三話 月影の少年
三話 月影の少年
朝が来た。
蘭丸は今日、青葉から買い物を頼まれた。食材を入れる竹かごをもって屋敷を出る。青葉は玄関から顔を出して蘭丸の後ろ姿を見守った。
「気をつけて行くんだよー!」
「はーい!」
青葉の言葉に蘭丸は返事をして人々が行き交う市場へ向かった。市場は屋敷から歩いて数分。たくさんの人たちが市場に集まっている。
市場には新鮮な食材のみならず、工芸品も集まる賑わいのある場所。蘭丸は早速、青葉に頼まれたものを買うため、店へ向かう。
最初は野菜。野菜を売る出店へ向かう。目の前には大きさがバラバラでありながらたくさんの野菜が山積みになっていた。大人でもびっくりするレベルの量に蘭丸は思わず「おー」と言った。
「大根と、高麗人参と・・・」
蘭丸は店主に必要な食材を伝えていく。竹かごの中は野菜で埋め尽くされていく。蘭丸は代金を払うと次の買い出しへ向かう。次は肉だ。鶏一羽買いをするため、鶏を売る場所へ歩いて行った。
「おじさん! 鶏一匹ください!」
「おう。待っとれ!」
馴染みの店で鶏を一羽買いする。蘭丸には大きい荷物のため、後日届けてもらうことになっている。鶏の代金を渡して帰ろうとした。
買い物はこれで終わり。
体を翻し歩き出した次の瞬間、蘭丸は何かにぶつかる。
「うわっ!」
「うわっ!」
蘭丸は持っていた竹かごから手を離してしまい、尻もちをつく。しかしその一瞬の目を開くと少し汚れた青い装束を身にまとった少年の顔が見えた。黒い髪が風で揺れる。
少年は蘭丸と同い年くらいだろう。するとコケーッ! と鶏の鳴き声が聞こえてきた。少年も蘭丸と同じように尻もちをついていた。ぶつかった拍子で抱えていた鶏が鳴き出して逃げ出したのだ。
腕の中に鶏がいないことを知った少年は鶏が逃げた方向を見ながら言った。
「あっ! 大切な鶏が!」
それを聞いてハッとなった蘭丸は散らばった野菜など関係なく、急いで鶏が逃げた方向に走った。
「ちょっと!」
少年が止めようとするが、蘭丸は大丈夫! と叫んで鶏を追いかけた。鶏の足の速さは子供の蘭丸でも余裕で追いつく。そしてついに、
「捕まえたっ!」
蘭丸が逃げ出した鶏を両腕でがっちりと捕まえた。鶏は最初こそ暴れていたが、蘭丸ががっちりと押さえつけた。鶏も堪忍したのか、おとなしくなった。蘭丸が元の場所へ帰ろうとするとさっきの少年が蘭丸が投げ出した野菜を竹かごに入れてある状態で追いかけてきた。
「おーい!」
「捕まえたよ!」
蘭丸がニッと笑って鶏を見せた。少年はありがとう! とお礼を言った。蘭丸は少年に謝った。
「ごめん。僕がよそ見をしてたからぶつかっちゃって」
「そんな、僕もぼーっと歩いてたから僕の方が悪いよ。鶏まで捕まえてくれたのに・・・」
少年は竹かごを置いて、蘭丸は両手が空いた少年に鶏を渡した。そして自分は竹かごを持った。
「本当にありがとう!」
少年は笑ってそこから走って帰って行った。蘭丸も手を振って見送る。蘭丸はそのまま屋敷へ帰った。
蘭丸と別れた後少年は無事に家路についた。
少年が戻ってきたのは、中心部から少し離れた場所で貧しい人々が多く住む小さな集落。木で出来た小さな家へ少年は入る。
「お母さん! 鶏買ってきたよ!」
「あらま。そんなにおっきな鶏。ご苦労さん」
少年の母親であろう女性が頭を撫でる。鶏はカゴの中に入れられた。母親が腰をかけると少年は先ほど起こった出来事を話し出した。
「実は、逃げた鶏を捕まえてくれた子がいたんだよ!」
「え?! そうなの?」
「うん! 僕と同じくらいだったよ。そういえば、名前聞き忘れちゃった」
「突然だものね。また市場に買い物に行った時に会えるかもしれないわね」
母親はそう言って笑った。
そんな会話を蘭丸も展開していた。
蘭丸が買ってきた野菜で作った夕飯を食べながら、その話を桃也と青葉に話す。
「気をつけろ? 鶏は逃げたら最後だ。せっかくのご馳走だからな」
「僕がちゃんとこう・・・」
蘭丸は箸を置いて立ち上がり、その時の状況を体で表現する。腕を広げて交差して鶏を捕まえた時の状況を話す。
「捕まえたから!」
「そうかそうか・・・。あそこは人通りが多いからな。気をつけなさい」
