15話 再誕の祝祭
その夜。
祠の取り壊しの式典から、女神ラミアを崇める祭りへと姿を変えたディヨン村の広場は、もともと騒ぎたかった村人達のせいで、大盛り上がりとなっていた。
式典に来ていた商人や吟遊詩人たちも、待ち望んでいた祭りに活気づき、広場の熱気をさらに高めている。
おれはといえば、隅に置かれた椅子に腰掛け、ぐったりしながら広場の賑わいを眺めていた。
緊張が解け、一気に疲労に襲われている。とても、祭りの中心に入って騒ぐ気力はない。
時々、おれのところに村人が来ては「悪かった」と謝罪し、ガイムに勝ったおれを讃えて祭りの喧騒の中に戻って行く。
この祭りの雰囲気が、この頑張りを祝福している様だった。
「よかった……。ラミアを救えて……」
「そうじゃのう。妾も一安心じゃ」
思わずポツリと呟いた。心の底からの言葉である。
さっきまで剣を握ることが嫌だった。
魔物なんて、いると思っていなかった。
こんな少年が、村の方針を変えるなんて思ってもみなかった。
それらすべてを、乗り越えた。
そんな言葉も、こぼれるというものだ。
横に座っていた精霊少女が心底嬉しそうに言う。座っているのは大人用の椅子なので、足は届いておらず、両足をぷらぷらと遊ばせている。
「お前……剣の精霊とかいうくせに、食べるんだな」
おれはぐったりとした姿勢のまま、横目で精霊少女を見て言う。
嬉しそうなのは、熊肉を口いっぱいに頬張っているからではない。ないはずだ。
「まぁ~の~! だって美味いんじゃもん!」
「あ、うん、そうね」
オーケーオーケー。熊肉でしたね。食欲があれば物も食べるよな! うん。おれだってそうだし。
「精霊って、なんかこう、霊的なものが動力源なんじゃないのか?」
「ん~? ふぉうじゃよ~? へふに食へなくふへも|ふぇいふぉんはへひふはの《生存はできがの》?」
「そ、そっか……」
ダメだ。聞きたかった回答が得られる気がしない。
おれは諦めて、ただ精霊少女を見ていることにした。
「いやあ、思ってたよりやるヤツだったんだな! ボウズ!」
「全くだ、聞いたぞ? まさかボスに勝っちまうなんて」
「ボスじゃねぇっつってんだろキール! ……だから言っただろうが。お前らの稽古なんざ、アキラにゃ不要だってよ」
そう言いながらおれのテーブルにやってきたのは、傭兵トリオだった。
テーブルに着くなり、ゴンゾが「飲むか?」ビールを差し出す。おれはちゃんと「俺未成年なんで」と断りを入れた。
「大活躍だったな、アキラ。お前一人で、この村の認識を変えちまった」
「あはは、違いますよ。おれがやったんじゃないですよ。ジャンさんがみんなを説得してくれたんです」
「謙遜すんなよ! お前がいなきゃ、今頃この村は壊滅してたんだからよ!」
ゴンゾがばあん! とおれの背中を叩いた。その衝撃に、思わずむせてしまう。自分の巨体から繰り出される張り手がどのような威力なのか、しっかり認識しておいて欲しい。
ゴンゾはそのまま熊料理の乗ったお皿を「くうか?」と精霊少女に勧める。精霊少女は目をキラキラさせてフォークを握りしめている。横で、キールもどことなくほっこりしているのがわかる。
「……俺が言うのもアレだが、あのラミア様は、幸せな神様だな。たぶん同じようなやり口で、アレナ教会は他信仰を排除してきたんだろう」
「そうですね……」
