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この婚姻届はこの場で受理できません

作者: 岩切 真裕

この作品はフィクションです。


尚、途中から視点が変わるのでご注意ください。

 令和4年4月1日午前0時。

 今、まさにこの時、この瞬間。


 この日本という国において、誇張なく歴史的な時代の転換を迎えたことを意識している人間は一体、どれぐらいいることだろうか?


****


 平成30年6月13日に民法の成年年齢を20歳から18歳に引き下げることなどを含めた民法の一部を改正する法律が成立。


 この改正により、今後、「未成年」という言葉は「18歳未満」を示すようになる。


 民法第4条「年齢二十歳をもって、成年とする」の文言は、民法が制定された明治29年3月23日以前の法令である明治9年4月1日「太政官布告第41号」が元となっており、実に140年ぶりの改正といって差し支えないだろう。


 その民法の一部を改正する法律は令和4年4月1日に施行された。


 そして、この法改正により、年齢要件を定める少なくない数の法令が影響を受けることとなるのであった。


*****


 今回は、そんな法改正前だったために、ある意味では助かった若い男の話をすることにしよう。


****


 とある年の7月7日。

 とある役所の市民課に向かう一枚の紙を携えた若い男性と女性の姿があった。


 古くから蓄積されてきた「俗信」などを全て「迷信」、「古臭い考え」と笑う人間が増えた令和の時代になっても、「大安」や「友引」、「一粒万倍日」、「天赦日」などの「吉日」に拘り、婚姻届を役所に提出しようというカップルは存外多い。


 もしくは、覚えやすい「ゾロ目」や「11月22日(いい夫婦の日)」、「クリスマス」、「バレンタインデー」、どちらかの「誕生日」などの行事(イベント)に合わせた届け出も少なくはないのだ。


