四章 精神的拷問 強制朗読と美少女たちの嘲笑
城の男性、ほとんど全員がニコのことを羨んでいる。
何しろ、″グランツ領に舞い降りた天使″ ことアイラ姫の側に従者として始終控えていられるし、お付きの二人、セーラやリズに気安く話しかけてもらえる関係だ。
アイラ姫の美しさ、優しさは領民の誰もが知るところだし、タイプは違うがセーラの美しさもアイラ姫に引けを取らない。
そして何よりまだ十二歳のリズにも、ニコは最近よく話しかけられている。
リズの無邪気な愛らしさと、その振る舞いは城の皆に無条件で笑顔を与えるし、いずれその美しさはグランツ領どころか国中で評判になるだろう。
その三人の美少女たちに気軽に話しかけてもらえるニコの立場は、周りの男性たちから見れば垂涎の的だ。
今日もアイラ姫が午前の公務を終え、昼食後、簡単な報告事項を聞き、それに対する指示を与え一日の仕事を終えた後、日課のお茶会に入る。
お茶会会場のアイラ姫の寝室の隣の部屋には、給仕の侍女の他は、基本的にはお付きのもの二人しか入室は許されていない。
通称、天上のお茶会と言われているそのお茶会で、アイラ姫を含む美少女三人で一体どんなことを話すのだろうと城の皆たちは想像を膨らませている。
しかしニコは例外として、その天上のお茶会にも従者としてアイラ姫の側に侍ることを許されているのだ。
もちろんお茶会でのアイラ姫たちの会話の内容などは絶対秘密だが、これもニコが羨望される一因になっている。
今日も天上のお茶会が開かれていて、ニコも同じ部屋へ入室を許されている。
まったく持って羨ましい。
城の男性たちは誰もが、ニコと立場を交換できたらどんなに素晴らしいだろうか。などと夢想していた。
「ニコ、何、貴方のこの文章は。何の心も込められていないわ。本当に私を愛しているの? 疑わしいわね。もしかして私の心を弄んだのかしら?」
ニコは立たされ、リズの詰問を受けている。
リズから私への恋文を書きなさいと命令され、懊悩しながら必死で書いたのだが、ダメ出しされているところだ。
「決してそんなことはありません。私のリズ様への愛を心を込めて書かせていただきました」
このところ、連日のようにリズへの恋文を強制的に書かされ、それを姫様たち三人の前で朗読させられている。
そして三人の美少女たちに内容を嘲笑され、文才がないのを叱られ、否定される。
大体恋文なんてのは恋愛対象から強要されて、無理やり書かされるようなものじゃないと思うのだが、リズたちにはそのような常識が通用しないようだ。
アイラ姫の口調も強くなっている。
「ニコ、今日の恋文は昨日よりも酷かったわ。何回も何回も同じような表現の繰り返しで、眠くなってしまうわよ。どうも真面目に書いているとは思えないわね。ニコ、貴方、リズに対する気持ちはその程度なの?」
「そ、そんなことはありません。自分の文才のなさを今更ながら痛感しております」
セーラも厳しい。
「ニコ。世界で一番リズ様を愛しています。リズ様の為なら命すら惜しくありません。リズ様の為なら全てを捨ててもかまいません。は、わかったわ。でもそんなのはどこかで聞いたような言葉で具体性がないのよ。この世界で唯一、ニコにしかできないような表現が欲しいわね」
血を吐くような思いで書いた表現なのだが、あっさり否定される。
自分で実際にやってみてわかったのだが、好きでもない、いや憎んですらいる女性に強要されて恋文を書かされることがどれ程苦しいことか、どれ程自分の心を痛めつけるかを思い知らされた。
本当に身分違いの切ない恋に苦しんでいるのなら、どんなに良かっただろうか。
ニコが今強要されていることは、ほとんど精神的な拷問に近い。
「申し訳ありません。不勉強でそのような表現しか使えませんでした。お許しください」
「私に謝ったって仕方がないわよ。リズに謝らなきゃ」
「リズ様、申し訳ありません」
リズは尊大に腕を組んで、ニコを見下すような口調で話し始める。
「ニコ、セーラの言う通りよ。貴方にしか書けないような表現がないので感情を吐露した部分が浅く感じられるのよ。まったくどうしたものかしらね」
リズは一体何を望んでいるのだろう。
自分への恋文を繰り返し書かせて、ただ私をいたぶっているだけなのだろうか?
