冴えない大学生が紹介された女の子は仲の悪いライバルでした。
大学生の相坂陽斗は近頃こんなことを呟いてきた。
「あ~あ、せっかくの華の大学生活だっていうのに、素敵な女の子の一人にも巡り会えないなんてな」
魅力的な異性を見つけることは簡単かもしれない。でも恋愛にまで進展するほどに深く付き合っていくのはとても難しい。
相坂はスマホのトークアプリの画面を開く。友達の数累計百数十人。しかしこの中で本当に親しい人間なんて一握りだし、まして異性ならなおさら厳しい。
知らぬ間に誰とでも仲良くなってしまえるような人種を羨みながら、彼はスマホをそっとポケットにしまう。
こんなにも人通りの多い街で、寂しい思いを抱くのはどうしてだろう。
おぼろ月の映える一夜を彼は一人で明かした。
明くる日、彼はたまたま思い立って、親友の羽田に電話していた。
「たまには飯でも食いに行かないか?」
「ああ、この前バイト代も入ったし、丁度良いよ」
まだ新しいはずの電灯は一瞬だけチラついて、不安定な光を周りに散らしている。
孤独なカラスは闇夜に紛れて飛び去っていった。
その夜の食事の席で彼は言った。
「いやー、やっぱり彼女は欲しいよなあ……大学生なんだし」
「なんだ、珍しい。お前はそういうことを口にするタイプでもないだろう」
「酔っているじゃないかな」
「何を言っているんだ、ソフトドリンクしか飲んでない癖に」
「まあたまには俺だってそういう気分になる、いや、実のところ夜はしょっちゅうそう思ってる」
「……紹介しようか?」
「え、本当に!?」
「友達に紹介できる女の知り合い」って一体どういうポジションなのだろうかと相坂は思う。そういう距離感は、なんだか恋愛的なしがらみもなく、素敵だなという風に少し感じた。
「ああ、今ならなんと無料サービスだ」
「それはテンション上がるね、是非お願いするよ」
「なに、俺は機会を提供するだけだからな、後はお前がなんとかするんだぞ」
「……そうだな、頑張るよ、それでどういう子なんだ……?」
相坂はその女の子の脚色気味の特徴をいくつか聞いて、捕らぬ狸の皮算用のごとく、満足げな表情で家に帰っていた。その日は彼のおごりだった。
ある夜、相坂は指定された場所へと向かった。
連絡は例の中継人を通して行われて、相坂はより一層自分の妄想を膨らませていた。
「黒髪ロングで少し長身、スレンダーな外見で何を着ても似合う体でありながら、飾らない格好をしていて、一見地味だけど相手を立ててくれる大和撫子で……」
一度脚色されたその女性の情報に、相坂はさらに妄想を上塗りしていた。
春物のコートというのは、冬物のように服に身をうずめるような感覚でもなく、何も上着を着ない手持ち無沙汰とも違い、ほどよく自分を包み込んでくれるような心地よさがあった。
コートは夜の冷たい空気からたった一人のこの身を守ってくれる。
いつも側で自分を温めてくれる。
こんな人付き合いができたらいいのに、と彼は思った。
並木通りの夜桜は、妖しい電灯の光を受けて、石畳の上で美しく輝いていた。
広い道路にしばしば通る車のヘッドライトに、自分の身が照らされるのを感じる。
通りの店は夕食時とあって、活気が途絶えることもなく、たくさんの人が夜の語らいをしていた。
それでも自分が会いたいのは、そのたくさんのうちのたった一人だ。
――
明るいネオンに照らされながら歩く一人の女がいた。
集合場所になっている中心街の一際大きな桜の下に、彼女は目線を合わせた。
春物のコートを着た長身の男が、暗闇に光る妖しい光の下で、明後日の方向をキョロキョロしていた。
きっと誰かを探しているのだろう。恐らく私だ。どうやって声をかけようか、緊張してしまう。
彼女が歩いているのと同じ方向に、春にしては冷たい夜風が吹いた。その風は相坂の背中に吹き付ける。驚いた相坂は彼女がいる後ろの方角を振り向いた。
丁度電灯二つ分の距離に彼らはいた。光を直に受けたお互いの姿を見る。
相坂は真っ先に口を開いた。
「ああ!?お前は……」
「え、もしかして……」
「真花?」
「陽斗?」
腐れ縁の二人はお互いの顔をじっと見つめた。
地味な髪型をした、女の癖にのっぽで不健康そうな細身の、たいしておしゃれでもなくわがままながめつい女の、新見真花が、相坂の目の前に現れた。
