02話 式典前夜――信仰と陰謀の狭間で
二回目更新。よろしくお願いします。
どれだけの季節を、ここで過ごしただろう?
少女は、ゆっくりと目を開けた。
薄暗い部屋の中、いたるところに木でできた箱が積み上げられ、足の踏み場を奪っている。
一見すると無造作に見えるが、大きなものから小さなものへときちんと積まれていて、いくつかは高そうな装飾が施されている。
ここはどこか、貴族の倉庫のようだ。
どれも埃が積もっている。どうやら、結構な時間が経っているようだ。
よく見れば、絵画であろう布が被せられた薄い板や、カギのついたチェストもあった。
ここには、いろんなものがあり、なにもないと、少女は感じた。
ふと、部屋の中に一つだけあった窓に気づき、とてとてと窓に向かって歩く。
床に小さな足跡をつけながら窓にたどり着くと、鍵を外し、木でできた観音扉の窓を開けた。
ぴゅうと、新鮮な外の風が日差しとともに身体を通り抜ける。
少女の銀の髪が風に乗り、さらさらと宙を流れ。
少女は少しだけ身を乗り出し、止まっていた世界から抜けだした様な感覚を楽しんだ。
◇
陽が山陰に隠れた頃、おれたちはディヨン村に帰り着いた。
ここディヨンは、隣国との国境である山脈の麓に位置している一〇〇人にも届かない小さな村だ。
村の外周を丸々と囲んだ石壁は、元々は隣国に攻められた際に砦の役割を担う事を目的として造られたことを物語っている。
唯一ある正門をくぐると、すぐさま狭い一本道がお目見えし、ゴツゴツした石畳の坂が伸びていく。
その坂を登り始めるところに、村唯一の宿屋兼酒場がただある。
「ただいま~! マスター、山菜とって来たよ~!」
「おお、おかえり! 悪いね助かるよ」
ユイはその酒場の扉を元気よく開け、カウンターにいるマスターに笑顔で報告した。
酒場には既に見知った先客が大勢おり、皆酒場の料理や酒を楽しんで、夕食時の賑わいを見せていた。
カウンターの奥にいた優しそうな初老の男性がユイを奥に促す。
白のシャツに黒いベストを着こなし、いかにも酒場のマスターといった感じの風貌だ。
「おーユイちゃん、戻ったかい! どうだい今日の山菜は!」
「上々! おいしそうなのいっぱい取れたよ!」
「イイねェ~。マスター! 今日も早速山菜の盛り合わせ頼む!」
「マスター、こっちも頼む!」
ユイはお客と二・三言葉を交わしながら、酒場のホールを手伝うため着替えにユイは裏へと引っ込んでゆく。
山菜を取ってきたというのにユイは手ぶらだが、これも恒例の事。
本日の成果は全て、ユイのすぐ後ろにいたおれの背中の籠に積みあがっていた。
「ユイちゃーん、準備できたら酌してくれ~」
「もー、こんな早くからもう出来上がってると奥さんに怒られるよー!」
「ほいよマスター。山菜、ここに置いておくよ」
「ああ、ありがとうよ。よーし! どれを使ってやるか」
取れたての山菜は、その鮮度のせいかユイ(と、おれ)が取ってきたせいか、週に一度の村人たちの楽しみの一つとなっている。
おれがカウンターに入ってすぐのところに、籠をどさりと置くと、すぐにマスターは腕まくりをして山菜の物色を始める。
今日は森に生えるアスパラや三つ葉、キノコ類が採れた。どれも採れたてなので、味は格別のはずだ。
「……それにしても、今日はいつもより人多いね」
「そりゃそうさアキラ。明日は大事な日だからな。みんなその前哨戦にきてるのさ」
おれは酒場の中を見回してマスターに尋ねると、マスターはどこか嬉しそうに答えた。
今日はユイがホールに立つ日だから、立たない日よりは多い日ではあるのだが、それにしても人が多い様に見える。
さらりと答えたマスターは、選んだ山菜のいくつかを調理台の上に並べている。どうやらキノコ類がお気に召した様子だ。
「あ~そうか。……みんな気が早いな~」
「そんなことないぞアキラ! 明日は祭りみたいなモンなんだ! お前も楽しまなきゃ損だぞ!?」
「そうだぞ~アキラ」
カウンターに近い席に座っていた客たちが、酒の入ったジョッキを掲げておれの感想に応える。
酒の回りがいいころなのか、顔が赤い。
「しかし、小さいころからあったモンがなくなるってのは、物寂しい気もするな」
「だなー。でもよ。おれのじーさんの時にはもうあったってんだ。何のためにあるのか、だーれも知らねンだから、いいだろ」
