08話 全部、救えばいいんだろ
森の奥、視界の先で、傭兵の三人がラミアと戦っていた。
一方でおれの方は、足がすくみ、立ち尽くしている。
魔物と対峙しなきゃいけないって、マジか……。
どういう神経していたら、こんなのと戦えるんだ。
あの尾、一撃もらったら、骨は粉砕するぞ。
「大丈夫じゃよ。お主は妾に選ばれし者。そうそう簡単にはやられはせん。……たぶん」
「……イマなんか最後に付け足さなかった?」
「はて? 何の事かのう?」
精一杯の笑顔で、精霊少女に言葉を返す。わかっている。精一杯の現実逃避だ。
「人間相手なら、幾度か死線もくぐったんだけどなぁ……」
「アキラっ!」
傭兵の三人がラミアに対して刃を向けるのを止めることもできずただ立ちつくしていたところに、唐突に後ろから名を呼ばれた。
とてもよく、聞きなれた声だ。
「ユイッ!? なんで……!?」
そこには、ユイが息を切らせて立っていた。
おれが森を庭の様に走りまわれるのなら、彼女もまた同様だ。
例えおれが、この森の悪い足場を颯爽と駆け巡ろうとも。例えその姿を、見失ってしまったとしても。
彼女なら、それを追いかけられた。彼女なら、おれを見つけられた。
血相を変えて走って行ったおれを追いかけて、ここまで来てしまった。
そして、その行為はただ、おれの姿を見つけて、声をかけたにすぎなかった。
彼らが、何に相対しているかも気づかずに。
「……え? あ……あ……」
ユイがラミアの存在を認識する。目を見開き、目の前の状況を飲み込むのに必死になったのがわかる。
少なくとも相手が人外のソレであると事前にわかっていた傭兵やおれとは違い、ユイはただおれを追ってきただけ。
いくらあの声を聴いたとはいえ、その発信源がこんな魔物だとは、想像すらしていなかっただろう。
「ひ……ば、バケモノ……!」
それが、ユイが震え怯えながら出した、精いっぱいの言葉だった。
ラミアを見上げ、恐怖が張り付いている。
その言葉が癪に障ったのか、ラミアの目がユイの方に向く。
マズい! ユイが襲われる!
おれは大急ぎでユイの方へ走った。
しかしその足よりも、その巨大な体躯の速度の方が早く。
ラミアの尾はヒュアッという風切り音と共に、おれの横を抜け、高速でユイに襲い掛かった。
「ユイぃぃぃっ!!」
「きゃああああっ」
ユイにそれを避けられるはずがない。ロクな抵抗もできず、ユイはラミアの尾に巻き取られてしまった。ラミアの尾がギリギリとユイを締め上げ、ユイの呼吸を阻害する。逃れようと細い手を伸ばすが、それは虚空を掻くのみで。
「ア……キラ……」
ユイは精一杯、おれの名前を言う。
「チッ、お前ら! 死ぬ気で嬢ちゃんを助けろ! 失敗は許されねえぞ!」
傭兵達がラミアの尾に群がる。
ガキン、ガキンと剣や斧を突き立てるが、やはり効果は無い。
おれは無意識にクレイモアを引き抜こうと、柄を握ろうとしていた。
だが、やはり脳裏にあの日の光景が映り、その先の動作に移れない。
「~~~~~ッ!」
拒否する手との戦いに、歯を食いしばる。
そうしている間にも、ユイは尾に締め付けられ、苦悶の表情を浮かべる。
その様子に、遂にガイムがキレた。
「てめえいい加減にしろ! いつまでそうやって突っ立ってるつもりだ! 自分の女助けることすら、やらねぇのか!!」
ガイムには見えていた。おれの奥底にある、何かを。
「アキ……ラ……」
ユイが再び、おれの名を呼ぶ。助けて。私を助けてよ。
ユイはわかっていた。アキラは恐らく、剣嫌いなのではない。何にかまではわからないが、過去に直面したできごとのせいで、剣を握る事が怖いのだ。
ユイは、いつかそれを話してくれる日が来ると信じていた。
しかし今なお、剣を持つその人物は、悲痛な顔をして未だ恐怖と戦っている。
どうして、剣を持つその手は、そんなに震えているの? どうしてそれなのに、握った手が、離せないの? どうして、そんなに辛そうな顔をしているの?