――
「女の子に会ったら『羽田の紹介で……』って言ってくれよ」
「その子の名前は何だ?」
「名前の交換も重要なコミュニケーションの一つだ、分かってないなお前は」
「はぁ……そういうもんなのか」
恋愛経験に乏しい相坂は羽田の意見に易々と口出しできなかった。
――
「で、柄にもなく彼氏探しでもしてるわけ?」
「あんただってそうでしょうが、自分を棚に上げて」
無駄に早足で通りを歩きつつ二人は言葉のドッジボールをする。
「あーあ、折角素敵な男に巡り会えるかと思ったら、まさか陽斗とはねぇ……」
「俺だってまさかお前が来るとは思わなかったよ」
新見真花の方が歩く速度が速かった。相坂はやたら足に力を入れながら頑張って歩く真花を見て、
「なんだか滑稽だな」
と言った。
「なに、今なんか言った?」
ひたすら歩いていた真花が突然立ち止まって振り向く。
「いいえ、なんでもこざいません」
おどけた表情で相坂が答える。
「それで、随分なスピードでどこかに向かっているようだけど、どこに行くつもりなの?」
「知らない」
真花は一層速く歩いている。
少し路地に入ったのが好都合だったか、真花は相坂と並んで歩く必要がなくなり、堂々と相坂から逃れるようにして早歩きをしている。
長身の相坂はちょっと意識すればすぐに追いついてしまうのだが。
相坂は真花のこの姿を少し愛らしく感じた。背中だけなら見ても不快ではない。
「素直になれよ」
「へっ!?」
真花は足を止めて振り向いた。
途端、真花の頭の中では妄想劇場が繰り広げられた。
――
「冷たい言葉で取り繕っても無駄だよ、態度に出てるんだから」
「えっ、そんな……」
「真花に一番寄り添ってきたのは誰だい?」
「えっと、その……」
真花は相坂を伺うように上目遣いをする。
「口で言ってくれなきゃ、分からないな」
「そ、それじゃあ、あなた」
相坂から目を逸らしながら、頬を赤くした真花が言う。
「名前で言ってくれよ、いつもみたいにさ」
「いつもみたいに」と言われて、今までの相坂との関係に別の色の光があたる。いつも陽斗に冷たくしていた私は、本当は一番近い距離に……
「は、陽斗……」
「よくできました」
陽斗は優しく髪の毛を撫でる。
「あっ……」
「あんまりやりすぎると、綺麗な髪が崩れちゃうからね、それじゃあ行こうか」
「う、うん」
「今日はデートの約束だろ?」
「陽斗……」
――
「大体どこの店に行くのかくらい教えてくれよな、ほんと、素直じゃないんだから」
「へっ!?」
真花は現実の世界に引き戻された。妄想のせいで、憎い相坂がいつもと違ったように見えてしまう。これだから夜はいけない。
「どうした、そんな子犬みたいな反応して。デートだからって意気込んで店決めてたんじゃないのか?それも男の方に任せず自分で」
「いやぁ……」
図星だった。真花は自分で行く店を決めていたのだった。そして期せずして相坂と待ち合わせをすることになった後も、真花はその時の意気込みそのまま、店へと向かおうとしてしまった。
「ほら、笑わないから言ってみなよ」
「……フレンチの店」
妄想の罪悪感のせいか、真花はやけに素直になっていた。
数秒場が固まる。狭い歩道を二人の向こう側から歩いてきた人が、怪訝そうに二人を眺めながらすれ違っていった。
「ぷっ」
相坂は思わず失笑した。おまけに口に手まで当てている。
「ちょっと、今笑ったでしょ」
「だって、真花にフレンチとか柄に合わなすぎて……ごめん我慢できない」
相坂はついに腹を抱えて笑いだした。
失礼な奴。真花は蹴りを入れてやろうかとさえ思う。だがそれはじっとこらえた。なんだか恥ずかしさをごまかしているようで、かえってみっともなかったから。
「よっぽど俺とのデートが楽しみだったんだねぇ、ははははは、嬉しいねぇ」
「……別にこれでいいけど」
真花は彼が大声で笑っている間、そっと呟いた。
「うわ、本当に立派な店だ」
ビルの上の階にある店内に入った相坂は言った。
真っ白なクロスが引かれた丸テーブルの上に、やたら豪華なシャンデリアまである。天井は予想の倍くらい高かった。
「これ、予約とか必要なんじゃないの?」
「し、してたわよ!悪い!?」
「こらこら、静かにね」
