12話 迫る夜
思えば、力の衰えを感じ始めたのは、いつ頃からだっただろうか。
一〇〇年? 一五〇年? 少なくとも、五〇年までは変わらなかったと思う。
初めてそこを訪れたのは、その場所に人間が砦を作り始めた頃だった。
人の姿を失ってから何百年とこの森に住んできたが、それまでは森を通過する者はいても、住もうなんて考えの者はいなかった。
素直に、迷惑だな。と、初めは思った。
しかし、何もしてこないのであれば、自ら争いを仕掛ける必要はない。
もし私を狩ろうなど思うのであれば、腹の足しにしてしまえばいい――そんな風に思っていた。
そんなある日、あの丘の人間ではない者に襲われた。
山の向こうから攻めてきた、彼らと敵対する隣国だった。
なんとか勝利はしたものの、油断し、大けがを追ってしまった。
そのせいか、人間の姿になり、フラフラになりながら彷徨い、まだ作り始めの砦の前まで来て、意識を失った。
次に目が覚めたのが、砦の中でだった。
兵士で紅一点だった女と、一番歳が近く見えた男が、砦の前で瀕死になっていた私の看病をしてくれたらしい。まあ、私は実際は彼らの何倍も生きているのだが。
輪姦される様なら末路は同じと思ったが、そんなことは杞憂だった。
この集団に女は少ないから、むさくるしくてすまないと、二人は言っていた。
ケガがよくなるまで、砦の中で人として生きた。
砦の中は、思っていたより居心地がよかった。
ほどなくして、この若い男と、恋仲になってしまった。
まさか、こんなことになるとは、自分でも驚きであった。
他の連中に報告すると、冷やかしこそされたものの、皆祝福してくれた。
砦も半分ほどできたころ、敵国が攻め込もうとしていると人間たちが騒いでいた。
まだ砦は不十分。人数も武器も、とても太刀打ちできる数はない。
このままでは、全滅は免れない。
だから、私は彼らに告げた。
「私は、この森を守る、土地の魔物である。私を愛し、私の愛したあなた方を、敵から護ってみせる。二度と会うことはないだろうが、願わくば祠を作り、祈りをささげてほしい。皆の祈りが、私の力になる。皆が祈り続けてくれれば、私は、皆を護る力を失わずに済むから――」
懐かしい、過去の記憶。
隣国の部隊を蹴散らした後は、ずっと森で暮らしていた。
その後も何度か隣国の兵隊と思われる者の進行はあったものの、油断さえしなければ、自分の敵ではなかった。
私の噂が隣国に広がったのか、次第に敵の進行もなくなり、それからはずっと平和だった。
砦はいつからか村へと姿を変え、祠からの祈りもしっかりと届いていた。
それがさっき、急に力を吸い取られるような感覚で、絶叫した。
痛みと共に、寂しさを感じた。
何が起こったのか、村に確かめに行こうと森を進んでいる途中で、村の方から来た傭兵に、襲われた。
何度か相手にした、隣の敵国ではなく、護ってきた村の民から、刃を向けられたんだとすぐに悟った。
信じられるはずがなかった。信じたくなどなかった。
だから、振り払おうとした。
愛し、護った村の人間を、殺す気にはなれなかった。
彼らは、何かをしきりに話していたが、全く聞き取れなかった――。
◇
上半身におれの一撃を喰らったラミアは、悲鳴と共に光を放ったかと思うと、その姿は美しい女性へと変わり、その場に崩れる様に倒れた。
この姿こそが、異形となる前――ラミアがもともと人であったということを、その場の全員が直観した。
彼女は今、意識を失い倒れている。
おれが放った一閃が、ラミアのチューブトップも切り裂いたので、ゴンゾの上着をかけてある。四月とはいえ森の中で上裸は流石にキツいのか、ゴンゾはさぶいぼを立てて静かに震えているが、きっと大丈夫。彼は熊のように屈強な男だ。うん。
こうしてみると、面影こそあるものの、あんなに恐ろしい見た目の魔物だとは、到底思えない。
「ねえ……アキラ……。本当にこの人が……ラミアが、あの祠の神様なの……?」
