06話 転機の鐘
それからおれたちは、再び広場に向かって歩き出した。
ユイの左側頭部には、先ほどのバレッタが留められている。
髪を纏める用途ではなく、あくまでアクセントとして使っている様だ。
とてもご満悦の様で何よりである。
すぐに精霊少女がいなくなっていることを質問されたが、親が見つかったようで駆けて行ったと説明したら、「そっか、よかったね」と言ってくれた。
さすがモノの力。ひとまずこの場は収まったらしい。
「……すごいね。あんな小さな祠一つ、移動させるだけなのに」
「そうだな……」
二人が広場に着くと、それはもう村中の人が集まっていた。
別に必須参加ではないのだが、わかる限りほとんどの村人の顔がある。
広場の端には、先ほどの様にいくつか行商人が露店を出しており、何人かの村人を相手に商売をしている。
酒場のマスターもテーブルや料理を広場に運び、屋外酒場を開いていた。村のおばさんたちも手伝い、料理や酒をテーブルに運んでいる。
まさにお祭りだ。目立った娯楽の乏しい田舎の村にとって、こんな催しに参加しない手はないのである。
「さ、アキラ。露店を見ようよ」
「ええ!? さっき見たじゃん!?」
「足りないよ! せっかく外の街の商品が来てるんだよ? 全部見なきゃ!」
そういうユイの目は、キラキラしている。
さっきもそうだが、こういう時のユイは何言っても聞いてくれない。仕方ない。さわらぬ神に何とやら…だ。
「あー、じゃあ俺はマスターのところで座って待ってるよ」
「ダメ」
「え、ええ~……」
腕を引かれ、強引に露店を見て回る事になった。
端から順に、ユイは露店を見ていく。
雑貨、小物、食べ物。都会ではやっているらしい謎のアクセサリ。
それぞれの店の商品数はそう多くないものの、どれも目新しいものばかりだ。
ユイはそれらを目を輝かせながら見ている。
貴族の娘とはいえ、個人がそうお金を持っているワケではないので、あくまでウィンドウショッピングではあるが。
間もなくして領主であるジャンさんが、教会の横の祠の前へと移動してきた。
横には、ペストロ神父もいる。
それに気づいた村人たちがその周りに輪を作り、だんだんと静まり返る。
いよいよ、式典の始まりである。
ジャンさんはコホンと咳払いをしてから、式典の挨拶を始めた。
「みなさん! これよりこの祠の取り壊しを行います! 私はこの村の領主として、無事この日を迎えられたことを嬉しく思います。祠の取り壊しに際し、これを提案してくださったペストロ司祭より、お言葉を頂戴します! ペストロ殿、お願いできますか」
ジャンさんはペストロ司祭に礼をしつつその場を一歩引くと、交代でペストロ司祭がそこに立った。
「ディヨン村のみなさん! いよいよこの日がやって参りました! 今日、この村はこれまでの信仰を変え、正式に女神アレナの庇護下へ入ることとなります。聖アレナ教会はこの英断を評し、聖堂を建立に全力で協力することをお約束いたします! しかし元々あった祠を壊し、たたりなどないのかと思う方もいるでしょう! ご安心ください! 祠は一度取り壊しますが、祠の神を捨てるわけではございません! 神々の長たるアレナ様の配下であるこの祠の女神も、共に崇め続けるのです! さあ、始めましょう! 我々の、新たな一歩を!」
「「おおおおお!」」
ペストロの鼓舞に、村人達が歓声を上げる。
「も~なんなのじゃ~……? 騒がしいの~」
「うわぉっ!?」
気付けば、精霊少女が眠そうに目をこすりながら、おれの横に立っていた。
すぐさまユイも精霊少女の存在に気付く。
「あれ? さっきのコ。どうしたの? またはぐれちゃったの?」
「あ、あはは……。うん、そうだって」
とっさに誤魔化したものの、言葉は上ずり、目は完全に泳いでいた。
