表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

あなたに会いに行きます

作者: 一布

 

 目覚まし時計が鳴った。


 八畳一間のワンルーム。窓際のベッド。布団から腕を出して、目覚まし時計を止めた。部屋の空気が冷たい。


 一月。

 真冬の北海道。


 室内は、暖房を点けないと震えるほど寒い。


 時刻は午前六時半。


 ――起きて、仕事に行かないと。


 隼人(はやと)はベッドから出た。体が一気に冷えた。


 現在二十歳。高校卒業と同時に地元を離れ、食品製造工場に就職した。ここは、社宅のアパート。302号室。


 部屋の中央にあるテーブルには、開かれたままのノートパソコン。電源が点きっぱなしだった。


 ――あれ? 昨日、パソコン落とさなかったっけ?


 デスクトップを見つめて、隼人は首を傾げた。少女の写真が表示されている、デスクトップ。


 少女は、由香(ゆか)。隼人の恋人。正確には、()恋人。


 由香は、地元の幼馴染みだった。小さい頃は、ただの友達。異性を意識する歳になると、二人の関係は変化した。中学一年のときに、友達から恋人になった。


 だが、由香は、中学二年のときに親の転勤で地元から離れた。


 それでも二人は別れなかった。毎日チャットで会話をした。連休のときは、遠出をして会っていた。


 中学を卒業したら、同じ高校に行こう。寮のある高校に進学すれば、可能なはずだ。そんなことを話し合っていた。


 由香はやきもち妬きだった。隼人が他の女の子と仲良くすると、頬を膨らませて拗ねていた。彼女の頭を撫でて(なだ)めるのが、隼人は好きだった。


『ずっと一緒にいたい』


 そう、いつも言っていた。


 でも、二人の願いが叶うことはなかった。


 中学三年の秋。由香が、事故で亡くなった。


 会えたときは、顔いっぱいに笑みを浮かべていた由香。隼人が他の女の子を見ると、頬を膨らませていた由香。中学三年になって、もうすぐ毎日会えるねと喜んでいた由香。


 彼女を失った喪失感は、大きかった。落ち込んで、何も手につかなかった。


 いい加減な気持ちで、隼人は、地元の高校に進学した。


 高校一年の頃は、女子を見ても何とも思わなかった。考えるのは、由香のことばかり。想像の中で由香に高校の制服を着せ、一緒に登下校していた。


 隼人のパソコンのデスクトップは、由香が亡くなったときから、彼女の写真になっている。隼人が歳をとっても、由香は変わらない。画面の中で、あどけない少女のまま。


 パソコンの電源を落とした。出勤の準備をして、家を出た。


 北国の冬。辺り一面、雪に覆われている。


 社宅の一階には、鍵が掛かっていない物置小屋がある。冬場になると、物置に、雪かきの道具が用意される。会社の備品。スコップ。スノーダンプ。氷を割るためのツルハシ。


 社宅の住人が、それらを使ってアパート周辺の雪かきをするのだ。


 出社し、隼人は、更衣室で作業着に着替えた。現場に出て、製造ラインを動かす準備をする。機械を始動。淡々と作業を繰り返す。


 隼人はもともと、地元を離れるつもりはなかった。実家に住んでいる方が楽だし、金も貯められる。


 地元を離れた原因は、元恋人だった。


 元恋人といっても、当然、由香ではない。


 由香を亡くした痛みが癒え始めた、高校二年のとき。隼人は、同じクラスの香奈恵(かなえ)に告白された。


 由香のことを、いい思い出にしたい。綺麗な思い出として胸に秘めたまま、幸せに生きていきたい。


 そんなことを考えて、隼人は香奈恵と付き合い始めた。


 香奈恵と付き合い始めた当初は、楽しかった。たくさんの時間を共有できた。遠距離恋愛では、できなかったこと。いつも一緒にいて、直接話して、関係を深めてゆく。


 幸せだった。由香のことは忘れられないが、思い出にできる。そんな気がした。


 だが、初めて体を重ねた頃から、香奈恵は変わった。

 

 高校時代を――香奈恵のことを思い出すと、身震いしてしまう。工場内は、暖房が効いて暖かいのに。


 苦い記憶を振り払うように、隼人は、淡々と作業を繰り返した。ライン上で商品ができ上がってゆく。


 午後七時過ぎに、作業が終わった。


 仕事を終えて、隼人は更衣室で着替えた。帰路に着く。


 外はすっかり暗くなっていた。雪に覆われた地面。凍るほど冷たい風。チラチラと雪が降っている。寒さに体を縮めながら、少し早足で歩いた。


 家に着いた。鍵を開け、部屋に入る。


 明りは点いていない。


 それなのに、ワンルームの室内は、テーブル上を中心にボンヤリと明るかった。パソコンのディスプレイの光が、周囲を照らしていた。


 ――あれ? 今朝、パソコン落とさなかったっけ?


