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01話 雨の記憶

 人知れず人を護っていた者が、その存在を忘れられ嘆き怒ることを、誰が責められようか。


 目の前の存在が絶叫する。


 それは辛そうで、悲しそうで。

 まるでおれに、自身(・・)を訴えかけるような、そんな声だった。

 おれは、この叫びに応えなければならない。

 それが、自分が取りたいと思ってしまった、選択なのだから――。


 鬱蒼とした森の奥、暗がりにそびえるソレ(・・)は、おれの倍はある高さから鋭い視線を見下ろしている。

 肩を開き、天に向けた両掌の指先から伸びる長い爪が、暗がりの中でもはっきりとわかる。

 それは今まで、数多の命を奪ってきたことを物語るかの様だ。


 こんなのが実在するとは夢にも思っていなかった。

 足がすくむ。逃げ出したい、逃げた方がいいと本能に危険を訴えかける。

 黄色く光り縦に走る瞳孔が、こちらの指先の動き一つ、見逃さないと語る。目を、そらすことができない。

 なにより、どうにかしなければ、育った村は無事ではすまない。

 人は無力で、平凡。狩られる側になれば、こんなにも――。


「大丈夫じゃ。お主は(わらわ)に選ばれし者。そうそう簡単にはやられはせん。……たぶん」

「……イマなんか最後に付け足さなかった?」

「はて? 何の事かのう?」


 すぐ横で、精霊の少女がニヨニヨしている。

 わかっている。精一杯の現実逃避だ。

 そんなことよりも目前の存在だ。少なくともおれの常識では、魔物(こんなの)は英雄伝説や伝承の中だけにしかいない、曖昧な生物だった。

 対抗策として物語ではよく登場する、魔法なんてものは使えない。というか、存在を知らない。

 いま与えられている武器は、あくまで(つるぎ)一本。ただそれだけで、頑張らなければならない。

 加えて、ただ倒せばいい訳ではなくなっている。

 頬に、一筋の冷や汗が伝った。


「人間相手なら、幾度か死線もくぐったんだけどなぁ……」


 震えた声で、ポツリと言葉が漏れる。

 先の内乱で英雄となった部隊に混じり、剣を振るった小さな子供。それが、自分である。

 今はもうないその部隊だが、その功績は国中が知っている。

 しかしそれはあくまで、内乱の話。つまりは、対人である。

 こんなバケモノ相手にしてまで、英雄たるかは全くの別問題だ。

 それでも。


「やるしか……ねぇ」

「そうじゃのう。せっかく(わらわ)を手にしたのじゃ。存分に振るうがよい」


 友を。村を。仲間を。そして、目の前の存在を。

 護るために、おれは剣を強く握りなおす。剣の柄が、「ギュ……」と、音を立てる。

 不器用な深呼吸をし、おれは、だん! と、その一歩を踏み込んだ。


 ――その世界も、神も悪魔も合い見えることはいない。それが常識であった。

 違うといえば、それらは彼らの妄想に確実に存在し、本気で信じていた。

 民は不便ながらもその日を生き、神の恵みに感謝して過ごす。

 それらが、常識よりも遥かに身近に存在しているとも知らずに――。



 ◇



 雨。


 それはまるでこの町の惨状を代弁する様に隙間なく降りそそぐ。

 道のいたるところには、机や樽が転がり、その大半が返され破壊されている。

 普段であれば、買い物帰りの奥様が談笑していたであろう石畳の道は、変わりに鎧を着た人が点々と倒れ、大半が物言わぬ屍へと変わっていた。


 市街戦の跡。


 王国と反乱軍が対峙したその内乱は、数多の物言わぬ肉塊を作り上げ、王国の勝利で幕を閉じた。

 大勢が友や恋人、家族を失い悲しみにくれた。

 あるいは旧知の友と刃を交えることになった者もいた。

 この少年アキラも、その一人だった。

 血こそ繋がっていないものの、日々を過ごし、共に笑った友を、アキラは斬った。

 飢餓が酷い地方出身だったその友は、反乱軍に付き、敵となった。


 彼も、アキラと戦うのをためらったことは、一太刀交えた瞬間に理解した。

 できれば、戦いたくなかった。冗談だと言って欲しかった。

 でも、どうにもならなかった。

 彼のその刃には、故郷を護るという、想いがあったのだから。


 小さな腕の中でこと切れた彼は、心から穏やかな微笑みを浮かべている。

 齢一〇の少年は、その遺体に覆いかぶさり大声で泣きわめいた。

 ただ、みんなに褒められたかっただけ。

 おれだって役に立てるんだぞって、言いたかっただけ。

 まさかそれが、家族同然だった友を斬る事になるとは、夢にも思わずに。