頼むから普通にしていてくれよと、願うばかりである。
そんな間に村人の歓声も収まり、いよいよ、取り壊しの始まりとなった。
村の金物屋や木工屋といった力仕事の人間数人がハンマーを持ち、祠を取り囲む。
成形された石を組み上げて造られた祠は、素手ではとても分解できない。
先ずは衝撃を与え、ある程度壊すのだ。
そして、その中の一人が「せーの」とハンマーを大きく振りかぶり。
『ゴォン』と、その第一撃を祠に入れたその時である。
「ジャ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
遠くで、ものすごい音が響いた。
それは森の方から襲来し、広場を突き抜け、建物に反響しながら遠ざかっていく。
その場にいた全員に一瞬で緊張が走り、走り抜けた余韻だけが、わずかに空気を振動させている。
まるですべての音を攫ったかの様な静寂。
それは、狼でも、猪でも、熊でもない、未知なる生物の咆哮。
驚いた鳥たちが、一斉に森の上空へ飛び立つのが見えた。
とても長く、しかしわずかな時間が流れた後、誰かが口を開く。
「なんだ……? 今のは……」
「村の近くに、こんな恐ろしい鳴き声の獣、いたか?」
次第にどよめきが広がってゆく。
「なによあれ……怖い……」
「嫌だわ……村は大丈夫でしょうね……」
ユイも、おれの袖をきゅっとつかみ、縮こまって森の方を見ている。
おれも、この声の主に心当たりはない。蛇の様な、女性の悲鳴のような。しかし、どれだけ大きければ、これほどの音量が出せるだろうか。
不快な余韻。誰もが、次に自分の身に降るかもしれない危険に緊張した面持ちだ。
おれも、じんわりと冷や汗をかいたのがわかる。
そんなおれ達とは違い、いやに落ち着いた人物が一人いた。
「やはり、出ましたか……」
ペストロ司祭である。緊張した様な顔で、しかし穏やかな笑顔で。
彼は音がした方をゆっくりと見て、神妙に喋り出した。
「皆様。私には、教会の拡張以外にもう一つ、重要なの目的があったのです。それが、この鳴き声の主の討伐です」
「この声の正体をご存じなんですか司祭様!?」
「ええ……。人を喰らう、魔物です。悪魔といってもいいでしょう」
司祭の言葉に、村人たちがザワついた。当然だ。魔物なんて、実物を見た者は誰もいないのだから。
「この村の近くにそんなのが!?」
「だ、大丈夫なんですか司祭様!?」
「ご安心ください。そのために、傭兵のみなさんにご同行いただいたのです! さあ、皆さん。よろしくお願いします!」
ペストロ司祭が、連れてきた傭兵達に言葉を投げる。
「……了解だ。行くぞお前ら! この神聖な儀式を邪魔する無粋なバケモンは、俺たちでツブすぞ!」
「「応!」」
三人の傭兵は、気合を入れ森の方へとかけて行った。
その姿は、とても頼もしく見えた。
「みなさん、傭兵達のリーダーであるガイムさんは、先の内乱を前線を生き抜いた方です。我々は安心して式典を続けましょう」
村人を安心させるため、ペストロ司祭は精いっぱいの優しい笑顔でそう言う。
とはいえ、村のすぐ近くで聴こえた声を無視して穏やかに式典を続けることなど、村人には到底できなかった。
「お、おれ、家畜たちを見てくる!」
「俺も、畑を!」
大人数人が町の入口の方へと走って行く。
流石のペストロ司祭もこれを止めることはせずに「仕方ありませんね……」と首を横に振って見せた。
「………………なあ」
そしておれは、そんなどよめく周囲の中、一筋の冷や汗を垂らして声を発した。さっき精霊少女が言っていた事。それが全て真実なのであれば、きっとこれが――。
恐怖心を抑えつつ、ゆっくりと精霊少女を見る。
「……そうじゃな。早速出番が来た様じゃ」
精霊少女は真剣な目で、まっすぐこちらを見て笑っている。