「随分と気合が入っているようで」
相坂は内心真花の行動を可愛らしいと思っていた。
好きな子に意地悪をしたくなる童心に帰っていた。
「こんなみすぼらしい服で来て大丈夫だったのかな」
案内された席に着いて、コートを脱いだ相坂が言う。
「なんだ、十分決まってるじゃない」
カジュアルな服を着た相坂を見て真花が思わず声を漏らす。
相坂の耳には確かにその声が聞こえていたが、何も口に出すことはできなかった。
どうしてだろうか、いつもと何かが違う。
「決まっている」と思わず発してしまった後、真花は心の中で後悔した。
「フォーマルかどうかの話をしているのに、私はなんてこっ恥ずかしいこと口にしてるの!?」
「この店はカジュアルな服でも大丈夫」と真花は伝えようとしていたが、伝えそびれてしまった。
窓からは凄まじいほどの夜景が見える。二人共この辺りはそこまで都会だと思っていなかったが、意外な高層ビルの多さに改めて驚く。
白色系の光が街を彩っている。道行く人がごく小さく見える。
彼らの席は窓際だった。意識すればするほど、自分たちがものすごい場所にいることに気付いていく。
「ナイフとフォークがいっぱい並んでるね」
「外側から順に取るやつだね」
料理が運ばれ始めた。ナイフとフォークが皿にあたる音が、不快にならない程度に響いていて、小気味良い。
「なんだか、本当にデートみたいね」
できるだけクールに装いながら、それでもうっとりとした表情を真花は隠しきれていない。
「そうだね」
ワインを飲んでいるわけでもないのに、酔いが回ったかのように相坂は言う。彼もまた、この場の雰囲気に呑まれていった。
前にいる女性が誰だか分からなくなる。白いレースのブラウスが、真花を天使のような純白に包んでいる。
相坂は女性との新しい出会いを求めてこの場をセットしたのだった。
これは新しくはない。
だが、今までの二人の腐れ縁は、この瞬間のためにひたすら温められてきたかのように思える……
薄暗い店内で、目の前の女の姿だけがやたらと輝いて見える。
愛らしくも今日のことを楽しみに待っていた真花。
――その心が自分のもとに向くのなら、どんなに素敵なことなのだろう……
相坂は妙に胸が苦しく感じた。
食事は時に話しかけることが許されない時間を作り出す。
その時間が過ぎるのを待っているのがとてももどかしかった。
かといって、話しかけられるチャンスが巡ってきても、相坂はその勇気を出すことができない。
もどかしい気持ちを一人で抱え込むしかなかった。目の前に腹心の悪友がいながら。
大体本当に相手のことが嫌いだったら、相手がデート相手だと分かった瞬間にどこかに逃げ去ってしまうものだ。
実際には彼らは、二人でいることに安心していた。
恋を無理やりに作り出すのは、エネルギーが必要なことだ。けれども彼(彼女)が相手なら、もっと気楽だから……
だがその気楽さはいつの間にか激情へと変容していた。
「真花」「陽斗」
二人の声が偶然重なった。
「あ、いや、どうぞ」
「そちらこそ」
ここは男らしく……と相坂が意気込む。
「い、いや、その、意外と楽しいかなあって」
「かなあって何よ」
真花が少しだけ声を抑えながらもいつものように笑った。
いつも通り笑う真花を見て、相坂は少しだけ緊張が緩んだ。
それでもいつもと全く同じようには、真花の笑顔を見られなかった。そこには特別な意味がどうしても入り込んでしまった。
「あのさ」
少しだけうつむきながら相坂が言う。
「は、はい!」
真花は反射的に背をピンとのばしていた。
「そ、そんな身構えられるとこっちが……」
「いつも通りにやろうよ、いつも通りに」
自分の中の気持ちがもういつも通りでないことを承知で、相坂はそう投げかけた。
「いつも通り……」
真花は思い出した。
中学の頃から知り合いだった相坂。
勉強でもなんでもやたらと勝負を私に挑んてきて、だんだんとライバルみたいな関係になっていった。
そのせいだろうか、別に狙ったわけでもないのに、気付けば同じ高校、同じ大学と進んでいった。
あいつが高校の頃に彼女に振られた時は、どういう経緯か詳しくは覚えていないが、私にもその情報を伝えてきた。
私はあの時、全力であいつを笑い飛ばしてやった。
「やった」?