「はーい」
蘭丸は再び座って、夕飯を食べ始めた。
その夜。風呂に入り、寝巻きに着替えた蘭丸は自分の部屋にいた。布団を敷いてそれに潜り込む。冷たい感触が蘭丸の素肌に触れる。蘭丸は足をピクッと条件反射をしてしまった。
「冷たい!」
蘭丸が小さな声で言った。
「あの子にまた会いたいな・・・。いつ、会えるのかな・・・。名前・・・、き、かないと・・・」
布団に入り、風呂で暖められた体温が布団に移ったせいなのか、体が心地よくなってくる。目がトロンとしてそのまま眠ってしまった。蘭丸は寝息を立てながら、今日の出来事を夢見ていた。
そこからしばらく蘭丸は青葉から買い物を頼まれるようになっていた。
買い物をしながらあの時に出会った少年と再会しようと画策しているが、それが上手くいかない。また鶏を買いに来るのかもしれないとしばらく店の前で立っているが、記憶に合致するあの少年は姿を現さなかった。
「今日もいない」
蘭丸はそんな日々を繰り返していた。せっかく出会った縁だ。その縁を大事にすれば蘭丸が欲しかった友達になってくれる可能性が高い。そう思うようになったのは父・桃也の一言。
「きっとその子とは気が合うかもしれないな。会うことが悪いことじゃないさ」
桃也はもう一度会いたい気持ちを抑えて買い物に従事する。
市場を抜けた道へ抜けた蘭丸の目の前に白い長袖の上に赤い装束、腰には立派な剣が刺さった男たちの集団が現れた。赤い装束を着た男を先頭に後ろに三人付いてきている。
どうやらこの赤い装束を着た男がこの中でリーダー。一番偉いらしい。まだ七歳の蘭丸には大人の男は見上げるくらいに大きかった。
男たちは蘭丸の横を通り過ぎた。蘭丸はそんな男たちを特には気に留めず、再び歩き出した。
「本日も異常はございませんな」
「そうだな。ひと暴れできないのは癪だが、国王陛下の手を煩わずに済むからな」
兵士に声をかけられて言葉を返す赤装束の男。体格もがっちりしており、日々の鍛錬の賜物が見ただけでも分かる。赤装束の男が腕を組んで再び歩き出す・
「河津さまらしいですね」
赤装束の男は河津と呼ばれた。河津は肩を回しながら言った。
「ひと暴れして、孫河津ここにあり! と言わしめたいものだ」
河津は自分の本名を堂々とその場で言ってのけた。その名は孫河津。蘭丸とその父・桃也と同じ名字である。それもそのはず、河津は先代国王の息子で現国王・孫龍の弟に当たる。
蘭丸の父・桃也は十人兄弟の末弟、つまり十男である。一方の河津は五男。桃也の兄にあたるのだ。すれ違った子供(蘭丸)がまさか自分の甥っ子にあたるなど考えられないだろう。
「では防衛府に戻ろう」
「はっ」
河津は部下にそう言うと、防衛府へ急いだ。
香国の防衛を司るのが、防衛府の役割である。それは争いごとの大中小に関わらず、出動する、警察のような役割を果たしている。防衛府と言っても様々な仕事があり、犯罪の取り締まりだけではない。王族が住む王宮を守るのも防衛府の仕事だ。
河津はそんな防衛府の武官長を務めている。元々喧嘩っ早い性格と勉強が苦手な脳筋であることが一つの要因となり、武官長になった。
結局、蘭丸はこの日もあの少年と会うことができなかった。
そしてまた一週間が経過した時だった。
今日は蘭丸が寺子屋に行く日。カバンに必要なものを詰め込んで寺子屋へと急いで向かう。寺子屋は子供達に読み書き計算といった、生きていくために必要な知識を学ぶ場所だ。蘭丸が行っている場所はそこまで綺麗な建物ではないが、勉強に支障はない。
寺子屋の中に入り、自分の席に座ると今日も勉強が始まる。
今日は漢字の書き取り。筆で髪に名前を書く。そして次は計算。先生が口に出す数を計算する。蘭丸がいくら頑張っても寺子屋一頭の良い女の子には叶わなかった。
時間が経つにつれて妙な視線を感じる。しかし、それは蘭丸たちにとって自然なことだった。蘭丸が通う寺子屋には仕切りの壁がない。そのため、勉強している姿が町の人たちに丸見えなのだ。
蘭丸がふと外に目を移すと、見覚えのある人物が見えた。
青い装束を着ている少年。そう、蘭丸が市場でぶつかった少年であった。
見つけた!
