七話 孫家の一族
七話 孫家の一族
今日の宮中は華やかだった。
国王の龍と王妃の茜が並んでいる。目の前にある広間にて宴が催されていた。きらびやかに着飾った妓女が舞い踊る。その中には夕弦の妻・若葉の姿もある。指先まで洗練された舞を披露し、列席者の目を楽しませた。
若葉は舞を終えると頭を下げて、その場を退場した。
「次だな」
龍がそう言うと、白い装束を身にまとった人物が現れる。すると列席者の会話がなくなり、目線が全てそこへ集中する。頭には金色の冠。目尻に真っ赤な紅。その顔を見れば、誰なのかすぐにわかる。
「夕弦」
夕弦が美しく着飾って登場した。女性と見まごうほどの美しさを醸し出す。彼は雅楽寮の高官にして舞手という二足の草鞋を履く。それに加えて王家の出身ということにも驚かされる。
夕弦は龍の前で頭を下げて口を開く。
「王様。王様の広い御心とご慈悲により、今日も香国は平和でございます。これも王様のお力でございます。この舞をお納めいたします」
夕弦が立ち上がり、ポーズを決める。弦が弾ける音が聞こえてくると、夕弦がゆっくりと踊り出す。すると腰に差していた剣を抜いて、剣舞を披露する。女性ではない、男性だからこそできる豪快でさらに美しさを両立させた舞が披露される。剣の切っ先が光に反射して光る。
夕弦の剣舞が終わると、大きな拍手が聞こえてきた。
「夕弦さまも、若葉さまも素晴らしかったですね」
「そうだな。兄として誇らしいよ」
龍は茜にそう言った。
しかも今日は宮中の大事な行事である。孫家の人々が揃っている。
皇族席に座っている男性たち。
赤の装束に身を包んだ男性がいる。一人静かに盃に入れられた酒を口にする。華やかな宴とは真反対に笑うこともなく、静かだ。
「おい、棕にぃ。なんでそんなに辛気臭い顔してんだよぉ。せっかくの宴なのに、もったいねえな」
「俺はまだ仕事があるんだ。こんな宴にうつつを抜かして仕事に支障が出たら、下手人を取り逃がすぞ、河津」
そんなことねえよ! と笑う。笑っているのは河津。そんな彼と対照的なのが、棕。彼の本名は「孫棕」。十人兄弟の次男に当たる。棕はとても生真面目な性格で、長男の龍からの信頼も厚い。彼は中務省の最高高官をしている。最高高官の中でも一番上の立場を持っている。つまり、中務省を取り仕切る責任者の役職についている。
棕の所属する中務省は、香国に設置されている役所の一つで主な仕事は国王に直接関わる仕事を請け負う。国王が決めた命令の発布や書き取りなど、業務は多岐にわたるためとても忙しい役所だ。
三男の夕弦が所属している雅楽寮のように、中務省にも仕事を専門的に行う機関を有している。それの統括を行うのも棕の仕事だ。
目の前にある豪華な料理に胸を踊っていた。そんな料理ごときで心を踊らせるとは子供か、と棕がめ息をついた。すると河津は盃を煽った。
「俺は仕事柄、粗食で済ませることが多いんだ。だから、こんな美味で豪華な料理など滅多に食わねえ」
「俺はお前がどんな食事をするのに文句はない。だが、もう少し王族としての振る舞いをしろ」
「へいへい」
棕の言い分に河津は返事をした。
宴の席には孫一族だけではなく、多くの来賓が出席していた。来賓者は豪華な料理に胸踊らせ、美味な料理に舌鼓を打っていた。来賓たちの間をすり抜けるように男性たちが駆け巡る。
手には酒だ。
「酒などいかがですか?」
来賓が振り返るとその顔に驚いて身なりをすぐに正す。話しかけてきたその男性は緑色の装束に朝顔の花が刺繍されている。来賓たちが男性に頭を下げた。
「これはこれは、尊さま。尊さま御自ら我々に酒を・・・?」
「国王陛下からの使いです。国王陛下がお授けくださった酒にございます。ご賞味を」
「では、お願いいたします」
来賓たちが盃を差し出す。それに透明の酒をゆっくりと注いでいる。
彼は「孫尊」。十人兄弟の四男に当たる人物だ。彼は東宮坊という場所で東宮学士をしている。時期国王つまり皇太子のことを正式名称で「東宮」と呼んでいるが、東宮坊はその皇太子に仕える部署だ。
中でも尊が任命されている東宮学士は皇太子の教育係を仰せつかっている。尊は勉学が得意であったため、東宮学士という役職に任命されたのだった。