 だが、誕生日など一年365日、あるいは366日の中で、他人と重なりにくい日ならともかく、それ以外は日本在住の日本国民全てに共通する日付である。


 誕生日以外の上記日程に婚姻届を提出しようとうっかり考えてしまった男女は、役所や人口の規模にもよるが、ある程度、待ち時間を覚悟していただきたい。


「ヤダ~。結構、人が多い」

「仕方ないよ、ナナちゃん。今日は七夕だからね」

「でも~、今日はナナの誕生日でもあるのよ~。だから、絶対、絶対、ぜ~ったい! 今日、籍を入れたいのに~」


 周囲には自分たち以外にもいるというのに構わず大きな声で愚痴を零す我儘な彼女と、それに振り回される若い彼氏。


 その二人は今、市役所の一角にある長椅子で順番待ちをしていた。


 市民課入り口にあった発券機で発行された紙に書かれた番号は「77」。

 だが、「ラッキー7が並んでいる」と素直に喜べない。


 自分たちよりも前に76組もいると言うことなのだから。


 少しでも早くと、午前中の割と早い時間帯に行ったはずなのに、市民課と呼ばれる場所には既に多くの人間たちで込み合っている。


 実際は、証明書発行、その他の異動届、個人番号カード関係も同じ発券機を使っているために婚姻届だけでここまで多いわけではない。


 だが、婚姻届の受付というのは大変、時間がかかるものなのだ。


 慣れない場所、慣れない待ち時間にこれから夫婦となる予定の2人は少しずつ苛立っていく。


 これは誰が悪いわけでもない。


 市役所の窓口にいる職員たちは、届書に間違いのないよう何度も入念に確認をしているだけだ。


 自分たちよりも前に受付しているカップルたちも、窓口で初めて書く書類の上、聞き慣れない言葉が多いため、書き加えたり、訂正をしたりしている。


 中には「戸籍謄本」という大事な書類がないため、より時間がかかってしまうカップルもあるようだ。


 他には、証人欄の記入漏れとかいうのもあって、受付してすぐに帰る羽目になったカップルもいた。


 ―――― 自分たちは大丈夫だ


 トラブルの多いカップルたちを見て、若者は思った。


 証人欄は20歳以上なら友人たちでも良いと聞いていたため、彼女の友人2人に頼んで書いてもらった。


 どちらも個性的な字ではあるが、生年月日を見る限り、間違いなく20歳以上だ。


 その証人たちの住所や本籍(?)という部分にも、しっかりとマンション名まで書いてある。


 平成一桁生まれとか、自分から見れば随分、年上の友人だとは思うけど、どちらも女性だから何も心配することはない。


 顔の広い彼女だ。

 いろいろな付き合いもあるのだろう。


 一生に一度の届け出とするつもりだから、自分も下手なりできるだけ丁寧に文字を書いたつもりだ。


 彼女の方はそこまでの思い入れはないのか、いつも書くような文字で書いていたのが少しだけ残念だったけど、大事なのは形ではない。


 実だ。


 この入籍によって、得られる伴侶だ。


 まだ若い自分のことを烏滸がましく浅慮だと笑う人間もいるだろうが、自分はこの相手しかいないと思ったのだ。


 年齢の割に大人びてしっかり者の彼女。

 自分の知らないことでも、「しょうがないわね」と言いながらも、教えてくれるところに惹かれた。


 そんな女性が自分の前だけ、気を許して子供っぽく甘えてくれるようになった時は本当に嬉しかった。

 彼女も自分と同じ気持ちでいてくれるのだと思ったから。


 自分にとっては最良の女性だ。


 この若者はそう信じて疑わなかった。


 長い待ち時間の後、「77」の数字がようやく表示された瞬間、思わず顔が綻んでしまったのが自分でもよく分かった。


 この時の若者は間違いなく、幸せの絶頂にあったといえる。


 ―――― 彼はまだ、何も知らなかったから。


****


「申し訳ありません。この届出は、この場ですぐに受理することができません」


 窓口で分厚い眼鏡をかけ、真っ白なマスクを口にした女性に頭を下げられた瞬間、自分の頭は真っ白になった。


 何を言われたのか、よく分からない。


 だが、彼女は違ったらしい。


「はあ~~~~っ?」

 先ほどまでのイライラも手伝って、彼女はそんな声を上げた。


「ふざけんじゃないわよ! 散々、待たせておいて、何それ!!」

 さらにそう叫んだ声を聞いて、自分も我に返った。


「な、ナナちゃん、落ち着いて」

「まぁくん! 今日、私と結婚できなくても良いって言うの!?」

 理由を聞かなければ納得できないのは自分だって同じだ。


 それだけ自分と結婚したいと思ってくれているのだろう。

 そこは素直に嬉しい。


 だけど、こんな風に受付してくれる人に突っかかっても、話が進まないことぐらいは分かる。


「良くはないから、まずは話を聞こう?」


 自分たちに頭を下げた眼鏡の女性は、顔を上げ、彼女が騒いでも全く動じた様子はなく、マスクをしていることもあって、無表情に見えた。


 だから、少し怖い印象だ。

 公務員って皆こんな顔なのだろうか?


 いや、違うな。

 周囲は無関心を装って、こちらをチラチラ見ている。


 この眼鏡の女性だけ、自分たちを冷めた目で見ているだけだ。


 もしかして、待っている間、ずっと2人で騒いでいたのが気に食わないのだろうか?


 自分たちが大人しくなるのを待っていたのか、眼鏡の女性はマスク越しに口を開く。


「失礼しました。この届書に不備があります。整わないと、申し訳ありませんが、この届書を受理できません」


 不備?

 つまり、何かが足りていないってことなのか?


「何よ、書き漏れがあるって言うの? 全部、埋め尽くしているでしょう?」

 いつもよりも余裕がない彼女は苛立ったように声を出すが……。


「夫になる方が未成年だからです」

 落ち着いた声で、眼鏡の女性は返答した。


「「え? 」」

 そんな眼鏡の女性の言葉に、自分と彼女が反応する。


 確かに自分は未成年だ。


 だけど……。

「入籍って18歳以上ならできるんじゃないですか?」


 今の日本の法律上、女性は16歳以上、男性は18歳以上なら結婚できるはずだ。


 自分の身近にも、最近、18歳同士の学生結婚したしたばかりの知人がいるのに、何故、自分はできないと言われているのだろうか?


「18歳以上は、婚姻届の提出は可能ですが、20歳未満、つまり、未成年の方は、父母の同意が必要となります。失礼ですが、夫になる方の父母……、ご両親はご健在でいらっしゃいますか?」

「は、はい。俺の両親は健在です」

 無駄に元気ともいう。


 両親とも共働きで、父なんかは明日まで出張……、あ……。


「……ですが、父が明日までいません」

「はあっっ!?」

 横から彼女の大きな声。


 だが、いないものはいないのだから、仕方がない。


「父親の同意は必ず必要ですか?」

「はい。不明、もしくは亡くなられたとかでない限り、未成年者の場合、両親の同意は現行法上で必要となっております」


 不明というのは行方不明というやつか?