少年の発見で蘭丸に襲いかかっていた眠気が一気に吹き飛んだ。少年は蘭丸に気づいていない。少年はずっと仕切りのない寺子屋の中をずっと見ていた。中に入らないのかな? と蘭丸は疑問に思っていた。
寺子屋の時間は終わり、子供達は全員家へ帰る。蘭丸はすぐに準備を済ませて寺子屋の外へ出る。そしてあの少年に呼びかけた。
「ねえ! 待って!」
「?」
少年が振り返った。蘭丸の顔を見て思い出す。市場で出会った子だと。少年も蘭丸に近づいた。
「僕、君ともっと話したいんだ!」
「それ、僕も同じ!」
少年はニッと笑った。少年も蘭丸と同じ気持ちであったことに蘭丸は嬉しかった。二人は並んで道を歩いた。まず最初に聞いたのは、一番知りたかったお互いの名前。蘭丸が名前を言おうとすると桃也の言葉が脳裏をよぎる。
初対面の人にいきなり言うとダメだよね。
そう思って自分の苗字「孫」を喉の奥にグッとしまい込んだ。そしていつものように言った。
「僕、蘭丸って言うんだ」
「朔夜。史朔夜」
少年は朔夜と名乗った。蘭丸はその名前をしっかりと頭の中に刻み付ける。朔夜は本名を名乗った。蘭丸が苗字を言わなかったことに対して何も言わなかった。朔夜が察しのいい子というわけではなさそうだった。単純に気にしてないだけ。
蘭丸と朔夜は寺子屋からの帰り道を歩く。
「父さんと母さんに朔夜のこと教えたいな! うちに行こうよ!」
「そう? でも、この距離だと僕の家の方が近いから僕んちに行こうよ」
「いいの?」
「うん。お母さんに教えたいな!」
二人の利害はまた一致した。朔夜に連れられて蘭丸は歩いていく。次第に蘭丸が知らない景色が現れ始める。町の活気はだんだんとなくなっていく。蘭丸は少し不安になって話しかける。
「朔夜。ここは?」
「僕の住んでる集落だよ。僕んち貧しいからここで住んでる」
蘭丸にとって大きなショックだった。朔夜の着物も肌も少し汚れていたのは、これが要因だったと思い知る。蘭丸の目の前には今まで見たことのない光景が広がっていた。
「こっちだよ、蘭丸くん」
「蘭丸でいいよ」
「そう? じゃあ、蘭丸」
朔夜が手招きする。蘭丸は朔夜の後についていく。デコボコした道をひたすら進むと小さな家が一軒立っていた。朔夜は家の中に入ると声を出した。
「お母さん! 友達を連れてきたよ」
すると家の中から白い装束を着て髪の毛を一つに結った女性が現れる。青葉より年上の雰囲気がある。蘭丸はすぐに挨拶をする。
「こんにちは。蘭丸です」
「まあ。先日は鶏を捕まえてくれたそうで、本当にありがとう。史裕月といいます」
朔夜の母・裕月が小さく会釈をした。それに反応して蘭丸も頭を下げた。汚れが付いていない装束であるため、裕月は汚れてしまわないか心配した。しかし、蘭丸は大丈夫です! と言った。
裕月は蘭丸を家の中に招き入れてくれた。明らかに自分の暮らしている屋敷とは規模がまるで違う。見たところ、朔夜には自分の部屋はなくただ一部屋があるだけ。生活の全てを担うには少し手狭な家だった。
「お邪魔します」
「狭くてごめんなさいね。母一人子一人だから」
裕月はそう言った。
裕月の夫は朔夜が生まれてすぐに病気で亡くなったという。それ以後、裕月は貧しいながらも女手一つで朔夜を育ててきた。初めて会った時に蘭丸が捕まえた鶏は、朔夜たちにとってのご馳走だったのだという。
「蘭丸くんはどこに住んでるの?」
「町です」