皇子でもあり、東宮学士というのは尊本人は何とも思っていないが、皇子の身でありながら東宮学士になったのは彼が最初で最後になる。
尊の仕事は皇太子に学を身につけさせることが仕事であるため、あまりこのように宴など表に出ることはほとんどない。それは皇子である所以だ。兄弟全員が国王である龍を尊敬しているからこそ、尊も酒注ぎという皇子が絶対にやらないことを快く引き受けることができるのだ。
すると尊の手にあった酒瓶がヒョイと持ち上がる。尊が浮いた酒瓶を目で追うとそこには尊よりも若い男性がいた。
「尊兄上。何をしているんですか?!」
「酒を注いでるだけだが・・・」
「尊兄上は東宮学士でしょ?! 何してるの?!」
尊を兄と呼び、公衆の面前で大きな声を出していた。黄色の装束に一つに結い上げた髪の毛。結い上げた髪の毛には飾り紐が。
「要。怒るなって」
「尊兄上はもう少し自分の立場を察してください! ご来賓の方々へは僕がお注ぎしますから!」
要と呼ばれたその男性に言われて尊は渋々酒瓶を手渡した。
「僕は、尊兄上よりも立場が低いからさ」
「同じぐらいだろ? 俺よりも世間を知っているじゃないか。お前の活躍はちゃんと陛下も知っていると思うぞ。陛下だけじゃない。俺や、それに八雲だってそうだ」
要は静かに笑った。尊はそんな要の横顔を見ながら、自分の席へ戻っていった。
要の本名は「孫要」。十人兄弟の七男。
要は刑部省という役所で仕事をしている。刑部省は主に司法に関する仕事を行っている。司法の管轄だけでなく、国中で発生した事件を大中小関わらず裁判を行っている場所だ。
刑部省は裁判所の顔、刑に服する罪人たちの統率する刑務所の顔、さらには刑の執行の顔の三つの顔を持っている。そんな刑部省での要の立ち位置は副官と裁判官。副官は最高高官の右腕である。簡単に言えば二番目に偉い人ということになる。
要は最高高官の右腕として様々な裁判を裁いてきた裁判官でもある。
そして尊との会話の中で登場した八雲という人物の名前。八雲も十人兄弟の中の一人で要より一つ上の六男だ。彼も要と同じ刑部省に勤め、最高高官と裁判官をしている。今は、重大な裁判があるため欠席になっている。
現在出席にしている孫家の人間は九人中六人が出席している。残りの三人は諸事情で出席していない。
龍が宴の様子を見渡した。どこか懐かしむような眼差しで。それに気づいたのは棕だった。龍に話しかける。
「陛下。どうなされました?」
「いや、なんだか懐かしさを感じてな」
「懐かしさ?」
棕が聞き返す。すると龍は酒を煽り、目を細める。
「もしここに、桃也がいたら・・・どうなっていただろうと思ってな」
龍は今国王ではなく、一人の兄として末弟である桃也を心配していた。桃也が皇籍離脱を行って時間がだいぶ経った。宮廷の掟では手紙のやり取りは許されているものの、桃也が宮廷行事に呼ばれることは一切禁止。桃也は宮廷に戻ることはできない。
龍と棕は長男・次男として弟たちの世話を行ってきた。桃也との思い出はキラキラとして楽しいままで脳裏に焼き付いている。
『りゅうあにうえ! これたべていいの?!』
『ああ。食べなさい。特産品が使われているやつだ。今日だけのご馳走だ』
『わあーい!』
まだ幼い桃也が国王になる前、皇太子だった龍の膝のうえで目の前にある料理に目を輝かせた。ここは宴の席。綺麗に着飾った娘たちが舞い踊る。
『うまいか?』
『おいひい!』
『こら、桃也!』
今度は別の声が聞こえてきた。そこにはまだ若い棕の姿があった。桃也がびっくりして肩をビクッと動かした。
『しゅうあにうえ・・・』
『これは龍兄上の御膳だろ。お前はこっちだ!』
『棕。俺は大丈夫だ。今日は宴なんだから、いいではないか』
『まったく・・・』
棕が懐かしさのあまりため息をつく。
「あの時はまだ桃也は子供でした。桃也は兄上を慕っておいででしたよ」
「お前もだろ? 兄弟全員が桃也を愛していた。そして全員が力を合わせていた。今後もそのような関係が続いていけたらどんなに嬉しいか」
棕はそうですね、とつぶやいた。
「俺は、兄弟同士で血で血を洗うようなことはしたくない。できれば避けたい。俺はとかく脆弱だな」