客の今日の肴は、今日の出来事よりも目下、この話題の様である。
少し前に聖地アレナから宣教師が来て、こんなことを提案した。「村に昔からある女神の祠を取り壊し、ご神体を教会の中で崇め、教会の建物を拡大しましょう。そうすれば、教会の大きさもかなりの大きさにすることができます。そうなればここの教会は聖地直営になります」と。
村人たちにとっては願ってもない話だった。
聖アレナ教は、神話に出てくる慈愛の女神アレナを崇める宗教で、ここラルグ王国で広く信仰されている国教だ。
もちろん、ここの村人もほぼ全員がアレナ教徒だし、王国全土ほぼ一〇〇パーセントと言っても過言ではないため、その権威は計り知れない。
どの町にも一つはアレナ教会があるものの、よほど大きな街でない限り直営は少なく、現地の神父が務めている。いわばフランチャイズの様なものがほとんどだ。
フランチャイズと直営店の違いが、そのまま町ごとのステータスになると表せば、想像もつくだろうか。
そして祠というのは、村の中心に建ったその教会の脇に、ひっそりと建つ石造りの小さな祠の事だ。
現代日本でいう稲荷神社の様なもので、昔はそれを崇めるものもいたのだろうが、長い時を経て、そこに立った理由はおろか、唯一、土地の女神ということ以外、何が祀られているかも最早わからない祠だった。
約二〇〇年の歳月で神に祈る事のみが形骸化し、その起源は人々の記憶から失っていったのである。
初めは、一緒に崇めるようにするとはいえ神様の祠を壊してしまうのはどうなんだと反対する者もいたが、最早教会の影で陽も当たらない祠を残すより、取り込んでしまった方がよいだろうと村の会議で決まった。
そんな村の歴史が動く一大事の前夜を、皆逸りながら楽しみに酒を飲んでいるという訳だ。
「おまたせ~。それじゃ回るね~!」
エプロンを着けて出てきたユイが、そのまま酒場にいる客のテーブルを回り始めた。
心なしか、客たちのテンションが上がった様に見える。
ユイは村で唯一の十代の女性なものだから、平平凡凡な村の日々を生きる大人たちにとっては、天使との会話に等しく、皆かわいがって仕方がない。
酒場の客たちが口々にユイの声をかけ、ユイはそれに応えている。そうやって顔見知りの村人たちに改めて挨拶して回るのも、ユイの仕事の様なものだった。
「すごいね、みんな明日の話でもちきりだよ! ……でもあの祠、女神様を祀ってるのは知ってるけど、何の神様なんだろうね?」
一通り回って戻ってきたユイが、若干興奮しながらおれに話しかけた。
しかし、応えたのはまたも近くのテーブルの客だった。
「あ~。村ができた時に建てたものってのは聞いたことあるから、二〇〇年くらい前のもんなんだろ?」
「確か、隣国の進行を食い止めてくれたって聞いたことがあるな」
「ほんじゃ戦の女神じゃねーの?」
「ったら、戦神オルセイア様か? ありゃあ神話じゃアレナ様の姉ちゃんって話だ。そんな大それた神様だとは思えねぇが……」
応えたとはいえ、テーブルの村人たちもいまいち明るくない。
そんな大恩ある神様をよくも忘れたもんだと思えなくもないが、二〇〇年の歳月というものは、そういうものなのかもしれない。
「そうかーおじさんたちも知らないのかー……。アキラは知ってる?」
「いや……知らないな」
ユイは改めておれに聞いてきたが、もともとこの村で生まれ育ったわけではないおれには、当然知る由もなかった。
しかし、その疑問に答えた者が一人いた。
「ッハハ……仰る通り、そう言った名のある神様ではありませんよ」
「知ってるんですか司祭様!?」
隣のテーブルから声をかけたのは、この取り壊しを提案した張本人、聖地アレナから派遣されてきた司祭だった。
名はペストロ。白のローブに、金色の装飾の入った襟が、いかにもという雰囲気を醸し出している。
ユイが目を輝かせて司祭の方を見た。
さすが教会の人間。神様の事については専門家だとおれは思った。
「いやいや、残念ながら私も詳しくは存じ上げません。ただ、慈愛を冠する女神アレナ様の庇護下にある女神様で、この辺りを昔から守護するお方の様ですよ。ですので、オルセイア様ではないことは確かです」
「なんだー」