 降り注ぐ冷たい雫が、遺体の温度を急速に奪い、少年に現実を突きつける。

 激しさを増す雨音が、少年の壊れそうな慟哭を、無情にかき消す。

 戦争の犠牲。自らの行為の代償。

 かつて家族の様に慕っていた友の、変わり果てた姿。

 齢一〇にして剣術の才ありと謳われた少年は、友の血で染まり。剣を握る重さを、初めて理解した――。



 ◇



「っはぁ……ッ!? 夢……か」


 ラルグ歴二二二年四月。

 目を開けると、そこは森の中だった。

 川はせせらぎ、風が木の葉を揺らす森の音が聞こえる。

 どうやら森の音で安らいだのか、いつの間にか居眠りしてしまったようだ。

 日当たりのよい岩の上で寝てしまったからか、身体は汗ばみ、呼吸は荒く、右手は震えている。


「クソッ……また……!」


 忘れられない、過去の記憶。六年も前に経験した、悲しい思い出。もう十六にもなったというのに、今もその感触が手から離れない。

 あたりに血など流れていないのに、鼻の奥で、血の臭いを感じ取る。

 自らの手で殺めた、家族の様に慕っていた人。

 おれは落ち着こうと左手で目を覆い、深く息を吸い込む。

 泣きそうで吐きそうだった感情が、だんだんと、静まっていく。

 改めて、自分が今ここにいる経緯を思い出す。

 感覚からなんとなくの時間を察知する。十五時頃だろうか? 確か、森に山菜取りにきて――。

 その答えは、頭が思い出す前に、背後から判明することになった。


「アキラ~~……ぁ?」


 あ。マズい。


「よ、ようユイ……さん。水浴びは終わった……です……か……?」

「ええ、おかげさまで」


 それは真夏を真冬に変えるかの様な、冷たい声だった。

 まだ寝起きだった頭は一瞬で冴えわたり、川の水が跳ね込んだかと錯覚を憶える程の寒気が背筋を走る。

 日当たりのよかった岩の上を、人影が覆う。

 せっかく引いてきた汗が、再びジワりと滲む。

 声は十二分に聞き覚えがあったし、他の誰でもないこともわかっていた。

 しかし、だからこその恐怖である。首は硬直し、限界まで横に動いた眼球とは裏腹に、回ろうとしない。


 怖い。座った自分の背後に、冷徹にして冷血な声の主が立っている。

 恐い。振り返って返事をする勇気がない。

 辛い。川のせせらぎや、木の葉の音が、静かな爆音に代わる。

 そこには最早、安らぎの色はなかった。


「見張っててって言ったじゃない! うら若き乙女が水浴びしているところを誰かに見られたらどうするの!?」

「申し訳ございませんッッ!!」


 状況が寝起きからお説教に変わるまでは一瞬だった。

 おれは恐怖の中、勇気を振り絞って一つの行動をとった。

 自ら視界を足元の岩で埋め、両の手を額の前で揃え、指先に力を入れ、美しくそして誠実に。膝を折り、自分の腰よりも頭を下げ、低く、低く。額で岩の冷たさを感じて。


 そう。土下座である――。


「覗いてはいません!!」

「当たり前っっっ!!」


 岩の上で亀のようにうずくまるおれを、仁王立ちで攻め立てる声の主。名前はユイ。

 恐怖の魔王……ではなく、同じ村に暮らす同い年の少女だ。

 気のせいか、そのうら若き乙女ユイさんの周囲の空気が揺らいだ様に見える。

 水浴びして湿っていた身体が、彼女の背後に見える怒りの炎により、蒸気を発生させたのかもしれない。


 いや、まてよ?


 目の前数センチとなった岩のくぼみに生えた苔と、おれは相談を始めた。

 そもそも、だ。

 ここはラルグ王国南西、ディヨン村郊外の森。自慢じゃないが王都からも遠いド田舎だ。

 外来の人など滅多になく、人々は仕事のために毎日決まった行動をしている。

 歳の近しい者などいないし、悪ガキは流石に森の中までは親とでなければ来れはしない。

 誰かがワザワザ覗きに来るとは、まず考えにくいよなぁ。


 週に一度、酒場の手伝いで山菜取りに来るのがおれたちの週課となっているが、実際人はおろか獣にすら滅多に会うことはない。

 見張りとか、正直必要か疑問に思うところなのだ。

 そして何より、毎度ユイは自分だけ水浴びするのである。

 さすがに一緒にとは言わないが、交代でおれも入らせてくれてもいいじゃないか。

 それなのにユイときたら自分が出たら「さ! 行こっか!」である。勝手すぎだと思うだろう? 苔よ。

 そりゃあ、歳も一六にまでなれば、胸もなかなか大きくなっていらっしゃいましたし? 身体つきが女性らしくなられたのはイイと思……事実ですけれども。だからってこの扱いはヒド――。


