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八章 真新しい三色の鞭と乞い願う理不尽な罰 投げやりな覚悟

午後、ニコはアイラ姫の寝室の隣、いつものお茶会用の小部屋に入室する。


(むち)は一本ずつ厳重に紙に包んで、懐に入れてある。


既にアイラ姫とリズ、セーラは部屋の中で紅茶を飲んでいた。


挨拶もそこそこにいきなりリズに声をかけられる。


「ニコ、むちは?」


やはりむちのことは忘れていなかった。ニコはびくっと反応する。


「は、はい。もちろん、持参しております」

 

椅子に座っているリズの前に行き、なるべくうやうやしく見えるようにひざまずく。


懐からむちを一本出し、少し顔をあげたところ、リズの上履きの底で顔面を強く押される。


蹴られたと言った方が正確かもしれない。

ニコは後方にバランスを崩す。


尻もちをつきそうになるのを、危うくこらえた。


「順番が違うでしょう。ニコ。確かに私は貴方の師匠でもあり、想い人でもあるわ。しかし、その前に貴方は姫様の従者なのよ。まず、姫様にむちを献上するのが当然の作法でしょう。常識を知らないのにも程があるわ。私に恥をかかせないでちょうだい。姫様、申し訳ありませんでした」

 

自分からむちを要求した癖に、常識的なことを言う。


しかし確かにその通りだ。


むちを三本持参したということは、まずアイラ姫に献上して当然だろう。


ニコは大急ぎでむちを懐に戻して、謝罪した。


「申し訳ありませんでした」

 

ニコはリズに向かって両(ひざ)をつき土下座のような謝罪をする。


「だから、謝るのは私じゃないでしょう。本当にどうしようもないわね」

 

ニコは飛び上がってアイラ姫に向き直り、ひざまずいてアイラ姫に謝罪する。


「姫様、申し訳ありませんでした」


「いいのよ。ニコ。愛する人に一刻も早くむちを渡したかったのよね。でも、気持ちはわかるけど、思慮が足りないのは貴方の欠点だわ。結局はリズに謝らせたりしているでしょう。それはあなたの損になるのよ。わかってる?」


「はい、反省しております」

 

リズが口を出す。


「ふん、本当に反省しているのかしら。疑わしいわね。一体、いつになったら当たり前のことができるようになるのかしら? 大体いつもニコは……」


「リズ、もうそのへんにしてあげて。せっかくニコが持参してきたむちを姫様に受け取ってもらいましょうよ。ニコを責めるのはむちを受け取ってからにしたらいいわ」


「確かにそうね。セーラ。姫様をお待たせしてはいけないわね。さあ、ニコ、姫様にむちを渡しなさい」

 

セーラの言葉に軽く恐怖を感じながら、ニコは改まってアイラ姫に向き直る。


懐からむちを一本取り出し、姫様、むちを持参しました。どうぞお受け取り下さい。と言って、両手でむちを持ち顔を下に向けできるだけうやうやしく見えるように姫様に差し出す。


そのまましばらく時が過ぎる。


あれ、おかしい。


姫様がむちを受け取ってくれない。


いたたまれなくなり、少しだけ様子を見に顔をあげようかと思った瞬間、リズから罵声がとんだ。


「ニコ! なによ、その手抜きの口上は!? そんな口上で姫様にむちを受け取ってもらえるわけないじゃない! 姫様はそのむちで一体何をするのよ? 姫様に乗馬の趣味はないのよ。そのむちで貴方を厳しく躾けてもらうんでしょう。そのことをはっきり言葉にして献上しなさい!」

 

セーラからも厳しい言葉をかけられる。


「ニコ、今のはいけないわ。前に私も行ったはずよ。本当なら自ら思い付いて、このむちで私を厳しく躾けて下さいと進んで献上して当然だって。まだ理解してないの。一体貴方はなんでむちをここに持ってきたのよ? むちを姫様に献上する意味をよく考えないといけないわ」

 

リズとセーラから責められてニコは震えている。


本心を言うと昨日の夕方、かろうじでむちのことを思い出し、ここに持参することができたのを誉めてもらいたいくらいなのだが、そんなこと言えるわけがない。


口上の件は実は少し気にしていたのだがプライドが邪魔して口に出せなかった。


さんざん虐められてきたニコだが、自分から進んで私を躾けて下さい。などというのは今でも激しい心理的抵抗がある。


アイラ姫が静かにニコに、語りかける。


「ニコ、リズとセーラの言う通りよ。私たちは特に乗馬の趣味はないし、決してニコをむちで打ちたいわけではないわ。これは全部ニコの為なのよ。ニコを立派な従者にする為、私や、リズやセーラ達にわざわざ手間をかけてニコを躾けてもらうんじゃないの? 本当にわかっているの? いや、わかってないようね。わかっているのならこのむちで厳しく躾けて下さいという言葉が自然にでるはずだわ。本当に基本から言ってあげないとわからないんだから。まったく、リズもセーラも苦労かけるわね」


