八話 今日は風が吹いている
八話 今日は風が吹いている
今日の香国は快晴、であったが風が吹くそんな日だった。
風が吹いて、小さな砂埃をあげる。今日は寺子屋の日。風が強い日でもいかなくてはいけない。蘭丸は屋敷の中で準備をしていた。
「いい? 今日は風が強いから飛ばされないように注意しなさい」
「お母さん。僕は風には飛ばないよ」
「怪我でもしたらどうするの?! 気をつけなさい」
青葉に言われてわかった、と言って蘭丸は屋敷を出た。青葉の言う通り、外は風が吹いていた。草木が風で揺れて、時たまに突風が襲う。
蘭丸は風に負けないよう、逆らう形で前へ進む。やっとの思いで寺子屋へ到着すると、寺子屋の屋根が軋む音がしている。だいぶ寺子屋も古い建物で、強風が吹くときしみだす。
蘭丸は席に座ると荷物を置いた。すると隣に誰かが座った。
「おはよ」
「おは・・・、あっ?!」
蘭丸は声を上げた。隣に座ったのは、大衆食堂の娘・雲雀だった。雲雀はさも当たり前のように座ってきたため蘭丸は動揺してしまう。
「蘭丸、おはよっ!」
雲雀は当たり前のように挨拶をした。蘭丸は恐る恐る声をかけた。
「君も同じ寺子屋だったの?!」
「・・・みたいだね! それに、私は君って名前じゃないから! ひ・ば・り!」
「ひ、雲雀・・・」
蘭丸に対して呼び方を指摘すると蘭丸はすぐに言い直す。すると雲雀は満足そうに笑って席に座った。まさか同じ寺子屋だったなど考えもしなかった。世間は狭いな、と七歳ながら蘭丸は思い知った。
今日は計算の勉強。
寺子屋の先生が出した問題を子供達が解くというもの。実は蘭丸、計算が特に苦手で計算の成績は青葉が呆れるほどにひどかった。本人曰く全力は出している。しかし、結果が思うようについていかないのだ。
「蘭丸!」
「何?!」
目の前にある計算問題に必死になっている最中に雲雀が小さい声で蘭丸に話しかける。蘭丸は集中を邪魔されて若干不機嫌になっていたが、それを殺して雲雀に聞いた。
「わかんない」
「僕も・・・」
計算問題に苦労していたのは蘭丸だけではなかった。実は雲雀もそうだった。雲雀は勉強が苦手で読み書きもそこまで得意ではない。
勉強苦手同士が隣になるなど、不運の何物でもない。
結局回答時間が過ぎて、答案は回収された。採点が終わって返された時には絶望的な点数が蘭丸と雲雀の答案に書かれてお互いに絶望に叩き落された。こんなはずじゃなかった、と蘭丸。やっぱりダメか、と雲雀。
似てるようで似てない。
すると先生が子供達の視線を注目させるように手を叩いた。
「計算問題満点の人がいます」
すると、蘭丸と雲雀はびっくりした視線で先生の方を見る。この場合、名前を呼ばれて立つのが定番だ。先生の口からその名前が出るのを待っている。
「都羽。前へ」
「はい」
都羽と呼ばれて立ち上がったのは、蘭丸と雲雀と同じ七歳の少女だった。髪の毛を白い飾り紐で一つに結び、毛先は全部整えられてまっすぐ。黄緑色を基調とした装束を着ていた。答案を渡されて、くるりと振り返る。
いかにもしっかり者で優等生という雰囲気を醸し出している。
「都羽。この調子でもっと勉学に励みなさい」
「はい、ありがとうございます」
都羽は頭を下げて礼を言った。都羽はそのまま自分の席についた。先生はみんなも勉学に励むようにと言葉が付け加えられた。
午後になり、寺子屋が終わった。
子供達はどんどん支度を整えて家へと帰っていく。蘭丸と雲雀はなりゆきで一緒に帰ることになった。
「私友達欲しかったんだ! 蘭丸と朔夜と友達になれてよかった!」
「それで友達って言っていいの?」
「いいの!」
雲雀は蘭丸が少し引くくらいに元気で場を盛り上げるのが得意のようだった。寺子屋を出ようとしたその時、風が吹いた。突風が二人を襲う。足に力を入れて耐え忍んだが、蘭丸の顔に何かが覆いかぶさる。蘭丸はそれを取るとそれは、今日返された答案だった。