 隼人は首を傾げ、部屋の明りを点けた。ディスプレイの中では、中学三年の由香が笑っている。隼人に向ける、嬉しそうな笑顔。


 隼人は部屋着に着替えた。脱いだジーンズのポケットから、スマートフォンを取り出した。通知ランプが点滅していた。


 隼人に連絡してくる人は、ほとんどいない。たまに、同僚や両親から連絡がくる程度だ。


 スマートフォンの画面ロックを解除した。


 直後、隼人は目を見開いた。


 画面にある、チャットアプリのアイコン。そこに、通知数を示す赤いバッジが表示されている。バッジに記されている数字は、94。


 その数に驚きながら、隼人はチャットアプリを開いた。


 表示された画面見て、体が震えた。


 94ものチャットトークを送ってきた相手。香奈恵、と名前が表示されている。


 隼人は、香奈恵の連絡先をすべてブロックしている。チャットも、メールも、電話も。さらに、彼女と別れた後に、チャットのIDもメールアドレスも電話番号も変更した。


 香奈恵から連絡が来るはずがないのだ。


 香奈恵は、異常なほど嫉妬深かった。初めて体を重ねた後に、その本性が現れた。


 毎日無数のチャットトークを送ってくる。返信が遅いと癇癪(かんしゃく)を起こす。隼人が他の女の子と話すと、手を上げてくる。相手の女の子にも手を上げる。隼人の鞄の中に、ボイスレコーダーを仕込む。隼人のスマートフォンに、GPSアプリをインストールする。


 その異常性を示す行動は、枚挙(まいきょ)(いとま)がなかった。


 恐る恐る、隼人は、香奈恵のチャットルームを開いた。


『ひどいよ隼人。私のこと、ブロックするなんて』


 最初のトークは、12:04と時刻が表示されていた。


 あまりに多いトーク。隼人は、香奈恵のトークを流し見た。


『隼人の住所、調べたよ』

『隼人のところに行くね』

『今、電車に乗ったよ』

『社宅に入ってるんだね』

『今晩は二人きりだよ』

『今、隼人の工場見てきたよ。まだ仕事中かな』

『買い物して時間潰すね』


 香奈恵と別れるときは大変だった。警察にも相談した。彼女から逃げるように、地元から離れた。


『夕飯の買い出しして、隼人の家に行くね』

『隼人の家、スーパーから遠いね。ちょっと不便』

『もうすぐ着くからね』

『今夜は久し振りにエッチしようね』


 ポンッと、新しいトークが表示された。


『スーパーから遠かったー。もう着くよ』


 ピンポーン、とインターホンが鳴った。


 刺すような寒気が、隼人の背筋に走った。思い起こされる、香奈恵の異常な言動。気持ち悪さと恐怖が入り交じった、忌々しい思い出。


 ピンポーン、ピンポーン。インターホンが連打された。


 体が震えて、隼人はスマートフォンを落としてしまった。


「隼人ぉ。いるんでしょー? 開けてよぉ」


 玄関の向こうから聞こえてくる声。紛れもなく香奈恵の声だった。忘れるはずがない。忘れたくても、忘れられない。


「ねえ、隼人ぉ」


 香奈恵は、ドアをドンドンと叩き始めた。最初は「隼人ぉ」と甘ったるい声で繰り返しながら。そのうち、彼女の声には怒りが混じり始めた。


「まさか、女と一緒なの!? だから開けられないの!?」


 ドアを叩く音が強くなる。


 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ! 


「開けてよ! 一緒にいる女、ぶっ殺してやるから!!」


 ドンドンドンッ! ドンドンドンッ! 


 ドンッ!!