「いいんです。姫様。ニコの躾けはみんなの責任ですし、それにニコは私の弟子でもあります。気になさらないで下さい。こら、ニコ、さっさと正しい口上で献上し直しなさい」


ニコは歯を食いしばって屈辱に耐えている。


むちを持ってきたのは完全にリズ達に強要されたからなのに、あくまでもニコが自ら持ってきたのように振る舞わせるつもりだ。


こういうところでは三人とも本当に厳しい。


王族達の常識みたいなものなのだろうか? 


考えている暇はない。


ニコはいつものように心を殺す。


「姫様、むちを持参しました。このむちでどうか私を厳しく躾けて下さい」

 

ひざまずいてうやうやしく両手でむちを持ち、アイラ姫に受け取ってもらいやすいよう肘を伸ばす。


顔は下に向ける。


目は合わせない。


そして姫様にむちを受け取ってもらうのをひたすら待つ。


しばらく緊張の時間が過ぎる。


「ふん、随分と小さいむちじゃない? 馬のむちってこんなものなの?」

 

軽い調子で、アイラ姫がむちを手に取る。


やっと受け取ってくれた。

無造作に受け取って包みを破り、中身を批評する。


「一応新品のようね」


「はい。昨日、城下町に降り、馬具専門店で女性用の高級品のむちのを買って参りました」


「そうなの? まあ、いいわ。もし今日、むちを持ってくるのを忘れていたり、厩舎での、使い古した中古品なんかを持って来ていたりしたら……。」


アイラ姫の沈黙が数秒続く。


たっぷり間を置きアイラ姫が通常より低くなった声で、はっきりとニコに向かって言う。 


「ニコ、貴方、終わっていたわよ」


ニコは心底から恐怖により震えが来る。


本当に危なかった。


思い出せて良かった。


ニコは精神の力で必死に震えを止め、アイラ姫に答える。


「この私がリズ様の御命令を忘れるはずありません。それに中古品を献上するなど、そんな不敬なまねできよう筈もございません。帰ってすぐにむちを買いに行かせてもらいました」

 

セーラがアイラ姫に声をかける。


「だから言ったのです。姫様、いくらニコがポンコツでもそこまでのあからさまな命令無視や命知らずの不敬な真似をするはずがないと」


「そうね、セーラ。今回はセーラの言う通りだったわ。私はけっこう危ないと思っていたのだけれど。とにかく、今日でニコとお別れにならなくて良かったわ。せっかくむちを持ってきてくれたのですもの。これで躾けてあげなくちゃね」

 

アイラ姫は冷や汗をかいているニコに向き直る。


「何をぼーっとしているの? ニコ! 早く、リズやセーラ達にむちを献上しなさい。まさか一本しか持って来てないんじゃないでしょうね!」


「と、とんでもありません。ちゃんと三本持ってきております」

 

ニコはリズに向き直りひざまずいた。同じ口上を述べてむちを差し出す。


「ニコ、貴方は本当にこのむちで私に躾けてもらいたいの?」

 

陰湿なリズはいやらしくニコに意思を確認する。


この女は馬鹿なのか? 躾けてもらいたいわけないじゃないか? ましてやお前なんかに。


嫌で嫌でたまらない。


しかしニコの答えは決まっている。


「は、はい。躾けてもらいたいです。このむちで駄目な私をどうか厳しく躾けて下さい」

 

リズは、わかったわ仕方がないわね、などと言いながらむちを受け取り満足そうに包みを破り、中身を確認する。


「あら、姫様とは色違いなのね。私は黄色、姫様は白ね」

 

リズはむちを見て、何が嬉しいのか無邪気にはしゃいでいる。


リズの機嫌は良くても悪くてもニコにとっては同様に恐ろしい。


次いでセーラにむちを献上する。


「私は、青なのね。なかなかいいじゃない。ニコ」


「ありがとうございます。セーラ様」


三人になんとかむちを献上し終わって一息ついていると、リズがニコに声をかけてくる。


「ニコ、服を脱ぎなさい」


「え、」


「何を不思議そうな顔をしているのよ。言葉がわからないの? 服を脱ぎなさいと言ったのよ。上半身だけでいいわ。早く脱ぎなさい」

 

ニコにだってむちを持ったリズ達三人の前で、上半身を脱ぐということはどういうことかの意味くらいわかる。


しかしむちを渡した後、いきなりそのむちで打たれることになるとは思っていなかった。


そのむちは昨日、俺がなけなしの金を使い自腹で買ったむちなのに。


あまりの理不尽さにニコは涙を浮かべる。


「あ、あの、リズ様。私はむちで打たれるようなことをしましたでしょうか?」

 