その答案の点数は満点。名前の部分を確認する。
李 都羽
蘭丸が固まっていると前方から足音が聞こえて来る。二人の前に現れたのは、都羽だった。都羽は風で答案が飛ばされてそれを追ってここまで来たのである。蘭丸は呼吸を整えている都羽に答案を渡した。
「これ、都羽のだよね?」
「ありがとうございます」
都羽は蘭丸から答案を渡されると敬語で礼を言った。しかしどこかそっけないが。答案を布カバンの中に入れて立ち去ろうとする。するとそれを雲雀が止めた。雲雀は都羽の手首を掴んだ。都羽は驚いて振り返る。
「一人なら一緒に帰らない?」
「え?」
「今日は風強いし、危ないってうちのお母さんが言ってたから。一緒に帰らない?」
都羽は雲雀からの提案に何も返せずポカンとした。雲雀は蘭丸にも同意を得る。半ば強引な同意を得て雲雀は都羽を誘う。
「・・・ごめん」
「?」
「私、急いでるんです。家に帰って勉強しなくちゃいけないので、一緒には帰れません」
都羽はそう言って身を翻し、少し小走りで帰って行った。
丁寧な言葉遣いでやんわりと断った。蘭丸と雲雀はその場で残された。蘭丸はため息をついた。
「あの都羽って子、友達いない感じだな」
「そうなの?」
「あの態度。何事にも勉強勉強って感じ。僕たちとは真反対だよ」
蘭丸がそういうのも無理はない。都羽は蘭丸も雲雀も関わったことがない。都羽の第一印象は最悪なものに見えてしまったに違いない。
蘭丸には最悪なものに写ってしまったが、雲雀は違った。
「私、絶対あの子と友達になる!」
「雲雀。やめとけって」
「大丈夫!」
雲雀は意気揚々と走り出そうとする。すると蘭丸は雲雀を止めて、どうせ探すなら朔夜も連れて行こうと提案する。
蘭丸は人数が多い方が見つかる可能性が上がるからだ。雲雀と蘭丸は一時朔夜を呼ぶため、家の方へ戻って行った。
三十分後。
雲雀は蘭丸と朔夜を連れて町の中をさまよっていた。朔夜も蘭丸と雲雀から事情を聞いて参加してくれることになった。しかし、雲雀の一度会ったら友達という感覚には蘭丸同様朔夜も動揺していた。
三人は都羽の向かったであろう道を辿りながら都羽の足取りを追う。
「ねえ蘭丸。その『とわ』ってどういう子なの?」
「都羽は僕たちと同じ寺子屋に通ってる女の子だよ」
蘭丸が説明する。寺子屋に通っていない朔夜は顔すら見たことのない少女を探すことになる。そして雲雀が朔夜に追加で言った。
「すっごく頭がいいの! 今日の試験でも満点で先生に褒められていたんだから!」
都羽の特徴としてあげられるのは、名前と彼女が寺子屋の中では優等生の位置にいること。成績も良く、満点を連発していること。しかし、子供三人だけで都羽の家に行くことなど無謀に近かった。
「どうする? どうやってその都羽って子を探すの?」
朔夜が聞くと、雲雀は簡単よ! と言って笑った。すると雲雀は早速行動を起こす。それは道行く大人たちに都羽のことを聞き始めた。あのような勇気があるとは思わず、蘭丸と朔夜は雲雀の行動力に驚かされた。
「すいません。都羽っていう女の子知りませんか?」
「とわ? ごめんなさい、知らないわ」
「そうですか。ありがとうございました」
尋ねた人物は空振りだったものの、雲雀は当たり前のように聞き込みをしている。日々大衆食堂を手伝い、お客さんに接客をしているからだろう。七歳とは思えなかった。
雲雀に感化されて蘭丸や朔夜も聞き込みをする。しかし、都羽という名前を出したところでわかる人物はいない。
三人は完全に行き詰まり、立ち往生してしまった。
「このままじゃ先に進めないよ」
「どうしよう」
「さっきまでの自信はどこに消えたんだよ」
三人は考えた。一人の少女を探し出すために考えた。すると、朔夜が「あっ」と声を出した。そして蘭丸と雲雀に聞いた。
「その子の本名は?」
「本名?」