 ドアを叩く音が止まった。香奈恵が静かに呟いた。


「いいよ。こじ開けてやるから」


 低い、まるで呪いのような声だった。ドアの向こうから、階段を駆け下りる音が聞こえた。


 しばしの沈黙。


 すぐに、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。ドアの向こうで足音が止まった。


「隼人ぉ」


 また、香奈恵の声が聞こえた。


「今から、ドア、こじ開けるね。危ないから離れてねー」


 その言葉の直後。


 バコンッという音とともに、何かがドアを貫通した。先端が尖った、赤く着色された鉄。少しだけ弧を描いた形をしている。


 隼人の脳は、現状を理解することを拒否していた。だが、どんなに拒否しても、目の前の現実は変わらない。


 香奈恵が、ツルハシでドアを破ろうとしている。一階の物置にあるツルハシ。


 ドアからツルハシが抜かれた。再度振り下ろされ、ドアを貫通した。


 香奈恵がツルハシを振り下ろす度に、ドアの穴が増えてゆく。


「ほらぁ。ドアが壊れるよぉ。もうすぐ会えるよぉ」


 隼人の体は硬直していた。今すぐ警察に連絡しないと。そう考えているのに、体が動かない。


 目の前のおぞましい光景に、釘付けになっていた。


 だから、気付けなかった。


 テーブルの上にあるパソコンが、強い光を放っている。由香の写真がデスクトップになっている、パソコン。


 画面の中の由香が動いた。手を伸ばす。画面が立体的に盛り上がる。彼女の手が、画面の外に出てきた。


 ガキンッという金属音が響いた。香奈恵が振り下ろしたツルハシが、ドアの鍵を壊した。


 恐怖で、隼人は動けなかった。


 ゆっくりと、ドアが開けられた。


「隼人ぉ」


 香奈恵が家の中に入ってきた。土足のまま。手にしたツルハシを引きずって。


「会いたかったよぉ」


 ニィと、香奈恵の口が横に広がった。付き合い始めた頃は、可愛いと思っていた彼女。今は、ただただ気持ち悪い。


 そんな香奈恵の表情が、変化した。目が見開き、不気味な笑顔が消えた。


「誰よその女!?」


 金切り声が、香奈恵の喉から吐き出された。耳に痛みすら覚える、甲高い声。


 だが隼人は、痛みよりも、彼女の言葉に疑問を感じた。


 ――女?


 隼人は一人暮しだ。ここに女性を連れ込んだこともない。


 香奈恵の視線を追って、隼人は後ろを見た。


 直後、信じられないものが目に映った。


 由香が立っていた。テーブルのすぐ近くで。最後に会った、中学三年の姿のまま。


 由……香? 


 隼人は唇を動かした。驚きで、声が出なかった。唇の動きだけで、幼馴染み兼恋人の名を口にした。


「あんた! 隼人の何なの!?}


 香奈恵は、手にしたツルハシを振り上げた。由香に向かってゆく。


 隼人の体が咄嗟に動いた。無意識のうちに、由香を守ろうとした。


 しかし、隼人が由香を守る必要などなかった。


 由香が右手を伸ばし、香奈恵の方に向けた。


 香奈恵の体がビクンッと震えた。動きが止まる。由香を睨んでいた香奈恵の黒目が、グルンッと動いた。白目になって、ツルハシを落とした。


 やがて、香奈恵自身もその場に崩れ落ちた。白目を剥いて、泡を吹いている。失神しているようだ。


 隼人の目の前に広がる、現実とは思えない光景。唖然としていた。夢でも見ているようだった。


「久し振りだね、隼人」


 五年ぶりに聞いた由香の声が、隼人を現実に戻した。


「由香……なのか?」

「見ての通りだよ」


 由香が微笑んだ。大好きな彼女の笑顔。


「生きてたのか?」

「まさか。隼人に会いたくて、来ちゃったの」


 由香と遠距離恋愛をしていた。毎日会いたくて。会えたときは、凄く嬉しくて。


 由香は、あの頃と同じ笑顔を見せていた。幼さが残っていて、可愛らしくて、嬉しそうで。


 温かい思い出が蘇る。温かい気持ちが、心に湧き出てくる。


「俺も会いたかった」


 由香が亡くなったときは、全ての気力を失った。香奈恵と付き合ったのも、由香をいい思い出にしたかったから。


 由香を忘れたわけじゃない。会いたかった。別れたくなんてなかった。


 由香が隼人の側まで来て、手を握ってきた。彼女の手は、冷たかった。


「本当に、私に会いたかった?」

「会いたかった」


 本心から、隼人は頷いた。

 由香は嬉しそうな顔になった。


「じゃあ、ずっと一緒にいてくれる?」

「ずっと一緒にいたい」


 由香は、隼人の手を引いた。


「じゃあ、私と同じところに行こう」


 由香はどこに行くのか。隼人を、どこに連れて行くのか。


 それは隼人には分からない。どこでもよかった。一切の迷いもなく、隼人は由香に着いて行った。


 そして――


 しばらく後。


 社宅に警察が来た。他の住人が、隼人の家の騒ぎを聞いて通報したのだ。


 302号室で警察が発見したのは、失神している香奈恵。その横で冷たくなっている、隼人。


 香奈恵には、隼人殺しの疑いが掛けられた。


 だが、警察の事情聴取で、香奈恵はこう証言したという。


「覚えてないんです。どうやって隼人のところに行ったのか。隼人の住所なんて、知らなかったし」


 隼人のパソコンは、警察に押収された。持ち出すときに、電源は切られたはずだった。


 しかし。


 その画面には、満足気に笑う由香の姿が映っていた。


 あどけない少女のままで。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
怖い怖い。 途中、香奈恵がメリーさんだと思えたよ。 いきなり後ろにいてもおかしくないような、そんな香奈恵ちん。 じつは全部由香ちゃんの仕込み、マッチポンプとは、お釈迦様でも解るまい。 でもまあ、隼人く…
[良い点] なーるーほーどー。 霊より生きている人間の方が怖いと思いました……が! 霊障(というのか?)があると、霊の方が断然怖いですね。 人を殺せるほどの怨霊(?)は、実際にはほとんどいないそ…
[一言] リアルに怖いのですが。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