13話 慈愛か、守護か
あらゆるすべての事象は、認知されて初めてそこにあるとされる。
それは信仰によって力を得る存在も同じ。むしろ、その存在こそ、その最たるものと言っていい。
ディヨン村の民は長い年月で、この祠が祀っていた女神の正体を忘れてしまった。ただの村の守り神として、祈るだけの場となっていたのだ。
己の存在が曖昧になってしまった神は、さぞや力を失っていたことだろう。あのゴロツキに毛が生えた程度の傭兵共でも、多少は善戦が期待できるというものだ。
この村の祠の女神は、おおよそ神のそれとは程遠い魔物である。これは崇高なる女神アレナを崇拝するこのラルグの民にあってはならないことだ。
通常であれば、村人全員を即刻魔女裁判にかけ、処刑すべき案件だ。しかし、忘れかけていたのならそうはならない。手を差し伸べてやるのが教会の務めと言えよう。
ディヨン村の中央広場、教会の前で、ペストロはそんな理屈を延々と捏ねていた。
本当であれば、傭兵達の戻りなど待たず、今すぐ祠の取り壊しを再開したい。準備のために長めに滞在しているのが仇となったか。村人も傭兵達を心配してそれどころではなかった。
「みなさん、傭兵……ガイムさんたちでしたら平気です。内戦の英雄は、あの様な声の主程度に負けるような方ではありません!」
英雄……とは我ながら大きく言ったものだ。あの内戦で、主に前線で剣を振っていたというだけなのに。
ペストロは思わず吹き出しそうになりながらも、必死に村人を説得していた。
通常であれば?
教会の務め?
本心はそんなものではない。ただ、祠を取り壊した後、拡張した村の教会の名を『聖ペストロ教会』にしたいだけである。
そんな中、広場の入り口の方からどよめきが起こった。
村人たちの視線の先には、森に行っていた傭兵ガイムと、途中で走っていった村の少年が立っていた。
こんなに早く戻ってくるとは思っていなかったペストロは、これで祠の取り壊しができると、村人たちの背後で下卑た笑みを浮かべていた。
おれは息を切らせながら、精いっぱいの声で叫んだ。
「みんな、待ってくれ! 聞いてくれ!! お願いだ! 祠の取り壊しをやめてくれ! あの祠への祈りを、やめないでくれ!」
「……あん? アキラじゃないか。何言ってんだ? 今更そんなことできるわけないだろ?」
「あの祠のご神体はアレナ教会の中に移して、一緒に崇めるんだ。祈りをやめるわけじゃないよ」
村人たちは当然の様に、理解できないとおれを突っぱねる。しかし、そんなこで引き下がるわけにはいかない。
「それじゃ、ダメなんだよ! その祠はずっと森を守ってくれた、ラミアの祠なんだ! 女神アレナの配下じゃ、ないんだよ!!」
必死に、祠の真実を村人に告げる。しかし――。
「ラミア……? って、伝説にあるヘビの魔物の事か?」
「ああ、俺も聞いたことあるぞ? 上半身が女で、下半身がヘビっていう、バケモンのはずだ」
「おいおい嘘つくなよアキラ。そんなのが神様なわけないだろ? ご先祖様が祠に祀るハズがねぇ」
村人にとって突拍子もない言葉。信じる素振りすら見せない。
それもそうだ。さっきのユイと同じように、自分の信じていた神様が、異形……それも魔物だと言われて、はいそうですかと受け入れるわけがない。
「本当なんだ……! 信じてくれ……! おれたちは、ずっと護られていたんだ!」
「もしそれが本当だったとしても、この村が聖地アレナの直轄になれば、村も潤うんだ。今更祠の取り壊しをやめる必要なんかないだろ」
何てことを言うんだ。
あの神様を、そんな簡単な理由で裏切ってしまうのか。
「ふざけんな! 村のためにずっと身体を張ってくれてた神様への仕打ちがこれか! この村は、その程度なのか!!」
おれは叫んだ。
胸が締め付けられる想いだ。
護ったものに裏切られる。そんなことを、身近な人たちがやってしまうなんて。
「子供に何がわかるっていうんだ! 村が潤うための選択なんだぞ!? 特産の無い村でこんなチャンス逃せるかよ!」
「俺らにアレナ教の加護を受けさせないって事か?」
「なんなの。元々よそ者の子供のくせに」」
「そうだそうだ!」
おれの温度に呼応するように、村人の温度も上がる。
「ぐ……」
なんだよ。おれの言葉は、みんなに届かないのか?
