中で休憩挟んだし、最後は捜索隊の人にくっついてったから、ずっとじゃないよ」
「うーん。ま、いっか。ありがとね、兄ちゃん」
「僕は何にもしてないよ。捜索隊の人に後でありがとうっていっておいで」
兄ちゃんは、律儀に俺の頭を撫で続けている。なんだか安心して、俺はぽつりとつぶやいた。
「母ちゃんは」
「うん?」
「母ちゃんは、どうしたの?」
「ああ、和田さん。いや、まひろのお母さんね」
母ちゃんは、俺が見つかった後、俺の顔を見て安心してそのままぶっ倒れたらしい。で、今は俺と同じように、この病院で安静にしているんだって。俺を探す様子があまりにも必死すぎたから、今はカウンセラーがついているらしい。
「そっか」
「そうだよ。……まひろのお母さんはね、限界だったんだ」
「限界?」
「そう。上野のおうちはね、昔からの決まりをすごく大事にするおうちで。自分たちと血のつながってる人にはとても優しいけれど、血のつながってない人にはとても厳しい。まひろのお父さんが亡くなって、お嫁に入ったまひろのお母さんは、だいぶ大変だったんじゃないかな」
俺は思い出した。小さなころは、今より笑っていた母ちゃん。父ちゃんも母ちゃんも料理が好きで、二人で幸せそうに料理をしてた。
「僕がこの時期だけ呼ばれる目的もね、嫌がらせ、だったんだ。最初は僕への、お前を労働力として使ってやる代わりに家族に入れてやるよ、っていう嫌がらせ。その次は、子供に言うことを聞かせられない母親だって、まひろのお母さんをあざ笑うための嫌がらせ」
「……じゃあ、俺は、母ちゃんが笑われる原因だったの?」
ふいに、俺を撫でる兄ちゃんの手が止まった。俺の目から、勝手に涙が流れだす。おかしいな、いつもはこんなに泣かないのに。いつからこんなに泣き虫になっちゃったんだろう。
俺が目をごしごしとこすると、兄ちゃんは困ったように笑った。
「泣いていいよ。泣いちゃうときに泣いとかないと、泣きたいときに泣けなくなっちゃうからね」
そう言って、俺の手をやんわり抑える。
「確かにまひろは、まひろのお母さんをいじめるために呼ばれてた。でも、それはまひろが悪いんじゃないんだ。親戚の人たちが悪い。子供を、母親をいじめるための道具にするなんて、なかなか許されることではないよ」
「でも、俺が母ちゃんの言うことを聞かなかったのが悪いんじゃ」
「ううん。確かにお母さんの言うことを聞いたほうがいいこともたくさんあるんだけれど、それよりも自分でよく考えて、そのうえで動くことが大事。それをまひろはちゃんとできてた」
兄ちゃんは俺の頭をぽんぽん、と優しくたたいた。俺は泣きながら、兄ちゃんの手をつかむ。
「なでて」
「はいはい。まひろのお母さんも、最近は疲れて、やってほしくないことをきちんとまひろに伝えることができなかった。まひろだって、もう自分でやりたいことを決められる年だから、理由がないと分からないよね」
「うん」
「今はごちゃごちゃして、いろんな問題が重なっているように見えるけれど、まひろとまひろのお母さんが体も心も元気になれば、解決策が見つかるはずなんだ。例えば、本家のおうち、上野のおうちから離れるとか。」
俺は、母ちゃんを思い出した。今まで、ずっと俺を叩いたことのなかった母ちゃん。自分で俺を叩いたくせに、信じられないような顔をしてた母ちゃん。また元気になれば、またにこにこ笑ってくれるかな。
「環境は、良くも悪くも人に作用するから、駄目だって思ったときは変えるのが一番いい。でも今、まひろのお母さんはちょっと疲れていて、まひろも僕もまだ子供で、なんにもできない。困ったね。さあどうしよう」
俺は、兄ちゃんを見上げる。口では困った、どうしよう、といっているのに、なんだかにやにやしている。不思議だな、と思っていると、ベッドの周りを囲むカーテンの後ろから、女の人の声が聞こえた。
「上野まひろくん? 今、お母さんのカウンセラーを務めさせてもらっています、野谷といいます。今、ちょっとお話しできるかな?」
「はい、ちょっと確認しますね」
そう答えて、兄ちゃんは俺に、大丈夫? 話せそう? と聞いた。俺が頷くと、兄ちゃんは大丈夫そうです、と言ってカウンセラーさんを中に入れる。
それから俺は、「じゃあ僕はこの辺で」と帰ろうとした兄ちゃんの服の袖をつかんで、聞いた。
「ねえ、カウンセラーさんに母ちゃんのことを頼んだのって、兄ちゃん?」
「ふふ」
兄ちゃんは唇に指をあてて、しぃーっというポーズを作ると、カウンセラーさんを残して病室を出て行った。