 だが、自分の場合、父親は行方不明ではなく、明日までいないだけだ。


 それをこの場で口にしてしまった以上、取り消すこともできない。


 この眼鏡の女性も澄ました顔をしているが、自分の言葉は聞こえていたことだろう。

 あの両親に内緒で籍を入れたかったが、仕方ない。


 法律がそうなっているのなら、ここでゴネたところでどうすることもできない。

 両親に話して認めてもらうしかないということになる。


 ……ん?


「同意が必要なのは、自分の両親だけですか?」

 どういうことだろう?


「あ……」

 横から小さな声が聞こえた気がするが、それ以上に大きな声が前から聞こえた。


「はい。妻になられる方は成人していらっしゃいますから同意がなくても大丈夫です」

 そんな無機質な言葉が、自分の耳に届く。


「ど、どういうこと? ナナちゃん」

 どこか蒼褪めているように見える彼女に声をかける。


「ナナちゃんが……、成人してるって本当?」

 彼女は自分と同じ年だって言っていたのだ。


「干支も同じだって……」

 間違いなく言っていたのに。


 自分はずっと騙されていたのだろうか?


「そ、それは……」

 問い詰めようとすると、彼女は目を泳がせる。


 やはり、自分は彼女に嘘を吐かれていたようだと気付く。


 だが、何故、そんな嘘を吐いたのだろうか?


 年齢で好きになったわけではない。

 多少、年上でも問題はなかったのだ。


 自分が、彼女に信用されていない気がして……、それが酷く哀しかった。


 だが、そんな思いも……、無情な現実によって、打ち砕かれてしまう。


「確かに干支は一緒のようですよ」

 それは彼女の声ではなかった。


 受付できないと言ったのに、それでもその書類を確認してくれていた眼鏡の女性からの声だ。


「え……?」

 成人して……、干支も一緒?


 それってつまり……。


「一回り……、年上?」

「12歳ご年配のようです」

「ちょっ!? この役人!! 何、許可なく堂々と本人の前で個人情報漏らしてんのよ!! 法律違反で訴えるわよ!?」


 自らのことを棚に上げて眼鏡の女性を責める彼女。

 それでも、眼鏡の女性は動じない。


 信じられないほどの言葉が次々と彼女の口から飛び出してくる。


 それを見て思った。


 これ以上は無理だ。


 うん、先ほどからなんとなく気付いていたんだ。

 彼女とは少しずつ合わない所があるって。


 単にそのことに目を瞑っていただけ。


 周りの友人だった人間たちからも「あの女は止めておけ」って言ってくれたんだ。


 それでも、自分が突っぱねた。


 周囲から、忠告をされればされるほど、「彼女はキミたちの言うような女じゃない」って答えていたんだ。


 大学で出会って、初めてできた彼女に浮かれて、相手の言う通りに動いていた自分は本当に誰の目にも「道化師(ピエロ)」に見えていていたのだと今ならよく分かる。


 でも、自分はそれだけ好きだったんだ。


 何も知らない自分にいろいろ教えてくれた彼女が。

 自分だけに甘えてくる彼女が。


 騙されていたと知るまでは。


 いくらなんでも、12歳は鯖読みしすぎだろう!?

 勿論、気付かない自分が一番、間抜けなんだけどさ!!


「ナナちゃん」

「な、なに!? まぁくん。まさか、今更、止めるなんて言わないわよね? ナナの誕生日に籍を入れるってずっと約束して……」

「先に約束を破ったのはキミだよ、ナナちゃん」


 自分はずっと言っていたんだ。

 友人の言うことも気にかかったから。


「俺に『嘘は言わないで』って」

「そんな!!」


 普通に考えても、自分を騙すような相手を伴侶にと望む人間はそう多くないだろう。

 しかも自分を守るためだけの嘘なんて、そう簡単に許せるものではない。


 だって、そうだろう?


 一度、上手くいってしまえば、何度だってその相手に嘘を吐くようになる。


「妻になられる方の誕生日は本日ではありませんよ。この届書に書かれている7月27日です。それとお名前も『ナナ』さまではなく届書のとおり『はなこ』さまです」

「うっさい!! その名前、嫌いなのよ!!」


 自分の知らないうちに書き加えられていた婚姻届。


 よく見ると、生年月日も微妙に変わり、名前すらうまく誤魔化されていた。


「住所と本籍、ご両親の氏名、続き柄は正しいようですね」


 だが、それ以外の全てが騙されていたと知った時……、自分はどうすれば良い?