たった六年じゃ、おれはまだ、よそ者なのか……?
「ん~~……。やっぱりこうなるか……」
見かねて、横で様子を見ていたガイムが口を開いた。
「あー……アキラの言っていることは本当みたいだぞ。そこの祠の神さんは、俺たちがさっきまで止めようとしていた、ラミアらしい」
「そんな……ガイムさんまで祠を壊すなって言うんですか!?」
「教会に雇われて、この催しを支援しに来てくれたんじゃないんですか!?」
ガイムがおれに味方したのは、村人にとって意外だったらしい。
この祠を取り壊すことで村が潤ってしまう以上、村人にとってこの取り壊しは願いに変わってしまっているのだ。
「そうですよガイムさん。何をその少年に影響されているのですか。貴方は教会が雇った傭兵。しっかりしてください」
「っ……!」
ペストロもガイムに言う。
こんな子供や一傭兵が何を言ったところで、教会の言葉に敵うはずもない。
その顔は、勝ちを確信し、心底見下している様にも見えた。
「では、私のお話でしたら、聞いてくれますか」
「ジャン……さん……!?」
次の言葉が出てこないおれたちに助け舟を出してくれたのは、この地方の領主、ジャン・T・ルドフォード辺境伯だった。
ジャンは、驚くおれをスッと手で制し、村人に向かって話を始めた。
「先ずは、私から皆様に謝罪しなければなりません。皆さんもご存じの通り、この村は元々隣国の進行に備えた砦の村。祠の女神様がその進行を食い止め、この村を護ったのはどうやら事実の様です」
「ジャンさんまでそれが魔物だったって言うんですか!?」
「何を根拠にそんなことを……!」
「この、羊皮紙ですよ」
騒ぐ村人に、ジャンは手に持っていたものを見せた。
それは紛れもなく、さっきおれが探し、中を見た、羊皮紙だった。
おれ達が森でラミアと戦っている間に、家に戻り、羊皮紙を見たのだろう。
「これはこの村の創立史でしてね。私も先代の領主から受け継いだものです。古いものなので、大切に保管だけする様にと言付かっていたのですが……まさか祠の件が書かれているとは思いませんでした」
ジャンが説明する。これで、あの祠が祀っていた女神がラミアであることは、村人達も信じてくれるだろう。
――しかし。
「だったらなおさら、祠を壊して魔物の庇護から出るべきじゃ……!」
そう。今やりたい事は、『祠の女神の正体の証明』ではなく、『祠の取り壊しの中止』だ。
正体が魔物である事の証明は、村人に祠の取り壊しを推奨する様なものだ。
誰も、自ら好き好んで異端にはなりたくないのだから。
「創設以降、隣国の進行が無いのはなぜでしょうか。ラルグ王は隣国と和平を結んだわけではありません。これは、森の守り神の噂が隣国に広がり、『国境に魔物アリ』と伝わっているからではございませんか? 祠を壊せば、噂はいずれ隣国に届くでしょう。今はもう、武具の扱いなどそぞろな我々が、守り神なく、この地を死守できるでしょうか?」
「それは……でも、その庇護が教会になれば、同じ事じゃ……」
「それに、今まで一度も隣国の進行は無かったし、わざわざ魔物に護ってもらわなくたって……」
「そうだよ……! それが教会の保護に変わるんだろ? むしろ問題は無くなるはずだ」
今はもう、ディヨンは砦ではなくただの村だ。戦うための訓練をした者は、村にはほぼいないに等しい。奇襲をかけられればひとたまりもない。
その護衛の役割を担ってくれていた魔物を排除し、変わりに教会に護ってもらおうという訳だ。
なんて恩知らずで身勝手なんだ……とアキラは思った。これが、楽しく暮らしてきた、この村の人たちなのかと、失望すら覚えてしまう。
しかし、あくまでもこれは当たり前の事なのだ。実際、この選択肢を取らなければ、村人は教会に異端として殺されるのだから。
己を含めた百と、異形の一。どちらかを取らなければならないとなれば、必然と百対一に近い構図ができあがる。
しかし、そこにもまた、村人に見えていない部分があった。
「……残念ながら、聖騎士団の加護はあまり期待できないでしょう」
「え!? 教会の庇護下に入るのに、なんで!」