蘭丸はそう言った。自分がここよりも広い屋敷に住んでいるなどと口が裂けても言えない。蘭丸は朔夜にあることを聞いた。
「寺子屋を覗いてたみたいだけど、通ってないの?」
それに裕月が悲しそうな顔をした。蘭丸は質問してはいけないことを聞いた、とすぐに後悔する。母の裕月が話してくれた。
朔夜の家は見ての通りの貧乏。寺子屋に通う余裕などなかった。蘭丸は七歳で読み書き計算ができるが、社会適応できてるかと言われればそうではない。逆に朔夜は読み書き計算ができない代わりに、貧乏だからこそ身についたサバイバル経験が社会を生き抜く術になっていた。
全くの逆だった。
話している間に時間は過ぎて夕方になった。蘭丸はそろそろ帰らないと、と言って朔夜の家を出て行った。帰り道がわからなくて、朔夜が途中まで送ってくれた。
「今日はありがとう」
「また会おう。今度は僕の家に案内する」
「楽しみにしてる」
朔夜とそのような会話を交わして別れた。
蘭丸が家に着く。するといつもとは違うように目に映った。
迎えてくれる両親。青葉が作る美味しそうなご飯。あったかい布団。隙間風一つ入らない部屋。なんだか眩しく感じてしまった。
「蘭丸?」
蘭丸がいつもよりも元気がないことに気づいたのは青葉だった。夕飯の後、青葉は蘭丸に話しかけた。
「蘭丸。何かあったの? 母さんに話してごらん」
縁側に腰をかけた青葉の隣に蘭丸も座る。今日帰りが遅かったのと何か関係あるの? と青葉が聞くと蘭丸は口を開いた。
「寺子屋の帰りにあの子と会った」
「あの子ってもしかして、市場でぶつかった子?」
青葉は察しよく、話の内容を掴む。蘭丸は頷いた。そのまま話は続く。
「あの子、朔夜って言うんだ。朔夜の家まで遊びに行った。そしたら、こことは全然違かった。みんなが必死になって生きてた。町とは全然違う」
青葉は察した。この子は貧富というものを見たのだと。七歳の子供にも印象的に残っている。しかし青葉は今のうちに見せといたほうがいいという考えに落ち着いた。蘭丸はその後、朔夜が貧しいことが理由で寺子屋に通えないことも話した。
「なるほどね。蘭丸。よく聞いて。これが、現実なの。蘭丸は寺子屋に通えるでしょ? でも通えない子もいるの。だからと言って、馬鹿にしてはダメ」
青葉はそう言った。なぜなら、桃也がそのような考えを持っているからだ。
桃也は身分を一切気にせず接するようにという考えを持っていた。威張っているといつかしっぺ返しがくると蘭丸は何度も聞いていた。そんな身近な存在だからこそ、桃也が皇籍離脱後もこうして受け入れられて幸せに暮らしている。
「いい? 蘭丸。あなたにできることをするの。きっとそうすれば、道は開いていくわ」
「母さん。今度、朔夜をうちに連れてきてもいい?」
「ええ、勿論。大歓迎よ」
青葉は笑って、蘭丸の頭を撫でた。
縁側を風呂上がりの桃也が歩いてくる。すると青葉の膝を枕にスヤスヤと寝ている蘭丸の姿があった。桃也は青葉から詳細を聞いた。桃也はなるほどな、と呟いた。
「そうか。だから元気がなかったのか」
「でも、蘭丸にとって何か思うことがあったんだろう」
青葉は桃也の考えを基にして話したと伝えると、そうかと笑っていた。桃也は今でも皇位継承には興味はなく、頼まれてもする気はさらさらなかった。
「その朔夜という子に会ってみたいな」
「そうですね」
桃也と青葉は縁側から夜空にある美しい満月を見上げていた。何も言わない物静かな月を朔夜も見上げていた。蘭丸とまた巡り会えることを願いながら。