……そっか、私はあの時本当にあいつを馬鹿にしたわけじゃなかったのかもしれない。
――あの笑いは、私なりの気遣いだったように、今になって思える。
「勝負をしようよ」
「え?」
「勝負、ルールは簡単。僕が考えているものを当てられたら君の勝ち、当てられなかったら君の負け」
「陽斗は『いつも』そうだよね」
真花は屈託なく笑っていた。
「それじゃあ」
「うまく言えないかもしれないけど……」
「ヒントが下手だと私に勝ち目がないじゃない」
相坂は苦笑いをした。
「最善を尽くすよ」
「昔っから一緒にいて、その人のことを良く見てきて、かなり踏み込んだことも言えるような間柄の人に久しぶりに再会すると、なんだか愛おしくてたまらなくなりました」
「これは何でしょう?」
……恋――これは私が思っているだけのことか……
「な、何かな~」
かなり白々しく真花は答える。
「君が負けたら僕は君の前から消えることになるかもね」
そう、こんなことを言って、それでいて以前の関係に戻ろうなんてことは、相坂の虚弱なメンタルではできない。
「ええ、それは嫌だ」
思わず真花は本心を口にする。
――でもこれって、やっぱりそういうことだよね。
「じゃあ答えてよ、解答権は何回でもあげるから」
「こ、こここ」
「こ?」
「恋、かな?」
このまま外の夜闇に溶けて消えてしまいそうなくらい、真花は恥ずかしかった。
ああ、言っちゃったよ。私の勘違いだったらどうしよう。
次に来るのは「正解」の言葉か。「不正解」の言葉か。
一瞬の沈黙を大げさに長く感じてしまう。
「真花、好きだ、付き合ってほしい」
不意打ちだった。
「えっ?」
真花は質問の答えが正解か否か、ということだけを考えていたので、とっさに飛び出した相坂の言葉に対処できなかった。
ゆっくりと時間をかけて、真花は彼の言った言葉を咀嚼する。
気が付けば、真花は陽斗の顔をずっと見つめていた。
「あっ……正解ってことだよね」
「質問に答えて」
いつになく真剣な相坂の表情に真花は少しひるんでしまう。
「えっと……私で良ければ……」
「ぜひ付き合って下さい」
「ていうか私も好きです!!」
照れ隠しだろうか、だんだん真花の発する言葉は早口になっていった。
デザートの味は随分と甘かった。
――
「どうだ、陽斗。昨日はうまくいったか?」
「その前に、どうして真花なんだよ、知っててやったのか?」
「勿論。その調子だと、もしかして不満だったか?」
相坂は一瞬ためらった。本当のところは、この上ないくらいに大満足である。当初は不本意ながら。でもそう直接告げるのはなんだか照れくさかった。
「そうだとも、よりにもよって真花にしなくとも……」
「そうか、不満だったのか……それは申し訳ないことをした」
「別の女の子を今度紹介するから、お詫びといってはなんだが」
「お、おう」
嘘をついてしまった罪悪感で相坂は少し気まずく感じたが、なんとか取り繕えたという安心も感じた。
「ところで……」
「どうしたんだ」
「さっきお前の彼女さんから電話が来たんだが……」
彼は誰にも見えないところで一人頬を赤らめていた。
普段も恋愛小説を書いてはいるのですが、いつも哲学的な話に帰着してしまうので、純然たる恋愛は実はあまり書いていない衣雪です。
練習がてら純粋な恋愛物(だと勝手に自分が思っているもの)を投稿してみましたが、いかがでしたでしょうか。
たった一人にでも楽しんでいただけたなら幸いです。