どうせ効果はないとわかっていながら、リズは弱弱しく無駄な抵抗をする。


当然リズには効果はない。


むちで打たれるようなことをしましたでしょうか? ですって。してないとでも思っているの? あまりの多さに私でも最初にどの罰を与えればいいかわからないくらいよ。直近では、私の、服を脱ぎなさいという命令にいつまでも逆らい続け、いまだに脱ごうともしないことね」

 

リズには話も通じないし、同情も期待できない。


「も、も、申し訳ありません。今すぐ脱ぎます。脱がせて頂きます」

 

恐怖心に身をすくめ、すべてを諦めて、ニコは服を脱ぎ始める。


上半身裸になってわざとゆっくり服を畳み、むち打たれる時間を少しでも先延ばしになるよう努力する。


服を畳んでいる間に奇跡的にリズに同情心が起こり、むち打ちは取り止めにしてくれないだろうか? 


セーラ様あたりにむち打ちなんてニコが可哀想よ。などと言ってもらえたりはしないだろうか?


「ニコ、何をぐずぐずしてるの! 服を脱いだらさっさとこっちに来なさい」


 

奇跡は起こらない。丁寧に畳んだ服を床に置くと嫌々リズの方に向かう。


「姫様の前にひざまずいて口上を言い、むち打ちを乞い願うのよ。そして姫様の許しを得てから後ろを向きなさい。」

 

ニコは無心でアイラ姫の前にひざまずくまではなんとか行動したが、それ以降はなかなか身体が動かない。


言葉を口にすることが出来ない。


むち打ちを乞い願うって何だ? 意味がわからない。


俺にはそんな性癖はない。むち打ちなんてただ痛いだけだ。


「ニコ、貴方どこまで反抗的なの。すみません。姫様、お待たせしてしまって」


「いいのよ。リズ、貴女も大変ね。ニコがわがままで」

 

アイラ姫がリズをねぎらう。


ニコは上半身裸で呆然とへたり込んでいる。


セーラがニコに声をかける。


「ニコ、ここがどこかわかっているの? 今、何をリズに言われているかわかっているの?」

 

ニコは力なくセーラの方を向く。


「ニコ、姫様とリズは貴方を立派な従者にする為、わざわざ手間と労力をかけて下さろうとしているのよ。全部ニコの為なのよ。なぜわかってくれないの? 貴方もそろそろ人の気持ちを考えられる人間にならなければいけないわ」


リズもセーラの後を継いで話す。


「セーラの言う通りよ。姫様や私はニコの躾けの為、本来打ちたくもないむちを打ってあげようとしているのよ。ニコはむちに打たれてそれは痛いかもしれないわ。でもね、むちに打たれたニコの痛みより、むちを打つ姫様や私の心の痛みの方が何倍も痛いのよ。そこのところをわかってちょうだい」


二人とも口調だけは優しいが、言っていることは全くわからない。


特にリズだ。


何がむちを打つ姫様や私の心の痛みだ。


苦しみ痛みにもだえるニコを見て、リズが心を痛めるわけがない。


むしろそれとは全く逆の感情になるような気がする。


ただ状況は全く変わらないことだけは分かった。


ニコは悲壮な覚悟を決めた。


どれだけ痛いかわからないが、もう、むちに打たれるしかない。


「リズ様、セーラ様、そして姫様。申し訳ありませんでした。私が間違っていました。むちを打つ姫様達の心の痛みを想像することができず、自分自身のことしか考えていませんでした。どうか、この私をむちで打って躾けて下さい」


「まあ、やっとわかってくれたのね。ニコ。嬉しいわ。二人ともありがとう。あなたたちのお陰でニコがやっとわかってくれたみたいよ」

 

アイラ姫が満足そうに、手に持っているむちをしごきながら満足そうに言う。


「とんでもございません。姫様、当たり前のことをしただけです」

 

セーラが姫様にかしこまると、リズも得意そうに答える。


「そうです。姫様。ニコの躾けは私達みんなの責任なのですから、姫様から感謝されるいわれはありません。それにニコは私の弟子でもあります。弟子の不始末は師匠である私の責任。ニコがまたわがままを言い出したら、私に言って下さい。私がニコの性根を叩き直して差し上げます」


「まあ、リズ、頼もしいわ。これからもよろしく頼むわね」


「任せて下さい。姫様」

 

アイラ姫とリズの会話にニコは暗澹あんたんたる気持ちになる。


もうどうにでもしてくれ。


投げりな気持ちになっているとリズは容赦ない言葉を投げかける。


「ニコ、何をぼーっとしてるの? 早く姫様に口上を言って、むちを受ける準備をしなさい」

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