 そんなのは決まっている。


「夫になられる方は、ご両親の同意……。どうされますか?」


 そう言って、綺麗に二つに折られた婚姻届を自分に向かって差し出す瞬間、受付で対応してくれた眼鏡の女性が微かに笑った気がした。


 マスク越しだ。

 口元は見えない。


 だけど……、自分にはそう思えた。


「決まっている」


 それを受け取り、思いっきり引き裂こうとして……。


「させるかああああああああああっ!!」

 横から奪われた。


「こ、これさえあれば、この役所じゃなくて別の場所で提出できるもん!!」

 そう言いながら、彼女は必死の形相で自分を睨む。


 何が、彼女をそこまでさせているかは分からない。

 だが、その顔はとてもじゃないけれど、同じ年齢の女性には見えなかった。


 なんで、自分はこれまで気付かなかったのだろう。


 婚姻届を自分に返してくれた受付の眼鏡の女性の方がもっとずっと若い気がしているぐらいだ。


 いや、実際、若いのだろう。


 眼鏡やマスクで顔はよく見えていないが、婚姻届を渡してくれた時に少しだけ触れてしまった手は間違いなく若かった。


「合意がないままですが……」

「い、今、調べたもん!! 両親の同意は絶対じゃないし、何より、他の人にそれっぽく書かせれば、誤魔化すことだってできるって!!」


 自分の携帯電話を握りしめ、彼女はそう叫んだ。


「はあっ!?」


 なんだ、それ。

 そんなことができれば、世の中、勝手に結婚し放題じゃないか!!


「それは公文書偽造という犯罪になりますよ」

「構わないもん!! アタシは、今日、まぁくんと結婚して、ギリギリ三十で籍を入れるんだもん!!」

 そう言ってそのまま、凄い勢いで出口に向かって走られてしまった。


 混み合う人の間を見事に避け、あんな靴で走るのは凄いと思うが……。


「ま、待って!」


 あのままでは今の自分の意思とは無関係に結婚させられてしまう。


 確かに自分が悪い部分はあるけれど、こんな形では納得できない!!


 慌てて追いかけようとして……。

「お客様。急ぎ、婚姻届不受理申し出をしますか?」

「へ?」

 眼鏡の女性にそう呼び止められた。


「あのように勝手に戸籍の届け出をしようとする方に対するものです。急いで書類を準備します」


 そう言いながら、眼鏡の女性はその場ですぐしゃがみこみ、受付の机の下でごそごそと探し始めた。


 なんとなく引き出し……を開けているような動きだ。


「本来、婚姻届は双方の合意がなければ受理できませんが、あの届書にはお客様の署名が既に入っております。作成時の意思確認はされたものとして、あの方のおっしゃったとおり、別の窓口では一度、受理されてしまう可能性があります」

「だ、だから、止めなきゃ……」

「それを防ぐための書類が、この『不受理申し出』です」

 そう書類を出しながら、なんとなく、マスク越しでもドヤ顔をしているような眼鏡の女性。


「ふ、不受理申し出?」

「本来は、勝手に離婚届や養子縁組届を出されないようにするのを防ぐ目的で使用する方が多いのですが、たまに婚姻届でも使われます」

 促され、再び、受付窓口に座る。


「つ、つまり?」

 結論を先に行って欲しい。


「この届書を出されれば、婚姻届を日本全国どこで出されても受理、今回のように受付できません。この場ですぐに書いていただければ、即、戸籍情報に入力して反映させるので、あの方が別の場所で出される前に間に合うことでしょう」

「か、書かせてください!!」

 そして、その「不受理申出」と書かれた紙に向き合う。


 彼女がどこからか調達されたイラスト入りの「婚姻届」と違って、派手さはなく如何にも役所の書類と思わせる事務的で白い紙。


「あ……。彼女の本名は分からないし、住所はともかく、本籍ってやつに自信がない」

 自分の本籍は住所と同じらしいので知っていたが、彼女の本籍はちょっと違った気がする。


「では空欄のままで大丈夫ですよ」

「そうなんですか?」

「離婚届と違って、相手が特定できないケースもありますから」

「役所の書類って全部埋め尽くさなければいけないと思っていた」

 あの元彼女もそんなことを言っていた覚えがある。


 だから、きっちり丁寧に書いたのだけど……。

「書類によります」

 やはりしっかり記入しなければならない書類もあるらしい。


 だけど、何故だろう?