「ニコ」
「は、はい」
リズが呼びかけている。一瞬たりとも気が抜けない。
「何をぼんやりしているの。大体この部分、リズ様の為なら全てを捨ててもかまいません。って何よ。ニコ、貴方の全てって何? 具体的に書きなさい」
リズにきつく言われて、ニコは考える。
俺の全て……、財産などは微々たるものだ。
父親、妹、プライド、命、どれもリズなんかの為に捨てたくはない。
ニコの心を見透かしたようにリズが話を続ける。
「そうね。ここの部分は、リズ様の為なら馬鹿で不細工な妹など、いつ捨てても構いません。と、書き直しなさい。わかったわね」
ニコはリズのあまりにも意地の悪い言葉に衝撃を受けた。
やはりリズは先日のアイラ姫が言った、可愛い娘だったわ、という言葉に拘っていたのだろう。
ニコとしても簡単に承服できる話ではない。
「リ、リズ様。それはあまりに……」
「ニコ! それはどういう意味よ。全てを捨てても構いません、というここの言葉は嘘だったと言うの?」
アイラ姫からすかさず叱責の言葉が飛ぶ。
ニコは恐怖に震え、誰にも強制されていないのに膝をつき土下座の格好になった。
セーラ様が優しく声をかけてくれる。あくまで口調だけだが。
「ニコ、恋文というのは相手への愛情が溢れるばかりに、少しくらい大袈裟な表現になったとしても、それは自然なことだわ。貴方の大切な妹をあえて悪く書くことでリズへの愛情が伝えられるとしたなら、それでいいじゃないの。何か問題があるの? それにリズへの口答えなど許されないことだわ。謝りなさい」
「リズ様、申し訳ありませんでした」
ニコは膝を床についたまま、頭を下げる。
また土下座のような格好になってしまう。
もう、それほど抵抗は無くなってしまった自分に改めて驚く。
ニコは頭を下げながら妹のミアのことを思い出していた。
生意気なところもあるが、ニコにとっては世界で一番可愛い妹だ。
その妹の悪口を書くことはニコにとって、非常に抵抗がある。
言葉にするだけならすぐに消えて忘れてしまうかもしれないが、それをリズへの恋文に書くということは、話が違う。
すぐに消えてなくなることはない。
リズの手元で手紙として半永久的に残ってしまう。
それはどうしても避けたいのだが避ける方法が思いつかない。
リズが答える。
「ニコ、私への口答えは許してあげるわ。貴方の行儀の悪さは私の責任でもあるのですもの 。でもね、ニコ、貴方は私への愛を告白したのよね。もし、その告白が偽りだったとすればこれは大変な事よ。貴方一人の身の破滅で済む問題じゃないのは、これは、わかっているわよね」
アイラ姫がリズの後を継いで話し始める。
「リズ、もういいわ。ニコはわかっているはずよ。私の可愛いリズの心を弄んだ罪は文字通り万死に値するってね。その貴方のリズへの愛を証明するための試練を与える前に、最初は軽く恋文を書きなさいって言ってるのよ。言葉だけなら形にも残らないし、記憶からも薄れていくからね。それが心のこもっていない、いいい加減な文章で、リズが親切にアドバイスを与えても身の程知らずにも口答えをする。いくら何でも酷すぎるわ。私たちが優しすぎるからって舐めてるの。ねえ、ニコ?」
ニコは震え上がる。姫様の意識的に低くした声と、その表情は、ニコにとって夢に見るほどの恐怖の対象だ。
逆らう気など毛ほどもない。
ミア、すまない。
ニコはリズのアドバイスを受け入れることに決めた。
「そ、そんなことは決してありません。な、舐めてるなどと。ぜひ、リズ様のアドバイスを受け入れさせて頂きます」
「ニコ、私が紙とペンを貸してあげるわ。今、ここで書き直しなさい。また家に持って帰って自分で書いたって同じことの繰り返しになるような気がするの。ここで私たちのアドバイスを受けながら、書いた方が早いわ。ニコも早く、恋文を書き終えて、リズへの愛を証明する試練を受けたいでしょう」
セーラ様が親切にもそう言ってくれた。
本当に親切心なのかは不明だが、これも受け入れるしかない。
「ありがとうございます」
ニコはセーラから紙とペンを受け取って、床に這いつくばって、恋文を書こうとするが、床に敷いてある絨毯が柔らかすぎてうまく書けない。