朔夜に言われて二人は思い出す。風で飛ばされた都羽の答案に書かれた彼女の本名を。最初に思い出したのは、蘭丸だった。
「李だ」
「え?」
「都羽の本名は『李都羽』だよ。本名なんか知ってどうするの?」
蘭丸がそう聞くと朔夜は打開策を思いついたと二人に言う。それは何? と聞くと朔夜は思いついた案を話す。
「本名がわかれば、苗字がわかる。もしそれが珍しい苗字だったりして有名人な可能性があるかもしれないよ?」
「そっか」
朔夜は苗字を使って都羽の居場所を探り当てるというものだ。基本的に同じ苗字は一箇所には集まらない。それを利用して探そうというのだ。可能性がゼロに近い三人は藁にもすがる思いで朔夜の案を決行した。
その結果、
「李都羽っていう子、知りませんか?」
「李? ああ、もしかして李先生のところの娘さんかな?」
「え? 李先生?」
何人か聞き込みをした結果、ついに李都羽の苗字で思い当たる人物を見つけた。それは通りすがりの男性だった。三人はその男性からさらに情報を聞き出す。
「李露風先生。この国では知らないものはいない学者さんだよ。確か、李先生には息子と娘が一人ずついて、娘の名前がそんな名前の子だったと思うよ」
重要な情報を三人は掴んだ。その男性から自分たちはその子の友達で、家へ行こうとしていることを伝えると家までの道を教えてくれた。
三人は教えてもらった通りに道を歩いた。歩きながら雲雀は朔夜に言った。
「朔夜すごーい! 朔夜の作戦大成功だよ!」
「僕も上手くいくとは思わなかったけどね」
朔夜は少し照れ笑いをしながら頭をかいた。そして三人は言われた通りに家へ到着した。李露風は香国を代表する学者だ。そのため、邸宅も蘭丸までとはいかないが大きい。三人は門を叩いた。
すると門が開いてお手伝いさんらしき人が出てきて、用件を聞いてきた。すると雲雀が言った。
「李都羽ちゃんいますか? 私たち寺子屋の友達なんです」
「都羽ちゃん? 都羽ちゃんのお友達? とりあえず中へどうぞ」
お手伝いさんは三人を屋敷の中へ招きいれた。屋敷は立派な造りで、蘭丸の屋敷よりは小さい。しかし、お手伝いさんを雇える程の財力があることが想像出来る。お手伝いさんの後ろについていくとある部屋の前で止まった。
「都羽ちゃん。お客様がきてるわよ」
「お客様?」
聞き覚えのある声がして部屋の襖が開いた。すると、都羽の前には蘭丸と雲雀、そして面識のない朔夜が立っていた。驚いている都羽をよそに雲雀が言った。
「来ちゃった! ねえ、都羽。私たちと友達になろうよ!」
「勝手に上がり込んで何言ってるんですか?」
都羽が怒るのも無理はない。勝手に上がりこむことは子供だろうが、常識を脱する行為だからだ。その点に関してはごめんなさい、と雲雀は謝った。
「でも私、都羽のことすごいなーって思うよ。勉強私たちよりできるじゃん! 尊敬しちゃう!」
「話がそれてます」
都羽は雲雀の話を一刀両断していく。今すぐにでも三人に出て行ってもらいたい気持ちが先行してしまっている。
すると蘭丸が雲雀に代わって都羽に話しかけた。
「ずっと一人で帰ってるよね? 寂しくないの?」
「え?」
「同じ寺子屋にいたけど、ほとんどが友達と帰っているのに君だけいつも一人だったこと覚えてる。雲雀の友達になってあげてよ」
蘭丸の言葉が都羽の心にグサッと刺さる。都羽が一番気にしていたことだったからだ。都羽は勉強一筋で生きてきたため、友達などの社会的関わりを全て失ってしまっていた。気づいたらいつも一人だったことを都羽は七歳にして孤独を感じていた。
しかし都羽のなかにあるちっちゃい自尊心がそれを許さない。都羽が断ろうと声を出そうとした瞬間、廊下から足音が聞こえて来る。
「何?! 今の音?!」
「誰かが、こっちに来る!」
雲雀と朔夜が動揺する。これには都羽も顔を強張らせた。
四人は近づいてくる足音に震えながらも、その場から逃げ出すことすらできなくなった。