 こんな状態だというのに楽しくなってきた気がする。


「こんなことに付き合わせて、申し訳ありません」

 書類に間違いがないように、親切に書き方を説明してくれる眼鏡の女性に謝罪する。


「大丈夫ですよ。業務の範囲内なので」

 そうすげなく返答されるが、先ほどよりも随分、感情が混ざっているように見えるのは、自分の心境の変化から来る錯覚なのだろうか?


「書けた」

 急いで書いたために、婚姻届よりは随分、雑な文字になってしまった。


 漢字や数字のあちこちが歪んで、生年月日の「平成」の文字なんかは、崩れて文字の形をなしていない。


 それでも……。

「個人番号カードをお持ちでしたね」

 眼鏡の女性は気にせず、自分が渡したマイナンバーカードと自分の汚い文字を確認していく。


 そのことが少しだけ気恥ずかしく思えた。


「申し訳ありませんが、この個人番号カードの写しを頂けますか?」


 自分の人生がかかっているのだ。

 マイナンバーカードのコピーなどいくらでもしてくださいと、そう言いたくなる。


 だけど、言葉にならず頷きながら、マイナンバーカードを手渡した。


「個人番号カードをお返しします。本籍、住所は先ほど確認したので間違いありません。これでお受けいたします」

 そう言って、先ほどとは違って、今回はちゃんと書類を受け取ってくれた。


 今度は書き漏れも足りないものもないらしい。

 そのことにほっとする。


 さらに眼鏡の女性は、自分の目の前で今日の日付と今の時間を書き込んでいる。


 それは、自分と違って、丁寧で読みやすい数字だった。


「こ、これで……、大丈夫でしょうか?」


 どこか残る不安。

 あの元彼女は、あの様子だと、思い込んだら暴走することはよく分かった。


 自分はそんなことも知らなかったのだ。


 何故、あんな女性と結婚しても良いと思ったのか。

 今となっては、それすらも思い出せないぐらいだった。


 あれだけ好きだと思ったのに。

 あれだけ、この女性しかいないと思ったのに。


 燃え上がるのも早かった恋は、冷めるのも一瞬だったということだけはよく理解できた。


「すぐに入力するので大丈夫です。ですから、安心してくださいね」


 そんな言葉と眼鏡とマスク越しからの表情だというのに……、自分の中に小さな何かが芽吹いたことを自覚する。


 自分がその感情に名前を付けるのは少しだけ先の話。


****


日本国憲法第24条

 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

②は省略


(婚姻適齢)

第731条

男は、18歳に、女は、16歳にならなければ、婚姻をすることができない。


(未成年者の婚姻についての父母の同意)

民法第737条

 未成年の子が婚姻をするには、父母の同意を得なければならない。

②父母の一方が同意しないときは、他の一方の同意だけで足りる。父母の一方が知れないとき、死亡したとき、又はその意思を表示することができないときも、同様とする。


但し、民法の一部改正により令和4年4月1日をもって民法第731条は「婚姻は、18歳にならなければ、することができない。」と改正され、民法第737条は削除される。


(公正証書原本不実記載等)

第157条

 公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ、又は権利若しくは義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記録をさせた者は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

②③は省略

成人年齢引き下げに伴い、こんなこともあったかもと思い、想像で書いてみました。

民法の一部改正のタイミングにあわせたかったため、多少のやっつけ感は承知です。

いや、普通、結婚するなら親に話しますよね?

その設定から少しおかしい。


尚、作者は法律家ではなく、自分で調べて書いたものなので、法律部分の解釈については、多少の誤りはあるかもしれませんが、ご承知ください。

法律は本当に難しいです。

専門に勉強されている方々を尊敬します。


補足として、民法731条については改正されるのですが、令和4年4月1日現在で16歳以上18歳未満の女性なら、改正前の法律が適用され、両親の合意があれば婚姻できるらしいです。


さて、このお間抜けな若者は、後にこの市役所に無事、就職。

さらに、受付窓口にいた眼鏡の女性を追いかけまわすという迷惑な後日談もあります。

それを書くかは、この作品の反応次第ということで……。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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