第1話
イノリ:『ねぇ、どうして太陽は沈んじゃうのかな?』『ずっとお昼のままなら、ずっと家に帰らないで、ずっと一緒にいられるのに』
ケイト:『ふっ。そんなの決まってるだろ?』『夜に逢えない分だけ、また明日逢えるおまえの顔がより愛おしく輝いて見えるからさ』
イノリ:『けいきゅん……♡♡♡ しゅきぃ♡♡♡』
ケイト:『俺も愛してるZE☆』
イノリ:『しゅきしゅき♡ ちゅっちゅ♡』
ケイト:『ちゅっちゅ♡』
イノリ:『ちゅっちゅっちゅ〜♡』
以後、寝落ちするまで無限ループ。
とあるバカップルのメッセージ履歴より引用。
「あ゛〜〜〜〜〜〜、マ〜ジキチィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!」
それは記憶を無くす前の俺が、恋人と毎日毎晩のようにしていたクソ惚気会話のたった一部でしかなかった。
「いっそもう、コロシテ……コロシテ……」
記憶を失った俺の人生は、身に覚えのない黒歴史に満ちていた——。
◇◆◇
夏もとうとう過ぎ去ろうとしている8月の末。とある総合病院の一室にて——。
「ということで、オレたちが永劫学園2-Aのクラスメイトだって事は理解してくれたな?」
「まぁ、理解はした。実感はまったくないけどな」
「ははっ、とりあえずはそれでいいさ」
俺は上半身を起こした病室のベッドにもたれながら、同級生の岡本勇気に話を聞いていた。
「そろそろ本題に入るとするか」
俺は今、検査のために入院生活を送っている。
それと言うのも、俺には過去の記憶が存在しない。もちろん目の前の少年が知り合いだと言うことにも確信が持てずにいた。
そう、飛鳥井彗斗は記憶喪失なのである。
「さて、飛鳥井彗斗という人間を語る上で絶対に欠かせないことがひとつある」
「欠かせないこと?」
今日は俺の人間関係周りについて聞かせてもらうため、岡本に来てもらっている。
社会復帰に向けた取り組みの一つというわけだ。
「ああ、それはおまえとその恋人——片桐祈莉が校内、いや、この街でも随一のバカップルだったということだっ」
その事実を聞いたとき、俺はあらかじめ聞かされたこの記憶喪失に至るまでの一連の流れについて思い出していた。
まずはそこから、振り返るとしよう。
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永劫学園には誰もが羨むラブラブカップル——否、あまりにもイチャラブしてすぎて痛すぎると有名なバカップルが存在した。
その彼氏こそが飛鳥井彗斗。そして彼女の名を片桐祈莉と言う。
夏休みに入ってからと言うもの2人は絶え間なく、イチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ三昧な日々を送っていた。
しかし、そんな日々にも終わりがやってくる。
祈莉にはお盆休みを利用した家族旅行の予定があったのだ。
3日3晩の別れ。
それは2人にとって、永遠にも近しいほどの長い時間だった。
そして、3日後。
彗斗は1秒でもはやく祈莉と逢うため、最寄りの駅へ走った。
「——いーたん!」
「え、けいきゅん!?」
感動の再会。
3日ぶりに顔を合わせた2人は喜びに打ち震え、お互いの元へと全力で駆け寄った。
そう、全力で。
——己の身体に宿りし筋力の全てを振り絞って!
「「ガ————ッッッッ!?!?!?」」
2人のイメージはおそらく、御伽話の王子様とお姫様。キスをして抱き合い、ミュージカルのように踊るつもりだったのだろう。
現実はそう上手くいかなかった。
勢い余った2人はそのまま正面衝突。お互いの額に強烈なヘッドバットを喰らわせ、まさかまさかのダブルノックアウトでさあ大変。
気絶した彗斗が病室で目覚めた時、過去の記憶は綺麗さっぱり消えていた。残っていたのは、それはもう見事なタンコブのみだった。
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というのが家族やクラスメイトたちの証言、そしてバカップルの行動思考をトレースした結果導き出された事件の一部始終である。
「やっぱりバカなんじゃないか……?」
流れをおさらいすればするほど、そんな感想が沸々と湧き上がってきた。バカなんて言葉が生易しく感じるほどにマヌケだ。
これが、本当に俺……なのか……?