しばらく悪戦苦闘していたら、アイラ姫が、テーブルを使っていいわよ。などと言ってくれた。
久しぶりの純粋な親切に感動していたのだが、いざ立ち上がって姫様たちのテーブルで書こうとするとなんとも書きづらい。
何しろその恋文の送り先の対象がニコの恋文を書くところをそのまま見ているのだ。
しかも大人しく見ているだけではない。
常にあれこれ口を出してくる。
文字の汚さを叱られ、稚拙な表現にダメ出しされ、行き過ぎた文章を嘲笑される。
ニコは自分でも何をしているのかわからなくなっていたのだが、自分の心を殺して何とか書き上げた。
短く拙い恋文の文章を書くのに三十分近くかかってしまった。
リズが命令する。
「ニコ、読み上げなさい」
辛い時間がまた来た。
いや違う。
俺はリズのことを本当に愛している。
自分で自分を本気で騙さなければ、ほんの少しの表情や態度などに表れ、それを目の前の悪魔は決して見逃してくれないだろう。
「はい。読ませていただきます」
ニコは読み始めた。
「リズ様、突然、こんな手紙を出すことをお許しください。私はアイラ姫の従者という立場にも関わらず、身分違いの上、身の程知らずにもリズ様を愛するようになってしまいました。勿論、私のこのような気持ちは誰にも言わず、生涯秘して当然なのはわかっております。しかし、毎日があまりに苦しいのです。アイラ姫の側でリズ様の姿を見るたびに、リズ様の声を聞くたびに胸が締め付けられるようで、このままではアイラ姫の従者の仕事にも支障をきたしてしまいそうです。この前、なんとリズ様は、直接私に声をかけて下さいました。挨拶をしてくれました。優しい言葉をかけてくださいました。あの時の私は嬉しさのあまり、挙動不審になってしまい、まともに受け答えが出来なかったことを謝罪させていただきます。しかし、私はあの時に自分の気持ちを改めて自覚してしまいました。このままでは、アイラ姫やセーラ様、そして何よりリズ様に、私の恋心が知られてしまうのも時間の問題だと思いました。もし、リズ様に私の恋心を直接言い当てられてしまったら、私はどうすれば良いのでしょう。顔を真っ赤にして、その場から逃げ出してしまうに違いありません。もう限界です。自分の気持ちを抑えきれません。言わせていただきます。私は世界で一番リズ様を愛しています。リズ様の為なら命すら惜しくありません。リズ様が望むのならいつでも証明して見せます。来世はリズ様の履く上履きに生まれ変わりたいほどです。リズ様の為なら、借金だらけの父親や、馬鹿で不細工な妹など、いつ捨てても一向に構いません。リズ様。まだまだ言い足りないのですがここまで読んでいただき、ありがとうございます。この手紙をどのように扱うかは、リズ様にお任せいたします。アイラ姫に報告され、私が処分されるようなことになっても、一切お恨みいたしません。私はリズ様に気持ちを伝えられただけで満足です。お目汚し失礼致しました。 リズ様の愛の奴隷 ニコ」
上履きに生まれ変わりたいとのくだりは、リズの発案だ。
読む時は三人の美少女たちに大笑いされた。
アイラ姫が発言する。
「リズ、どう思う? この恋文」
「まあ、今のニコの文才ではこれくらいが限界かしらね。言いたいことは山ほどあるけど、きりがないからこの辺で許してあげてもいいわ」
「ニコ、良かったわね。その恋文にサインして、リズに渡しなさい」
セーラが声をかけてくれる。
ニコはその通りにしてリズに手渡す。
リズは尊大に恋文を受け取る。
ニコは心底安堵していた。
色々あったが、もうこの恋文の拷問は終わるのだ。
リズが声をかける。
「ニコ。とりあえずこれは預かっておくわ。でもね。まだ終わりじゃないのよ」
ニコは意味がわからない。
セーラが紙とペンをニコに渡してくる。ニコは受け取るが、何をすればいいのだろう。
もう一度恋文を書けというのだろうか?
「ニコ、恋文はまずまずだったわ。次も頑張るのよ」
セーラの言葉にありがとうございます、と礼は言うが、次とは何だろうか?
ニコには見当もつかない。
アイラ姫がニコに、当たり前のような調子で話しかけてくる。
「ニコ、ちょうどいいわ。恋文のついでに、次は貴方の遺書を書きなさい」