「……少しくらい、覗くとか、興味あっても……」

「え? 何か言った?」


 アキラが頭を下に向け、お苔様に向かってひたすら脳内で語りかけている間に、何かとても重要なセリフを聞き漏らした。

 聞き直そうと思わず顔を上げる。

 これが更なる幸いであった。いや不幸であった。

 おれの眼前には見えそう(・・)なスカートの中という、神秘の景色が広がっていた。


「顔上げるなっ!!」

「へぶっ」


 危険を察知した時には既に遅く、おれは靴越しのユイの足を頭部で感じ、お苔様にキスする羽目になった。



 数分後――。


「ほらアキラいくよ! 急がないと暗くなっちゃう!」


 少し陽も傾いた頃、やっと怒りをお沈めくださったおユイ様は、どこかで拾った枝を頭上でぶんぶん振りつつアキラの前方を足早に歩いていた。

 アキラは、「水浴びとお説教のせいじゃ……」という喉元まで押し寄せた言葉を、舌の付け根辺りで必死に食い止めていた。


「また、昔の夢見たの?」


 ユイは前を向いたまま、ぽつりと聞いた。おれは何も言わず、視線だけを下に落とす。

 あの夢は、初めて見たものではない。たびたび見る、悪夢。仲間を殺した、過去の自分。忘れたくとも忘れられない、許されない咎。


「ねえ、アキラ……? アキラが村に来るまでに何があったかは知らないけど、この村は平和でしょ?」

「……ああ」


 消え入りそうな声で答える。

 わかっている。ユイを筆頭に、村の人たちはみんな優しい。

 子供だったとはいえ、よそ者である自分を受け入れてくれたし、争い事もない。

 戦争はもう、終わった事なんだ。


「……ゆっくり、癒していけばいいよ」

「…………ああ。ごめん」


 感情のない、返事をしてしまう。

 言えるはずがない。自分は仲間殺しの罪人だなんて。もしかしたら、おそらくは。戦争だったから仕方ないって、言ってくれるかもしれない。でも、そうじゃなかった時、おれはきっと、耐えられそうにない。

 村のみんなも、おれに優しくしてくれる。

 それでも、この心の枷を外していいとは思えない。


「っ!?」

「あ痛ッ!」


 ユイの優しい言葉に返事ができないでいると、突然ユイが立ち止まった。

 急な事で、ぶつかってしまう。


「ど、どした急に?」


 すると、ユイは震えた手でおれの腕にしがみつき、ギギギと音がしそうな運びで草むらの方に首をやり、見開いた目で指をさす。


「へ……へ……ヘビ……ヘビ……!」

「ああ……なんだヘビか……」


 ユイが指す先を見てみれば、六〇センチ程度のヘビが、地面を這っていた。

 この辺りではまあ稀に見る種類のヘビで、毒のある種類じゃないし、別に気が立っている様でもない。普通に避けて歩くらいなら問題はなさそうだ。


「あれくらい、別にどうってこと――」

「やああ! 早くどっかやって!!」

「いや、あれ毒ないヤツだぞ?」

「いいの! ヤなの! はやく!」


 ユイはお構いなしに取り乱し、腕を押しつぶすかの如く目を×にして力いっぱいしがみ付いている。

 おれは態度でめんどくさいと語りながら、ユイが指し棒に使った枝切れを左手でもぎ取った。


「……ヘビってのは神様の化身なんだぞ? 脱皮して新しい体になって、永遠を生きるって、聞いたことあるだろ?」

「そうじゃないの! ヤなものはヤなの……!!」


 なんて言いながらヘビをひょひょいと絡め、枝切れごと茂みの向こうに放り投げる。

 ユイが右手にしがみついているから、ちょっとやりにくかった。

 ユイはむくれながら、やっと腕を解放してくれた。毒がなかろうが神様の化身であろうが、頭でそう思ったところで、恐いものは恐いのである。


「さ、急ごう。そろそろ急がないと陽が落ちちまう」

「…………ん」


 そう言って、二人は先を急いだ。

 二人にとっての現実がガラリと変わる、その前日の事だった。


 ちなみに、その数歩後、ヘビをどかすのをもうちょっと粘って、右腕の感触をもう少し堪能すればよかったと後悔したのは、ユイには秘密である。


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