ユイはちょっと残念そうに、片頬をちょっと膨らませた。
「それより、お二人は明日は早く式典に来られるのですか? 先ほど、商人や吟遊詩人の方々がこの酒場にいらしておりましたよ」
「えっ!? 本当に!?」
「ええ、あれは……隣町と、東の交易都市、それと城下の商人でしょうか。五・六件はいらしている様ですよ」
司祭の言葉に、ユイは再び目を輝かせる。
それもそのはず。村の収穫祭ですら、せいぜい二人の商人が買い付けに来る程度だ。その時だって町の物が来るからと楽しみで仕方ないのに、明日はこの式典を聞きつけた商人や吟遊詩人が六人も来ているときた。
しかも城下の商人までいるとくれば、最早ユイにとってはそれが本命だ。
こんなド田舎村に町の商人が来るのは珍しく、それは都会の流行の物を手に入れるチャンスなのだ。
十代の女の子にとって、これほどの大ニュースは無い。
「あーでも午前中はここで仕込があるのよねー。ねーマスター、ダメー?」
ユイはマスターに甘えた声でお願いする。マスターはそれをみて、ゆっくりと首を横に振って答えた。
「ええー……」
「あははマスター、ユイちゃんがかわいそうだぞー!」
横にいた村人が笑う。せっかく村の外の人間が来るんだ。この機会にこの村の料理を振舞わない様な悪手はない。
とはいえマスターも鬼ではない。村のみんなの娘の喜ぶ顔を、みすみす曇らせたりはしない。
「仕込みさえ手伝ってもらえれば大丈夫だから、早く終わらせて回るといい」
「ホント!? やったー! 何があるかなー? カワイイものあるといいなー♪」
途端に上機嫌である。その笑顔に、村人たちも笑顔を向けている。
膨れたりうなだれたり喜んだり。コロコロと表情を変えて、全く忙しい。
「アハハハ、楽しんどいで。アキラもしっかりお嬢様をエスコートしろよ」
「わーってますよ! っても、おれもジャンさんから頼まれ事があるから、それが終わったらね!」
おれは少し投げやりに答えた。ユイの付き添いをさせられることは予想できていたが、おれにも同様に、やることがあるのだ。
「え!? アキラ、お父さんから何か頼まれてるの?」
「おう。なんか倉庫で探し物をして欲しいんだってさ」
「えー何も明日でなくてもいいのに~! わかった。帰ったら他の日にするように言う! もししなかったら……」
そう、おれに探し物を頼んだのは、ユイの父であり、この辺りの領主だった。
ジャン・T・ルドフォード辺境伯。この田舎村の中ほどにある屋敷に住んでいる、この辺り一帯を治める地方貴族だ。
決して傲慢でなく、この狭い村人のいい相談役になってくれており、村人から信頼も厚い。小奇麗な恰好こそしているものの、決して嫌味にならない、人柄のにじみ出た人である。
ユイは、このルドフォード家の養子として迎えられている。
なので、ユイは正しくはユイ=T=ルドフォードといい。こんな風に酒場の手伝いをしているが、本来は貴族の令嬢なのである。
そしておれは、あの内乱の後、城下で一人彷徨っているところを保護され、使用人兼歳の近いユイの護衛役として村に迎えられたのである。
「ハハハ、貴族の小姓は大変だなぁアキラ! こんなタイミングで依頼するくらいだ。明日の式典に関係がある事なんだろ!」
「さ、さあ……わかりませんけど、たぶん? そうだと思います」
「がんばれよーアキラ!」
「倉庫の物探しを?」
おじさんは違う違うと眉を上げ、呆れたようにクイとアゴでユイの方を指した。
「お父さん足臭~いの刑? それとも枕? お父さんの分だけお土産買わないのも……ウフフフフフフ」
ブツブツと、ユイが怖い顔で怖い事を呟いていた。
「ジャンさんが死んでしまうだろ……メンタル的に」
「……はい」
ルドフォード家の名誉のために弁明をしておくと、父娘の仲は決して悪くはない。
ジャンさんだって、娘の楽しみを奪いたくはないはずだ。
恐らく本当に、明日が式典だから必要なものなのだろう。
「なんにせよ、明日はよろしく頼むぜ司祭様!」
「お任せください。明日は村だけでなく、我がアレナ教会にとっても大切な儀式。私めも心して取り掛からせていただきます。女神アレナ様は見守っておいでです。まず間違いなく、つつがなく進行する事でしょう」
客の一人がジョッキを掲げて司祭に言い、司祭は笑顔でそれに応えて見せた。