「聖騎士団とは、聖地にいるもの。そして聖地とここは距離があります。もしここが責められた場合、喜び勇んで駆けつけてくれるでしょうか。答えはNOです。我々はあの祠を壊すことで、二〇〇年の盟友の力を奪い、失い、そして隣国の脅威にさらされることになるのです。それでもみなさんは、あの祠を取り壊すのですか?」
「でも……それじゃ教会が……」
村人の何人かがペストロの方をチラチラと見始めた。
祠を壊さない選択を、最早教会は許してはくれないのではという意味だ。
ジャンと村人のやり取りの結末を疑うことなく黙って見ていたペストロは、妖しくなってきた雲行きに、しびれを切らし始めた。
「全く、何を仰っているのですか皆様。そんな迷信を信じ、女神アレナ様の加護を受けないというのですか? そんなこと、許されるはずがありません。よく考えてください? アレナ様はアレナ様に祈るからこそお手を差し伸べになるのです。他の神などおりません!」
いつも通りの言葉遣いではあるが、ペストロの口調に苛立ちが混じる。
祠の取り壊しによる教会の拡張。これ以外の選択肢はペストロにとって失敗となるのだから、祠の保存を容赦するはずがない。ここまで上手く来たというのに、最後の最後でとんだ邪魔が入る。
そしてその苛立ちに混じった小さな綻びに、村人は気づいてしまった。
「え……? 祠の神様は、アレナ様の配下ではないのですか?」
「……っ!!」
『女神アレナこそが』唯一神。教会に身を捧げる身として当たり前の常識。しかし、異教の祠を祀っていた村だから、あえてこれを明言せずにここまで来たものを。
気づいた時には遅かった。すぐさま否定をすればよかったのかもしれないが、「しまった!」という思考が、反応を鈍らせた。
「嘘……なのか?!」
「え……嘘……?」
「司祭様……! まさかおれたちに嘘をついて、祠を壊させようとしたのか……?」
「そんな……!」
その綻びは、次第に村人達に伝染していく。
村人達の糾弾が始まる。その責めに思わずたじろいでしまう。
ええい、弁明するのも面倒くさい。
「黙りなさい田舎者ども! 全く……剣嫌いの腰抜け小僧のせいでとんだ目です。……ああ、そうか。そうです! 少年はラミアに会って、洗脳されてしまったのです! 目を覚まさせてあげてくださいガイムさん。元々剣嫌いの少年です。貴方なら大したことではないでしょう?!」
ペストロが逃げ道を見つけた! という顔でガイムをけしかけた。こうなってしまえばもう、終いだ。
「……はぁ。みっともないぜ? 司祭さんよ」
「みっともないのはどっちだッッ!!」
ペストロが叫ぶ。もう、先ほどまでの温和そうな司祭の顔はない。ただ取り乱す、中年男だ。
「高い給金を払っているのです! 百歩譲って魔物ならまだ仕留められなくてもよしとしましょう。ですが、これぐらいの仕事は果たしていただきたいものですね? 仮にも先のボルドー戦役を生き抜いた傭兵なのでしょう? ここで勝って見せねば、傭兵の名折れではありませんか?」
ペストロの目は、完全にガイムを見下していた。教会と傭兵。雇い主と労働者。その力関係は、覆らないのだから。
金で戦う傭兵が、金に見合う働きをしないというのが、いいはずがない。
今は街を転々とする商人も見ている。ましてや、相手は教会。もし従わなければ、教会の命令に背いたという噂は即座に広まり、簡単に傭兵稼業の廃業に繋がるだろう。
はぁ……と、ガイムは大きなため息をついてから、チキッと、腰の剣に手をかけた。
「悪い……アキラ。俺らも金をもらってやってる信用稼業でね。気は進まねえが、クライアントの意向じゃ、応えないわけにはいかねえんだ」
ガイムは、ギン……! と殺気の籠った目をおれに向ける。「刃で解決してしまえば、それで終わりだ」ガイムの目は、そう物語っていた。
「手合わせ、願えるか」
「……わかりました。よろしくお願いします」
一瞬だけ、柄の前で手が止まる。
大丈夫。相手は傭兵二人のリーダーだ。頼っても、平気なはずだ。
そう思い、背中の剣をスラリと抜く。
もう、迷わない。
その姿は、初めて剣を握った者には決してできない、覚悟の立ち姿だった。