戦うことが怖い? 死ぬことが怖い? ううん、違う。きっとそうじゃない。恐れているのは、もっと別の――。
「……のぅ主よ。さっき、主は妾に何て言ったか、覚えておるかの?」
少年の無様な姿を見かねたのか、精霊少女が語りかける。
おれは一瞬だけ精霊少女の方を見て、そしてまた視線を戻した。
背中に背負った剣の柄の上で、右手が震えている。
精霊少女は構わず、言葉を続けた。
「主はさっきこう言った。『人を斬る辛さがわかるか。剣を握るから人を殺すことになる。剣さえ握らなければ、殺さずに済む』」
だから何だ。とおれは思った。まさにそれで今、葛藤しているのだ。見てわからないのか。
おれはピクリとだけ反応するも、それでも次の動作に踏み込めない。
それを確認した精霊少女はスッと感情を顔から消し。強烈な殺気と共に、冷たく、冷たく言い放った。
「なんと傲慢な主よの。|はじめから勝利を疑っていない《・・・・・・・・・・・・・・》とは」
その言葉は、おれの硬直していた身体を一瞬で別の恐怖へと塗り替える。
「ち……、違う。これは……そういうのじゃ……」
震えながら、か細く、言葉を吐く。
なんだというのか。たださっき放った言葉を返されただけなのに、心の奥底を抉るかのような攻撃力がある。
「何が違うのじゃ? そうやって自分に言い訳して。酔って。」
精霊少女は更に言葉を続ける。
「それでよいなら、ずっとそこに立っておれ。そうやって、護る事を放棄して」
それは、冷たく。冷たく。
心の奥底へと、めり込んで行き。
「そして最後は、」
主が、また、殺す。
それは声であったのか。はたまた幻聴か。
護る力を、持っているのに。
しかし確かに、それはおれに聴こえていて。
つまらない理由で、現実を見ずに。
心をえぐる言葉は、次第に熱へと変わり。
「アキラああああッ!!」
「!?!?」
精いっぱいに叫んだユイの声が、心の氷を粉砕する。
やるしか……ねぇ。
「あああああああああああああ――ッッ!!」
心の底からの叫びと同時に、おれは勢いよく剣を引き抜く。
銀色の刀身が弧を描き、光を反射する。それはまるで、おれの恐怖を斬るかのように。
殺したくなかった友を殺した。だから、剣を持つことを辞めていた。
だけど今度は、それが友を失う理由になろうとしている。
怖かったから仕方なかった? そんな言葉を、誰に吐けと言うのか。
「あははははは!! できるではないか大馬鹿者! 答えなんて、最初から持っていたじゃろう! さあ狂え契約の主!! その手の中にあるつまらない妾は! どんな敵にも! 決して折れはせん!!」
はぁはぁと、咆哮で乱れた息を、ゆっくりと整える。
「あ……アキ……ラ……?」
幸いにも、その咆哮のおかげでラミアの注意をこちらに引くことができ、ユイを締め上げた尾の力が少しだけ緩んでいた。
ずしりと、剣の重さが腕にのしかかる。
久しぶりに感じる重さ。
なんて重たいものを持たせるんだちきしょう。好き放題言いやがって。
「……わかったよ……! わかったよやってやる! ……もう逃げようとは思わねェ。こいつを止めて、全部!! 救えばいいんだろ!!」
「そうじゃのう。せっかく妾を手にしたのじゃ。存分に振るうがよい」
剣という金属と、ユイの命という重さ。
三名の傭兵と、ラミア――。
引き抜いた剣の鞘を地面に投げ捨てる。
その切っ先には、木洩れ日がまっすぐと射し。
神々しく光を放っていた。