他人事じゃなくて、その当事者だって言うのか……? 信じたくない……が、事実だった。
「ああ、バカだ。バカすぎる。よし、おまえに真なるバカップルの称号をやろう」
「いらんわ」
「だよな。でも記憶を失う前のおまえなら喜んで受けとってくれたんだぜ」
「マジかよ……狂ってやがる……」
「はは、まぁ安心しろって。逆に考えればそう思える分だけ、今のおまえはまともってことだ」
言われてみればその通りだ。
人間関係に関する記憶を無くしたのと共に、当然ながら恋心も失った。
恋は盲目だとよく言うが、今の俺は冷静に自分を客観視できている。
「加えてもう一つ、バカップルエピソードを話してやろう。そうだな……これは、放課後に毎日行われていた会話だ」
「毎、日、だと……!?」
まだ内容を聞いていないと言うのに、身体が恐怖に慄くのを感じた。
「あ、最初に補足だが、おまえはサッカー部、片桐は陸上部に所属している。おーけー?」
「お、おーけー……」
「よし」
岡本はスッと瞼を閉じると、深呼吸して精神を統一する。
え、これってまさか……。
『イヤ! イヤイヤイヤ! わたし、けいきゅんと離れたくない!』
ぶっは!?!?!?
岡本は完璧に表情を作って、甲高く汚い声で叫んだ。
『お、俺だって離れたくないよ。でも、部活には行かないと……』
今度は男の低い声。というか、おそらく俺の真似だ。
これはもう間違いない。
ここからは岡本による迫真の一人二役演技でお送りします……。
『けいきゅんは私とサッカー、どっちが大事なの!?』
『……っ!? それはもちろんいーたんさ!』
『それならずっと私と一緒にいてよ! 放課後デートしたいよ!』
『く、う、……〜〜っ、そ、それは俺だってしたい……だ、だが、俺は、いーたんが陸上部で活躍する姿を見るのが好きだ!』
『けいきゅん……!?』
『いーたんには大会で結果を残してほしいんだ。そして言わせて欲しい。俺の彼女はこんなに凄いんだZE☆って』
『けいきゅん……私も同じだよ。カッコよくゴールするけいきゅんが世界で一番♡しゅ♡き♡』
『ああ……だから辛いけど部活を頑張ろう……』
『うん……わかった。けいきゅんのために、いーたんがんばりゅ♡』
『大丈夫。サッカーなんて所詮遊びさ。部活が終わったらまたすぐ会えるから!』
『うん、私も陸上なんて遊びだからね! 勘違いしたらイヤだからね!』
『わかってるよ、いーたん』
『けいきゅん……♡♡♡』
一拍の間をおいたのち、岡本の顔が能面のような無表情になる。
「……どうだった?」
「死にたい」
「その感情をどうか忘れないでほしい。オレだってもう、こんな現場は2度と見たくない」
「ああ……肝に銘じておく……」
もう疑いようがない。
記憶を失う前の俺は、どうやら類い稀に見るレベルの痛い奴だったらしい。
「ちなみに件の会話は教室で行われることもあれば、グラウンドのど真ん中で行われることもあった。グラウンドはサッカー部と陸上部が分け合って使っている。あとは……わかるな?」
「……部活は休部するわ」
「懸命な判断だ」
え?部員たちの前でサッカーは遊び宣言してたんですか?あんなイチャコラしながら?
そのうち刺されてもおかしくないかもしれない。
「じゃあ、オレはそろそろ帰るわ。続きはまた今度な」
演技で相当なカロリーとメンタルを消費したのだろう。岡本の顔は少しだけやつれて見えた。
大事な夏休みの終盤だというのに病院まで足を運んでこんなことまでしてくれるなんて、ありがたい話だった。
「ありがとな。助かるわホントに」
「いいってことよ。オレとしては昔のおまえに戻ったみたいで、少し嬉しいしさ」
「どういうことだ?」
「高校入ってからのおまえはその……なんつーか、……狂気じみてたからな……」
「ああ……なんか、すまん」
バカップルの友人をしていたことの苦労が窺えた。
「オレは今のおまえの方が断然好みだぜ。これからも仲良くしよう。じゃあな!」
岡本は本気で嬉しそうにニカっといい笑顔を見せると、病室から去った。
「え……ホモ……?」
いやいや、そんなわけ……。
「でも俺って今、フリーなんだよな……」
岡本との付き合い方は少し考えていく必要がありそうだった。