そんな連中を見ながら、ガイムが言った。近年、アレナ教の教会は各町々にものすごい勢いで建立しているらしい。しかしそしてそのほとんどの場所には元々信仰していた神様がいたはずなのに、その神様たちをどうしたのか聞いたことがない。
しっかりと明白に、どちらも残すことが決められたというのは、幸運だと思う。
「それにしてもアキラ。お前何者だ? 剣が扱えるとは思っていたが……あの動き、扱えるというレベルじゃなかったぞ?」
ガイムがおれに訊ねる。ずっと、聞きたかったに違いない。ラミアとの戦いも、自分との戦いでも、とても素人の動きには見えなかった。
「ただの、村人ですよ」
「そうか。何か言いたくねェ理由でもあるみたいだな。悪かった」
しかしおれは、愛想笑いを浮かべながら、困ったようにそう答えるだけだった。
ガイムは深くは詮索しないつもりだった。そもそも剣が怖いほどだった少年だ。そこを抉ってまで、聞きたい内容ではない。
そんなガイムを見ておれは、「ふぅ」と肩で息を吐いて。
「――」
小さな声で、真実を告げた。この村のために戦ってくれた、せめてもの礼である。
「!? ……は、っはははははははは! なるほどな! あの戦争を経験したとは思っていたが、あの英雄部隊にいたとは! アレナ様だかラミア様だか知らねぇが、手合わせできたことを感謝しなきゃな! ……っと、ゆっくり酒でも酌み交わしたいところだが、どうやら俺はお邪魔な様だ」
ガイムの視線の先には、嬉しそうに走って来るユイの姿があった。
「それじゃあな。お前らも行くぞ」
傭兵達が席を立つのと入れ替わりで、ユイがおれの向かいに腰掛ける。
「すごいね~! 収穫祭みたい!」
もうワクワクして、興奮が収まらないという状態だ。
あの後、気が付いたラミアは、その場にいたユイ、キール、ゴンゾの三人をゆっくりと見てから、自分の置かれた状況を把握したのか、ただ微笑んでから、ゆらゆらと森の中へと消えて行ったらしい。
殺気が無いことを認識して、安心したのかもしれない。
「そういえばさ、アキラ、聞いていい?」
「あ、ああ……」
ついに、ユイにも自分の過去を言う時がきた。
大丈夫。もう、話しても、いい。
おれはそう思って覚悟を決めた。
「その子。迷子じゃなかったの?」
「……げ」
「浮いてたし! 消えたし! まさかマジシャンとか言わないよね!?」
「あ~……あはははは、そ、そうよね。気になるよね!」
ユイが放った言葉は、その覚悟とは全く別。すっかり忘れていた。
この精霊少女の事、迷子だって言っていたのだった。
「あははは! よかろう。特別に妾が直接説明してしんぜよう!」
そして、一通り食べる物食べて、口元にソースをちょいとつけた精霊少女が、椅子の上に仁王立ちして大いにドヤりながら、ユイに自らを説明した。
「剣の……精霊? 本当に?」
「そ」
「おう……」
ユイのリアクションは懐疑的だった。というより、信じていいのかわからない様子だった。おれでさえ、今日一日で自分の世界観を大いに書き換えられたのだから、無理もない。
「アキラと契約されたから、離れられないの?」
「そ」
「おう……」
精霊少女は、契約の理由が『人と非なるモノとの戦い』のためであることは言わなかった。もしかしたら、彼女なりの気遣いがあったのかもしれない。
「かわいそ……」
「ね」
「それ俺のことだよな!?」
ユイは両手を口元に添え、潤んだ瞳で精霊少女をじっと見つめている。
離れることができなくなって可哀そうなコなのはおれだぞ!? いやそもそも可哀そうとか言うな、ああもう!