「ああ……本当だ。今日俺がユイの家で探してた羊皮紙。それが村の歴史書だったんだ。そこに、このラミアの事も書いてあった」
ユイは倒れたラミアを見つめ、切なそうにおれに聞いた。
「……大丈夫……だよね……? このヒト……死んでないよね……?」
「それは大丈夫じゃろう。あの一撃は、まごうことなく主の想いが乗ったものじゃったしの」
それに答えたのは精霊少女だった。相変わらず、呑気な口調である。
「私たちは、なんて酷いことを……」
ユイは悲しそうにラミアの手を頬に沿える。
この魔物は、長年村中で崇めてきた神様である。そして、村を護ってくれていた、恩人でもある。
それを村人は、長い歴史の中で忘れてしまっただけでなく、教会の加護というものに目が眩み、迷う事もなく、見捨てようとした。
ユイは、村人として、この事実をまだ心のどこかで受け入れることを恐れているのかもしれない。
しかしおれには、この魔物も村の住人であると、覚悟しようとしているのがわかった。
「おい嬢ちゃん。いつ目覚めるかわからん。そんなに近づいたらあぶねえぞ」
「大丈夫じゃよ~たぶん。人の姿になったって事は、その姿を変えていた魔力がなくなったって事じゃ。すぐにはあの姿には戻れんじゃろ。それに、主の刃は確かに届いた。もう暴れることもなかろう」
注意するガイムに、精霊少女が言った。人間ではないからなのか、この精霊だけは、どうも緊張感が違う。
「全く……お前といいヘビ女神と言い、どうなってんだよこの村は」
「本当に。昨日までは、祭りを楽しんで、終わると思っていたのに」
やれやれとした態度のガイムの言葉に、おれは苦笑いしながら応えた。
「さて……。そろそろ、行きます」
おれは、柄に戻し背負い直した剣のホルダーを、ギュッと握った。
行先は、ディヨン村。
今度は、村人とペストロ司祭を説得し、祠の取り壊しを中止させなければならない。
ある意味、ラミアを直接殺すことを止めさせるよりも、難しく思える。
「アキラ。一つ確認だ。奴は……ペストロは、きっとあの祠の神がこのラミアだって知っていたぞ。だがそれを、村人には伝えなかった。知らなかったとはいえ、悪魔崇拝者だったと罪悪感を与えるよりも、知らないまま忘れさせようとした。お前がしようとしていることは、それを台無しにする行為だ。その覚悟は、できているんだな?」
ガイムが問う。
それでも、やらなければ。そう、決めてしまったのだから。
おれはまっすぐな眼差しで、「はい」と、ガイムに頷いて見せた。
「……そうか。そういう馬鹿は嫌いじゃねェ。俺も一緒に行ってやるよ。こういうのは大人がいた方がいい」
いくら村人だとはいえ、十六の子供の話など、どれだけの大人がまともに取り合ってくれるか、わかったもんじゃない。
ガイムが行けば大丈夫という保証はないが、それでも、黙って行かせることができない程度には、ガイムはおれに興味を持っていた。
「ゴンゾ! キール! 残って嬢ちゃんについててやれ!! この神さんはもう大丈夫だろうが、さすがに嬢ちゃん一人を森に置いてく訳にはいかねえからな!」
「あいよボス!」
「ボスっていうな!」
「ガイムさん……ありがとう」
「フン。無事取り壊しが中止になったら、改めて言ってくれ」
そしておれたちは村に向かって走り出した。少し後ろを、精霊少女がフヨフヨと飛んでいる。
「悪いな。ラミアを倒さなくて」
「ん~? ん~大丈夫じゃよ~。妾はの、主に|戦う運命≪・・・・≫と言っただけじゃ。殺めることが絶対というわけではないのじゃよ」
「あ、そう……」
やっぱり、呑気なんだよなコイツ。まあ、それでいいならいいけどさ。そもそも人じゃない存在なんだし、感性が違うのかもしれない。
あのラミアの状態を見るに、まだ取り壊しが再開されたとは考えにくい。
でも畑や家畜を見に行った村人たちもとっくに広場に戻っている頃だろうから、いつしびれを切らしたペストロが、祠の取り壊しを再開させるかわからない。
急がなければ。
間もなく夕刻。
村の未来を揺るがす決断の時が、迫っている――。