やっぱり……か。
もちろん、わかっている。この声の主が、獣とは思えない。
この精霊少女が言った事が本当に本当なら、この声の主を相手に、この剣を振るわなければならないのだろう。
伝説の英雄譚や神話でしか聞いたことのない、バケモノを相手に。
「でも、傭兵達だっているし……」
心臓が高鳴る。とても平静ではいられない。
両の掌ににじんだ汗が。震えが。本能的に戦うべきではない相手であることを告げている。
そう、そうだよ。俺じゃなくたっていいじゃないか。
彼らはそのために、この村に来たんだ。
「妾が言ったような相手を、あの彼奴らが簡単に倒せると?」
「……っ」
そう。彼らだってバケモノを相手に戦ったことなんて、ないだろう。……でも。
「そ、それは俺だって同じだ、傭兵たちと大差な――」
「かもしれんの。じゃが、彼らが負けたら、恐らくあの声の主はこの村に来よるぞ? そうなったら、村がどうなるかくらい……わかるじゃろう?」
脳裏に、あの光景が浮かぶ。市街戦の記憶。雨の降りしきる町の大通り。そこに転がる、かつて家族のように一緒に過ごした、恩人の遺体――。
「ね、ねえ、さっきから何を話しているの? あの声の主が、村に来るの!?」
心配そうに会話に割って入ったユイが丁度。その恩人の記憶と重なった。
ユイと、森の方を交互に見る。
「~~~~~~ッ!」
上半身は、森の方に向く。だけど足が鉛の様に重い。
この村を死体の山にするのか? その光景を見て耐えられるのか? その中のユイを、おれは平気で見ることができるのか――?
震えたままの手で、拳を握り、強く太ももを叩く。
そして一生懸命に、ゆっくりと深呼吸をして。
「……わかったよ! 行くよ! 行くだけだからな! こちらに来ない様に誘導して、隙を見て逃げる!」
あきらめて発したその言葉に、精霊少女は嬉しそうに笑顔になって。
「うむ、構わんぞ! それがお主にとっての勝利であれば、それが正解のはずじゃ!」
「……ちくしょう! ユイごめん、おれ、ちょっと行ってくる!」
「ちょっ!? アキラ、行くってどこに!?」
背後から聴こえるユイの言葉には答えずに、おれは村の入り口に向かって走り出した。
「ちょっとって何!? ね~え! アキラ~~!!」
呼びかけるユイの声が聞こえる。でももう、おれは立ち止まらなかった。
村の入り口までの坂を走る。
相手は、不明。
剣など持てもしないのに、自分はどうしようというのだろうか。
ふと、ついてきているだろう精霊少女の方を見る。
「うお!? おま、他の人に見られてねぇだろうな!?」
精霊少女は飛びながらついてきていた。
足の長さが違うのだから、よくついて来れるなとは思ったが、案の定だ。
こんなの見られた日には、次の討伐ターゲットにされてもおかしくない。
「そんなことより。あの白い帽子の……司祭じゃったか? なんか隠しておるようじゃの」
そんなことよりて……。まあいい。
「ペストロ司祭がか? 何を隠してるっていうんだ?」
「さぁの。でもあまりよくはなさそうじゃ。思い出してみい。祠を壊そうとした瞬間あの声が聞こえた。そして彼奴は、『その声が目的』と言ったのじゃ。あの祠、いったい何を祀っていたのかの?」
「あの祠が関係あるってのか?」
「確証はないがの。そうじゃの。お主が妾に会った時、探していたのはこの村の歴史が書かれた羊皮紙じゃったな? アレは見ておいた方がよいかもしれん」
「!!」
そこでおれは足を止めた。そこが丁度、ルドフォード邸一階入り口の前だったからだ。
確かに、声が聞こえたのは祠を壊そうとしたその瞬間だった。
あの羊皮紙に、この声の手がかりが?
幸い最後に出たのは自分なので、まだ家の鍵は持っている。
おれは行き先を変え、先ほどまでいたルドフォード邸へと入へ向かった。