悪役令嬢は知っている。無知はそれだけで罪だと
貴族の学校というのは、貴族の子弟たちが、貴族社会の真似事をする場でしかない。
私、ステファニー・アルメルはため息を吐いた。あまりにも、目の前の二人が幼稚だからだ。
「ステファニー・アルメル。ジャニーヌをいじめていたようだな」
そんなことを平気な顔して言うのは、私の婚約者、ディオンだ。ラファルグ公爵家の跡取り息子で、世間知らずで顔だけは綺麗なお坊ちゃん、といったところだ。
そのディオンの傍らで、ディオンの腕にしがみつくのは黒髪の巻き毛の令嬢、おそらくディオンが今言ったジャニーヌだ。
私はあら、と感心する。
「ジャニーヌ、というのはそちらのご令嬢でよろしいのかしら。私、初対面ですわ」
「よくもそんなことを言えたものだな。ユベール子爵家のジャニーヌが、学校のあちこちでいじめられていたのは、君が主導していたと聞いたぞ」
「まあ、初耳ですわ。知りもしないご令嬢をいじめられるほど、私、器用ではございませんのよ?」
「噓を吐け! いくつも証言は上がっている、ジャニーヌ、そうだろう?」
ジャニーヌはこくこくと頷く。お淑やかに、ディオンの後ろに隠れるようにしているジャニーヌは、やはり何度見ても私は知らない娘だ。
「茶会にジャニーヌをわざと招待しなかっただとか」
「知らない方を招待はできませんわ」
「女子の噂話でジャニーヌのいわれのない誹謗中傷を流しただとか」
「私は存じませんけれど、噂話というのは尾鰭が付くものですわ。そもそも噂話に上るようなことをそこのジャニーヌさんはやったのでは?」
「ジャニーヌが耐えかねて、君の婚約者である僕から言ってほしいと懇願してきたんだ」
「それはそれは。それで、ジャニーヌさんをいじめたのが私である証拠は、結局どちらにあるのかしら?」
ディオンは憤慨する。
「白々しいことを言うな! もういい、これだけやらかして反省の色もない君とは、とても結婚などできはしない!」
「あら、そうですの。分かりました、ディオン・ラファルグ。ここで私たちは他人となりましょう。ええ、それでよろしくてよ」
私はにっこり笑って、それから踵を返した。馬鹿馬鹿しすぎて、付き合っていられない。
ディオンはあの娘、ジャニーヌに嵌められたのだ。それが分からないほど、ディオンは視野の狭い人間で、直情的で、とても貴族の風上には置いてはいけない。そんな人間と結婚するなど、私から願い下げだった。
だから私はさっさと婚約の解消を進めた。
ついでに、新しい婚約者を探すため、学校を辞めて社交界に入り浸ることになった。
まあ、これ幸いとディオンは私の悪口の噂を流し、私はジャニーヌをいじめていたことを指摘されて婚約破棄されて学校を去った、ということになっていたようだけれど——どうでもいいことだ。
だって、誰も信じないだろうから。
お呼ばれしたサロンで、私はマダムたちとおしゃべりを楽しんでいた。
「あらまあ、ラファルグ公爵のご子息と婚約破棄を?」
「ええ、それで新しい婚約者を探しに。我がアルエ公爵家と釣り合うお方を探していますわ」
私の家、アルエ公爵家は一応、公爵という立場もあって、私はあまり低位貴族のもとに輿入れするわけにはいかない。王に次ぐ身分であれば、伯爵以下の位の家との貴賤結婚などもってのほかだ。それをディオンは分かっているのだろうか——分かっていなさそうだったから、さっさと婚約を解消したのだけど。
私の話を聞いていたマダムたち四人は、プリプリ怒る。
「それは大変ね。大丈夫よ、ここにいる皆なら、あなたの味方だから! ああステファニー、小さいころからあなたは可愛かったから、いずれ無粋で馬鹿な人間にいじめられやしないかと心配していたのよ」
「それがまさか婚約者が、だなんて……ユベール子爵家のジャニーヌだったかしら? 土地なし貴族のユベール子爵のご令嬢が、随分と向こう見ずなことをしたものね」
「本当よ。ステフ、よかったじゃない! ラファルグ公爵家なんて放っておきなさい、そうね、私の親戚にリシャールという子がいるのよ! ぜひ会ってみない?」
「あ、抜け駆けはだめよ! ステフ、私の親戚にも釣り合う年頃の子がいるわ!」
そんな調子で、和気藹々と話は進んでいく。
そもそも、ここは貴族ごっことは違う。貴族学校という狭い世界とは違い、幼少のころから素性明らかな先達たちに交ざって、社交界のしきたりや礼儀作法というものを身をもって学ぶ。そうしてようやく、席を置くことができるのだ。
私はずっと昔から、このサロンの一員だ。貴族学校で社交界ごっこをしている貴族の子弟たちには、足を踏み入れられないようなこの世界で、生き残ってきた。
当然ながら、それには相応の敬意が払われる。ゆえに、私の望みである——新しい婚約者というものは、すぐに用意された。
「ステフ、リシャール・セリュジエと会ってみなさいな。あなたが気に入ればいいのだけれど」
そう勧められて、私はすぐに頷いた。
リシャール・セリュジエ。セリュジエ大公リシャール、その名はこの国にも広く轟く若手ながらも名政治家で、勧めてくれたマダムはこのサロンの主催者である第二王妃エミリアだ。
そういうわけで、私はリシャールと会うことになった。
その後、貴族学校での一幕。
「ねえ、ディオン! お茶会をしましょ!」
「ジャニーヌ……申し訳ないが、もう来ないでくれないか」
「え?」
「もういじめられていないんだろう? それに、君とは付き合えないよ」
「ど、どうして? あなたは今、婚約していないし」
「だから自分がステファニーの後釜に? 勘違いしないでくれ。君がいじめられていると聞いたから味方しただけで、ラファルグ公爵家がユベール子爵家と結婚できるわけないじゃないか。あまりにも」
「やめて! そんなひどいこと言わないで! 優しくしてくれたくせに、どうしてそんなことを言うの!」
「だが、あんなにステファニーがあっさりと婚約を解消してしまって、それに……隣のセリュジエ大公と婚約を結ぶという噂だってある。そうなれば、ラファルグ公爵家は当て馬になったと恥をかく。今すぐにでもステファニーに」
「何でよ! もういない女のことなんてどうでもいいでしょう! あなたは、もう関係ないの!」
「なっ……違う! もういい、僕の目の前から消えてくれ!」
「嫌よ!」
ディオンとジャニーヌの言い争いは、あっという間に学校中に広まっていく。
みっともない姿を見せたディオンを、ラファルグ公爵家は甘く見たりはしない。
私はリシャールの待つセリュジエ大公国へ向かう。
サロンのマダムたちは、噂好きで、おしゃべりだ。私へ色々な情報を持ち寄ってきてくれた。ラファルグ公爵家の後継としての地位を追われたディオンの末路、娘がディオンと駆け落ちをしようと暴れたユベール子爵家の悲劇、そして今更ながら私に擦り寄ろうとする貴族学校の貴族の子弟たち。
そのどれもが、私にはもう関係のないことだ。私はこの国から出て、セリュジエ大公国に嫁ぐ。サロンのマダムたちは惜しんでくれたけど、また会うことを願って快く送り出してくれた。
何も問題はない。順風満帆に、つつがなくことは進んでいく。
無知で馬鹿でなければ、こんなものだ。