「それで、お名前は何て言うの?」
「なまえかの? はて。 妾はずっと剣の中で寝てたしのぅ。あるんじゃろうか?」
精霊少女はきょとんと首をかしげて言った。確かに、今まで一度も名前の様なものを言った記憶はない。
「ええ~……? あ、じゃあ! 私がつけてあげる!」
「ふぇ?」
「え?」
ユイは名案! というカンジで精霊少女に提案する。
「『え?』って……だって、精霊ちゃんって呼ぶのも、なんか違うじゃない? ……ん~……そうだな~。アイ、でどう?」
「ほむ?」
「アイ? 愛、ラヴって意味か?」
どこかの地方じゃ、そういう意味があるらしい。この辺じゃあ珍しいが、そっちの方では、別に無い名前じゃないらしい。
「ああ、そうかそっちでもいいね!」
「ん? そっちって何だ?」
てっきり、それを意識して言ったのだと思ったが、そうじゃないらしい。
「え~とね~、その剣、見た目はただの鉄の剣なんでしょ? だから、アイアンから取って、アイ!」
「えぇ……」
面食らったのは、まさかの精霊少女の方だった。
「ッハハ、いいじゃん! よろしくな、ア痛って!?」
精霊少女……もといアイはむ~~っとむくれ、笑いながら呼ぶおれの脛を蹴った。
「そういえばお主、さっき、妾のいた屋敷の階段ですれ違ったよの?」
アイは思い出したように言う。
満面の笑みを浮かべるその額には、分かりやすく怒りマークが浮かんでいる。
「ん? ああ、私の家の螺旋階段の事かな? うん、アキラを探してた時に、すれ違ったよ?」
「お主その時、顔真っ赤に――」
「うわああああああ、わあああああああああああ!!」
ユイはアイが何を言いたいのかを察し、瞬時に顔を真っ赤にした。
「……主、もしかしてチョロインというやつかの?」
アイの目がエロ目になっている。これは確実にこの名前を付けたユイに報復変わりにからかいに走っている。
「ああああああ……チョロって何? あああああああああああ」
「……大丈夫かユイ。耳まで真っ赤だぞ?」
「どどど。どうしてでしょうね? アレかな~? これお酒だったのかな~? も~、困るな~わたし未成年なのに~」
ユイは目をぐるぐるにさせながら必死に弁明している。
実際は、ユイのリアクションの理由が全くわからない訳でないが、あえて触れるのも恥ずかしかった。
「盛り上がっているわね」
そんなやり取りの中、「ここ、空いてる?」とこのテーブルに訪れる人がいた。
「あ、は!? ……い」
ふと、艶やかな声が響く。
どうぞと言おうとして、おれもユイも思わず目を見開いた。
そこにいたのは、妖艶な色気を持った女性。
チューブトップビキニに、腰に巻いた布。
燃えるような赤い髪に、……何より、頬に6つの爪痕の様な入れ墨。
間違いない。この人は、この祭りの主賓。さっき戦った、ラミアその人だ。
「さっきは、ありがとう」
女性は、優しく、妖艶に微笑む。
「いえ……」
「傷はもう大丈夫なんですか……?」
ユイの問いに、ラミアは「ええ、私、人のそれとは違うもの」と、同じように微笑みながら答えた。
死に至る傷ではなかった様だが、少なくとも正面から斬ったのだ。普通の人間なら、動けるようなものではない。
「二人にはね。お礼を言いに来たの。この村は、私が愛した、あの人達の子供たちの村。私が護るのは、当たり前だった。でもダメね。力そのものが無くなったら、さすがにどうしようもないもの」
ラミアは愛おしそうに、村人達の方を見て言う。まるで子供を見守る、母親の様に。
「私たちは、貴女を忘れていた……ごめんなさい。こうして、貴女のお祭りができた。もう二度と、忘れません」
「ええ……そうみたいね。力がすごい勢いで戻ったもの。……皮肉よね。意識を失うほどに力を失えば人の姿に戻るのに、普段はなるのに膨大な魔力が必要なんて」
ラミアは困ったように笑う。
「この村の住人はあの人たちの子供たち。二人とも、その血ではない様だけど、それでも、私を護ってくれた。だから、ありがとう」
その笑顔を見て、おれは心底、自分がやったことが正しかったと思えた。
「さて、そろそろ行くわ。最後のけじめくらい、私がつけないとね。それじゃあ、ね」
彼女は優しく微笑みながらそう言って、広場の外に消えて行った。その妖艶な表情の中に、すさまじい殺気があったことを、おれは見逃さなかった。