「兄上。何をおっしゃいますか。兄上のお気持ちは兄弟全員が認めています。兄上はこの国の安寧と平和だけをお考えください。それをお助けするのが、我らの務めだと思っております」
棕がそう言った。すると龍は笑った。なぜ笑うのか、と棕が聞くとすまないと龍は一言。そして口を開いた。
「俺に一番近い部署で最高高官をしているから、一番頼り甲斐があると思ったまでだ」
龍と棕は長男と次男で比較的年齢も近く、今後生まれてくる弟たちの面倒も見てきた。龍が一番頼りにしているのが、棕である。
「まずは、江一族の動きを見極めなければならないな。棕。お前も気をつけろ。江一族の人間がどこにいるか分からない。用心しろ」
「はい」
龍は小さい声で棕に言った。棕は警戒しながら、兄の言葉を聞き取り頭の中に入れた。
すると遠くから中務省の役人がやってくる。
「ご歓談中申し訳ありません。棕さま。お時間でございます」
それを聞いた棕はもうそんな時間か、と言った。そして龍に向き直って、宴の途中であるが仕事のため早退する旨を伝えた。龍は仕事を頑張るようにと言って、棕は龍に一礼すると宴会場を出て行った。
宴の後。
賑やかだった宮中はびっくりするほどに静寂に包まれていた。孫家の人々は各々の部屋へ移動していた。しかし、時々部屋に集まって話し出す。本当に仲の良い兄弟だ。
龍の部屋では龍本人と尊が相対して座っていた。尊の手には書物。
「やはり、知識で分からぬことがあれば尊に聞けば何でもわかるな」
「俺も龍兄上に頼りにされて嬉しゅうございます」
尊は頭を下げた。すると龍は今日の宴で来賓に対して酒を振舞ってくれたことに対して礼を述べた。尊は当然のことであると言った。
「今日のことを考えると、昔を思い出すな」
「昔? というと?」
「桃也がいた時のことだ」
尊もああと思い出す。桃也の兄弟たちの絆は誰よりも強いと自負している。兄弟を追い込もう、蹴落とそうと考えている人間はいない。皇籍離脱をして宴に参加できない弟に想いを馳せる。
「そういえば、お前は弟たちに勉学を教えていたな」
「そうですね。今思えば、河津や要、桃也は勉強嫌いでよくサボっておりました。その度に、俺が叱り付けていたように思います」
尊は苦笑いをした。
しかし尊に勉学の才能があるのではないか? と当時から思っていた龍。龍が東宮に入り、皇太子となった時に自分の弟である尊に東宮学士に任命したのである。
「尊。これからも頼むぞ」
「はい、龍兄上」
尊はそう言って龍の部屋を出て行った。空はすっかり暗くなって、中庭から夜空を見上げる。夜空には無数の星が瞬いている。
桃也。元気でやってるか?
桃也に想いを馳せながら、部屋へと戻って行った。
一方、場所は変わって江一族の屋敷の一室。
そこには礼とその娘であり、先代国王の妻になっている桜花の二人がいた。桜花は先代国王に断って実家へ里帰りをしていた。
「桜花。国王陛下の様子はどうだ?」
「国王陛下はいたって普通でございます。ご兄弟の仲の良さには驚かされてばかりです。しかし、我らを警戒する動きが高まっているようです」
礼はそうか、と呟いた。
桜花はさらに続けた。
「私が先代国王さまへと入内した数日後には孫家三男の夕弦さまが、国王陛下へ警戒の忠告をしたそうです」
それを聞いた礼は龍の考えがつかめていると笑った。
「兄弟が多い分、政治・生活を司るあらゆる部署の最高高官といった位の高い役職を与えることで、協力と結束を固めているのだ。何かあれば各部署に控える弟たちが伝えてくれるからな」
龍の弟たちへの位贈呈は龍が行っている。全部を龍が命じていたわけではないが、弟たちで周囲を固めているのは事実だ。
「それを崩せばいい」
「でも崩すってどうやって?」
「それは・・・、兄たちと争うことを恐れ、自ら皇位継承権を放棄し、王家に伝わる掟に従って宮中を出て行った皇子だよ」
それを聞いた桜花はそれって・・・と言った。礼の顔が歪んだ。
「孫家第十皇子、孫桃也さまだよ」
礼の笑みは大きな野望を抱える野心家の笑みをしていた。礼の狙いは桃也。しかし、その細い詳細はわからないままだった。
各々がそれぞれに思いを馳せながら、一日が終わった。